レドモンド・テーラー
俺には幼馴染がいる。
名はエミリア・ストーン。実を言うと俺の初恋の相手だ。
初めて出会った園遊会。庭先の椅子に置かれた麗しい人形―――と思ったら、それがエミリアだった。
互いに公爵家という爵位を持つ、けれど相反する関係のテーラー家とストーン家。
王の信頼を二分していたその危うい均衡が大きく傾いたのは、エミリアが膨大な魔力持ちだと判ったからだった。
王家に仕える魔術師が、エミリアが纏う魔力量に逸早く気づき、王に進言したらしい。
―――あの血を王家に、と。
それから驚くべき速度で事は進んだ。
エイドリアンは気づいていないだろうが、エミリアとの初対面も仕組まれたものだ。
あくまで正妃候補と掲げているものの、実のところ、エミリア以外の正妃は認めないに違いない。
その絡繰りに気づいた時、俺はエミリアへの恋心を捨てた。
まだ淡いそれは、束の間、心を苛んだが、次第に恋から友へと形を変えていった。
学問より武術の方が性に合っていた俺は、ぽっかり空いた穴を埋めるように剣術に没頭した。
「レドモンド、髪が跳ねているわよ? また水浴びしたのでしょう。」
背後から声を掛けられて、慌てて後頭部に手を宛がう。
ぴょこん、と跳ねる癖の強い髪。それを眺めながらエミリアが目を細めて微笑む。
羞恥に顔を逸らすと、ますますエミリアの笑みが深まった。
―――風が心地良い昼下がり。
もう二度と訪れることのない、至福の時。
「高位魔族である黒竜と白虎だと…?!」
ガン!と拳を机に叩きつけて悔し気に唇を噛みしめているのは、テーラー公爵家の主―――俺の父。
召喚魔法の儀で、エミリアが契約を交わした高位魔族、それも二体という過去に例を見ない出来事は瞬く間に広まった。
「それでお前は…炎の属性魔…」
吐き捨てるようなそれは、隠せない落胆。
「魔力量が多いことは聞いていたが、まさかこれほどとは…このままでは我がテーラー家は危うい…どうすれば…」
ブツブツと呟く父の視界に、俺は入っていない。
締め出された存在。おそらく二度と必要とされないだろう存在。
今まで必死に頑張ってきた。次男という立場に甘えがなかったとは言えないが、それでも公爵家の名に恥じぬよう、これでも一生懸命頑張ってきたんだ。
それが、たった一瞬で。
「エミリア・ストーン。あやつさえいなければ―――」
父親の昏い呟き。
何故かその言葉が耳の奥に響いた。
そんな時、エイドリアンが男爵令嬢であるマリア・ルーテンと親密になり始めた。
最初は親切心からだっただろうそれが、急速に親密さを秘めてゆく。
マリア・ルーテンは逆上せた顔でエイドリアンを見つめ、瞳を潤ませて愛を乞う。
一心に愛情を向けられたエイドリアンは、酔ったように彼女を抱き締める。
―――高笑いが止まらない。
エイドリアン、お前は愚かだ。
マリア、お前は無知だ。
そして、エミリア―――お前は。
俺は大切だったはずの幼馴染の腕を掴み上げ、地下牢へと連行する。
少し力を込めただけで折れてしまいそうに細い腕。
饐えた臭いに満ちた牢屋。公爵令嬢の身ならば、一晩も持つまい。
唯一、彼女の身を護るだろう高位魔族たちは、今から封印が施される———俺の手で。
懐に潜ませていた我がテーラー家の秘宝『魔封じの腕輪』を取り出す。
気配に気づいたのか、エミリアが視線を向けた刹那、ほっそりとした手首を捻り上げるように持ち上げて、それを装着した。
「……?!」
ぐわん、と身体が揺らぐ。
この腕輪は魔力と比例する。エミリアのように高い魔力を宿す身には鉛を背負ったような倦怠感が襲う。
だが、エミリアはやはり気高く、そして美しかった。
辛いだろう身体を気力で支え、滲む汗をそっと拭って、キリ、と背筋を伸ばす。
そして、真っすぐに———俺を見た。
「…もう髪は跳ねていないわね、レドモンド。」
それが彼女と交わした最期の言葉。
薄汚れた牢獄に彼女を捕え、施錠する手が小刻みに震えていることに気づき、舌打ちする。
背後から舌なめずりするように美しすぎる囚人を凝視している牢番達。
俺がこの場を去れば、地獄のような時が始まるのだ。
「——————————」
声にならない呪文を紡ぐ。
エミリアの双眸が見開かれる。
鉄格子越し、久方振りに視線を真正面から受け止めた幼馴染は、奇跡のように美しかった。
手に入ることのない、気高い花。
焦がれて焦がれて、けれど、無理矢理、心の奥底に沈めたそれを、何故、今の瞬間、思い出してしまったのだろう。
踵を返し、俺は牢から出た。
湿気た空気に不快感を覚えながら、外に出た瞬間、広がる澄んだ空に肩の力が抜けた。
振り返れば、そこには薄汚れた地下牢がある。
それは、エミリア・ストーンの墓場となるのだ。
今頃、あの男たちは地団太を踏み、騒いでいることだろう。
俺が放った凝固魔法。あの鍵は二度と開かない。格子は空間を遮る壁となった。
つまり、上物を目の前に触れることさえ叶わないのだ。
そして、それはエミリア・ストーンが外界から遮断されたという意味でもある。
「———ざまぁみろ。」
呟いた俺の頬を濡らすものに気づかぬ振りをして、昏く笑った。
誤字のご指摘をいただいたので修正しました。<(_ _)>