表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界最強の翻訳家  作者: 高田大輝
第一章 召喚と王国捜索
3/38

3.origin (原点)


 葵と結愛が初めて顔を合わせたのは葵が誕生した翌日、生まれたばかりの葵を母親の綾乃夏妃(あやのなつき)が抱えているのを見たのが、出会いだと聞いた。


 生まれたばかりの葵は当然、まだ一歳の結愛もあまり詳しいことは覚えていない。


 一年先に生まれた結愛は、家が隣ということと、生来の面倒見の良さもあり、葵のことを弟のように可愛がった。


 そんな結愛を、葵は実の姉のように思っていたし、当時から身内贔屓なく賢く優しい結愛を尊敬していた。


 そんな結愛に少しでも近づこうと、幼稚園に入ったばかりの葵は、幼いながらに努力をした。だが葵には、圧倒的に至らない点が一つだけあった。


 それは、かなりの人見知りであること。幼稚園に入園した三歳であれば、大体の子供はある程度喋れるようになっている。


 実際結愛は、幼稚園入学時には近所の人とも簡単な挨拶を交わしていたし、初対面の人ととも難なく会話をしていた。


 それに対し葵は、初対面の人はおろか、近所の人にすらまともに挨拶が出来なかった。常に両親か結愛の背中に隠れてしまっていた。


 目の前で躓いて怪我をした子が居たら、絆創膏を無言で半分強引に渡してその場を去り、先生を呼びに行くくらいに、人見知りだった。


 だが葵は、結愛に近づきたいので人見知りのことを両親に相談した。


 葵の相談を受け、両親は人見知りがこのまま治るだろうと言う楽観はしていなかった。人見知りは、性格に由来することが多く、そのまま放置して簡単に治るものではないと思っていた故の判断だった。


 性格は急に変えられるものではないので、両親は根気よく他人は怖くないということを教えた。ただ、結愛の両親でも限界はあるので、家に居る殆どの時間を一緒に過ごす結愛にもお願いした。


 賢い結愛は、それを何となくだが理解して、葵から色々なことを聞いた。そしてその聞いたことをもとに、アドバイスをした。


 葵が近所の人が怖いと言ったなら、近所の人は怖くなことを説明し、初対面の人が怖いと言ったなら、まずは見て相手を知ることを勧めてみたり、人と目を合わせて話すのが怖いと言ったなら、目ではなく鼻を見て話せば落ち着くよ、と様々なアドバイスを行った。


 だが一気に全てをやろうとしても失敗する可能性が高いので、一つ一つ始めていくことにした。まずは、人との会話そのものを慣らすために、近くに住む親戚の人と一対一での会話を始めてみた。


 葵の両親や、板垣家の人間との会話は問題なく行えているので、ようは心の持ちようだと、結愛や両親ズが判断した結果だ。


 親戚との会話は顔を少し赤くして焦りながらも、何とかこなすことが出来た。初対面と言うわけでもなく、何度か話したことがあったので、どうにかなったと言う感じだったが、第一関門は突破できたので、次は近所の人ととの会話に入ることにした。


 幼稚園のママ友に手伝ってもらい、葵と対面させた。


 ――だが、ここからが長かった。


 まずママ友と一対一になった時点で、葵の涙腺が壊れ始めた。


 ママ友が怖い恰好をしていたとか、見た目が怖いとかそう言ったことは全くないのだが、葵には目から水が流れるほどの思いだったらしい。


 夏妃はママ友に謝って、一度葵を落ち着かせることにした。葵を落ち着かせるついでに話を聞いたところ、葵の人見知りの根本が判明する。


 知らない人と話す→相手は自分より強そう→怖い→近づきたくない


 と言う考えだったらしい。葵の人見知りは、他人を信用することが出来ないから、起こっていることだった。


 両親や親戚、結愛やその両親と会話が出来たのは、葵に危害が加えられないと、両親の反応を長い間、幼い時から見てきたことで、無意識的に分かっていたからだった。


 だが葵の場合は、原因が判明しても直ぐにどうにかすることは難しかった。歳を取り、高校生くらいになれば、葵の言う心配は少なくなるのだろうが、なるべく早い内に治したいと言う葵の思いからすると、それではあまり意味が無かった。


