抜かれた刃
「…直で体験するのは初めてだな。あれ」
オレはアメが発していた感情の波に、悪い夢を思い出すような気持ちを抱いていた。
元々、旅団の人間には何かしらの特徴がある。それを持っている人間は絶対に普通と見なされない特徴は、良いものもあれば悪いものもあるが。
けれどアメの「あれ」はオレたちの中でも一線を画す。言葉を選ばずに言えばサディスト。もしくはサイコパスなのだろう。そうでなくとも、あの何気ない言葉で狂気が伝わる人間をどうして正常と呼べるのだろうか。
まぁ、だからと言ってアメにどうこう言うつもりはない。そういう傷を負った人間たちの集まりが、この旅団なのだから。
「さて、んじゃまオレも出来る限りのことはやりますかね。コイツは飾りじゃないんだし」
ベルトに差している刀を指でなぞり、その重みを確かめる。戦うために作られた一振りは、それだけで質量とは違う重さを感じることが出来た。
「……来やがったな」
ガサリと音がする方に視線を向ければ、先程アメが倒したものと同じような奴が三体ほどいた。どれもこちらを威嚇しているのだろうか、牙をむき出しにして鼻息が荒そうだ。
「確か…アメはゴブリンって言ってたっけ」
まぁ妥当なところだろう。こんなの誰が見たってゴブリンと言う他ない。それほどまでに絵に描いたようなイメージで、ゴブリン達は殺気を放っていた。
こちらも柄を握り、居合の構えを取る。何故落ち着いて戦う事を選んだのか、何故居合なのかは分からない。けれどこの状況では、これが最善の選択だという事だけぼんやりと、けれどはっきりと分かった。
オレもアメや目の前のゴブリンのように殺気を放っているのだろうか?居合の構えはおろか、オレが迎撃の体制に入っている事すら分かっていそうにないゴブリン達は、それでも尚こちらを威嚇し続ける。そうして生まれたのが硬直状態。それは良くも悪くも互いの緊張感を高めつつあった。
オレは息も憚るように粛然と永遠に続くかもしれない緊張の中、ついに糸が切れたものがいた。
一匹のゴブリンがこちらに向かって突貫してきた。腰布一枚の装備とも言えぬ格好で、削りだした棍棒を粗野に振り回す。それは勇敢か?聞くまでもない。蛮勇だ。
「この状況なら、まとめてかかるべきだろ」
もう覚えておく必要のない、というか言語が分かるかどうかも怪しい相手に喋りかけた後、オレは鯉口を滑らせる。
事前に言っておくが、オレは剣道なんて、ましてや居合道なんてやったことも無いし見たことも無い。初心丸出しもいいところの素人だ。なのに何故今こうしているか。やっぱりそれが良いと思ったからだ。
ゴブリンが体を十分に反らした一拍後、思い切り腕を振り下ろす。だからオレは刀を抜く。肘の関節と首が一直線に重なるタイミングで、オレは刃を振り抜いた。小烏造の刀身が、ゴブリンの腕を斬り飛ばす。と分かった一瞬後、頭と体がサヨナラした。
「まずは一匹…」
今のが赤酸塊か
…………何かノリでやったら出来たんだけどナニコレ?ひょっとしてオレって天才とか?やったねこれで努力しないで済むよ!ってそんな都合の良い話ある分けねぇだろ現実見やがれ。
だがオレはもっと疑問に思うべき所に、今更ながら気付いた。
「何で技も名前も知ってんだ?」
誰に教えられたわけでもなく、誰に教えてと頼んだ覚えもない。勿論向こうの世界でも見たことはなく、文字でさえも確認したことの無い技。「赤酸塊」。それを何となくで出来てしまったのは…これも何となくだが分かった。恐らく、体が覚えているのだ。頭では分かっていなくとも、体は全てを知っている。だから動く。だから使える。それだけの、たったそれだけの簡単な事だ。
「アメが言ってた事のはこれの事だったのか。なるほどね」
じゃあもう少し実験と行こうじゃねぇか。幸い相手なら目の前にいるんだ。しかもオレ襲われてるからな。正当防衛って事で容認されんだろ。仮に殺してもな。
……あれ?オレ、何でこんなにも殺す事への抵抗感なくなってんだ?
