17.会えなくて
「はぁ、『脳筋兄上』ですか」
「そうよ! フィル兄上は脳みそまで筋肉になっちゃってるから、思慮深さとか細やかな配慮に欠けてしまっているの!」
ユーリは肯定も否定もせず、曖昧な微笑みを浮かべるに留めた。
城下で会ったエルフらしき女性に(耳! 耳が! とんがってた!)と内心はしゃいでいたけれど、フィル同様、魔物の大侵攻とやらでなかなかすごい活躍をした人らしく、今日はフィルの案内で城の資料室に閉じこもっているらしい。
(まぁ、来賓レベルの目に、私みたいな非常識人間は晒せないってことよね……)
自嘲したユーリはちょっとだけ遠い目になる。
暇を持て余してしまうだろうと配慮され、チヤ王女の受けている講義を部屋の端で聴かせてもらったが、理解できずに退屈になるという心配は杞憂に終わった。講義が周辺諸国との関係史という地理と歴史の複合のような内容だったためか、興味深く耳を傾けることができたのだ。忘れないようにメモを取りたかったが、ボールペンとクリップボードがあるならまだしも、付けペンしかない状態なので、とりあえず記録よりも話を聞くことに集中することにした。
大人しく聞いていたユーリに興味を持ったのか、それとも元々フィルの連れて来た番に対して思う所があったのか、ユーリはチヤ王女にお茶に誘われた。そして、美味しいお茶を頂くなり、出て来た言葉が「脳筋兄上」である。
「でも、フィルさんは、私にとっては気配りのできる人ですよ?」
「え、まさか! ありえないわ!」
間髪入れず否定の言葉を返すチヤに、ユーリはここへくる道中の話をした。着替えを持っていなかったことに気付いて動いてくれた話や、自分が嫌だと思ったこと――抱かれて飛ぶこと――に対して配慮してくれたこと、魔物を血を見せずに退治してくれたことなどだ。
「まさか、あの兄上に限って……」
大袈裟に慄いたチヤだったが、すぐに「これが番の威力なのね!」と目を輝かせた。
「あの、フィルさんの副官をしているロシュさんも似たようなことを言っていたんですが、フィルさんて、そんなに……?」
「えぇ、訓練と強い敵と戦うことしか考えないような脳筋だったのよ!」
さすがにそれは言い過ぎなのでは、とユーリは思うが、曖昧に微笑むに留めた。チヤの言う通りなら、そもそもロシュという補佐があっても軍部の長官という地位にいたのがおかしいだろう。さすがに王族だからと言って、そこまでの依怙贔屓をするとは思えなかった。
「だいたい、軍部の人はみんなおかしいのよ! どうして喜々として魔物の討伐に行くの? しかも近場での間引きのときなんて、誰がどれだけ狩れるか賭けてる上に、ハンデとか言って武器を持って行かなかったりしてるのよ! おかしいでしょ!」
「それは確かによくありませんね。万が一のことがあれば取り返しがつかないでしょう」
「でしょ!? おかしいわよね? なのに脳筋兄上は『別に武器なんていらないだろう』なんて平然と言うのよ!」
「チヤ様は心配していたんですね」
「っ! 違うわ! 脳筋兄上と軍部の考えがおかしいってことを自覚させたかっただけよ!」
顔をほんのり赤くして否定するチヤに、ユーリは逆らわず「そうですね」と頷いて見せた。内心では「ツンデレ妹かわいい!」とはしゃいでいたが。
その後もチヤは家族の話を延々と披露し、ユーリは少しだけ生温かい目をしながら聞き役に回った。茶会の後に、チヤに付いている侍女から感謝の言葉を貰うぐらいには、話を聞き続けていた。
――――そんな一方的な茶会を終え、自室に戻ったユーリは、小さく息を吐いて、ベッドに突っ伏した。
屈折した思いが多少はあるものの、ああして家族愛を延々と語られ続けると、どうしてもユーリの胸に郷愁が沸き起こる。この一月、何度となく忘れようと思っても、ふとした瞬間に思い出すかつての世界、友人、家族。
