12.少しでも近くに
「母上! ……ぐぅっ!」
王妃はノックもせずに執務室に飛び込んできた狼藉者に雷を落とした。もちろん、相手がフィルと分かっていて、である。
「フィル、ここは戦地ではないのよ? 礼儀をどこで落として来たのかしら?」
「すみませんでした。ですが、青の間に戻ってもユーリの姿がなかったので……」
「彼女なら、今はわたくしの用意した部屋で休んでいるわ」
「どうしてですか? ユーリは俺の部屋で……ふぎっ!」
番を得ると能力が安定する反面、番のことにだけひどく狭量になるというが、本当にその通りかもしれない。そう結論付けた王妃は言葉より先に雷を落としていた。
「まさか、あの子に無理矢理迫って契りを交わす気?」
「違います! 誰も知り合いのいない場所で不安な思いをさせるぐらいなら、と思っただけで、そのような不埒な思いは決して……!」
「あなただって、出会って数日でしょう?」
「しかし俺は彼女の番で――――」
「あなたにとってはそうかもしれないけれど、人間には番なんてないし、そもそも彼女は彷徨い人よ。それを忘れたのかしら?」
「しかし、ここに来る道中は、同じ部屋で寝泊まりしていたんですよ。それも嫌がられたようすではなかったし」
「おだまりなさい」
頭痛を覚えながら、ぴしゃり、と王妃は言い放った。
「宿で同じ部屋を取っていたことは、彼女は費用節約のためと勘違いしていたので不問にしますが、城内で同じことは許可できません」
「ひよう、せつやく……」
「呆れたこと。フィル、自分の思いばかり優先して、あのお嬢さんの話をあまり聞いていないでしょう」
「そんなことはありません! オレはちゃんと――――」
「ユーリさんのいた世界のことはどれぐらい知っているの?」
「それは……」
「彼女が元の世界で働いていたことぐらいは聞いたかしら?」
「確かに聞いていなかったかもしれませんが……」
「その様子では、お付き合いをしていた相手がいたことも聞いていないのね」
「……」
この部屋に乗り込んで来たときの勢いを失って、すっかり項垂れてしまった三男を見て、王妃は盛大に、聞こえよがしなため息をついて見せた。
「フィル、あなたのするべきことは、自分の気持ちを押しつけることではなく、彼女に寄り添うことよ。いきなり見知らぬ世界に来るということは、何もかも失っているということを理解なさい」
「だから俺は、途中寄り道をして服や雑貨類を用意して……っ」
「残酷なことを言うようだけれど、道中かかった費用も返済したいと言っていたわ」
「……」
撃沈して声も出ないようすのフィルは、それこそ魂が抜けたような顔になっていた。
(我が息子ながら、情けないこと)
三男だからと本人の好きな方向に進ませ過ぎたのか、と少しばかり後悔した王妃は、とりあえずフィルを正気に戻すために餌をチラつかせることにした。
「夕食は二人で一緒になさい。下手にわたくしたちと同席するよりは、そちらの方が彼女も気が楽でしょうし」
「ありがとうございます!」
即座に復活したフィルに、王妃はちゃんと釘を刺すことも忘れない。
「ただし! それ以降もユーリさんがあなたと食事をとるかどうかは、彼女の決めることよ」
「肝に銘じておきます」
それでは、と来たときとは打って変わって落ち着いた様子で退室する息子を見送った王妃は、誰もいないのをいいことに「心配だわ」と小さく呟いた。
・‥…━━━☆
「――――私、甘えすぎてないかしら」
与えられた部屋で1人、ユーリは呟いた。
元の世界でワンルームマンションで暮らしていた彼女にとっては、寝室と応接間で構成されているこの部屋は、あまりにも贅沢が過ぎた。ベッドはキングサイズだし、布団もふかふかで、クローゼットには見知らぬ衣類が「ご自由にどうぞ」と準備されている。不在の間に部屋の掃除もしてくれると言うし、食事は別室に用意されているし、豪華ホテル住まいのようだ、と思う。
「フィルさん、なんか、すごい慌てていたけど、大丈夫なのかしら」
さっき終えたばかりの食事の席で、今後も一緒に食事を取ってくれるか、と何度も確認されたことを思い出す。
