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10.五英傑(笑)の元副官

「フィル?」

「いや、行く。ちゃんと行く。兄上、ここまで連れてきてくれて感謝する」

「目がうつろだけど、大丈夫かい?」

「兄上の心配するように大丈夫ではないが、それでも、これは俺がしっかりやらないといけないことだ」

「うん、それが分かってるなら大丈夫だな。それなら、決心が鈍らないうちに行きなさい」


 バチン、と背を叩かれ、その勢いそのままに軍部の建物に足を踏み入れたフィルは、扉をくぐった直後に「フィル殿下!」「フィル殿下だ!」「マジか!」「お帰りなさい、フィル殿下!」とかつての部下たちに歓迎の挨拶を受けた。


「みんなには迷惑をかけた。……ロシュがどこにいるか知っている者はあるか?」

「ロシュ様なら、長官室にいると思うっすよ」


 教えてくれた者に「ありがとう」と感謝の言葉を掛け、フィルは長官室へ足を向けた。かつては自身の部屋だったが、今は誰が長官になっているのだろうか。融通の利く相手だといいが、と考える。

 それだけの強さを持つのだからと軍部に行くことを推薦されたときは、同じように力を持て余している者たちの中でなら、息もしやすいだろうと勝手に思っていた。事実、腕っぷしが全てにおける尺度になっている軍部はフィルにとってはすごく居心地が良かった。

 ただし、それも下っ端だった最初の数年の話だ。

 王族という血筋、何より強さを評価されてあっという間に長官という職まで上り詰めたとき、仕事の大半は書類仕事と人事調整ばかりで、たまの訓練や周辺国に睨みを効かせるための演習は心のオアシスだった。毎日積まれていく書類の山に鬱々としていたところに魔物の大侵攻の報せを聞き、飛び出して行ったのは仕方のないことだと今でも言える。そもそも書類仕事に向いていないのだ。書類と格闘するより、妙なことをしでかす輩をぶちのめす方が性に合っていたし、魔物の大侵攻だってその延長のようなものだった。

――――そんな過去を振り返っていたら、いつの間にか長官室の前まで到着してしまっていた。慣れとは恐ろしいもので、足はしっかり道筋を覚えていたようだ。


(……腹をくくるか)


 フィルは拳を握りしめ、ドアをノックする。コンコン、ではなくドンドンとなってしまったのは、緊張で力み過ぎたためだ。


「どうぞ」


 入室を許可する声は、間違いなく副官だったロシュのものだった。意を決してドアを開けると、長官の机でせっせと書類に目を通している姿が最初に飛び込む。記憶にある姿と全く変わらない副官の姿に、戻って来たのだと改めて実感が湧く。


「少し待ってください。この書類を終えたら話を聞きます」


 入室したのがフィルだと気がついていないのだろう。その声に混じる感情は無だった。


(いや、少し痩せた、というか(やつ)れたように見えるのは気のせいか? あれだけ気を遣っていた鱗の調子がよくないように見えるな)


 武官でありながら書類仕事をそれほど苦にしていなさそうな副官だが、外見にはよく気を配っていたことを思い出す。竜人に角があるのは珍しくないが、ロシュの角は珍しく二股に分かれており、二股に分かれた先も細いながら強靱なので、かなり凶悪な武器になるものだった。ただし、本人は角の分岐箇所に汚れが溜まりやすいという謎な愚痴をこぼしていた。

 そんなことを思い出しながら観察していると、書類に承認印をポン、と押したロシュがようやく顔をフィルの方に向けた。


「お待たせしまし――――は?」

「あー……、久しぶり?」


 口を開けたまま自分の方を凝視しているロシュに、居心地の悪さを感じながら手を挙げて挨拶すると、ガタン、と音をたてて立ち上がったロシュが、ずんずんと彼の方へ向かって来た。


「久しぶり、だぁあん?」


 巻き舌で威嚇するようにメンチを切られたかと思った次の瞬間、ロシュの手がフィルの顔を鷲掴みする。


「よくもまぁ、おめおめと顔を出せたものですねぇ、フィル殿下?」

「いや、ロシュにはすまなかったと思っている」

「アタシ、には?」


 ロシュは自分より少し高いフィルの頭を力尽くで下に押さえ込み、ガツンと頭突きをくらわしてきた。


「アタシだけじゃないでしょうがっ! この唐変木野郎!」


 斜め上から頭突きを食らって尻餅をついたフィルは、呆然とロシュを見上げた。女性でありながら、軍部の上位に上り詰めた彼女は、決して書類仕事に能があるだけではない。それだけの実力を持っているのだ。任務中や訓練中にうっかり暴走しそうになった彼を、時には力尽くで止める役目を負っていたのも彼女なのだから。その力は、今も健在である。


