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ブライアン・ウォーレン

ティムバ王国―――歴史ある大国に比べれば、領土も狭く、両辺を海と山に囲まれた田舎臭い国かもしれない。けれど、とても美しい国だと自負している。澄んだ水は植物を育て、緑深き森では新鮮な果実がたわわに実る。自生している薬草も多く、王家自ら温室を作り薬師の元、研究を重ねた結果、薬草は国の産物として他国での需要も高く、流通も盛んだった。


王宮から階下を見下ろせば、至る箇所で燃え盛る炎があがっている。

雄叫びが風に乗って届くのを聞きながら、あとどれくらい城門が持つだろうかと考えた。


「———ひと時ほど、か。」


閑散とした王宮に残っているのは数えるほどだ。私もその一人だが、何故か心は凪いでいた。

我が娘であるエリザは何とかして逃がしてやりたかった。だが、立場を考えると口には出せない願いだ。娘でありながら娘ではない———彼女は王妃なのだから。


「ここにいらしたのですか、ブライアン宰相。」

「ディアヌ女官長。」

「温かいお茶をお淹れしましょう。ここは冷えます。どうか中へお入り下さいませ。」


背筋がピンと伸びた女官長も、この王宮から去らなかった。たった一人の息子は、討伐隊で命を落としている。国のために命を散らしたのですから誉めてやらないと、と微笑んだ面差しが脳裏に焼き付いて消えない。


「王妃様もお待ちですよ。折角ですから、王宮に残っている全員で、美味しいお茶を飲みたいと思いまして。執事も楽しみに待っておりますわ。」


行きかう人々で溢れ返っていた王宮は、見る影もない。王都も然り。

相次ぐ天候不順に飢饉が起こり、貧窮した民の不安は、魔物の横行という負の連鎖により爆発した。街は荒れ、盗人が増え、略奪が行われるようになった。それを取り締まるべき騎士は討伐隊へ人員を割かれていたため、街の治安維持が後手に回ったことで、暴動が起こったのだ。


我先にと国外逃亡しようとした貴族連中は、魔物に屠られたか、民に狩られたかで命を落としている。運が良ければ国境を越えられたかもしれない。その先の国が受け入れてくれれば、の話だが。

あれだけ親交が深かった隣国のシャレブ王国でさえ、掌を返すように態度を急変させた。愛妾の第一王女もとっくに帰国している。


権力を誇示していたストーン公爵家は、人脈を伝手に早々と国外逃亡を果たしている。子息は見つかったのだろうか。討伐隊の末路は、既に国の情報機関が機能していないため掴みようがなかった。


レドモンド・テーラーの死は厳かに伝達された。エイドリアン王子が帰還した直後の訃報だった。悲惨な末路だったらしく、死体は回収されず、遺品として仲間が持ち帰って来たのは、薄汚れた羽飾り一房だった。ずっと懐に入れて魔物と戦っていたらしく、本来は真っ白だっただろうそれは、血と汗が滲み、羽もよれていた。それを見たエイドリアン王子の顔が苦し気に歪んだのが、記憶に残っている。


エイドリアン王子は王宮に留まっている。左腕を失い、ずっと臥せっていたが、今ではようやく一人で歩けるまでに回復していた。時折、身体の均衡が崩れるらしく、それを防ぐために右手に杖を持つようになっていた。


「マリア様がいらっしゃらないのは、お寂しいことでしょうが———」茶器を乗せたワゴンを運びながら女官長が問い掛けると、「混乱時に城外に出れば、どうなるか判っていた筈なのに。思慮が足りなかったとしか言いようがない。」暗い面持ちで答えるエイドリアン王子。


献身的な看病という名目で王宮に住み込んでいた男爵令嬢 マリア・ルーテンは、ある日、城外の堀中で発見された。身包みを剥がされ、身体には無数の打撲痕と刺傷があったが、不可思議なことに抵抗した痕跡がなかったと報告を受けている。身に着けていた装飾品なども残されていなかったため、金品目当てだと思われるが、何故、彼女が城外へ出たのかは不明のままだ。


「これは最後のお茶葉なんです。」

慣れた手つきでポットにお湯を注ぐ。少し蒸らすと、薫り高い紅茶の匂いが室内に漂い始めた。


「懐かしいわね、この香り。以前はよく好んで飲んでいたものだけれど。」王妃の久方振りの微笑みが、場を緩ませる。傍らに絶えずあった王の姿はない。討伐隊の士気を挙げるため、先陣を切って戦っていた彼の消息は不明のままだ。


「お茶には、菓子が要るだろう。」

そう言い出したのはエイドリアン王子である。懐から取り出したのは、幼い頃、エミリア様から贈られた菓子缶だ。意外に甘いものが好きな王子は、その中に菓子を隠し持ち、合間を見ては口にしていたことを思い出した。


「丁度、5枚ある。食べずに取っておいて良かった。」缶の中に入っていたのはクッキーだった。それを一枚ずつ、まるで金貨のように配り終えると、厳かに祈りを捧げる。


「ふふ、少し湿気っているわね。」王妃がクッキーを口にして笑う。次いで、紅茶を飲み、深く息を吐いた。「ああ、美味しい。薫り高い紅茶と、甘いクッキー。とても幸せだわ。」