「せめて、スマホの電源が入ったらなぁ……」
写真を見るだけでも、少しは慰められるのに、と呟く。鞄に入れっぱなしだったスマホは、いつの間にか電源が切れてしまっていた。圏外だと電池の消費が早いと聞いたことがあるから、おそらくそのせいだろう。
「はぁ……」
沈みそうになる気持ちを慌てて振り切るように頭を振ったユーリは、のそのそとベッドから降り、元の世界から持ち込んだ本を引っ張り出す。何気なく手に取った刺繍の本を開き、パラパラとめくり始めた。
(フィルさんはお客さんの相手で食事を一緒にできないって話だし、ちょっと寂しい、かな)
どれぐらいお客さんが滞在するのか知らないが、その間に刺繍入りハンカチの1つぐらいできるだろうか、とユーリはモチーフの見本をパラパラとめくる。その中で1つ、男性でも問題なさそうな図案を見つけると、教本を片手に刺繍枠に白い布をセットする。
(どうにもならないことを下手に考え込んで鬱になるより、こっちの方が建設的よね)
仕事も休みなら、時間は十分にある、とユーリは刺繍針を手に持った。
・‥…━━━☆
「へぇ、思ったよりすごいじゃん。竜人っててっきりフィルと同じく武力特化だと思い込んでたけど、そんなことないんだね!」
「フィル兄上のような竜人ばかりではありませんよ、魔女殿」
目の前で交わされる会話を聞き流しながら、フィルは「退屈だ」という感情を隠す気はなかった。クレットからはたまに睨まれるが、イングリッド相手に取り繕っても意味はないと知っている。彼女は正しく研究バカなのだ。とにかく探究心が旺盛で、見慣れぬ魔物を仕留めると、他の魔物のことなど考えもしないで解剖しようとしたり、同じ場所で戦う魔術師が彼女の知らない魔術を使えば、戦闘中でも構わず質問を浴びせかけたりする。だというのに行使される魔術は正確無比で、フィルですら討伐に苦労したロックタートルをあっという間に倒し「単なる温度差の利用だよ」などとこともなげに言い捨てたりもする。
(はぁ……、ユーリに会いたい)
クレットはイングリッドに話を合わせられるらしく、ネラル遺跡の碑文だの、デベロ文書の欠落部分の補稿だの、フィルにとっては謎の単語が飛び交うやり取りをしていた。
「ところで、その紙束なんだけど、なぁに?」
「あぁ、こちらですか。さすが魔女殿は目敏いですね」
資料室の机の上、「未分類」と書かれた箱に入った紐綴じの紙束には『あがり症のあなたに教える3つのこと』というタイトルがお世辞にも綺麗とは言えない字で書かれていた。
「最近、手に入れた訳文なので、内容精査と分類待ちなんですよ。よろしければ内容をご覧になりますか?」
「ふぅん? 興味深いタイトルだけど、いったい誰の……ん、んんっ!?」
始めこそ興味も薄そうにパラパラとめくっていたイングリッドは、だんだんと食い入るように紙束を舐めるように見つめ始めた。
「ちょ、ちょっと待って! これマジもん!? ねぇこれ欲しいんだけど!」
「さすが魔女殿、その価値がおわかりになりますか」
「モノホンだったらとんでもないヤツじゃん! 入手経路は!?」
「さすがにそれをお教えするわけには……」
「う~~~! じゃぁ、せめて写本! 写本作らせて!」
「まさか、無料でとは言いませんよね? これだけの貴重な品ですよ?」
そこから始まった値段交渉を、資料室の入り口でフィルは眺めていた。頭の中はもう、どうやってイングリッドを早く追い出してユーリとの日々を取り戻すか、ということしか考えていない。
(ユーリが彷徨い人であることを隠すためとはいえ、案内役の俺すら近づけないというのはさすがにやり過ぎじゃないか?)
