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エイドリアン・ティムバ

私が彼女に出会ったのは、3歳の誕生会だったらしい。

その頃の記憶は曖昧ではっきり覚えていないのだが、美しい顔立ちよりも、吸い込まれそうな紫色の瞳が印象的な少女だった。


「エミリア・ストーンともうします。でんかにはごきげんうるわしく―――」


最上の礼がとても美しかった。

俯いた頬にサラリと流れる銀色の髪も、踊るような所作も、そして、じっと見つめる紫の双眸も。

綺麗過ぎて怖かった。だから、存在を確かめるように手を伸ばしたのだ。


ドレスの膨らみをギュッと掴んだ私に、エミリアは一瞬だけ目を見開いて、そして―――微笑んだ。


「ぼくはエイドリアン。エドってよんで。」


愛称で呼んで欲しくて強請れば、大輪の薔薇が花咲くように笑う。

輝ける姫君。厳かなほど、高貴な色を放つエミリア。


「では、わたくしのことは、リア、と。」


大切な大切な存在だった。

会う度、心が温かくなる。だから、会えない日が続くと癇癪を起すこともあった。そうすると、困ったように微笑みながら、それでもエミリアは駆け付けて、傍に寄り添ってくれる。


王である父からエミリアが婚約者の第一候補だと聞き、嬉しくて嬉しくてその夜は寝付けなかった。

あくまで『候補』―――けれど、私は知っていた。エミリアに敵う令嬢など存在しないことを。


エミリアは生まれながら魔力が高く、そのため、学園へ入学が決まっていた。

この学園は王家が設立したもので、魔力の高い人間には、階級問わず入学を許可している。貴族の階級は魔力と比例していると云われており、最も魔力が高いのは王族である。だが、稀に庶民の中にも突然変異と呼ばれる魔力保有者が生まれることがあり、その者たちは学園へ通う権利を手に入れることが出来るのだ。


そして、エミリアは王家を凌ぐと云われているほど、魔力が高かった。

13歳の入学の年、初めて行った召喚魔法で、高位魔族である黒竜と白虎が魔法陣の中に姿を現したのは、長き歴史を綴る学園でも初めてのことだった。

驚愕に戦く教師群を尻目に、エミリアは歌うように其々の魔族と契約を交わす―――これは、未だに語り継がれる珍事である。


これほど素晴らしい女性が、自分の婚約者なのだと誇らしい思いを抱いていたそれが、少しずつ澱んでゆく。


最初のきっかけは、2年遅れで入学した年に、召喚魔法を行なった時のこと。

誘った魔力に食いついてきたのは、透き通った体の水魔だった。間違いなく上位魔族。

周囲は褒め称える。流石は王家の血だと。上位魔族の召喚は、その時、私だけだったからだ。


だが、上位と高位の差は限りなく広い。

高位魔族を従えていた王族など、歴史を紐解いても数えるほどにしか存在していない。


父王は高らかに笑った。

膨大な魔力を宿す、高位魔族を従えたエミリアの血が王家に注がれる幸運を噛みしめて。


私はその頃から、少しずつ、エミリアと距離を取り始めた。

遠巻きに眺めていると、彼女の姿が傍らに寄り添っている頃より、よく見えた。

才女といって間違いはないだろう彼女が秀でているのは魔力だけではなかったのだ。

王家の教育も、学園の学問も、礼儀作法も、卒なくこなし、好成績を残してゆく。

試験の度、エミリア・ストーンの下に自分の名前があることが、歯軋りしたくなるほどに悔しかった。

教育係を増やし、睡眠を削って、必死に勉強して挑んだ試験でも、順位は変わらない。


「エミリアと比較されるのは、正直…息が詰まる。」


ある時、ポツリと漏らした言葉は、まさに自分の心だった。


「妹は優秀過ぎて、父の期待も大きくてな。少し前に言われたことがあるのだ、エミリアが男だったらと。」


苦いものを吐き出す、エミリアの兄 バートン。

彼とて決して劣っているわけではない。成績は絶えず上位に食い込んでいるし、魔力も公爵家として十分な資質がある。だが、それでは駄目なのだと自嘲せずにはいられないのは、妹の存在故。


私には、バートンの思いが痛いほど理解出来た。

息が詰まる―――その言葉が脳裏でずっと反芻していた。



そんな折、中庭で出会ったのがマリア・ルーテンである。

必死で魔力を紡ごうとしている様子を眺めていると、思わず笑みが浮かんだ。

掌に微かに浮かぶ、消えそうな炎。

それでも額に汗を滲ませて一生懸命だった。


「呼吸を整えて、イメージを頭に浮かべると上手くいくよ。」


声を掛けた途端、ふっと炎が消えてしまった。


「あ…申し訳ない、集中を乱してしまったね。」


弾けるように振り向いた、零れ落ちそうな双眸は、美しい碧。

それが太陽に反射してキラキラと輝いていた。


「エイドリアン殿下!」慌てて膝を折ろうとする様を手で制して、「ここは学園だから、殿下は止めて欲しいな。淑女の礼も不要だよ。」と告げれば、頬を染めてぱあっと笑った。


「はい! エイドリアン様!」


その時、澱んだ空気が僅かなりと払拭された気がした。いや、清浄されたと言った方が正しいかもしれない。


「魔法の練習?」

「はい、私魔力が低くて…少しでも練習しないと駄目なんです。」

「ふぅん…手伝おうか?」

「えっ、本当ですか?!」


期待に満ちた眼差しが眩しかった。

真っ直ぐに向けられた笑顔が嬉しかった。


「エイドリアン様は、水魔を召喚なさったんですよね。そんな方に教えていただけるなんて光栄です!」

「…それほどじゃないよ。」


自嘲気味に口にすれば意味が分からないとばかりに首を傾げる。


「それほどのことだと思います。誰もが出来ることじゃないです。エイドリアン様だからお出来になったんですよ?」


それは何と言えばいいのだろう。

まるで涸れた大地に恵みの雨が降り注いだような、そんな感覚に近い。


―――マリアの傍は癒される。


心地良さに溺れてゆくのを感じながら、それを手放す勇気など持てなかった。



ある日、中庭でマリアが肩を震わせているのを見た。

「どうした、マリア?!」


駆け付けてみれば、手にしているのは破かれた本や衣類。

念入りにインクを零したらしく、使い物にならない有様だった。


「これは…」


「いいんです、私が…悪いんです…」

泣きながら首を横に振るマリア。その様子から何か心当たりがあるのではと問うてみれば、驚くべき答えが返って来た。


「エイドリアン様はエミリア様という素晴らしい婚約者がいらっしゃるのに…私が傍にいるから駄目なのだと、そう言われました…でも、その通りだと思います。私、エイドリアン様に魔法や学問を教えて頂けて、本当に嬉しくて、甘えてました。これからは、もうお傍には―――」


言葉の続きを塞ぐように、気づいた時には、マリアを強く抱き締めていた。


駄目だ。手放せない。この温もりを。癒しを。

手放したら、私は壊れてしまう。


「エイドリアン、様…」


涙に濡れそぼった愛らしい顔。

指腹で拭って、そのまま頬に添える。

薄桃色の唇が僅かに開き、誘っているように見えた。


そっと落とした口付け。

それが、崩壊の始まりだった。

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