 それが直ぐにどうこうなる問題ではないと分かったので、夏妃は頭を抱えた。葵の父である綾乃大地(あやのだいち)に相談したが、これだ! という解決策は出なかった。


 しばらく悩み続け、いい案が出ずに困り果てていた二人を救ったのは、結愛だった。結愛は、葵にそう口添えした。


「もし怖い思いをしたなら、私が助けに行く。葵が困っていたら、私が相談に乗る。葵が暴力を加えられそうになったら、私が守る。だから葵は、心配しないでいいんだよ?」


 結愛のたった一つの言葉で、葵は人と話すことが出来るようになった。夏妃と大地は思わず、「そんな馬鹿な!」と叫びたくなったし、両親として息子の制御が出来なかったのは不甲斐無かったが、結果的に好転したのは言うまでもないので、結愛に感謝した。


 そこからはとんとん拍子で進み、気がつけば葵の人見知りは、鳴りを潜めていた。


 そして葵が人見知りを克服し、四歳になった翌月の三月。三歳差の双子の弟と妹が生まれた。弟が大樹(だいき)、妹が愛佳(あいか)と名付けられた。


 二人が生まれたことで、今までは結愛や両親など沢山の人に守られていたが、今度は葵も守る側に行く必要があると感じていた。


 何をすればいいのか分からなかったが、葵には手本となる結愛が居たので、今まで通り結愛を目標にして強い人間になろうと、そう決意した。






 大樹と愛佳が生まれてから三年が経ち、葵は小学校に入学した。と言っても変わるのは一日の過ごし方や建物、先生くらいで、生徒の面子は幼稚園時と然程変わらなかった。


 その頃には葵の人見知りはほぼなくなり、友達も沢山になっていた。もともと葵は平均より高いスペックを持つ結愛を基準として物事を捉えていた節があり、自身の基準もそれに準じたものとなっていた。


 もともと平均的な見目をしていた葵は、人見知りという最大の障害が無くなったことで、徐々に友達が増えて行った。






 小学校に入って数ヶ月が経った頃、葵は恋をした。それは五月に開催された運動会でたまたま隣の席になった女子で、名を布施沙紀(ふせさき)と言った。


 結愛には劣るが、優しく可愛い子だった。だがここで人見知りが僅かに顔をだし、彼女を遠目から眺めるだけと言う日々が続いた。


 当然恋愛などした事が無い元・人見知りは困った。結愛から恋愛に対することは教えて貰っていないし、なにより直接訪ねるのは気恥ずかしいものがあった。だから葵は当時恋愛マスターと呼ばれていた友達に助けを乞うた。


 その友達――中村隼人(なかむらはやと)に相談すると、彼は葵が恋した女子の特徴を聞いてきた。人生初の恋に心躍らせながら、思い出せる限りで沙紀のことを答えると隼人は明日を楽しみにしてな、と葵の言葉を基にして作ったメモをヒラヒラさせて、悪戯そうな笑みを浮かべその場を去っていった。


 翌日から沙紀は、人が変わったかのように積極的に話しかけてきた。予め隼人から聞いていたことを実践し、沙紀との距離を縮めていった。少しずつだが距離は縮まっていき、葵は二年生に進級するのを区切りに、告白することにした。


 着々と告白の準備を進めていった途中、結愛に告白のことがばれてしまった。結愛は葵が告白することを知るや否や、誰に告白するのかを興奮気味に聞いてきた。


 ばれてしまったことよりも、好きな人の話を見内にすることの恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、沙紀のことを話した。


 沙紀の話をした後、結愛は最初の好奇心に満ちた表情(カオ)とは打って変わって真剣な表情になっていたが、沙紀の魅力を語る葵は気がつかなかった。


 一頻り語り終わると、結愛は笑顔で「恋が実ると良いね!」と一言くれた。その言葉でそれまで隠していたことが馬鹿らしくなり、葵も笑顔で答えた。


 翌日、結愛は珍しく帰宅時間が遅くなった。




* * * * * * * * * *




 一年生三学期の終了式。つまり葵が告白に設定した日がやってきた。その日の朝に、屋上にその子を呼んでいる。


 この告白を知っているのは、当事者の葵と相談に乗ってくれた隼人、そして昨日話をした結愛だけだ。沙紀には告白場所だけ教えているので、告白自体は知らないはずだ。


 告白場所を屋上にした理由は隼人にアドバイスされたからだった。今まで隼人のアドバイスに間違いはなかったので、素直に従うことにしたのだ。


 告白をするため屋上に向かい扉の前に立つと、万全に準備してきた言葉を反芻し深く深呼吸を一つ。


 心が落ち着いたことを確認し、葵は屋上の扉に手を掛けようとした。たが扉の向こうから聞こえてきた話し声に思わず手が止まる。


 断片的に聞こえてくる内容から、どうやら告白をしようとしていた人が居たらしいと扉を開けるのを一時的にやめた。ここで開けてしまえば、告白の雰囲気が台無しになってしまうと判断したからだ。