ユーリが彷徨い人であることがバレてしまえば、絶対にイングリッドはユーリに執着する。それぐらい彷徨い人は貴重かつ希少なものなのだ。特に好奇心・探究心の塊であるイングリッドにとっては、彼女を満足させるに足る知識の持ち主とも言える。
(あぁ、絶対俺が案内役になるより、クレットの方が向いてるよなぁ……)
値段交渉が終わり、早速複写しようとしているイングリッドに、今度はクレットの方が質問攻めにしていた。
だが、フィルにとっては失伝した複写魔術もどうでもいいし、廃れた理由にも興味はなかった。複写するたびに原本のインクが半減すると言われても「そうか、大変だな」ぐらいにしか思えないのだ。
「それで、クレット殿はこの訳文の原本は実在していると思うか?」
「そうですね。実在していれば、失われたラカダ文明、そこで使われていた言語の研究に大きく役立つと思うのですが、何しろ手がかりがないものですから」
「やはり貴殿もラカダ文明のものだと思うのだな?」
「勿論です。もちろん可能性が高いというレベルですが、彼の文明由来と言われているラクダーヤーマについての記載もありますし」
「そうだな! それに登場する建物もラクディリア建築のように思えるし」
「なるほど、魔女殿はそこに着目しましたか」
再び始まった学術的な話を聞き流しながら、フィルは遠い目で窓の外を見た。今日も綺麗に晴れていた。
・‥…━━━☆
(まだ、4日か……)
晴れた空の下、チヤ王女と中庭の東屋でテーブルを囲みながら、お茶と茶菓子に舌鼓を打っていたユーリは、頭の中で指折り数えてみて、改めてその数字の小ささに驚いていた。
元彼とは一週間ぐらい音沙汰がなくとも何も思わなかったというのに、たった四日目で自分でもすごく落ち込んでいるのが分かる。一番気を紛らわせる仕事も中断となってしまっているせいもあるかもしれない。
「どうしたの? 今日の講義で何か分からないことでもあった?」
「え、あ……、確かに、ちょっと分からなかったところはありますが」
「そうなの? それならチヤが教えてあげてもいいわよ!」
えへん、と胸を張るチヤに気取られぬよう、ユーリはちらりと控えている侍女に視線を向ける。ユーリと同じぐらいの年齢に見えるその侍女は「どうぞご随意に、無駄に高くなった鼻をへし折ってください」とばかりに黒い笑みを浮かべた。
(本当にいいのかしら)
ユーリは小・中・高・大と合計16年間も学生をしていただけあって、教えられて理解することと、誰かに教えることは全く別物なのだと知っている。要求される理解度が全く異なるのだ。
「でしたら、その、今日の講義で何度か出て来たメマル地方なのですが、鉱山で採掘された鉄鉱石をわざわざ隣接するイス地方へ運搬して加工しなければならないのはどうしてなのでしょうか?」「え、あー、それは、ほら、あれよ! 水! 精錬に綺麗な水がいるから、イシリア川流域が都合良くて」
「イシリア川であれば、その上流がメマル地方を流れています。そこではいけなかった理由があるのでしょうか」
「そ、れは――――」
チヤはあちこちに視線を向け、だんだん顔を赤くしながらああでもない、こうでもないと考え始める。真剣に答えを導き出そうとするその様子が可愛くて、ユーリはつい眺めてしまった。いけなかっただろうか、と専属侍女を見れば、やはり可愛いものを愛でるような表情で彼女もチヤを見つめていた。
(王族なんだから、逆ギレしてポイすることだってできるだろうに、基本的に良い子なのよね)
どこかで回答は後日でも構わないことを伝えようかと考え始めたとき、遠くからドタドタと荒々しい足音が近付いて来た。異変を感じた侍女や護衛の兵が気を引き締める。
「ユーリ!!!!」
大声とともに茶会の席に乱入してきたのは、チヤの兄でユーリの恋人でもある男だ。何やらとんでもなく慌てた様子に、ユーリは慌てて立ち上がった。