「殿下がいなくなって、真っ先に王妃様が来たんですよ。バカ息子のせいで迷惑をかけてすまないって。王妃様が、一介の軍人でしかないアタシに、頭を下げたんですよ?」

「……母上にはもう謝った。そうしたら、謝るべき相手はお前だと」

「えぇ、えぇ! あっちこっち謝罪に回ってくださいね。突然、『ちょっと行ってくる』程度の言葉だけ残して最前線に向かうような猪突猛進殿下のせいで、迷惑を被ったのはアタシだけじゃないんですから!」


 仁王立ちして説教の態勢になる副官に、立ち上がったフィルはもう一度頭を下げた。


「……もういいですよ。前線でもちゃんと活躍したみたいですし」

「ロシュもその話を知っているのか」

「知ってますよ。五英傑(笑)って言われてることぐらい。おかげでしばらくは平和を満喫できそうですから」


 はん、と鼻で笑ったロシュに、さすがにフィルはムッとする。


「なんでそこに(笑)がつくんだ」

「いやだって、吟遊詩人としてはいい題材なんでしょうけど、単語が陳腐過ぎるでしょう。まぁ、広く流布させるためには、そういうわかりやすい言葉がいいんでしょうけどね」


 言葉選びについては、ロシュの意見に同意できたフィルだが、その全てに賛同はできずに首を横に振った。


「確かにそうやって(うた)われる5人のうちの1人として戦果を上げられたのかもしれない。だが、実際はひどいもんだった。一歩間違えれば俺も命を落としていたかもしれない」

「殿下にそこまで言わせるほどですか。……まぁ、詳しい話は落ち着いてから聞きましょう。殿下の用件は謝罪だけではないんでしょう?」


 水を向けられて、ようやく謝罪の次の本題に入れそうだと、フィルは率直に伝えることにした。下手にくどくどしく説明するよりも、その方がシンプルに伝わるだろうと。


(つがい)を見つけて連れ帰って来た。彼女を養っていくためにも仕事が欲しい。軍部で俺を雇ってもらえないか。今はロシュが長官なんだろう?」

「……」


 目を大きく見開いて絶句したロシュを前に、フィルは辛抱強く待った。

 ロシュの目がゆっくり閉じ、次に開いたときには何故か半眼になっているのには気がついたが、それでも彼女の返事を待つ。


「バカですか」

「まぁ、俺もバカだと思うが」

「とりあえず番を見つけたことには、おめでとうございます、と言っておきます。これで多少は力の制御が効いて、訓練所をうっかり吹き飛ばすようなアホなことがなくなるんですね」

「そのはずだ。実際、彼女と出会ってから思考が随分変わった気がする」

惚気(のろけ)ですか」


 ロシュの指摘通り、惚気に取られても仕方のない発言だったが、実際にフィルの思考回路は変わって来ている。今までは思ったままに即行動していたのが、行動の前に「これをしたらユーリがどうなるだろう。どう思うだろう」というワンクッションを置くようになった。それだけで随分と行動に差が出ている。


「……まぁ、番を見つけた人なんてそんなもんかもしれませんね。とりあえず、仕事ならありますよ」

「本当か!」

「えぇ、長官の籍は残してありますから」


 仕事があるのは喜ばしいことの筈なのに、フィルは素直にげんなりとした表情を浮かべた。


「……そうか」

「えぇ、アタシなどでは、とてもとても筋肉バカどもを吹っ飛ばしてまとめ上げることはできませんから。素直に長官職に戻ってください」

「分かった」


 また机仕事に悩まされる日々が待っているのか、とフィルはがっくり肩を落とす。


「あ、そういえば、殿下を追って行った者たちなんですが」

「あぁ、全員、多少の傷はあれど五体満足だから心配ないぞ」


 長官であるフィルが前線に向かうなら、と彼を慕ってなのか、それとも暴れる口実なのかは知らないが、彼と同じように魔物の大侵攻に立ち向かうべく国を出た軍部の者は合わせて6人。いずれ劣らぬ脳筋……もとい、猛者だったため、魔物にうまく対処し、それなりの功績を挙げていた。もちろん、膂力が強く頑健な肉体を持つ竜人の特徴のおかげもあるだろうが。

 追って来たことは知っていたので、魔物の大侵攻が一段落ついた際に、全員の安否確認はしていた。全員が全員、思う存分暴れたためかスッキリとしたいい顔つきになっていたことを思い出す。


「彼らはどこに? 殿下と同じく籍を残してあるので、手続きをしておきたいのですが」

「……」


 フィルは思わず視線を明後日の方に向けた。番を見つけたことに浮かれ、番を利用されそうになったことに激昂し、とりあえず番を自分のテリトリーに引っ張り込みたくて――――理由はともあれ、たった今まで存在をすっかり忘れていたとは口に出せない。


「殿下?」

「いや、あいつらは……」

「もしかして、放置して1人だけ戻って来たんですか?」

「そうとも、言えなくもない、かも、しれない、か?」

「殿下っ!」


 その後、フィルが長官室の床に正座させられ、ロシュに説教されているのを、軍部の者たちは「日常が戻ってきた」と代わる代わる覗きに来ていた。




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