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東方捨鴻天  作者: 伝説のハロー
第一章 誇り高き爪と牙
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第一章・第十羽「烏鳴き」

今回は、本作品での貴重なほのぼの回(最後は無視)となります。慣れていない所為か、少し急ぎ足かもしれませんけど。


では、始めよう―――。



隻眼の烏は飛躍した。


木皿儀という名を捨て、ただの劫戈(こうか)となった彼は切磋琢磨を繰り返した。

白い狼、榛の養子となって、ある程度の月日が流れていく。その過程で、相応の練度が積み重なっていった。


木枯らしを待つ、色変わり。

時は緑から赤へ移り変わる季節の節目。劫戈にとって十数回目を迎える紅葉だった。積もり重なり合っていた積翠はどこへやら、高嶺から麓まで赤一色に染まっている。

遂に、空気が冷たくなり始め、食べ物がおいしくなる季節がやって来たのだった。


山の中腹にある川の畔で、小さな烏―――劫戈の姿があった。

群れの塒から離れたそこで、小さくも精強な羽根をはためかせて飛び跳ねるように水辺の真上に躍り出る。


―――しかし、そんな事をすれば、獲物にどのような事が起こるのかは明白だった。

それでも、劫戈は迷いもなく、獲物を仕留めんとばかりに羽搏いた。彼自身が関わると理解し難い現象が起きてしまう事を、他でもない本人が痛いほど知っているというのに。


飛び出せた理由は―――今までのような愚は犯さないからだ。


「そこだ……っ!」


確信して声を上げる劫戈。隻眼となった彼の眼は、閉じられていた。

たった一つしかないというのに、敢えて使わずに研ぎ続けた鋭感で察知する、予想する、先を読む。


五百蔵に叩き込まれた事を再度、頭の隅で認識する。

最初に、眼の向きでどこに気を回しているのかを知り、相手の身体の構造から動きを読み、表情や様子から次の行動を予測し、どう動くべきかを判断する。

そして、観察に徹した眼を遮断して、動く。


―――瞬間、彼の脳裏では命を八つ、正確な位置で捉えていた。


相手に悟られてしまうのなら、と見出した結果。視線も、気配も、意志をも読ませない事を徹底した。真っ暗な頭の中で、目まぐるしく勘と音とで予測する。

生き物は、狙おうとする意志が視線となって自然と向かってしまう傾向にある。意識しても、殺気や気配を悟られかねない。今までもそうだった。


そこで到達した結論は、伝わってしまう要素を限界まで絞れば良い。その要因である眼を開けている時間を最小限にし、いざという時に閉じる―――というものだった。


今の劫戈は、防衛本能の一種なのか、見えない右からの音や感触などの能力が鋭敏化されていた。五百蔵の指導の恩恵で、風や音の流れが伝わるのが以前よりも強くなっている。


これを逆手に取り、彼は独自の個性で新たな力を身に着ける事に成功していたのだ。


今彼が空を跳んでいるのは、そうした強い自信の現れである。もう、あの頃とは違うという事をまざまざと見せつけていた。


―――故に、これを狩りに最大限発揮させる。失敗の繰り返しであった狩りを、成功に塗り替える為に全力で熟す。


羽を持つ未知の影を遅れて察知した魚群は、一斉に逃げ始めた。

自身を狙う脅威から逃れまいと、怯えるように全身を駆使する魚群。睨みを利かせて追い込み、わざと水流に抗わせるよう攻め立て、退路を限定させた。


「―――ふっ!」


続けて目前の宙を蹴り、羽根を交差させるように大きく前へ叩き付けた。


風が水面を弾き、鈍色の何かが迸った。飛沫が空を濡らし、周りの赤と異なる色で彩っていく。


劫戈は闇雲に風を起こしたのではない。

乱雑に打ち込んだそれは一気に立ち昇り、それは渦となって魚群を引き上げる。その為、川の流れに乗ればすぐに逃れる事は必然だったというのに、八匹の獲物はそれが出来なくなっていた。