 もし自分がそうなったらどうなるかな? とこれからのことを想像し、若干恥ずかしさを覚えたので、今は告白のことだけ考えようと首を振る。


 そう言えば結愛が気を付けてね、と言っていたことをふと思い出しあれはなんだったのだろうか? と疑問を抱く。既に告白以外のことを考えているが、それに気がつく前にタイミングよく屋上の扉がキィと音を立て開いた。


 ちょうど道を塞ぐように立っていたので一歩横にずれ、扉の向こうから出てきた(入ってきた)人達を見た。瞬間、葵の表情は驚きで固定された。


 扉の向こうから来たのは、隼人と沙紀の二人だったからだ。二人は仲良さげに手を繋ぎこちらを見ている。声にならない声を上げ驚きの表情を露わにする葵に対し、隼人は最初に相談した日と同じ笑みを浮かべ、沙紀も似たような葵を卑下するような笑みを浮かべていた。


 そして一言、はっきりと聞こえる声で呟いた。


「あんたなんか、好きになるわけないじゃん」


 葵は聞きたくない悲鳴を上げる本能を抑え、これがどういうことか尋ねた。すると沙紀はまだわからないの? と、言いたげな表情を浮かべ、隼人が代わりに答えた。


「近くにあんな可愛い子がいるのに、他の女に手を出すなんて不届き者には罰を与えなければならないからな・・・・・・どうだ? しっかり反省はしたかぁ?」


 嘲るような隼人の物言いに、葵は言葉が出なくなる。近くにいる可愛い子とは恐らく結愛のことだろう。


 葵からすれば、結愛は姉的存在で恋愛対象には入っていないので身に覚え名の無いことなのだ。


 それに調子に乗っていたつもりはないが、隼人からすれば、周りの女の子にチヤホヤされる葵が憎らしく、日頃からどうやって貶めてやろうと画策していたらしい。


 実際葵は、運動会のリレーで一位になっていた。小学生とは言えまだ幼い隼人の心を掻き乱すには、十分な出来事だったらしい。


 募る憎らしさを抱きながら過ごしていたところ、何の幸運か、タイミングよく葵の方から話題が振られたので、それを利用することにしたらしい。


 隼人曰く葵が絶望しさえすれれば何でも良かった、と嘲るようなように言ったが目論見通り絶望を露わにする葵には聞こえておらず、その様子に満足した隼人と沙紀はその場を去っていった。


 たった一つの、些細な出来事。


 だがその一回だけで、葵が数年かけて得てきた他人に対する信用や信頼は、音を立て崩れた。


 この出来事は、幼き頃の人見知りで他者を怖がるな葵に退行させるには十分過ぎる出来事だった。


 その後直ぐに、沙紀のことを調べていた結愛が忠告の為に屋上に来たが、朝の興奮半分心配半分な様子だった葵が豹変してることに、手遅れだったことを悟り学校であることも忘れ葵を抱きしめた。


