一 ~ そんなのできるわけがないだろっ ~ (8)
普段の日々。
そう。これまでのことは忘れることにしよう。
7
嫌なことを忘れるにはどうすればいいのか。
僕としては、楽しいことをして、気持ちを切り替えることがいいと思っているのだが、上手くいかないらしい。
「昨日、なんでカラオケ来なかったんだよ」
ほらね、忘れようにも、罪のない問いが友人の吉村から向けられてしまうのだから。
一連の出来事の翌日。
あの放課後の出来事がなかったようにすごしていた。
問題がないと思えた昼休み。
売店にパンを買いに来ていると、吉村から唐突に聞かれたのである。
「行くつもりだったんだけどさ。なんか、急に気分が悪くなって、それで止めた」
「だったら、連絡くらいくれよ」
「悪い、悪い」
当たり障りのない言い訳をして、顔の前で手刀を切る。吉村はわざとらしく頬を歪めていたが、僕は苦笑してごまかしておいた。
話すわけにはいかないよな、あんなの。
前日のことが靄となって巡るなか、納得させていく。
「ーーで、今日もコロッケパンか?」
「ーー当然」
今日の収穫はコロッケパンにツナサンド。そして野菜ジュース。僕の鉄板である。
いつも昼休みの売店は混み合っている。学生があたかもアリみたいに群がって押し寄せる。
ここでほしい物を買うのは難しいのだ。
だからこそ、目的の物を買えたのは上々である。さぁ、この嬉さで昨日のことは忘れられる。
まぁ、単純だと自嘲したくはなるが。
「お前、ホント好きだな。コロッケパン」
「まぁね」
これで何日連続だっただろうか。それを見抜いている吉村も半ば呆れてかぶりを振る。
放っておけ。好きなものは好きなのだ。
「古川くんって、コロッケパン好きなんだ」
「うん」
あれ? 反射的に返事をしたが、誰だ、この女の子の声。
「ーー今田?」
隣にいた吉村が驚いて声をもらした。突然話に割り込んできた姫香に。
姫香は不思議そうに首を伸ばし、僕が手にしていたパンとジュースを眺め、
「ーーでも、揚げ物と野菜ジュースじゃ意味ない気がするけどなぁ」
体が固まってしまう。
耳にかかった髪を撫で、「ーーね?」と気さくに聞く姫香。大勢の人が集まるなかで、話しかけられたのは初めてである。
目を点にしてどう対処するべきか迷ってしまった。
「ーー姫香」
途方に暮れていると、姫香の友人が遠くから呼び、姫香は足早に去ってしまった。
一体、何をしたかったんだ?
「今田だよな。お前、あいつと何かあったのか?」
遠退く背中を眺めながら、吉村が驚いて呟くと、僕をまじまじと訝しげに睨んできた。
驚いているのは僕である。もちろん、昨日のことは話せず、「いや」とごまかしておいた。
「ーー男嫌いってのは嘘なのかな?」
「なんだよ、それ」
実際、昨日の保健室では何もなかった。確かに姫香は不敵な笑顔を僕に献上してくれた。
背筋が凍る眼差しに息は詰まったが、姫香は「ありがと」と礼を言うだけで終わった。
だから、今日からはいつもの生活に戻ると思っていた。まさか、こうして話しかけられるとは思ってもいなかった。
あの笑顔に含みを感じてしまうのは、僕の性格が歪んでいるのか?
正直、怖かった。何を企んでいるのか。
何もない。
普通にされるからこそ、怖さと疑いが強まるんだ。