彼らの命運は、既に劫戈の掌中だった。


「―――見事なり」


第二者が横合いから獲物を掻っ攫う。白が一閃、通り抜けた。

静かに呟いた狼―――朴の視線は、生活圏外へ放り出された魚群を捉えていた。笊碁笥(ざるごけ)の取っ手を器用に咥え、宙に放り出された魚群を空のそれへと飲み込ませる。


後退して降り立った劫戈が朴の元へ駆け寄ると、すぐに捕えた獲物を覗き込んだ。


「どうだ?」

「ふむ……。重畳だな」

「やった!」

「戻ろう。……長が首を長くして待っている」

「ああ、行こう!」


嬉しそうな劫戈の笑顔に、朴は微笑みで返した。二人はそのまま、皆が待つ塒へと歩を向けて空と地を走る。


拾われた時、広大に感じられた筈の木々の軍勢は、劫戈にとっては最早、優しい庭と化していた。季節が変わる日々を通った故の成果といえば、そうなのだろう。彼の成長が順調である証だ。


塒との距離はそこまでなく、普段の走力で勝つ事など到底敵わない朴との並走が出来る速さで跳躍し続けるので、あっという間に到達した。


はっきりと見えてきた榛はいつものように、塒の中央に設けた空きで火元を明かり代わりにして、魚を調理していた。

この日は秋刀魚である。せっせと群れの腹を支える女中と一緒に小枝を口から尾を突き抜けさせ、一匹ずつ夕餉に向けて手際よく用意して行く。男連中が狩りをし、女が飯の支度をする狼の群れでは、見慣れた光景であった。


そこで、ひゅうと一つ音が鳴る。


「―――榛さん、獲って来ました!」


風を切り、そこに舞い降りた。

朴が差し出した笊碁笥(ざるごけ)を、中身が見えるように榛へ手渡す劫戈。夕餉に用いる秋刀魚を川から調達し、集落へ戻って来た所だった。隣にはいつの間にか、お供した朴が満足気に控えている。


「あら……! どうだった?」

「うむ、榛殿。劫戈は一人で追い込んでくれました」

「はい……頑張りましたよ!」

「凄いじゃない! よく頑張ったわね」


榛は笊碁笥を受け取って中身に驚きつつ、釣られるように微笑んだ。


劫戈の顔には、今まで無かった笑顔が宿っていた。

ここ数年、光躬だけ見せた曖昧なものではなく、誰にも見せる事のなかった本物の笑顔が確かにあった。

養子になるまでは、温かい群れに混入した異物であると自虐する劫戈だったが、もうその面影はない。彼の顔には憂いなど一切見受けられず、誰とでも明るく接する勢いだった。


そんな劫戈は一度瞑目し、でも、と続けて隣に控える朴に顔を向けた。


「……追い込んだのは俺であって、見つけられたのは朴の御蔭でもあるんだ。だからこれは二人で獲ったものでもあるんだ」

「二人とも、ご苦労様。ありがとうね」

「榛殿、この程度の手助けは褒めるほどではないぞ」

「えぇー? そうかなぁー……」


朴が榛の賛辞を否定すると、わざとらしい声音を発した。疑わしく朴を見やる劫戈は、間を置いて確信めいたように口を小さく開く。


「朴……本当は照れてるんだよねぇ?」

「あら……そうなの?」


からかう笑みを浮かべて、朴を尻目に見やる劫戈。榛もまた、劫戈に乗ってからかいの笑みを見せた。

その時、朴の目元が僅かに動く。劫戈の左眼に映ったものは、錯覚ではなかった。


「は、榛殿まで…………これは随分と―――はぁ……そう言うのであれば、受け取るとしましょう」


大人の対応、とでも言える反応を返した朴は、溜息と共に賛辞を潔く受け取った。頭と共に耳が垂れ、やれやれと物語っている。


「―――まったく……お前さんらに謙遜など不要じゃぁ。若者は、素直に受け入っておれば良いと言うに」

「あ、五百蔵様……」


そこへ、呆れつつ面白そうな様子の五百蔵が割って入り、皺が刻まれた両の手で劫戈と朴を交互にぽんぽんと頭を優しげに叩く。劫戈は照れくさそうに、朴は珍しい事に惑っていた。