「まぁいい。今はここを片付けるか」
どこぞの古文と違って頭に浮かんでは消えていかないことを一旦考えないようにして、未だオレの事を睨み続けているゴブリン二匹に注意を向ける。けれどこちらの出方を窺っているのか、一向に動く様子はない。
「何だ、来ないのか?ならこっちから行くぜ」
前は右足、体は半身、肘を腹部に押し当て、刀は引いて切っ先をゴブリンに向ける。これが「葵」の基本形。ここから様々な技に派生する…気がする。何となくだけど。
オレは両足でしっかり地面を捉え、一瞬にして距離を詰める。それは決して早くはないが、けれどゴブリン程度が反応出来るものではない。身体能力の純粋な速度ではなく、歩法と技術によって積み上げられた一種の錯覚、それを利用した距離の詰め方。技の名前は「天竺葵」
「プギャ!?!?」
ゴブリンの喉元に刀を刺し一気に横へ薙げば、断末魔を上げる間もなく命が消える。ほんの一瞬、ほんの0.。それだけで息の緒は絶えてしまった。
仲間の死を前にしている最後のゴブリンは、それでもなお戦意を喪失しない。流石に此処まで来れば負ける戦いだというのは分かるはずだが、どうしたものか。
「あの~、流石に逃げる相手を追うほど残酷じゃないんだが…どうする?」
一応、声をかけてみる。避難勧告と最後通知だ。まぁそれもこれも言葉が通じなかったら意味が無いわけなんだが、細かいことを気にしたら将来禿げるってどっかの誰かさんも言ってたから。
その声は空しくも届かず、ゴブリンはオレ目掛けて一直線に走りこんできた。
「結局かよ」
右足を前に、刀を上に。剣道で言う「上段の構え」。これは「紫」の基本形。「茜」や「葵」とは違い、「速さ」より「強さ」、「正確さ」よりも「豪快さ」に重きを置いた剛剣
「せーの!!!」
相手の歩調であと三歩踏み込めば届く間合いで、オレは大きく前に出た。突如として変えられた距離感に多少の驚きはしたものの、それでもゴブリンは止まらない。今目の前にいる個体が持っているのは手斧。頭か腹に一発当てれば勝ちなのだ。だから止まらない。だから止まれない。そしてそれは、こちらとしては好都合だった。
「おらぁ!!!」
オレの刀が届き、けれど手斧が届かない間合いでオレは刀を振り下ろした。風切り音を立てて空を裂く刃は、弧を描くようにしてゴブリンの脳天へ直進する。対するゴブリンはそれに反応し、柄で防ごうと手斧を頭上に掲げた。
教科書通りに言ってその判断は正しい。上段の構えと言うのは総じて大振りとなり、大振りは威力こそ高いが外れた時の隙もバカにならない。よって、初撃さえ凌げば寧ろ格好の獲物になるのだ。そう。教科書通りに行けば
刀が手斧に食い込み、衝撃がゴブリンに伝わる。それは受け止めた衝撃であり、また反撃の狼煙でもある手応え。だからゴブリンは笑った。その醜悪な顔を歪に歪ませ、安っぽい気味の悪さを全面的に出して。
知らない方が幸せなことはこの世にあるはずだ。なんせ目の前にコイツがそうなんだから。
オレが振り下ろした刀は手斧の柄に遮られ、ガッという音を立てる。だが、立てるだけ。次の瞬間、柄は谷折りに両断され、守っていたはずの醜悪面に刃が立つ。が、それも手斧の柄と同じく、一瞬の抵抗感を感じただけだった。刃はゴブリンの体を両断し、地面を物打ちまで切り込んでいた。
「流石に棒切れ一本で防がれちゃ立つ瀬がねぇからな」
何よりも力に特化した「紫」。それを小細工なしで叩き込めばこうもなる。だからあれは避けるべきだったのだ。避けれるどうかは別として。
地面から刀を抜き、刀身に付いた軽く血を切って鞘に納める。本当はちゃんと紙なり布なりで拭いた方が良いのだろうが、生憎とそんな気の利いたものなんて持っていない。一瞬ゴブリンが巻いている腰巻で拭おうかと思ったが、あまりの変色具合に触れる事さえ躊躇したのでやめておいた。
刀を収める時はマンガみたいにカチンと鳴らしちゃいけない。んなことすりゃ鯉口とか鍔のところが壊れやすくなる。これから武器も満足に手に入るか分からない以上、今あるものは大切にすべきだ。勿論、そうでなくともこれほどの業物は大切にするが。
オレはゆっくりと刀身を鞘に納め、鍔と鯉口を当てる。それが意識的な戦闘修了の合図になったのか、オレは少しの疲労感を感じた。けれど全ての戦いが終わったわけではない。こんなの多少の小競り合い。本命は先生とアメが向かっていったあっちなのだから。
「オレもあっちに行くか」
先生とアメが向かった方に向かおうとしたオレは、後ろから這い寄る気配に気付けていなかった。
何処かに隠れていたゾンビが隙をついて飛び出してくる。完全な奇襲である不意打ちは、オレに思考の猶予を与えない。脊髄反射による反応をするしかないが、それでも背後から来られたのではどうしても遅れてしまう。そしてその遅れは、今回のケースでは致命的な物だった。
「ゲヒャ!!」
声も出ない。構えることも判断することもできず、周りがスローモーションになる。完全に虚を穿たれたオレは、けれど至極冷静になっていた。冷静になりながら、自分が死ぬことを不思議と受け入れていた。
オレが殺したのと同じ顔が近付いてくる。一瞬棍棒だったらと希望を持ったが、生憎と手斧だったので思わず鼻で笑ってしまう。
(短かったな。オレの異世界転生)
これが最後に感じる感覚か。クソ気持ち悪い顔に、冷や汗が伝う不快な感触。腐葉土の匂いがほのかにする森のニオイに、耳を突き刺す風切り音……風切り音??
そう思った刹那、オレに殴り掛からんとしていたゴブリンに一筋の何かが飛んできた。それは細く、けれども鋭い矢だった。弓道のような大きな矢ではない。もっと短く、取り回しの良い実戦的向きの物。
それは空を切って突き刺さり、次の瞬間にはゴブリンが力なく崩れ去っていた。
「ボケッとするなよ団長!」
遠くで声を張り上げる一人の男。誰かと思い顔を確認しようとしたが、顔面を覆いつくす銀色の仮面によって叶わなかった。だが、その他の身体的特徴から、彼が何者なのかはすぐに分かった。
背は高くやせ型、スーツみたいなジャケットを羽織っていて。ワインレッドのパンツを履いている。胸元には、十字架のネックレスがぶら下がっていた。
「…まさかフラノ?」