「そうですな。今まで食べた上等な菓子より、このクッキーが一番美味しく感じますな。」


「本当に美味しいですわ。」


「ええ、久方振りです、甘味を口にしたのは。」


それから半時程過ぎ、紅茶を飲み終え、会話も途絶えた頃、エイドリアン王子がテーブルに手を突き、立ち上がった。


「———今更だが、懺悔したい。」言いながら、深く頭を下げる。

「私はエミリアの信頼を裏切り、無償の愛情に胡坐をかいていた。それでもエミリアは私を見限らず、待ち続けてくれていた。あの日、私が愚かにも彼女を冤罪で裁いたことは彼女の人生を———いや、彼女そのものを否定した愚行だった。言い訳にしかならないが、地下牢に捕らわれようと、エミリアならば案じることはないと思っていたのだ。まさか、魔封じの腕輪を着けられているとは知らず―――どれだけ前非を悔悟しようと彼女に償うことさえ叶わないが、せめて———」


声が出ない。瞼が重い。沼地に沈んでゆくような錯覚に必死で耐えながら、響く声に耳を傾けた。


「…エイド…リア、王子———わたくし、」微かに聞こえる声。これは女官長だろうか。


「これは貴方が使ったものとは違う、ただの眠り薬だよ。但し、効き目は強力だから、次に目覚める時は、」


それが最後だった。深い深い闇へと引き摺り込まれ、そこから先は覚えていない。


そして、混沌とした意識の中で、幸せだった頃の夢をみた。


笑い声で溢れていた王宮。

甘えん坊だったエイドリアン王子が泣き出すと、その傍らにはエミリア様が必ず寄り添っていた。ギュッと手を握り締めていると、落ち着くのか、大抵、王子の眼はトロンとして眠りへと誘われてゆく。

その様子をテラスから微笑みながら見守っている王妃と、仕事の合間にチラチラと視線を向ける王と、それを叱責する口煩い宰相の私。


もう取り戻すことの叶わない、至福の残像。




目覚めたのは天井から滴り落ちる水のせいだった。

ぐっしょりと濡れそぼった服が張り付いて気持ち悪い。肌寒く、身体が芯から凍えそうだった。グラグラする頭を押さえていると、すっと目の前に差し出される、上質な肌触りの毛布。


「どうぞ、お使いください。」視線を上げればそこには、見知った顔があった。


「リーナ…?」

「ええ、リーナです。ご無沙汰しておりました。」


まだ夢を見ているのか———そんな面持ちで彼女の姿を見つめる。彼女はエミリア公女の召使だ。エミリア様が行方知れずになったと同時に、彼女の消息も分からなくなっていたと聞いていたのだが。


「何故、ここに———」周囲を見渡せば、私と同じように不思議そうな顔をしている面々がいた。王妃と、女官長と、執事と、そして、私。


一人、足りない。エイドリアン王子の御姿がない。

視線で問い掛けた私に、リーナが静かに答えた。


「今朝方、王都は民の手に落ちました。王宮に押し寄せた暴徒は、国旗を全て燃やし、王の首を獲るために、この王座の間へと向かいました。それに対峙されたのが、エイドリアン様です。」


魔の破片が残された室内。これは水魔の力———


「私の首を差し出そう、それで満足してくれないか、と。エイドリアン様は土下座なさいました。暴徒とはいえ、元々は善良な民です。天上人のように崇めていた王族が、床に這い許しを乞う姿に、皆は困惑したのでしょう。室内が水浸しなのは、水魔が放たれたせいです。契約主が逝去すれば、契約は無に帰しますから。」


「エイドリアン王子、は。」


「首は正城門に晒されております。身体は手厚く葬られました。王家の墓に。」




豊かなティムバ王国は、崩壊した。呆気ない幕切れだった。

これが正しい選択だったのか、私には今でも分からない。

老いた私たちが生き残り、前途ある若者達の命が散った。

その代償におめおめと生き延びている自分自身を顧みれば、ますます答えが分からなくなるのだ。


王家の血筋として、後に第二王子が生きていることが判明したが、彼は頑なに復国を拒んだ。

平凡でも満ち足りた幸せが欲しいと、共に逃げた召使と、その間に生まれた赤子を慈しみながら答えたそうだ。


かくして、荒れたこの地は、エレノア大国の属地として治められることとなる。

侵略を繰り返す血塗られた魔導国が、何故、利にならない崩壊した国に介入してきたのかは不可解だが、それによって近隣国の小競り合いは止み、民たちは少しずつ本来の生活を取り戻していった。


そして、三日三晩、晒されたエイドリアン王子の首は、胴体と同じ墓に葬られた。

王妃の座からおりたエリザは、ようやく心から泣けるようになったのだろう。

時間があれば墓の前で愛おしそうに語りかけていたが、ある日、幸せそうな顔をして、眠るように逝った。


私ももうじき、人生の終わりが近づいているようだ。

エリザの代わりに、孫であるエイドリアンへ手向ける花を持ち、墓へ通うのが日常となっていた。

だが、時折、不思議なことがある。


ほら、今日もまた白い———大輪の薔薇が捧げられている。

風にそよぐ見事な花弁をそっと撫でて、その傍らに持参した花を添える。



———ああ、思い出した。

エミリア様がこよなく愛した、その花は。

初めてエイドリアン王子が彼女に贈った花だということを。

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