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エミリア・ストーン

婚約破棄による、とある国の崩壊

気づいた時には全てが終わっていた。

いや、終わろうとしている、が正しいのだろう。


「エミリア嬢…いや、エミリア・ストーンを地下牢へ繋げ!」


その言葉に周囲がざわつく。

戸惑うような空気が漣のように広がった。


輝く金色の髪、澄んだ青空の瞳、ミルク色の肌。

奇跡のように麗しい容貌の彼は、ティムバ王国の第一王子であり、未来の国王―――エイドリアン・ティムバだ。


そして、輝かしい未来の彼の隣りには、私―――エミリア・ストーンが立つはずだった。


「さっさと歩け!」


右腕を強く掴まれてあまりの痛さに眉を寄せた。

それが勘に障ったのか、腰に差した剣柄に手を宛がいながら男が昏く笑う。


「こんな日が訪れるとはな―――我が幼馴染殿?」


薄茶の髪は少し癖があるせいで、たまにぴょこんと跳ねることがあった。

指摘すれば照れたように手で撫で付けていた、決して遠くはない幼馴染みの面影を見つけることが出来ない。


「ふてぶてしい態度は流石だな、エミリア? お前はもう一族からの追放が決まっているというのに。」


冷笑を浮かべながら蔑んだ眼差しを向けるのは、優しかったはずの兄。


全て―――失ってしまった。

呆気ないほどに。


ストーン家は由緒ある公爵家で、その娘が万が一、罪を犯したとしても地下牢に囚われるなどあり得ない。

貴族の罪人は例外なく、隔離棟へと送られる。最低限でも身の回りを世話する召使いは呼べる、もしくは宛がわれるのが常で、簡素にはなるが衣食住は保証されている筈だった。

例外は王家への反逆罪くらいだろうか。

身を守る術を持たない娘が、粗野な牢番が権力を握る地下牢へ繋がれれば、どんな目に遭うか分かっていながらの措置なのだろう。


「本気なのですか、殿下。」


嗚呼、それでもなお、一縷の望みに縋るのは、共に歩んできた年月の情なのだろう。


「罪の重さを考えれば至極当然の措置だと思うが?」


侮蔑を隠そうともせず、唇の片側を釣り上げて嘲笑うエイドリアン。

だからこそ、私は―――全てを諦めた。



殿下との出会いは、3歳を迎えた誕生会に招待された日だった。

私は殿下より2歳年上だったため、少し人見知りするエイドリアンが可愛くて仕方なかった。

おずおずと舌足らずの甘い声で名を告げ、窺うような視線を向ける彼がまるで弟のようで。

ドレスの膨らみを小さな手でキュッと掴み、トコトコとついてくる様はまるで小動物のようで。


厳格な父親から婚約者第一候補だと宣言され、それから厳しい勉強が始まったが、エイドリアンを支えるためならばと時間を惜しんで努力した。

そして、彼との婚約が公にされた、殿下が13歳、私が15歳の春―――彼は確かにこう言ったのだ。


「私はリアが婚約者で本当に嬉しい。」


バラ色の頬を緩ませて嬉しそうに告げた彼の面差しは、たった2年で掻き消えてしまった。

一人の令嬢―――マリア・ルーテンの存在によって。



マリアは蜜色の髪と澄んだ碧色の双眸を授かった、愛らしい男爵令嬢だ。

天真爛漫で朗らかな人柄は周囲を魅了し、そして惹きつける。

爵位こそ低いが、学園という壁の中では、それこそ無意味な柵だった。


王妃としての立ち居振る舞いを余儀なくされた私は、絶えず人間関係とその動きに目を向けなければならない。

邪な思惑でエイドリアンに近づこうとしている輩は数多の如く渦巻き、優秀だと言われている殿下の取巻きでさえ手に余るほど。

だからこそ、私は水面下で動いた。

自分が持つ力の全てを注いで。


きっかけは何だっただろう。

もう今となってはどうでも良いけれど。


「エイドリアン様! どうか、どうか…そのような恐ろしいことはお止め下さい!」


連行されている私の背後から鈴を転がすように美しい声が響いた。

振り返らずとも分かる。愛らしい姫―――男爵令嬢が、涙を浮かべて懇願しているのだと。


「お願いします! 地下牢なんて、恐ろしいことはお止め下さい! きっと、エミリア様も反省なさっているはずです! ですから、どうか、お慈悲を…」


―――吐き気がする。虫唾が走る。怒りが全身を駆け巡る。


彼女に悪気はない。懇願は本心。哀れな公爵令嬢の身を案じているのだろうが、愚かにもほどがある。

彼女の言葉に私が縋れば、その時点で罪を認めたことになるのだと何故気づかない?

無知は罪だ。彼女の眼に映るのは、表面上の事柄だけ。綺麗事だけ。そして、それが真実となってしまうのだから恐ろしい。

こんな娘が王妃の座に就くなど―――有り得ない。

きっと遠くない未来、この国は傾くだろう。

この傾国の男爵令嬢によって。


これは、最後の警告だ。


「―――マリア様、お控えなさい。」

「え…?」

「王族が下した命に逆らうとは何事でしょう。そのような権限、貴方にあるとでも?」


ゆっくりと振り返りながら扇で口元を覆う。長年沁みついた、上に立つ者としての所作。間違いなく威厳というものが全身から迸っているだろう。


「…あの…そんなつもり…私はただ、エミリア様を心配して―――」

「不要です。」

「え?」

「貴方の心配など不要だと申しているのです。」


言い切れば、大きな双眸にみるみる浮かび上がる涙。

耐え切れず頬を伝い落ちたそれを目にしたエイドリアンの顔が怒りで朱に染まった。


「―――地下牢など甘い措置だったようだ。」吐き捨てるように告げて「お前は王家への反逆として断罪する! 覚悟しておけ!」


ざわっ。


王となるべく資質は、彼にはない。

愛らしいエド。私の愛しいエド。


甘い蜜に集う面々には、もう私の声など届かない。

ならば、私も決断しなくてはならないのだろう。


パチン。広げた扇を畳み、地面へと投げ捨てた。そして、優雅に足を進めると、それを踵で踏み潰す。


ふわりふわりと舞い上がる、見事な羽飾り。


「―――!」


ハッと息を呑むエイドリアン。

その目は見るも無残にひしゃげた扇へと向けられている。

すっかり忘れているかと思っていたが、どうやら覚えていたらしい。


まだエドが私を慕っていた頃に贈られた、婚約者としての証。王家の紋章が刻まれたそれは、周囲に私の立場を知らしめる役割があった。

そして、私の一番の宝物―――だった。


私は踵を返し、大人しく連行された。

その時、一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた男のことなど、脳裏から綺麗に消し去って歩く。


私は公爵令嬢―――エミリア・ストーン。

気高くあれと教えのままに、過去を切り捨てて生きてゆくのだ。

血が染み込んだ両手は勲章なのだから。

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