 結愛はひたすらに、葵を落ち着かせようと声を掛けてくれていた。


 結愛に介抱され帰宅した葵は、緊張の糸が解けたのか、将又人の目が無くなったからか、結愛の胸の中で、盛大に泣き腫らした。






 翌日、学校に行きたくない気持ちを強引に殺し、無理やりに学校に行った葵が目にしたのは、嫌悪と憤怒と憎悪に満ちた視線を浴びせる、クラスメイトの姿だった。


 傷心でその手の感情に鋭敏になっている葵でなくとも分かるような、はっきりとした感情に、葵は動揺する。


 浴びせられたのは負の視線だけでなく、心無い言葉だった。


 曰く、葵の告白に頷かなかった沙紀に暴力を働こうとした

 曰く、その現場を見て守ろうとした隼人に危害を加えた

 曰く、二股をしようとしていた


 どれも、根も葉もない嘘だ。だが質の悪いことに、結愛と仲が良いことはクラスの誰もが知っていた。


 だが、小学校低学年は、いい意味でも悪い意味でも純粋だ。純粋故に、相当賢い子供でもない限り、真実の判定などできなず、最初に伝えられたことを信じてしまう。


 それを隼人は分かっていた。だから、クラスメイトに嘘を教えた。隼人はクラスメイトも利用して、葵をどん底まで堕とそうとした。


 昨日の出来事でボロボロになっていた葵の心は完全に壊れ、涙を流しながら学校を後にした。道中先生に見つかったが、気にせずに家に帰った。




 * * * * * * * * * * 




 両親は仕事に出掛け、一人きりになった家の中、自分の部屋で葵は膝を抱えて蹲る。


 ――誰かを信頼し、裏切られるなら

 ――信じてきたことを、壊されるのなら

 ――もう、傷つきたくないのから

 ――誰も、傷つけたくないから




 静謐な空間で、余計な思考のしようが無い部屋で、葵はそっと心の扉を閉じる。


 人見知りで他者を信用しない葵へと変貌した。




 * * * * * * * * * * 




 あの事件から二年後。葵が小学四年、結愛が小学五年になった年。


 事件後、制限なく心を開けるのは葵の家族と、家族同然に過ごしてきた結愛と結愛の両親だけになっていた。


 性格は多少なりとも曲がり、捻くれたかもしれないが、近所の人とは最低限の会話は出来るようになっていた。


 事件直後は人間不信に陥ったが、他人と会話するまでに回復できたのは両親の声掛けや大樹と愛佳に心配され、兄としてしっかりしなければ、とその気持ちが大きな要因となっていた。


 なにより、結愛が毎日葵の部屋を訪ね、心の傷を癒そうとしてくれたことが、葵にとって重要な意味があっただろう。


 結果、最低限の人にしか心を開かないという強引な解決方法で、超限定的にだが人間不信を免れた。だがそこに至るまでには、一年の月日を要している。


 その一年でつけられた様々な差は、その後の努力で挽回した。今では、勉学は学年でトップになるほどまでになっている。


 それも、家族や結愛のサポートあってこそだったので、本当に感謝してもしきれない。


 そんな葵はこれから迎える三連休に、外へ出ないで済むようにスーパーで三日分の食糧をを買った帰りの道で、近所のおばちゃんに挨拶しながら帰宅していた。


 この頃から、綾乃家は家事を分担するようになっていた。


 部活に入っていない葵が料理をすることが、一番良いと分かってるし、最近では料理が趣味になっているほど楽しんで料理をしていた。


 家の前に着きインターホンを押して愛佳に帰宅を伝え、扉が開くのを待っていると、隣の家から結愛が飛び出して、走り去っていった。


 パッと見でよく分からなかったが泣いているように見えたので、愛佳が開けた扉の中になるべく丁寧に急いで袋を置き、ちょっと行ってくる! と、結愛を追った。


 その後何とか結愛を捕まえた葵は、家のリビングで話を聞いていた。


 結愛曰く両親と喧嘩して家を飛び出してきたと言う。なぜ喧嘩したのか尋ねると、明日からの三連休は、泊まりがけで夢の国へ向かう予定だったが、三連休中ずっと続く雨の所為で延期になった為別の場所に旅行に向かうことになったからだと言う。


 もともと結愛の両親は旅行好きで、年に二桁は旅行に出掛けているほどだ。旅行といえど、自然を見に行ったり、古都を見学しに行ったりと、いくら真面目な結愛でも退屈しそうな場所ばっかりだったことから、今回の夢の国行はとても楽しみだったらしい。


 葵が三連休一度も外へ出ないで済むようにしたのは、面倒だからという理由の他にその雨が絡んでいる。


 結愛の喧嘩した内容を聞いた葵は思わず笑ってしまった。それを馬鹿にされたと思ったのか結愛は可愛く頬を膨らませそっぽを向いてしまった。


 今まで見てきた結愛は自分よりずっと大人だと思っていたが、案外子供っぽいところがあることに、嬉しく感じて笑ってしまったと、決して馬鹿にしたわけではないことを語るとなんだかんだで許してくれた。


