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18.我慢も限界

「何か大変なことでもあったんです……っ?」


 フィルはユーリの姿を見つけるなり、勢いよく抱き締めた。身長差があるため、その硬い胸板に鼻をぶつけたユーリだったが、文句を言うよりも先に、突然の抱擁に混乱していた。


「何なのですか、フィル兄上! せっかくゆっくりとお茶を飲んでいたところでしたのに!」

「あぁ、チヤ、いたのか」


 ユーリを抱きしめたまま、本当に妹の存在に気がついていなかったフィルが無感動に告げる。そこでようやく、ユーリはこの状況が見られていることを思い出した。


「あの、フィルさん。ちょっぴり恥ずかしいので離してもらえませんか?」

「いやだ」


 ノータイムで拒否されたどころか、頭に頬ずりまでされたユーリは、頭を疑問符だらけにする。


(え? なんで? いきなりどうしたの? っていうか、見られてる中でこんなことされるの恥ずかしいんですけど!)


 しばらくユーリを抱きしめていたフィルだったが、少し落ち着いたのか、ようやく彼女の身体を少し離した。


「フィルさん。何かあったんですか?」

「ユーリに会いたかった」


 直球、それも剛速球なセリフにユーリの顔が一気に真っ赤に染まる。とっさに何も言えずにあわあわとしていると、フィルは彼女を軽々と抱き上げ、そのまま東屋のベンチに座った。膝の上に座る形となってしまったユーリが降りようとするが、腰にがっしりと回された腕がそれを許さない。


「ほら、ユーリ」

「え……っと」


 テーブルには先程までチヤとユーリが囲んでいたお茶と茶菓子が残されたままになっている。フィルはその中から一口サイズのパウンドケーキをつまむと、ユーリの口元へ運んで来たのだ。

 何を求められているか分からないユーリではない。それでも羞恥が先に来て、とても口を開けることはできなかった。


「どうした?」

「あの……」

「あーん」

「っ!」


 耳元でその言葉を囁くように告げられてしまい、もうどうとでもなれ、とユーリは観念して口を開けた。ついさっきまで、「ハーブが少し効いていて美味しいですね」とチヤと感想を言い合っていたパウンドケーキが、今はまったく味を感じなかった。


「すごい、あの脳筋兄上が……、これが番を持った竜人の行動なのか……」

「そうですね。まさかあのフィル殿下が給餌による求愛行動を見せるなんて驚きです……」


 それまで空気のように控えていたチヤ付きの侍女ですら、思わず感想を洩らしていた。


「フィルさん……、その、来賓の方は大丈夫なんですか?」

「クレットと話が弾んでいたから、少し抜けてきた」

「え、大丈夫なんですか?」

「元々、研究者肌のクレットの方が、話が合うからな。――――ユーリは、俺に会えなくて寂しくなかったのか?」

「う……、それは、寂しかった、ですけど」


 仕事だから仕方ないと思ってました、と正直にユーリが告げると、何故かぎゅうっと強く抱きしめられる。あまつさえ、首の後ろに鼻を押しつけ匂いを嗅がれてしまい、何とかやめさせようと身体をよじるも、余計に強く抱きしめられるだけで抵抗は無駄に終わる。


「あー……、もう無理。ユーリとずっとこうしてたい」

「いやあのフィルさん、お仕事はちゃんとしましょう?」

「あの魔女の案内とかどう考えても人選ミスだろ」

「向き不向きはあるかもしれませんが、それでも一度引き受けた仕事ですし……」

「はぁ、ユーリの匂いは落ち着くな」


 もはや話を聞くこともなく、頭を撫でてくるフィルに、ユーリは助けを求めるようにチヤを見た。


「だめよ、完全に頭が沸いてるもの。お母様でもない限り、正気に戻せそうにないわ」


 処置なし、と肩をすくめたチヤは、控えていた侍女の一人を近くに呼ぶと、王妃に状況を伝えるようにと密やかに命令する。


「あの、フィルさん?」

「だいたい俺に節度ある振る舞いを、とか言ってたくせに完全に引き離すことないだろうが。確かにイングリッドがこの国に来るきっかけになったのは俺かもしれないが、そもそもあの魔女は放っておいたって竜人についての研究だとろくでもないこと口にしながら、いつかはこの国に来ただろうに。別に俺のせいでもないのにどうしてわざわざユーリとの時間を削ってまで対応しなきゃならない? だいたいクレットの方が同じ研究バカなんだから相性がいいのは分かってるだろう。そもそも人選ミスなんだ。もういっそのことユーリを攫ってどっか遠くの国そうだレーベ将軍の復興を手伝うという名目であっちに戻っていやシュルツが近いから面倒だなもういっそシュルツを早々に潰してついでに魔女もサランナータに引き取って貰えばユーリとの時間も」

