オースティン・マックスウェル
王命を受け、長き年月を他国で過ごしてらっしゃったガイヤ様が帰国されたことに、王宮は大騒ぎとなった。
帰国の命令を無視し続けた挙句、前報せのない急な帰邸。しかも、その傍らには。
「私の妃となる娘だ。丁重にもてなせ。」
豪奢なドレスに身を包んだ、麗しい姫君。
透けるような白肌、艶やかに流れ落ちる銀糸の髪、そして、深紫色の双眸。美に愛された容貌の、奇跡とも言える姫君が、これまた優雅で完璧な淑女の礼を示した。
「エミリア・ストーンと申します。」
腰を抜かさなかった自分を褒め称えてやりたい。
エミリア・ストーン。ティムバ王国の、第一王子の婚約者。例え海を隔てた小国の情報であろうと、それくらいは当然の如く掴んでいる。
その場に集う中枢部の貴族連中はざわついているが、王は面白がっているのが有体に分かるし、二人の兄君は呆れた顔をしている。
「ほう、その娘がな。」蓄えた髭を撫でながら笑う父王に、「やらんぞ。これは私のだ。」ピシャリと言い返すガイヤ様。
「それより早く変化を解け。その姿で、その喋り方は勘弁してくれ。」第一王子の渋った声に、ガイヤ様はああ、と思い出したように頷き、術を解いた。
傍らのエミリア嬢が僅かに目を見開くのが分かった。
おそらく変化の術を見たのは初めてなのだろう。ガイヤ様が擬態していたのは、末弟君 ノエル様の御姿を元にした容貌。上背も肩幅も、色彩さえ異なる変化術はガイヤ様の得意とされる魔術のひとつだ。
少年から青年の容姿へと戻る。青みがかった黒髪と、琥珀色の双眸。上背は高く、身体の厚みもある。華奢なエミリア様と並べば、まさに―――「美女と野獣だな。」第二王子の発した言葉通りである。
「それほど不細工でもないと思うが。どうだ?」
顔を近づけて問い掛けるガイヤ様に、エミリア嬢が微かに身じろいだ。だが、動揺は見られない。その平常心は称賛すべき利点だ。
しかし。
「ガイヤ様、きちんとご説明を。そのご令嬢は、ティムバ王国 第一王子であるエイドリアン様と婚約を交わされているはず。それを横から掠めるやり方は———」私はこの国の宰相———オースティン・マックスウェル。王の右腕だと自負している。王子が生まれ、育ち、巣立っていく様を、王の傍らでずっと見守ってきたのだ。だからこそ、兄弟のうち、最も破天荒で我が強く自信家であるガイヤ様が、他人のものを奪い取ることに躊躇いを覚えるとは到底思えなかった。
「あの国が公女を要らぬと申したのでな、有難く頂戴したまでのこと。」
「…は?」
「ちなみに婚約破棄を一方的に突きつけられておった。よって、何の問題もなかろう?」
「………」
「更に無理強いはしておらん。きちんと、エミリアには承諾を得ておる。―――そうだな?」
最後の言葉はエミリア嬢に向けて発したものだが、口調はまるで恐喝である。
しかしながら、令嬢の顔を見る限り、偽りではないようだった。
「発言をお許し頂けますでしょうか。」
透き通る声が空間を圧した。ざわめきがピタリと停止する。
公女の視線は真っすぐに王へと向けられていた。傍らのガイヤ様は完全無視されているにも拘らず、笑みを浮かべている。
また、王座に腰を下ろしている王の口角も上がった。どうやら興味を覚えたらしい。
「許す。」
「有難うございます。では申し上げますが、確かにこの国へ参ったのは私の意思で間違いございません。ですが、私はガイヤ様の妃になるなど承諾した覚えはございません。」
「―――ほぅ。ガイヤでは不服か。これはこれで面白い。」クツクツと喉から声を漏らして笑う王の様子は、滅多にお目にかかることのない上機嫌の部類に入る。
「オースティン宰相、今しがた伝令が。」
背後から声を掛けられ、小さな紙切れを手渡される。視線を落とせばそこには。
———厄介な…
ガンガンと頭痛がする。
それは、ガイヤ王子に就けた我が息子グリフィンからの報告であった。
『ティムバ王国内では捜索網が敷かれ、国境は閉鎖、出入国も制限されているため、帰国が暫し延びる旨———』
詳細を確認せねばなるまい。
何が不要なものか。国を挙げての大捜索が行われているではないか。
それに、この公女———油断がならない。
冷静沈着な仮面の下で、微かに動く視線。
あれは、室内の配置を既に把握している眼だ。おそらく、入国してからずっと、全てを観察していたのだろう。
いつ何時、寝首を掻かれるか分かったものではない。
今は気配さえ感じられないが、確か公女には高位魔族が2体、契約で繋がれていたはず。
万が一、それらが暴れようと、王族の血筋には高位魔族が従じているため、案じることはないが———それでも少なからず血は流れる。
「皆さま、ガイヤ様も帰国されたばかり。まずは、旅埃を洗い流し、今宵、改めて宴を設けてはいかがでしょう。エミリア様もさぞかしお疲れでしょう。海を渡られたのは初めてでしょうし。」
胎内を満たす魔力量を図りながら、柔和な笑みで退室を促した。
———魔力量はガイヤ様とほぼ同等か。しかしながら、質が違う。ガイヤ様ほど濃い魔力を有する御方はいらっしゃらない。
「そうだな。今宵、ゆっくり話を聞かせてもらおう。―――下がって良いぞ。」
見惚れる一礼を披露したエミリア嬢が、足音も立てず、扉口へと向かってゆく。腰に手を回そうとしたガイヤ様を、やんわりと避けて。
———さて、どうするか。
彼女ほどの魔力持ちを手に入れることが出来れば幸運だろう。
だが敵に回すと少々厄介だ。
服従させる過程を楽しむであろうガイヤ様の行動が予測できるが故、やはり頭痛は消えない。
まずはティムバ王国に残っている馬鹿息子を回収しなくては。
その為に多少の混乱を生じさせ、隙を作ってみるか。
精霊を使う手もある。幾日か雷雨が続けば河が氾濫するだろう。さすれば、対処のため人員が動く。つまり、護りが手薄になるということだ。
どう突き崩してゆけば効果的か。
どこか心が湧き立つ思いを味わいながら、脳裏で策を組み立てていった。