「聞けば軍部の長官に戻るらしいし、忙しいなら無理に食事の時間を合わせてくれなくても大丈夫なんだけどなぁ」
ツガイ、ツガイ、とここに来るまでに何度も言われたし、ツガイとは何なのかと説明をされたけれど、ユーリはいまいち納得しきれていなかった。
いや、納得していない、というよりは、実感が薄い、というべきか。
「フィルさんには悪いけど、今は恋愛事よりも生活のことを考えないといけないし」
明日一日は身体を休めるようにと言われてしまったので、城の中で自分が行きそうな場所だけでも足を運んでおこうと考える。何しろ、広くてまったく道が覚えられないのだ。しばらくは人を付けてくれるということだが、1人で動けるように少しでも道を覚えておきたい。
フィルの必死さがほとんど伝わっていない暢気な状態で、ユーリは眠りについた。
・‥…━━━☆
「えっと……?」
朝食の席でユーリは思わず聞き返した。スモークサーモンのようなサンドイッチにコーンポタージュっぽいスープを口にしながら、異世界にも似たような料理があるんだな、と感慨深く思っていたので、反応が遅れてしまったのだ。
「だから、今日はユーリに城内を案内すると」
「……ありがたい申し出なんですけど、フィルさんは今日からもうお仕事に入られるのでは?」
少なくとも、昨日の夕食のときにそう聞いたはずだ。ユーリは自分の記憶違いかと、首を傾げた。
「ユーリが今日は城内を散策すると行っていたから、副官に頼んで予定を調整してもらった」
本当は、昨晩遅くに押しかけて、拝み倒して一日の猶予を貰ったのだが、そこは男のプライドがあって伏せておく。ただでさえどう評価されているか分からないので、マイナス要素は少しでも排除しておきたい男心だ。
「……ご迷惑でなければ、お願いしても?」
「あぁ!」
まるで尻尾があったら振らんばかりの喜びように、ユーリは昨日、王妃に頼まれたことを思い出していた。
『フィルから何か申し出があったら、とても無茶な要望でない限り、受けてあげてもらえないかしら?』
『その……理由を伺ってもいいですか?』
『もちろん、あなたとうまくいって欲しいという親心もあるのだけど、番から一方的に拒絶されることで、うっかりあの子が暴走する危険性も否定できないのよ』
『暴走……』
『そもそも竜人族、しかも王族が番を見出すのも久しぶりだから、こちらとしてもどこまで配慮した方がいいのか手探りなのよね、困ったことに』
『……』
『もちろん、無理なことは、ちゃんと拒んでいいの。ただ、その理由はちゃんと説明してあげて? 逆に、許可を求めずに嫌がるようなことをするなら、一発殴ってくれて構わないから』
果たして自分にフィルのことを殴れるだけの度胸があるのだろうか、とユーリは不安になったが、とりあえずは拳の準備はしなくてもいいと思っている。もし、フィルが無理矢理に、もしくは強引に迫ってくるような相手であれば、ここに来るまでにとっくに色々なことをされているだろうし。
「フィルさんは、その……」
「うん?」
「私なんかの案内に時間をとられてしまっていいんですか?」
「まさか!」
フィルは大きく首を振った。
「俺はユーリの役に立ちたいと思うし、できればユーリとずっと話していたいし、もっとユーリのことを知りたい。それが叶う時間を作るのに、他のことは全部些事だろう?」
「……はぁ」
やっぱり『番』に対する気持ちというのはよく分からない、という言葉を、ユーリはサンドイッチと一緒に飲み込んだ。
・‥…━━━☆
午前中は明日からの職場となるクレットの執務室までの道のりを案内されたユーリは、クレットへの挨拶もそこそこに、すぐ隣にある資料室の一角に座らされた。
そこで一般常識について教わること3時間。みっちりとこの世界に住むいくつかの種族の特徴や、貨幣価値、この国の貴族制度などについてレクチャーを受けた。ユーリにしてみれば、ここに来るまでの道中に教えてくれれば良かった、と思うことも多いのだが、フィルにとってはユーリの好みを知る方が優先されたというのだから、呆れてしまった。