「フィルさん! なんか黒いものがだだ漏れになってます!」


 ようやく体勢を少しだけ変えることに成功したユーリは、フィルの頬を両手で挟んだ。思いもしない行動だったのか、暗く淀んでいたフィルの瞳に輝きが戻る。


(不穏にも程があることばっかり言ってたけど、まるでアホみたいな残業続きの会社員みたいな目になってたわ……)


 ファンタジー世界でもこういうのは変わらないんだなぁ、という思いに蓋をし、とにかく目の前のフィルをどうにかしようと彼の目をじっと見つめた。


「あーっ、こんな所にいたんだ。それが噂の番ちゃん?」


 場違いに明るい声が響き、居合わせた全員の視線がそちらに向かう。

 声の主は中庭の入り口に立ってユーリとフィルを指差している。日焼けを知らない真っ白な肌、透き通るような白金の髪、そして儚げな容姿を裏切るように好奇心から爛々と輝く瞳をしていた。その後ろに立つクレットが苦虫を噛み潰したような表情をしているのが対照的に映る。


「いやー、番ちゃんと離れ離れになってるのが堪えらんなくなって行っちゃったって聞いたけど、やっぱ番に対する溺愛ってすごいよねー……って、どうして隠すのさ!」


 ユーリを自身の身体で隠すだけでなく、魔術耐性を付与した上着を頭からかけたフィルは、ふん、と鼻を鳴らした。


「お前に見られると減る」

「ひどいなー、レーベ将軍とこでも獣人同士の番を観察させてもらったけどさー、みーんな独占欲強いっていうか」

「俺はその獣人に同情する」


 国を文字通り一から立て直している最中だというのに、何を邪魔しているんだとフィルは頭痛を堪える。


(いや、逆か? 妙な邪魔をされるよりはとスケープゴートにしたのか)


 どちらにしてもその獣人カップルは大変だったことだろう。エルフには番という概念がないから、余計にイングリッドの興味を引いてしまったはずだ。


「どれだけの距離を離れたらお互いを感知できなくなるのか、どれだけの期間を会わせずにおいたら発狂しそうになるのか、とか色々付き合ってもらおうと思ったのに、レーベ将軍まで邪魔するし」

「お前本当にタチ悪いな、イングリッド」


 研究心を刺激するのは分かるが、人としてやってはいけないレベルだと、彼女を睨み付ける。だが、そんな剣呑な視線を向けられたぐらいで怯むなら、そもそも魔女などと言われてはいない。


「あれー? もしかして番の誓約してないの? 魔力パスが繋がってるように見えないんだけど。それとも竜人は獣人と違うのかな?」

「他種族の番だと言っただろう! まだ口説いている最中なんだから邪魔をするな!」


 他人の機微を推し量ろうともせず、ただ己の探究心のままに言葉を重ねるイングリッドに、とうとうフィルは吠える。


「いい加減にしろよイングリッド。俺がお前に融通するのは資料閲覧の便宜だけだ。これ以上引っかき回すようなら、力尽くでの排除も辞さないと思え」

「やだなぁ、フィル。アンタはこの国であたしが調べ物をする許可をくれたじゃないか。あたしが知りたいと思うことを調べる許可を、さ」


 茶化すように言ってのけたイングリッドだが、一歩も引く気はないらしい。


「お前と言葉遊びをするつもりはない。これ以上面倒事を作るようなら、その許可を撤回すると言っている」

「成程、それは困るね。せっかく興味深い資料を見つけたところなのに。……それなら、気が向いたらそっちの子とおしゃべりさせてもらえるかな」


 困る、と口にしながら、イングリッドは一度興味を向けたものを諦めるつもりはないようだった。それが余計にフィルを苛立たせる。


「いい加減に……っ!」

「はいはい、どーどー。落ち着け落ち着け」


 一触即発のピリついた空気の中、仲裁に飛び込んできたのは王太子レータだった。


「とりあえずイングリッド殿、そろそろ日が傾き始めた頃合いだから、自室に戻られることをオススメするよ。クレットから良い資料を得られたんだろう? ――――クレット、お送りして」