 葵の両親が帰宅して、事情を話し両親同士での会議の結果、計画通り旅行には行くが結愛は行くも行かないも好きに出来ることとなった。結愛が行かない場合は葵の家で面倒を見ることになった。


 最終的に、結愛は旅行に同伴しないことを選び、三日間綾乃家で預かることとなった。


 結愛の両親が旅行に向かう連休初日の朝。結愛はツーンと顔をそっぽ向けて挨拶に来ていた。結愛の母である板垣真耶(いたがきまや)は結愛の頭をポンポンと撫でると、何か呟いた。声が小さく葵には聞き取れなかったが、結愛は僅かに頷いた。


 結愛と結愛母の方に意識を向けていたので結愛の父――板垣諒(いたがきりょう)の接近に気がつかず、声を掛けられ素っ頓狂な声を上げてしまった。それに微笑みながら諒は耳元で、結愛を頼むよと囁いた。


 それが数少ない信頼できる人から頼られていると分かり、不安半分覚悟半分で頷いた。葵の反応に満足そうに頷くと車に乗り込み旅行先へと向かった。


 葵は諒の信頼を胸に、これまでお世話になった分のお返しをしようと行動に移した。




 * * * * * * * * * *




 そして事前に聞いていた旅行計画通りなら帰宅する予定だった三連休最終日。日付が変わっても結愛の両親が返ってくることはなかった。


 そしてそのまま、()()()が経過した。結愛の両親からの連絡はなく、また携帯が繋がらないので今何処にいるかすら不明だった。


 葵の両親が宿泊したはずの旅館や旅行先に赴き独自に捜索をしたが、何の成果も得られなかった。既に警察への捜索願は出しているので、かなり捜索の手は増えているがまだ見つからなかった。


 その頃の結愛は、学校や家の外では昔と変わらない様子で振る舞っていたが、一度他人(ひと)の目が無くなると、空を見上げ黄昏ていた。その瞳は悲しげで、今にも泣きだしそうなほど弱々しかった。


 そんな結愛を見兼ねて、葵は勿論大樹や愛佳が率先して結愛の気持ちを少しでも楽にさせようと努めた。


 自分が人間不信に陥りかけた時は、こんな感じだったのかなと昔を思い出しながら、あの時言われて救われた言葉を掛けたり、結愛の前では少しでも明るく振る舞うようにした。


 あいにく葵は芸達者でもなければ話が上手い訳でもないく、結愛のような包容力もないので、自分にしてくれたことと同じようなことは出来なかった。


 葵のつまらない話に無理して合わせるように微笑む結愛に、そんな笑みを強要している自分が許せなかった。


 自信が持てない自分を変えて、あまつさえ助けてくれた大切な人一人救えないで何をしているんだ、と葵は自身の至らなさに歯噛みした。


 だからこそ、様々なことから学んだ。クラスメイトの話している内容を盗み聞きし、何処に笑いの要点があるのかを考察した。


 テレビで流れる芸のどこに面白さがあるのか研究した。足りないなら、至らないなら、それを努力と経験で補うことが出来るのが人間だと、遠い昔どこかで聞いたことを思いだし実践した。


 するだけの決意が葵にはあった。ひたすらに観察し、考察し、試行する。一挙手一投足を真似て、形だけでなく喋り方も模倣して、披露する。


 これが正解に近いのか、結愛を元に戻すのに必要なことなのか、結愛の反応が芳しくない頃はとても不安に駆られた。


 だが時間が経ち、結愛の両親が行方不明になってから一ヶ月が経った頃、努力が功を奏したのか、ようやく久しぶりに結愛の笑った表情を見た。


 それを見た時、やってきたことは無駄ではなかったことを知り、より一層、結愛の為に尽力した。それと同時に結愛の強さに感心した。


 自分が立ち直るまでに掛かったのは半年。そこから他人と話せるようになるまでに、五ヶ月は掛かったからだ。


 事の重大さで比べれば両親失踪の方が重いはずで、自分ではできないことをやってのける結愛に、尊敬の念をさらに深まった。


 その日もいつも通り結愛と話をしに行こうとしたが、ここ最近研究やら考察やらで寝不足だったことから少し転寝(うたたね)してしまい、いつも結愛と話している時間が少しずれてしまった。


