15.城下デート
最初のお給料をもらったとき、ユーリはその額の多さに何かの手違いかとクレットに確認してしまった。
「いや、それで間違いないよ。最初の雇用契約のときに説明したでしょ? 出来高制だって」
「明細は確認しましたけど、でも、1冊あたりの単価がおかしくありませんか? それに技術提供料っていう項目も……」
「契約書に記載されてた単価は最低金額だからね。翻訳してもらった本は、もう誰も読める者がいないレベルの本だから、もちろん単価も高額ってわけだよ」
他に発注できるアテもなく、歴史的にも貴重な史料と言われてしまえば、ユーリとしてはそういうものなのか、と頷くしかできない。
「それじゃ、技術提供料というのは……?」
「それは君がいた世界の知識を披露してくれた対価だね」
「え? でも、あのぐらい誰でも――――」
「君のいた世界ならそうかもね。でもこちらとしては、貴重な情報なんだよ。現に最初に教えてくれた活版印刷については既にプロジェクトが立ち上がっているし」
彷徨い人がもたらす知識の価値について説明されると、ユーリは口の中でもごもごと「まさかの知識チート……」と呟いた。小説などで何度か目にしていたが、まさか自分がその当事者になるなんて、と唖然とする。
そんなわけで、思わぬ大金を手にしてしまったユーリは、あっさりとフィルに借りを返す算段がついてしまった。
「本当は貯蓄に回しておいた方がいいんだろうけど、でも、せっかくだから買い物に行きたいなぁ……。動きやすい服をもう少し買い足したいし、どんな雑貨があるかも知りたいし」
次の休みに城下に出てみたいと言ったら、やっぱり反対されるだろうか、と悩む。
「ユーリ? 何か悩み事か?」
「あ、ごめんなさい。フィルさん。えっと、何の話でしたっけ?」
ユーリは慌ててフィルに向き直った。夕食の席を囲んでいるのに、つい考え事に耽ってしまったと慌てて謝る。
「あぁ、ロシュが当てつけのようにクレットの執務室に向かって拝むようになった話だったが、……何か心配事があって、俺が力になれるなら」
「心配事というほど大袈裟なものではないんです。ただ、お給料も出たので、城下に買い物に出てみたいなぁ、と。でも、まだお城の外に出るのは安全上問題があるんですよね?」
「あぁ、次の休みは……三日後だったな」
フィルが考え込む姿勢を見せたので、やっぱりまだお預けなんだとひっそりため息をついたユーリだったが、続く彼のセリフに目をぱちくりとさせた。
「おそらく大丈夫だ。その日なら俺の仕事の調整がきく」
「え……? フィルさんの、ですか?」
「俺が一緒に行けば安全上の問題はない」
「で、でも、フィルさんのお仕事は」
「番とデートに行けるんだ。意地でも調整するさ」
「デー……!」
ユーリには勿論そんなつもりはなかった。というか、どんなものがあるのかチェックしたい物のリストに下着もあるのだ。それに彼氏を付き合わせる? いやいやいや、と内心で首を振る。
「あの、私はそういうつもりではなくて――――」
「大丈夫だ。問題ない」
キリッと断言されてしまったが、どう断ればいいのかとユーリは頭を悩ませた。こうまで自信たっぷりに断言されてしまうと、それを撤回させるのは難しいと、この一ヶ月あまりの生活の中で学んでいるのだ。
「あの買い物の内容がちょっと……なので、誰かに同行してもらうにしても、同性の方の方が都合が良いんですけど。たとえばロシュさんみたいな。ロシュさんが護衛にならないのはもちろん分かっていますけど」
「ロシュか? ……あぁ、別にあいつは弱くはないぞ? 確かに俺が軍部のやつらを纏めてはいるが、ロシュだって十分に強いからな」
「え? ロシュさんが?」
ユーリはロシュの姿を思い浮かべる。いかにもがっしりした体格のフィルと並んでいるところをよく見るせいか、細身だし、女性だし、なんとなく補佐とか書類仕事に特化している人のように思っていたのだ。
「確かにロシュなら護衛を任せてもいいかもしれないが、ユーリが初めて城下に出るんだ。俺がユーリを案内したい」
真っ直ぐな目、真っ直ぐな言葉でそう言われてしまうと、ユーリはなんとなく恥ずかしくなって頬に熱を帯びるのを感じる。そして、こうなってしまえば、もうユーリの負けだった。
「わ、かりました。案内、お願いしてもいいですか?」
「あぁ、任せておけ!」
・‥…━━━☆
(圧迫感がすごい……!)