「は、はい、レータ兄上!」


 長兄の有無を言わさぬ瞳に、クレットは渋るイングリッドを中庭から連れ出した。

 二人の姿が見えなくなったところで、レータはフィルに向き直る。


「――アホ」

「すみません」

「謝る相手が違うだろ。――――ユーリさん、大丈夫かな」


 慌てて自分の背中に隠したユーリを見たフィルは、驚きに目を見開いた。上着の隙間から覗くユーリの顔は真っ青で今にも倒れそうだったのだ。慌ててぐるりと見回せば、チヤも同様で、チヤ付きの侍女に至っては地面にへたり込んでしまっている。


「ユーリ……?」

「だ、いじょうぶって言っても、説得力ないですよねぇ……」


 フィルがイングリッドに容赦ない怒りを向けた辺りからだろうか、ユーリは呼吸がしづらくなり、浅い呼吸を繰り返していた。濃密な殺気が、と表現してしまえば簡単なものだが、平和な国で安穏と日々を暮らしていたユーリにとっては、まるでナイフを喉元に突きつけられたような緊張感で窒息死しそうな時間だった。


「ユーリさん。君は部屋で休むといい。そこの愚弟に運ばれたくなければ、別の衛士を呼ぶけど、どうする?」

「あー……、それは」


 正直なところ、あれだけ怖い思いをしたのだ。その原因となったフィルと距離を置きたい思いもある。安易にその提案に乗ってしまいそうなユーリだったが、まるで捨て犬のような瞳でこちらを見ているフィルに気付いてしまえば、素直に頷けなかった。


「遠慮はしなくていいよ。君も怖い思いをしただろう? あぁ、チヤ、ちょっと待っていてくれるかな」


 ユーリは上着の隙間から、ちらりとフィルを見る。さっきまでの殺気はどこへやら、本当に捨て犬にしか見えなかった。


「フィルさん」

「そ、その、ユーリ! 俺は――――」

「ちょっと歩けそうにないので、部屋まで送ってもらってもいいですか?」

「もちろん!」


 少し意外そうな表情浮かべたレータを残し、フィルはユーリを軽々と抱き上げ、文字通り飛んで行った。


「少しは脈があると思っていいようだね。――――あぁ、母上にも報告しないとなぁ」


 憂鬱だ、と呟いたレータは、やってきた衛士に妹とその侍女を任せ、王妃が執務をしている予定の部屋に向かうことにした。



・‥…━━━☆



「それは、本当に困ったものねぇ……」


 長兄(レータ)から顛末を聞いた王妃は、深いため息をついた。


「確かにイングリッド殿は困った子かもしれないけれど、フィルの行動はよくないわ。あぁ、イングリッド殿への対応じゃないのよ、そこに弱者がいることを忘れて、怒りに任せてしまったことがね」

「そこはフィルも反省していたと思いますよ」

「反省だけしてもねぇ……」


 反省だけなら誰でもできる。問題はそこから次に生かせるかどうかなのだ。特にカッとなりやすい三男の顔を思い浮かべ、王妃は「甘やかし過ぎたのかしら?」と自問した。


「レータ、あなたはどう思う? もうフィルは見限ってしまうべきなのかしら?」

「それは早計ですよ。ユーリさんはあんなことがあった後でも、フィルに付き添いを頼んでいましたし」

「それはフィルの方から無言の圧迫があったとかではなく?」

「……どうでしょう。それでも、本当に脈がなければ拒絶すると思いませんか?」

「こうなってくると、もう一度あの子と話をしてみたいけれど、フィルが文句を言って来そうね」

「それはそうでしょう。わたしもほとんど会話らしい会話をしていませんし、エクセなんて顔合わせすらさせてもらってない。フィルは余程彼女を大事に囲い込みたいらしいですね」

「ユーリさんはそう簡単に囲い込めるような子ではないと思うのだけれど……。そこを察せない浅はかさ……いえ、女性経験の差なのかしら?」


 母親に同意を求められたが、レータは賢く無言を貫いた。うっかり頷いてしまおうものなら、レータ自身の女性経験に突っ込まれかねない。


コンコン


 遠慮がちなノックの音に、母子(おやこ)は顔を見合わせた。


「何かしら?」

「あの……、ユーリ様から伝言を預かって参りまして」


 予想外の名前に、再び親子は顔を見合わせた。



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