「五百蔵様、見て下さい」

「どれどれ……。ほう……これは大漁だのう。よく獲って来よったものじゃぁ」


笊碁笥の中身を見せる榛に、五百蔵は感心して劫戈を褒め称えた。

劫戈が獲って来た秋刀魚の数は八匹であり、数日前よりも五匹も多い。彼の進歩具合の良さ故に、声音が若者に期待を寄せる老爺のそれとなった。


「なんだ、なんだ? 劫戈坊主はそんなに秋刀魚取って来たんか?」

「おおっ! 八匹もかっ!? となれば、今宵は酒を引っ張れるな!」


鼻が良くて耳が良い、面子が次々に声を上げた。


「だからってがっつくなよ? お前が食らいつくと他の奴の分がなくなっちまう」

「お前こそ、この前隠れてがっついていたよな?」

「な、(かば)!? 馬鹿野郎っ! 言うなよ!」


壮年の人狼がけらけらと若い男性を弄っている。

白い耳と毛並の良い尻尾を立てて、人狼の大人達が挙って集まり出して騒ぎ出す。遠巻きに見ていた狼達も視線だけであるが、楽しそうに劫戈達を向けるに留めていた。




皆の表情は揃って笑顔に溢れていた。


榛もそうだった。

劫戈の義母となってからというもの、榛にも笑顔が戻るようになった事を五百蔵は嬉しそうに語っていた。

劫戈は、受け入れた時に下した判断は、間違いではなかった、とも言った。御蔭で、五百蔵や榛達の団欒に加わる事が出来、受け入れられた事に深い感謝の念を抱いた今では、涙しながら多くの大人達に囲まれて宴を経験したのはいい思い出である。


談笑する中で、劫戈に近づく二つの白い影が―――


「お疲れ、お二人さんよぅ!」

「痛―――! (あし)さん、痛いですって!」


ばしっと背を叩く、男性―――(あし)と呼ばれた人姿の白い狼妖。

ふははは、と豪快に笑う彼に対して、しかし痛がりながらも満更でもなく笑みを零す劫戈。そこへ、肩辺りまで伸ばした白い髪を揺らしながら、葦の後ろにいた女性が声を掛ける。


「やれやれ……労いがそれかい? いい加減、止めてやりなよ」

「ぁあ? いいじゃねぇかよ、(しきみ)よぉ。こいつも満更でもなさそうなんだぜ?」


呆れ顔を向けるのは、榛と同じ歳くらいの勝気な態度の姉御―――(しきみ)と呼ばれる女性だった。

榛に勝るとも劣らない美人さんだが、嫋やかさを持つ榛とは対照的に凛々しい顔が似合っている。まさしく姉御肌の狼だった。


「そうかもしれないけど、ほどほどにしときなってのよ。……ま、とにかくお疲れ」

「ゆっくりしとけよぉ」

「そうしておきます」


白い狼の群れに於ける、大人陣の代表格でもある二人は劫戈を労いの言葉を掛ける。


「何てったって―――今宵は盛り上がるからなぁ!」

「……さっきから若いもんを調子付かせているのはアンタかい! って、いつの間に酒持ち込んだのよっ!」

「おおぅ、怖いこというなよ! どちらにしろ飲むんだ―――」

「それはアタシのだよ、阿呆っ!!」


葦の手に酒が入った碗があるのを目にした樒は激しく声を荒げ、取り返そうと素早く腕を伸ばして―――躱される。何度も伸ばす内に、視界から腕が消える速度でじゃれあい染みた行為が始まった。