城下に出たユーリは、早くもくじけそうになっていた。
竜人は総じて体格が良い者が多い。ユーリ自身も元いた世界では、平均身長よりやや低かったというのもある。
(人が多いと向こうが見通せない! 子どもの視線ってこんな感じなのかも)
タオルなど生活雑貨を扱う店はいくつかあり、そのうちの1つがロシュ推薦の店なのだが、城下のメインストリートの一角にあるため、必然的に人通りの多い場所を通らざるをえない。
同行しているフィルは、手を握るどころか、さらに腰に手を回してきているため、はぐれる心配は一切ない。ないのだが、体格の良い竜人ばかりの中を歩くのが、こんなに疲れるものだとは予想していなかったユーリは、既にげんなりしていた。
「大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。ちょっと予想外というか驚きがあっただけで」
とりあえず店に急ごうとフィルに上目遣いでおねだりすると、彼はユーリを抱えて走るほどの勢いでそそくさと歩き出した。ユーリにとっては早足が過ぎたが、長くここにいるよりは、と頑張って足を動かす。
「ホージュン商店、ここだな」
「すごい……なんか、高級そう」
ブランド品ばかりを扱っているテナントのように見えて、前を通り過ぎたくなったが、そういえば自分の懐は結構温かかったんだと思い出したユーリは、フィルを連れて店内に入る。
「うわ、可愛い雑貨が結構ある……! さすがロシュさんのオススメですね」
まず目に入ったのは、ワンポイントの刺繍が入ったタオルだ。その他にも可愛らしい小瓶や木箱などがいくつかの区画に区切られて並んでいる。
「あ、これ……」
ユーリは小さな小物入れに目を留めた。木製の3段ほどの引き出しで、側面に花の絵が描かれている。ちょっとしたものを入れておくのに丁度いいし、部屋の印象にも合っている。ただ、ちょっとばかり値段が張るのが難点と言えば難点だが、払えない程でもないし、何よりデザインが一目で気に入った。
「あの、フィルさん。ここのお支払いなんですけど」
「ん? 早速気に入ったものがあったか? 何でも買ってやれるぞ?」
「そうではなくて、ですね、支払いのスタイルについて確認したいんですけど、買いたいものがあって、まだ他に店内を見たい場合ってどうすればいいんですか?」
そんな常識のようなことをおおっぴらに聞くわけにもいかず、耳元に顔を寄せて囁くように尋ねると、何故かフィルは何かを堪えるように眉間に皺を寄せた。
「フィルさん?」
「ん? あぁ、いや、何でもない。店員に預けておけるから、呼ぼう」
手を挙げて店員を呼ぶフィルの動作はどことなくぎこちない。まさか、初めてユーリの方から密着してくれたことに幸せを噛みしめていたなどと、誰も気付かないままだった。
その後も店内をうろうろと確認し、ユーリが久々の買い物を堪能し終えた頃には、それなりの量になっていた。会計をする際に、フィルが払おうとするのを何とか押しとどめるという場面もあったが、概ね何事もなく最初の店での買い物を終えることができた。なお、荷物に関しては、フィルの魔法で城に送ってもらえるというのでそこはしっかり甘えておいた。
2軒目に向かったのは、衣類を扱う店だ。古着以外の既製品などほとんどないため、ロシュに紹介してもらった仕立屋で着回しのききそうなトップスとボトムを店員に相談しながら決めていく。職場に着ていくものなので、シンプルな装いだ。だというのに、フィルは少しばかり不服そうな表情を浮かべていた。どうやら、もっと可愛らしいデザインが好みだったようだ。
「でも、どうせ職場に着ていくだけなので、動きやすい方がいいと思うんです。クレットさんにそんな可愛いワンピースを着て見せたところで、査定に反映されるわけでもありませんし」
ユーリとしては思ったままを言っただけなのだが、フィルは「そんな可愛い姿をクレットに見せるなんて!」と別の方向で憤慨していた。ともあれ、衣類についても問題なく調達を終えることができた。
