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シャド

名はシャド。これは呼び合うための通称であり、本名ではない。

暗部に属している者は名を決して口にせず、忘却の術をかける者さえいる。名を奪われることで、魔縛される恐れがあるからだ。


ティムバ王国は、近隣諸国と比較しても、決して魔力が高い訳ではない。

王家と中枢の貴族血筋には一定の魔力量を超える存在も多々あるが、それは国全体で言うと少数派である。

つまり平民は、ほぼ魔法が使えない。だが、例外もある———俺のように。


俺は平民出身だ。

魔力が備わっているため、王家の管轄する学園へ入学を許可され、そして、そのまま暗部として国に仕えた。

給金が良かったことが理由だ。平凡な日常と幸せを失った代わりに、たった一人の家族である妹へ仕送りする金が手に入る。その為に俺は王家へ魂を売り渡した。


「お前の任は護衛ではなく、排除だ。」


この国の第一王子 エイドリアン・ティムバ。

今年から学園に通い始める王子の護衛役として3名が選出された。うち2名は常時、王子の傍に張り付いている。

そして、俺に与えられた任は『不要なモノを排除』すること。


実際、王子の同行を監視していると、きな臭い動きがチラホラと見受けられた。

しかし、慎重に動いているのか、なかなか尻尾を掴ませない。


そんなある日、俺は自分の人生を大きく変える存在と出逢うことになる。


チョロチョロと動き回る王子に辟易しながら、夕暮れ時、足早に中庭へ向かう後を追った。

そこには、大輪の白薔薇に囲まれて、エミリア・ストーン公爵令嬢が佇んでいた。


「———リア!」


頬を染めて嬉しそうに駆け寄る様は、まるで母親を見つけた子供のようだ。


「エド、お久し振りです。」


見事な淑女の礼を見せ、ゆったりと微笑む。まるで彼女から薄っすらと光が放たれているかのように、その姿から目が離せない。

俺はこの時、刹那とはいえ、初めて護衛対象から意識が逸れた。


「今日はどうした? 学園には来れないと言っていたのに。」

「ええ、少し時間が出来ましたので、エドのお顔でも拝見しようかと。…少し寝不足ですか?」言いながら、そっと王子の目の下に指を這わせる。

「ああ、少しね。でも大丈夫。」エミリア嬢の手を取り、そこへ唇を落とした。「今日は一緒に夕食を摂れる?」

「ええ。」


談笑しながら中庭を歩く二人。

政略的な婚約だと思っていたが、仲の良さは噂通りらしい。しかし、あれは恋人同士というよりむしろ———そこまで考えた時、エミリア嬢が不意に振り返った。


「……………ッ!」


首の後ろにゾワリ、と怖気が走る。

紫色の双眸。それが違えることなく、真っ直ぐに向けられている———俺に。

自然な流れで逸らされる視線。だが、俺の足は動かない。王子の後を追わねばならないというのに、竦んで動けないのだ。


気配は消していたはず。目視で姿を捉えても意識に引っ掛からないよう操作していたはずだった。

なのに、彼女は間違いなく、俺を見ていた。まるで、試すように。



そんな彼女と二度目に会ったのは、ある蒸し暑い夜だった。

常時、張り巡らせている結界の糸に微かな反応があった。その先を目掛けて、じっとりと滲む汗を拭いながら、学園の敷地内を走り抜ける。

向かう先は裏門。鬱蒼とした茂みを抜けた先に、聳え立つ鉄の門扉がぼんやりと浮かび上がる。


―――血の臭い。


風に乗って届く鉄の臭い。足を止め気配を探す。そして、見つけた。


「吐露すれば楽にして差し上げましょう。さもなくば、その苦しみは延々と続きます。」


銀色の髪を棚引かせて、優雅に小首を傾げる公爵令嬢 エミリア・ストーン。

その傍らには白虎が少女に擦り寄りながら、爛々とした琥珀色の双眸で獲物を捕らえている。


「…っ…!」


瑞々しい若葉で覆われた芝生。その一面に飛び散っている深紅。緑と赤のコントラストが禍々しい。

転がっているのは3名。うち、2名は自害したらしく、既に事切れているようだった。1名は辛うじて生きているが、片腕があり得ない方向へ曲がっている。