まだ日が落ちていないにも拘らず、賑やかになっていく。喧嘩腰に近いが、なんだかんだ言って、仲が良いのはこの群れならではであろう。


「じゃ、じゃあ、俺はこれで……」


とりあえず乾いた笑みを返し、茅を探そうとその場を離れる事にした。

義妹達と反対側の川に向かったと記憶している劫戈は、察してくれた朴と共に歩き出した。二人して苦笑しつつ、後ろのやり取りを聞き流しながら。




――――――




葉のさざめきを聞き、獣道を掻き分けて、狩りの真っ最中であろう茅達の元へ往く。

歩きながら、しみじみと語り合うのは、はぐれ烏と静かな狼だった。本来なら面妖ではあるが、互いは知らんと言わんばかりに親睦を更に深めていく。


「よく話せたな。苦手と言っていたろうに」

「な、なんとか、ね……」


話題は先ほどの会話の事だった。

漸く群れの面子と馴染めるようになり、大人達や茅の義妹達と交流を持つようになった劫戈は、多くの交流を持てた。一部を除いて、だが。

今まで失敗続きだった狩りにも参加し、劫戈独自の特性を活かして成功を収めていたからというのも幸いしている。着々と進んでいるようで、実に良い事だった。


改めて感心する朴に、劫戈は自嘲の息を漏らす。


「上達したものだ」

「五百蔵さんのお蔭さ。俺の異常性ってやつを、あの人は理解してくれた。でなきゃ、ここまでやれはしないよ」

「然り。だが、それを続けたのはお主自身だ」

「そうだね……」


毎日が楽しい、嬉しい。


以前と比べて大違いの現状に、劫戈は充実感と本当の安息を得た。

罵られる事も、蔑まれる事も、貶められる事も、まるで嘘のようで疑ってしまいそうになる。理想が別の形で叶ったと思える、今までにない躍動感が不穏を誘っていた。

後が怖いとは思うが、ようやく得られた今を、楽しむべき時に楽しむべきと判断して、劫戈は劇的に変わった今を思う。


(光躬……俺は、やっと温かいところに来れたよ)


