元お飾り王妃は侯爵令息の正体を知る
グレーニング侯爵家の本邸だというそのお屋敷は、とてもきれいでした。
庭は丁寧に手入れがされており、花々が咲き乱れ木々が風に揺れている。ここが路地裏だと知らなければ、普通の貴族のお屋敷だ。お屋敷の中もきれいに掃除が行き届いており、貴族のお屋敷らしく骨董品や絵画などが飾られていた。
「シリル様。おかえりなさいませ」
「……あぁ、ただいま」
シリル様は私の腕を掴まれたままお屋敷の奥へ奥へと進んでいかれる。時折使用人らしき人に話しかけられるけれど、シリル様は素っ気なく対応されるだけ。私に対する態度とは全く違う態度に、私は少しばかり驚いてしまった。……ずっと、愛想が良いわけではないんだという意味で。
そんなことを私が思っていると、シリル様はとあるお部屋に入っていかれた。私はシリル様に腕を掴まれたままなので、自然とそのお部屋に入っていく。
そのお部屋の中にはやたらと煌びやかなものが飾っておあり、高級そうなソファーとテーブルが置いてある。だからこそ、私はこのお部屋がこのお屋敷の応接間なのだと悟った。
「さて、フライア様。とりあえずそちらに座ってください」
シリル様はそうおっしゃって、目の前のソファーを私に勧めてくださった。そのため、私は素直にそのソファーに腰を下ろす。ここに来るまでにある程度制服についた汚れは落としてあるので、この高価なソファーに泥などが付くという心配はないだろう。
そんなことを思う私を他所に、シリル様は対面のソファーに座られるとにっこりとした笑みを浮かべられた。しかし、その笑みは何処かぎこちなくいつものシリル様のものではない。そう、実感してしまう。
「さて、まずは何からお話ししましょうか。……とりあえずは、グレーニング侯爵家の裏の顔、についてでしょうか」
「裏の、顔」
その後、シリル様がしてくださったグレーニング侯爵家についての説明は、現実味のないものだった。
ヴェッセル王国には表社会とは別に、裏社会というものがある。そして、その裏社会をまとめているのが二つの貴族だというのだ。
さらにいえば、その片方がグレーニング侯爵家であり、専用の裏社会組織……世にいうマフィアまで持っているそう。そのマフィアの名は『フランツ』。裏社会では『常識のある方のマフィア』と呼ばれているそうだ。
「俺はそのグレーニング侯爵家の次男です。表向きはお綺麗な貴族を演じていますが、裏では極悪非道なことだって普通にします。裏社会の人間は舐められてしまえば終わりです。だからこそ……グレーニング侯爵家の人間は、常軌を逸した戦闘訓練をする」
「だから、あんなにも強かったのですね」
私はシリル様に助けられたことを思いだす。あの時のシリル様は、手慣れたように男性たちを倒していた。それはきっと、訓練されていたからなのでしょう。
「えぇ、そうです。……本当は、フライア様とは普通の貴族として仲良くするつもりだったのですがね。……思わず、素が出てしまったようです」
そんなことをおっしゃったシリル様は、苦笑を浮かべられた。どうやら、シリル様のおっしゃる『素』とは、あの低い声のようです。あっちの方が素だったのですね。となると、私たちに見せていたのは……作られた姿。
(私、何も知らなかったのね……)
そして、ふとそんなことを思ってしまう。シリル様のことも、ヴェッセル王国のことも。王妃として国を見守っていたはずなのに。
なのに、私は裏社会の事情など全く知りもしなかった。王族には関係のないことだと言われるでしょう。しかし、知っていたかったと思う。それは、贅沢なことなのでしょうか?
「そういえば、フライア様。ディールス公爵家にはこちらから連絡をしてきましたので、その点はご安心ください」
「あ、そうなのですね。ありがとうございます」
ふと、シリル様が思い出したようにそうおっしゃった。だったら、安心だ。私はそう思っていた。
お父様は今現在領地の方に出向いており、お屋敷の方にはいらっしゃらない。お屋敷にいらっしゃるのは休暇中のお兄様だけ。……あまり仲の良くない兄とはいえ、もしかしたら心配してくださっているかもしれませんし。そもそも、使用人たちが心配してくれているでしょうから。
「どういたしまして、フライア様。ただ、一つだけ言っておきましょうか。……俺のことを知ってしまった以上、ここに来てしまった以上、一つの覚悟を決めてください、と」
「……かく、ご、ですか?」
「えぇ、覚悟です。俺はこのグレーニングの人間だ。だから――」
そうおっしゃったシリル様は、おもむろに立ち上がり私の方に歩いてくる。
どうなさったのだろうか?
私はそう思いながらシリル様のことをただ見つめていた。すると、シリル様は私の前に跪かれる。
一体、何の真似なのだろうか。
「――だから、責任を取って俺と結婚してください。俺が、フライア様のことを好いているのは本当ですし、貴女だって俺のことを放っておけないのでしょう?」
シリル様は、そうおっしゃると私の手を取る。
その触れ方、その言葉。その声音。
そのすべてに、狂気にも似た何かがこもっているような気がした。
さらにいえば――シリル様の目には、光がないようにも私には見えてしまった。




