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ディアヌ

物々しい空気に満ちた王宮は、以前の雅さの名残もない。

剣を装備した護衛や近衛が廊下や庭先を足早に歩き回り、磨き上げられていた廊下も塵と埃で汚れ、くすんでいる。空はどんよりと曇り、雷が大地を引き裂くことが増えた。土砂崩れを発生させるほどの雷雨は、豊かだったティムバ王国を支える作物を枯らし、少しずつ国民の生活を脅かしている。


乏しい仕入品を見やって、困り顔の料理長を宥め、出来る限り、滋養のある食事を用意するよう指示を下した。


怯えた様子の召使や仕人は、皆が暗い面持ちで口数も減っている。

人手が足りず、身を粉にして働いても広い王宮を保つには及ばない。枯れた花弁が散りゆくように、王宮から去ってゆく人間が日ごと増えてゆくことに、成す術もなく。


だが、私は女官長。この王宮を陰で支える一人。

碌に睡も摂らず、昼夜、対策に追われている王や王妃が少しでも健やかにお過ごしになられるよう、精一杯、務めることだけを考える。


「ディアヌ様、よろしいでしょうか。」


渡り廊下を歩いている時、声を掛けられ、足を止めた。振り向かずとも分かる、この頼りなげな、鈴を転がしたような美声。


「マリア様。」軽く腰を折り、礼を返す。最低限の貴族に対する礼儀である。


「あの、私に出来ることはないでしょうか。皆さま、お忙しそうにしてらして、何かお手伝いできることがあればと…」


傷ひとつない両手を胸の前で組みながら懇願する令嬢の姿は、とても愛らしく、とても滑稽に映った。

艶やかな黄金の髪は美しく結い上げられ質の良い装飾が施されており、身を纏うドレスは見事な刺繍の高級品。埃に塗れた王宮とは雲泥の、その手を掛けた井出達に、多忙な召使の手を煩わせないでくれと言い放ちたくなる。


「エイドリアン様の看病をしていただければそれで充分でございます。こちらも人手が足りず、充分なお世話が行き届きませんので。」


「…そうですか。」

明らかに落胆した様子で、首を垂れて戻っていく背を見つめた。

握り締めた掌に爪が食い込んで痛む。


重い身体を引き摺るようにして離宮へと足を踏み入れた。且つては華やいでいた離宮も今や深閑としたもぬけの殻。

その奥まった部屋へ続く扉を開ける。


幼い頃から王宮に出入りしていたエミリア様が正妃候補となった時点で、離宮に部屋を与えられていた。そこにはエイドリアン様から贈られたドレスや装飾品が置かれていたが、それ以外に山のような書物が運び込まれていた。

僅かな時間さえ惜しみ、書物に耽っていた姿を思い出す。長い睫毛が縁取る紫の双眸は、理知的で、且つ慈愛に満ちていた。言葉こそ少ないが、さり気ない優しさや思いやりに触れる度、私達、仕える者は至福を噛み締めていたのだ。


———将来、この御方が我らの主となられる。


エイドリアン王子と共に中庭で過ごされる様は微笑ましく、温かな空気が満ちていた。こんな光景がずっと続くのだと誰しもが信じて疑わなかった。

そっと窓辺に置かれた椅子に触れる。脇のテーブルには瑞々しい花が生けられていた。エミリア様がこよなく愛した白薔薇だ。命じた訳でもないのに、一日も欠かすことなく飾られているそれに、胸が苦しくなる。


部屋の主は、もういらっしゃらないのに。



あの日———全てが狂った日。

王族と貴族同士の交流場として催される鷹狩りの日、滅多に王宮へお戻りにならなかったエイドリアン王子の久方振りの御姿に、皆が湧き立っていた。

親しい学友を招いての茶会を催すと命じられ、喜々として支度に取りかかった。中庭に置かれたテーブルに華やかなクロスを敷き、摘んだばかりの花を飾る。料理長が腕を奮った菓子と軽食を並べ、香り高い紅茶を運ぶ。


けれど、すぐに私たちは困惑することとなる。


エイドリアン王子の傍らには、いつもエミリア様がいらっしゃった。

なのに、今は見知らぬ令嬢が寄り添っている。二人に対峙するようにエミリア様は佇み、だが、何も言わず、エイドリアン王子の対面に腰を下ろした。

どこか張り詰めた空気に嫌な予感が広がっていった。何より、エイドリアン様がエミリア様に向ける眼差しは冷たく、そして、疎んじたものだった。

茶会に集った人々の囁きから、連れ立った令嬢の名と階級を知った。名はマリア・ルーテン、爵位は男爵。


ここは王宮。学園ではない。にも拘らず、男爵令嬢が公爵令嬢の上座に平然と座っている。そのことに集った面々ならず、召使達までも不快感を面に浮かべているというのに、令嬢は気づきもせず熱に浮かれた眼差しを王子に向けていた。


「少し場を外れます。各テーブルに目を配るように。」嫌な予感は既に予兆となっている。足早に中庭から王宮へ渡り、王妃が休まれているだろう自室へと向かった。今は宰相も大臣も鷹狩りへ出向き、不在だ。


まさか、この日を狙って…?