脳裏に焼き付いた少女が唯一の気がかりだが、今は戻れる事は出来ないだろう。戻るとしても、その後がどうなるか解りきっているからだ。


訪れた温かさと安らぎを得て心を癒す彼の今を、想える少女はどう思うのだろうか。


そんな思考に耽る劫戈を尻目に、朴は横槍しないように黙って歩を進めている。そんな朴の配慮を感じ取った劫戈は、すぐに思考の波を振り払った。


「……そろそろ、見えてくると思うんだけど……?」


そこで、朴が突然立ち止まり、それを劫戈は訝る視線を向ける。


「ほ、お―――っ!?」


なんだこれは、とでも言いたげな程に崩れた顔をした朴を見て、劫戈は思わず固まった。釣られる形で、劫戈も顔の崩壊を許してしまいそうになる。


「ちょっ……え、な、何!? 何が起きた!?」

「はぁ…………」


慌てる劫戈とは反対に、盛大に溜息を吐いた。

尋常ではない何かを感じ―――いや、聞き取ったのだろう、耳が驚くほど綺麗に天へと向いている。


「―――あまり好まんのだがな。ましてや、割って入るのは……」

「は?」


意味が解らない、というように朴の小さな呟きに反応する劫戈は、朴に問おうとして―――失敗する。朴は既に飛び出していた。


「お、おい! 朴!?」


静止を掛けようとするが、止まらない。返事は後で返す気でいるのか、劫戈の声が届く距離でも敢えて無視しているようだった。

だからこそ、思い至る。茅達に何かあったのではないかと思わずにはいられなかった。


「―――っ!」


折り畳んでいた羽根を広げて風に乗って跳躍した。

視界の中で紅葉が通り過ぎていく幻想的な景色を無視して、二度三度、地を蹴る。羽根に力を普段よりも一層込めて、羽搏いた。

すぐにとはいかないが、朴に追いつくのは早かった。


朴が立ち止っている少し後ろで降り立つと―――思考が驚愕と疑問に染められた。


「―――」


劫戈の眼に映ったのは三人の妖怪、白い狼の群れの一員達。先程、心配した茅、沙羅、鵯の三名だ。


「なんだこれ……」


彼の唖然とした呟きはその有様を悠然と表していた。


手前には、疲れた表情を浮かべ、がっくりした様子で腰を下ろしている茅。奥には、互いに顔を烈火の如く真っ赤に染めて、茅をそっちのけで口論している沙羅と鵯がいた。


その場で固まっている訳にもいかないので、いつもとかけ離れた茅の元へ。


「えっと……茅、なにがあったんだ?」

「んぁ……あぁ?」

「これは……何とも言えんな……」


生返事をされ、元気が感じられない事が伝わってきた。続きが来ないのであるから余計だ。

茅の重傷を見て、朴は呆れて言葉が出てこない様子である。劫戈は、これは酷いなと思いながら、今度は姉妹喧嘩の様子を見やった。


「何度も言わせないで、鵯!」

「お姉ちゃんだって、さり気なく睦まじくしてるのにぃ! ずるい! 私だって……!」

「貴女のは過激だって言っているのよ! それはもっと大人になってからよ!」

「お兄ちゃんと(つがい)になるのは鵯だもん! 早くても変わらないもん!」

「なぁ……っ!? それでこの前、榛姉さんに怒られたんでしょう!?」

「大丈夫だもん! えっとぉ、えっとぉ……き、きせーじじつ? さえあれば、お姉ちゃんなんか―――!」

「既成事実ぅっ!? ちょっと待ちなさい!! 絶対許さないわよっ!」


飛び交う姉妹の怒声。

口論の内容から、茅に関して―――それも色々と将来に問題となるだろう言葉が混じっている。茅が疲れ切った表情を浮かべているのが、痛いほど解った。


「いやだっ! 鵯は今度こそ、お兄ちゃんと子作りするのぉ!!」

「こづっ……!? そ、そもそも、私達はまだ子供産めない身体でしょう!!」

「ふふーん! お姉ちゃん知らないんだねぇー? 五百蔵さまが、“せいじゅく”はあともう少しだって教えてくれたもーん!」

「へ、へぇ……すると私の方が先に成熟するのかしら?」


一方は聞き入れられない事に対する怒りで、もう一方は本来口にしない筈の慣れない言葉に対する羞恥心から、紅葉に負けないくらい顔を真っ赤にさせた二人。


「鵯はずっと前から、よやく、してたもん!」

「茅と番になるのは私っ!!」


熱が急上昇する中、止めに入った方が良いか、朴に視線を向ける。劫戈自身、こういうのは慣れていないものなので、どうしたらいいのか決めあぐねてしまうのだ。


「取り敢えず、茅が説得を(こころ)みて駄目だったようで、この有様だ。止むを得んので、連れて一度離れよう」

「そ、そうだね……。本当に……沙羅ちゃんって、鵯ちゃんに劣らず大胆なところあるね」

「何を今更……」

「え?」


朴が呆れつつ劫戈を見る眼を細める。劫戈は、どういう意味だ、という疑問の意しか思えない顔を晒す他なかった。


「お主は鈍い方なのか」

「え……あ、ぁ、いやっ……そうじゃ、ないけど」


何を、とは敢えて言わない。または天然なのか。

朴にそう思われてもおかしくはない反応をした事を悟った劫戈は、とても説得力のない言葉しか出て来ず、二の句を詰まらせた。


「さぁ、行くぞ」


そういって力の抜けた茅を背に乗せて、そそくさと離れていく朴。実に器用であるが、茅は干された布のように、ぞんざいになっていた。手足がぶらりと垂れる様は、傍から見れば死体を運んでいるようにも見えなくもない。


「あ、はは……仕方ないか」


苦笑しながらも、劫戈は茅を見て一人思考に耽る。


(―――どうして……)


茅は何故、二人の気持ちに応えないのか。はっきりと伝えてしまえば、このような事態にはならずに済むというのに。

実のところ、茅の義妹達への反応は曖昧であり、恋愛事情にはあまり興味を示そうとしない。その所為か、沙羅と鵯がここ最近になって激しく姉妹喧嘩するようになった。


その原因は至って単純である。そう―――未来の伴侶はどちら、か。


異性として意識し始めて、熱烈な求愛行動に発展し掛けている姉妹に、茅は頭を悩ませている様子だった。

仲裁に入るのは、決まって自分か朴、最後の砦としての榛である。


劫戈としては、はっきりして欲しいと思っている。巻き込まれる側は堪ったものではないからだ。


(どちらとは言わないけど、お似合いだよなぁ)



結ばれるなら、早くして欲しい。というのが、劫戈の望みだった。

もう親族という関係、あと一歩という距離。近いようで遠いのかもしれないが、そうだから結ばれやすい筈だ。

大人達が陰で挙って、もったいない、と嘆くのも解る。


(本当にお似合いだ……)


想いを寄せた大事な存在。

今後を共にする番。

未来の伴侶。


腕が重なり、寄り添い、指が絡み、視線が合う。その先には―――





 ―――ずっと一緒にいようね、劫戈。





「―――っ!」


誑かすような幻聴に、胸が痛んだ。

羨んでいるのだろうか―――いいや、間違いなく羨んでいる。茅とその姉妹達に。


片時でも、自分を重ねて己を慰めていたなど、実に恥ずかしい事だ。浸りかけて、冷汗が溢れ出した。


そうであれば良いという妄想を、頭を振って打ち消す。


(やめよう……)


