ドラマティック・エレベーター
ある地下鉄の駅でエレベーターに乗った時の事だ。
狭いエレベーターに自分を含めた数名の大人が乗り込み、中は人でほぼいっぱい。あと一人乗れるか乗れないか、もう一人乗ったら重量オーバーでブザーが鳴ってしまうかもしれないという状況だった。
ドアが閉まりかけたその時、すいません~!と甲高い声を上げてちょっと太めのおばちゃんがエレベータに駆け寄ってきた。
無理だ! 微弱な電流が頭の中を駆け巡る。
あのおばちゃんが乗ったら、きっとブザーが鳴ってしまうだろう。80%ぐらいの確率でアウトだと思う。おばちゃん、悪いことは言わない。恥をかくから乗るな。階段で降りればいいじゃないか。
心の中で思っていたが、おばちゃんは何のためらいもなくエレベータに駆け寄ってくる。ヤバい!やはり無理だ!近づいてきて、至近距離で見るおばちゃんは最初の印象より重たそうに見えた。
おばちゃんがエレベーターに足を踏み入れる。右足が入った。ブザーは鳴らない。そして左足。身体全体がエレベーターの狭い空き空間に押し込まれた。
ダメだ! アウトだ! ブザーがなる! 0.1秒の緊張が体にめぐる。
しかし、そこに想像していた音は鳴り響かなかった。
……鳴らない、鳴らない!セーフだ!
おばちゃん! あんた、あんたセーフだよ! 心の中でそう叫び、感極まって、胸がいっぱいになる。おばちゃんも満面の笑みを浮かべ、達成感に満ち満ちた表情を露わにする。
そしてどこからともなく、拍手が沸き起こる。自分だけではない。エレベーターに乗り込んでいたほかの人々もみな同じ感動に包まれていたのだ。
さあ、行こう! 僕らの未来へ。地下鉄の車両が下で待っている。みんなで前へと進んでいこう。
エレベーターに同乗している人たちとはもちろん何の面識もない。しかし、先ほどの感動的な出来事に自分の心はすっかりこのエレベータ内に溶け込んでしまったのだ。
ドアがゆっくりと閉まる。外の光があと数センチで遮られようとしていたその時にある振動が自分の鼓膜に襲いかかってきた。
まさか! そんな……
無情な音があたり一面に響き渡る。希望の光へと向かい閉まりかけたドアは開かれ絶望の闇へ収納された。
おばちゃんの顔をのぞき見る。
おばちゃんはまるで世界の終わりを告げられた時のような、青ざめた落胆した表情を浮かべている。
「すいません……」蚊の鳴くような声でおばちゃんは僕たちのもとを去ろうとした。その次の瞬間、僕の右手は何のためらいもなくおばちゃんの寂しげな肩へとのびていた。
おばちゃんが僕の方を振り返る。涙目になったその顔に僕はこう告げる。
「あなたはこのままエレベーターに乗って行ってください。僕が身代りになります」
僕はおばちゃんをエレベーターの中に引きよせ、入れ替わるように外へと降りた。エレベーターの扉が静かにしまる。
”ありがとうございます……”
扉が閉まる瞬間におばちゃんの声にもならない感謝の念が僕の脳みそに飛び込んできた。
僕は意を決して、左側にある下り階段へと歩を進めた。
「大丈夫、なるようになるさ……」無機質で冷たいコンクリートの階段を一歩一歩進む。そこにどんな困難があろうとも、僕はホームにたどり着く。絶対に銀座線に乗って見せる。ギラギラと照りつける太陽の熱さを背中に感じながら、僕はそう誓った。