 慌てて結愛の部屋(一人で板垣家にいるのは精神的にあまりよくないだろうから、と綾乃家の一室を使っている)に行き、ドアをノックしようとした。


 だがノックの前に、中から音が聞こえてきた。


 大樹か愛佳が結愛と話しているのかな? と、あまり好まれないとは分かっていたが、ドアの前で盗み聞きすることにした。


 最近周囲の声を聞き分けるということをしていたからか、それとも周りが静かだったからか、その音は難なく聞くことが出来た。



 ――そして、自分の至らなさを痛感する。



 中から聞こえた音は、両親に対する謝罪を嗚咽交じり呟き泣いている声と泣いているとき特有の音だった。


 その瞬間、葵は悟った。ここ最近見せていた笑顔も、笑い声も全て俺達の為に作っていたものだったことを。葵達を心配させまいと、自分を偽り大切な人を傷つけない為に嘘をついていたことを。


 今も、綾乃家の誰にも気づかれないように、声を殺して泣いている。


 それに気がついたとき、葵はドアを開けていた。ドアを開けると電気の付いていない暗い部屋の中、床にペタリと座り水分で湿った枕を手に抱いて、目元を赤く腫らした結愛が、呆然とこちらを見ていた。


 結愛は驚きで数瞬かたまっていたが、直ぐに目元を擦るとまだ震える声で、現状の言い訳をした。言い訳と言うよりも誤魔化すと言った方が適切だろう。


 それを葵は静かに聞いていた。聞いているようで意識は別の所を向いていた。即ち――


 ――結愛はどこにでもいる、か弱い女の子だということに


 そして葵は結愛を胸に抱いていた。手を頭の後ろに回し、抱きしめるように引き寄せた。


 あの日、結愛が葵にしてくれたことと同じことをしていた。


 あの時はどうしようもなくて、一人で立つことも儘ならない程悲しくて、そんな葵を助けてくれた結愛が、条件や立場は違えど泣いている。


 それが許せなかった。


 何よりそれを許した己が許せなかった。


 だから葵は――同じことをしていた。


 結愛は確かに凄い人だ。勉学では学年一位を常にキープするし、毎年リレーのメンバーに選ばれている。だが彼女は、それと同時に、葵の思っていたよりずっと弱かった。


 尊敬に値する素晴らしい人ではあるが、完璧などではなかった。


 起こった事は変えられない。結愛の両親が居なくなったと言う過去は変えられない。だから学び、未来に同じ失敗をしないように成長する。


 ――考える


 もう二度と結愛が大切な人を失って悲しむことの無いように。結愛が辛い思いをしているなら、自分がそれを受け止め理解する人間になれるように。結愛がこれ以上何かを失い、悲しむことの無いように。


 正解か間違いかなんて関係ない。今は結愛に寄り添えることを証明するだけでいい。それで結愛が安心してくれるかどうかは分からない。もしかすれば意味の無いことかもしれない。それでもいい。これで解決するなどと、端っから思ってない。


 だからたった一言。






 ――ずっと、結愛の傍にいる






 もっと沢山の言葉が、葵の頭を駆け巡っていた。


 もっと気の利いた言葉も、思い浮かんでいた。


 何故この一言が出てきたのか、本人ですら分からない。


 それでも結愛には届いたのか、葵の胸の中で今まで抑えていた分を一気に発散するかのように、大きな声で泣きじゃくった。


 大粒の涙を流す結愛を安心させるように頭を撫でながら、葵は諒に言われた言葉を思い出す。


『結愛を頼むよ』


 今のままでは、諒との約束を守れるかどうかわからない。


 葵は思考する。


 結愛との誓いを守る為に、諒との約束を果たすために、葵は必死に考える。


 最初に行ったのは、形ある約束だ。心が不安定な時、形あるものがあれば少しは安心しやすくなる。


 目に見える見えないは、精神状態にかなり作用することを昔の経験で知っていたから。


 だから、誓いと約束を形にするために、結愛にペンダントを贈った。


 (チェーン)で首に掛けられるよう繋がれた、剣と盾が一つずつある、オリジナルのペンダント。


 剣は、結愛に近づく外敵を排除する為に。

 盾は、結愛を守る為に。

 鎖は、ずっと一緒にいる為に。


 誓いと約束を守れるように、それぞれに意味を与え、そう願った。


 その意味に呑まれないよう、葵の心の炎は燃え盛っていた。


二日後の敬老の日にも投稿します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