ちなみに、2軒目の店員にも確認したのだが、ゴムのように伸び縮みする素材がないため、基本的に男女ともにふんどしのような下着を身につけている。正確に言えばゴムのような素材はあるが、魔獣由来の素材となり、非常に高価なものなのだそうだ。
・‥…━━━☆
「とりあえず、私の行きたいところはこれで終わったんですけど、フィルさんはどこか行きたいところはありますか?」
疲れただろうからと、案内されたカフェでユーリは向かいに座るフィルに問いかけた。
「そうだな。1軒だけ、寄ってもいいだろうか」
「はい。……でも、もし私の体力を心配しているんでしたら、こうして休憩も入れたのでまだまだ歩けますよ?」
「いや、そうではないんだ。ただ、俺もあまり女性を連れていくような店は知らなくて……。正直、ロシュがいなければどうなっていたことか」
照れくさそうに頬をかくフィルに、ユーリはちょっとだけキュンとくる。日頃「番だから」と暑苦しく感じるほどに迫ってくるくせに、ロシュを頼らなければユーリの望むような店に案内できなかったことが悔しかったらしい。
(こういうところは、ちょっと可愛いって思えるんだけど)
なんだか今までずっとフィルのことをちょっと暴走しがちな年上の男性と思っていたのに、こういう表情を見せられると、そのギャップに絆されそうになる。
そんなことを考えながら彼を眺めていると、ふと、他の客からの視線に気がついた。気付くのが遅れたのはそれがユーリ自身に向けられた視線ではないからだった。
(そっか、王族らしく顔だけは整ってる、ってロシュさんも言ってたから……。きっと、カフェにイケメンが来たからこっそり眺めちゃおう、っていう感じなんだろうな)
そういった感情はユーリにも覚えがあるので、うんうん、と納得する。ただ、顔にいくつか浮かぶ鱗がどうしても特殊メイクに見えてしまうせいか、ユーリにとってフィルはイケメンという感覚はない。
「あ、そうだ。忘れてました。これ、私の鞄に紛れ込んじゃってたみたいなんですけど」
ユーリはハンカチで丁寧に包んでおいたものを、そっと差し出した。それは白銀の鱗だ。
「最初、クレット殿下のものかと思ったんですけど、聞いてみたらフィルさんのだって……。あの、竜人の鱗って、定期的に生え替わったりするんですか?」
常識外れのことを聞いてしまっていうのかもしれないと、ちょっと声を抑えめにしたユーリだったが、何故か突っ伏してしまったフィルに慌てる。
「えっ!? フィルさん? あの、どうしました?」
「いや、あー……なんというか、すまない」
色々と悩んだ結果、フィルは正直に白状することにした。守護の代わりとして意図的に鞄に忍ばせたことまで、だが。その鱗を起点として盗聴、もとい遠耳の魔術を使えるとまではさすがに言えなかった。
「つまり、お守り代わり、ということですか?」
「あぁ。だからそのまま持っていて貰えると嬉しい」
そういうものなのか、と素直に頷いたユーリは、白銀の鱗をハンカチに包み直して鞄に戻した。
「そういえば、寄りたい店っていうのは、どんなお店なんですか?」
「あぁ、装身具を扱う店だ」
「装身具……アクセサリーですか?」
「そうだ。もしかして、そういったものを贈り合う慣習はなかったか?」
「いえ、指輪なんかを贈ったり贈られたり、というのはありました。――すみません、ちょっと意外だったんです」
「あぁ、そうだな。俺も意外だ。まさか俺が女性にそんな贈り物をする日が来るとは思ってもみなかった」
そう言って少しだけ照れくさそうに視線を逸らすフィルを見て、なんだかユーリの胸のあたりが温かくなった。
(うーん、ちょっとキュンと来た……かな)
自分のために不得意なジャンルに挑んでくれたということが、なんだか嬉しかった。番というわけのわからないものを全面に押し出されるよりも、こうして好意を行動で示されることの方が嬉しい。
「ユーリ?」
「あ、すみません。ちょっと考え事をしていて。……その、嬉しかったです。こちらのアクセサリーってどういうものがあるのか知らないので、楽しみにしてますね」
ふわりと花がほころぶように笑ったユーリを見て、フィルは見えない弾丸に撃ち抜かれたように胸を押さえた。