「ムーファ、右足を。」

「———!!!!」


白虎が目を細め、獰猛な唸りを挙げながら、男の右足へ食らいついた。柔和な肌の感触を愉しむかのように牙を突き立てる。

男は狂ったようにのた打ち回り、その勢いで周囲に血が飛び散った。ボタボタと草を朱色に染めていくそれを、エミリア嬢の紡ぐ呪文が止めた。


———なんだ、これは。


男が掠れる喉元からヒューヒューと息を漏らした。止血され、死ぬことも許されない。だが、敏感に研ぎ澄まされた痛覚だけは反応する。

拷問としか言いようがないそれに、とうとう男の唇が微かに開いた。


「―――分かりました。どうもありがとう。貴方に安らかな死を。」


男に近づき、膝を折る。見事な刺繍が施されたドレスの裾が大地に滴る血を吸いあげて、紅色に染まってゆく。

手を翳すと、男の面から苦渋の色が消えた。ぼんやりとした瞳には何が映っているのだろう。気だるそうに瞼が徐々に閉じてゆき———そして、動かなくなった。


目の錯覚かもしれない。一瞬だけ、月明かりに照らされた少女の横顔が歪んだように見えた。泣き出しそうなそれに。


「―――貴方は暗部?」


俺の存在を捉えていることに気づいていた。圧倒的な魔力の質量の差。この令嬢の前では、多少の魔力を有する自分の存在など足元にも及ばない。だから少女の問いに、姿を現して答える。


「はい。」

「もっと早く駆け付けなさい。結界を張った技量は流石だけれど、使いこなせなければ宝の持ち腐れです。」

「申し訳ございません。」

「後は任せます。」

「御意。」


真っ白な陶器のような肌。そこに飛び散った僅かの血の痕さえ、彼女を気高く見せる。

顔色ひとつ変えず行われた今しがたの所業。深窓の令嬢ならば到底、耐えられるものではない。

だから分かってしまった―――これが『初めて』ではないのだと。


「―――貴方、名は?」


立ち去り際、彼女が問うた。だが、すぐ思い出したように、「暗部は名を持たないのでしたね。」言い添えて、踵を返す。


闇に消えてしまいそうな、ほっそりとした背中。

しかし、その歩に迷いも淀みもない。


俺はその背に深々と頭を下げ、夜風に奪い取られそうな小さな囁きを紡ぐ。


「俺の名、は………」―――捨てたはずの真名を、いつか貴方に捧げたいと願う日が来るだろうか。



あれから2年。幾度となく彼女と顔を合わせた。王宮で学園で―――闇夜の血塗られた狭間で。

言葉を交わしたのは数えるほどだが、いつしか彼女が目指す先を、俺もまた見てみたいと強く願うようになっていた。


だから、貴方が護り通そうとしているモノを護ると決めた。

これ以上、貴方の白い手が血で染まらぬように。

これ以上、貴方の横顔が哀しみに歪まぬように。


俺の主は、もはやティムバ王家ではない。

エミリア・ストーン公爵令嬢、ただお一人だ。



だから、許せない。

彼女の心を、思いを、全てを否定し、裏切った輩たちを、俺は絶対に許さない。



真実を語る俺の前に愚者がいた。

麗しい面差しが歪み、深い悔恨に染め上げられてゆく。

自分を護り続けてくれていた、誰よりも深く愛してくれていた婚約者を断罪した過ちは、どれほどの苦い味がするのだろう。

傍らには傷ついた面持ちでハラハラと涙を流す男爵令嬢。意味のない哀しみに暮れるその涙ほど、価値がなく安っぽいものはない。



―――お前たちには、傷つく権利もない。



もうこの国に心残りはない。

混乱に乗じ、盗み出した暗部の誓約書は既に消炭だ。もう俺を縛るものはない。

唯一の家族である妹は、昨年、来国していた紡績商の息子と結婚し、この国を出て行った。

明るい妹のことだ、環境が変わろうと、きっと温かく笑い声の絶えない家庭を築くことだろう。

そんな家族に王家の闇に触れた俺の存在は不要だ。


だから。


今度こそ、真名を。

貴方に生涯の忠誠を―――

紡績商:布織物等を取り扱う商人

※妹さんの旦那様の職業です。

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