息を切らせながら王妃へ伝えると、即座に顔色を変えて立ち上がった。

「先に戻りなさい、ディアヌ女官長。すぐに参ります。何かあれば私の名を出し、止め置くように。」そう命じられ、再び、中庭へと戻る。ほぼ小走りに渡り廊下を突き進む私を驚いた顔で見つめている召使達。


だが———遅かった。

中庭に戻った私が見たものは、レドモンド様に連れ去られるエミリア様の背中だった。

茶会に集った貴族子息や令嬢は、エミリア様の庇護を訴えていたが、エイドリアン王子と公爵子息に睨みつけられ諦めたように口を閉ざした。

地下牢は閉ざされ、王の権限がなくては面会も許されない。王の次に摂政権限を持つのはエイドリアン王子だが、彼が許可を下すはずもなく、私達が出来るのはただ王のお戻りを待つことだけだった。


そして、エミリア様の御姿は消えた。



あれから、半年。

何もかもが変わってしまった。


天候の不順、魔物の横行。急遽、編成した討伐隊も少しずつ人数が減ってきている。つまり、それだけ命を落とした者が増えているということだ。

討伐隊に加わるため、謹慎処分を解かれたエイドリアン王子は、出向いた先で左腕を魔物に喰われ、瀕死の状態で王宮へと戻って来た。肩から下を千切られた傷痕は醜く、高熱に魘され、約40日程、寝たきりの状態が続いた。今でこそ、介助があれば立ち上がることも出来るようになったが、痩せた身体では討伐に加わることも出来ず、養生に日々を過ごすのみとなっている。


それを耳にしたマリア・ルーテン男爵令嬢が、看護をしたいと名乗りを上げ、早々に王宮へ訪れ寝泊まりするようになった。身分を弁えない所業に、周囲は呆れ返ったが、この情勢ではそれこそ些事だった。実際に人手不足は否めず、多少なりと役に立つのなら―――そう思いもしたが、結局、マリア様は手助けになるどころか、余計に手間を掛けさせ、多忙さに拍車をかける悪循環しか生み出していない。


エイドリアン王子は、口数が減り、塞ぎ込むことが増えた。

失った左腕が痛むのか、よく肩を撫でている姿をお見掛けする。


ある日、食事を届けた際、エイドリアン王子が肩を摩られていたので、痛みが酷いのかと案じたことがある。

すると、王子は一瞬、目を見開いて、肩に触れているご自身の手をまじまじと眺めて、苦笑した。


「失ってしまったのだと———何度も確かめずにはいられなくてね。」言いながら、存在しない己が手に触れるように、「左腕と共に、掌に残された温もりの記憶も失った。…これは罰なんだろうね。」自嘲しながらポツリと呟く。


そういえば、エミリア様はいつもエイドリアン様の左側にお立ちだった。

よく手を繋いで中庭を散歩されているのをお見掛けした。


討伐隊に参加しているレドモンド様やバートン様はご無事なのだろうか。

今や身分や階級など何の役にも立たない。強い者が生き、弱い者が死ぬ。それだけだ。


「ああ、ディアヌ様、いらしてたのですか。」


ひょこ、と顔を出したマリア様に、心が黒く染まってゆく。


「お食事を運んで下さったのですね。ありがとうございます。エイドリアン様、熱い内にいただきましょう。」言いながら、並べられた食事を見て溜息を零し、「もう少し品数が多ければ良いのだけれど———明日、料理長にお願いしてみますね。お怪我が早く治っていただけるように栄養が必要ですもの。」邪気のない笑みを浮かべ、そう宣った。


そっと退室し、廊下を歩きながら、脳裏を反芻する能天気な声。


あれは料理長が、僅かな食材を出来る限り美味しく召し上がって頂くように、精魂込めて作った料理。

———それを。


握り締めていた掌を広げると、くっきりと残されている爪の痕から血が滲んでいた。それをぼんやりと見つめながら、愛しい息子の言葉を思い出す。


『父上から、その手を握り締める癖は母上譲りだと揶揄われましたよ———』


親孝行な息子だった。好いた娘がいるのだと、身分こそないが心根の優しい娘なのだと、照れ笑いをしていた様を鮮やかに思い出せるのに。


恨むのは筋違いなのだと分かっている。だが、幾度も幾度も鎮め抑えたそれが、今にも噴き出しそうになっている。



中庭から続く温室へと視線を向けた。

そこは数多の薬草が栽培されていた。元来、ティムバ王国は薬草の知識が豊富だ。中には微量で命を奪うことも出来る毒花もある。眠るように死へ誘われる物、逆に苦しみ抜いて命を落とす物、身体の自由を奪う物、種類は様々だ。


———強い者が生き、弱い者が死ぬ。

そう、それだけのこと。簡単なことだ。

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