昼食を挟んで、再び資料室の一角で魔獣についての知識を簡単に教えてもらい、そこから散歩がてら大食堂や厨房を案内された。あまり受け身な態度もよくないのかと思ったユーリが、フィルの職場――軍部の場所について尋ねたところ、そんな荒っぽい場所を案内するなんてとんでもない、と拒否されてしまった。
そして、そんな所よりも、と案内されたのは――――
「わぁ……、綺麗ですね」
中庭に設けられた東屋のベンチに座り、ユーリは色とりどりの花が咲き乱れる庭園を眺めていた。
「基本的に王族しか使わない一角だ。ユーリも俺の婚約者扱いになっているから、息抜きに来てくれて構わないぞ」
フィルは侍女に運ばせたお茶とお菓子をテーブルに並べながら、当然のように告げる。
「そんなとんでもないです。その……婚約者なんて」
「……いや、だったか?」
「いや、というか、その……」
はっきり拒絶してしまってもいいのかと、ユーリの心が不安に揺れる。
「まだ、会って数日ですし、私自身もあまりフィルさんのことを知らないので……」
「あぁ、そうか。俺は最初を間違えていたんだったな」
言うなりフィルはユーリの前に膝をついた。
「ユーリ、俺の唯一。俺は君の傍にいたいし、君を幸せにするのが俺でありたい。どうか、俺を恋人として考えてくれないか」
「……っ」
元彼にも言われたことのないド直球の告白に、ユーリの顔がじわじわと赤くなる。
だが、失恋したばかりのユーリは素直に頷くことはできなかった。そもそも「番」というわけの分からない理由で惚れられても、納得がいかないのだ。
「私が、フィルさんのツガイ、だからですか」
「それは否定しない。否定できない。けれど、ここ数日でユーリの優しさと、思慮深さと、自立心の高さは理解したし、それを好ましくも思っている。……まぁ、もっと頼って欲しいとも思うが」
その言葉を聞いて、ユーリはホッとした。少なくとも、自分の性格についても好意的に受け取られているらしい、と。
(でも、優しくしたことなんてあったっけ?)
フィルの勢いに流されないことが『思慮深さ』と解釈され、仕事をして稼いだお金でフィルに返したいという希望が『自立心の高さ』という言葉に繋がっていることは理解できた。だが、優しさだけがどうしても分からない。
頑健な竜人にとって、トライホーンベアごときとの戦闘で怪我をしていないかどうかを心配すること自体が優しさと受け取られることなど、ユーリには考えもつかなかった。
「あの、婚約者はまだ早いと思いますけど、恋人、なら」
「いいのか!」
「え、えぇ……」
両手を握られ、ちょっと逃げ腰になってしまうユーリだったが、恋人になることを了承した手前、ここで逃げるわけにもいかない。
「その、フィルさんの女性の好みも伺っていいですか? 家庭的な人とか、朗らかな人とか、落ち着いた雰囲気の人とか、色々あると……あ、ツガイがどうこう、というのは抜きで、ですよ?」
元彼に「もっと家庭的な子が~」と言われたことを思い出し、少しだけ胸が軋んだが、それでもツガイという謎設定に甘えて何もしない、というのはないだろう。
そう思っただけなのだが、フィルはユーリの想像の上を行っていた。
「そうだな……、黒髪に黒い瞳というのは、なかなかに落ち着いた雰囲気が出るものだと思う。緩く編まれているのを見ると、触れてみたくなるものだと初めて知った」
「……えっと、外見はあまり努力しても変えきれないところもあるので、程々にお願いします」
「そうか? 自分の都合を押しつけず、相手の立場を慮ることのできる人は素晴らしいと思うし、多少頑固なところがあっても、それが自分を甘やかさない方向なら、好ましいと思う。……あぁ、強いて挙げるなら、高い所を飛ぶのが苦手なのは、決して欠点ではなく、むしろ美点だな、うん」
「……結局それ、私の現状じゃないですか」
ユーリはがっくりと項垂れた。その後も、好みの料理や色などを尋ねてみたのだが、最終的にユーリの何かにこじつけられて終わる結果となる。収穫はゼロと言って良かった。