そんな事をしていたら気が狂ってしまう。そうあって欲しくても、覆したくても、そうならないのだ。

そう、己の場合はもう手遅れなのだから。


ただ、友となった男を祝福してあげよう。それでいい。


その友たる茅は、朴の背中でぐったりしている。劫戈は感謝と羨望の念を同時に抱いて、視線を向けた。

視線を受ける茅は―――丁度よく揺られている為か、気持ち良さそうに寝息を立てていた。


その時、慌てて追い付いて来た姉妹の声が聞こえ、劫戈は溜息と苦笑を漏らした。




◇◇◇




腹の傷は治った。

だが、身体の震えが止まらない。


「―――」


息が止まる。詰まってしまって、動かない。

胸に込み上げるのは冷たい何かで、判別出来るのは、恐怖一択だった。


続いて、喉と頭がおかしい。

締まっているようにも感じるが、痛みは感じられないし何かが触れているという感覚もなかった。


己は正常だ。正常―――の筈だ。


「―――ッ」


息が再開する。忙しなく動いてくれた。

脳裏に、残像が過ぎった。

忘れたいのに忘れられない、悪夢のような―――否、あれが、あれそのものが悪夢だ。


ああ、忘れたい。思い出すだけで恐ろしい、認めてたまるか。


―――あんなもの。


人の癖に。ヒトのくせに、何故―――妖怪である己が恐怖するのか。一体誰が、理解出来るというのか。

神のようで、神とは言い難い未知の存在―――あれ(・・)はこの世のものではない。

故に、理解出来なかった。


「妖怪……仙人? あ……天人?」


何を馬鹿な事を言っているのだろう。

ふざけるな。一緒にするな―――格が違う。あれは腕の一薙ぎで己に致命傷を負わせた怪物だ。


「じ、地獄の遣い? て……天界の獣? 冥府の、主……?」


全て違う。どれに当て嵌まるとかの問題ではない。あれ(・・)は、異様で、異常で、異物だ。

この世に在ってはならない。在ってはいけないのだ。


「ああ……いやだぁ! なんだ、あれは! なんでおれは出会ったッ!?」


ただ、いつものように人間を喰らって、腹ごしらえするつもりで襲った。だというのに、天地がひっくり返った事が起きるなんて誰が思うだろう。


牙も爪もない、貧弱な人間に―――逆に殺され掛けるなんて、信じられない。


「おれは妖怪だぞぉっ……兄弟の中で誰よりも強い大妖怪だぞぉっ!」


納得出来ない。ふざけるな。

たかが人間とはもう言わないが、あれ(・・)からは何も(・・)感じ取れなかった。


妖力―――に似ているが畏れがない。

霊力―――とはかけ離れていて痛くない。

神力―――に近いが何故か我が身を焦がさない。


寧ろ、鳥肌が立つほど優しい―――虹色の光を纏っていた。


出会った時には、ただの人間だと思ったのに、どうしても未知としか思えなかった。他の生き物だなんて、己の感覚が間違える事はまずないのだから。


「そういえば……」


だが―――おや、おかしい。いつの事だっただろうか。おかしくない筈の頭は、それを覚えていない。


明らかにおかしい。何かが間違っている。


「な、ンだ……?」


眼前に現れたのは―――虹色。

人にして、人に非ず。人の“カタチ”をした何か。


「あ―――」


鉢合わせ。


瞼を閉じても、いる。

視線を変えても、いる。


「ヒ―――」


掠れた声が空を裂いた。血の気が引いて、息がままならない。


「居るな」


雑魚を散らせる眼光で睨む―――が、背けられない。



「い、居るな……」


一撃で岩をも切り裂ける自慢の爪を向けて―――空を切る。


「い、い―――」


すると、翳された手が己を染めるように、治めるように振るわれる―――気がした。


「居るなって言ってんだぁぁあああ―――!!」



もう、限界だった。



「―――ァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!?」


視界が歪んで、黒から白へ塗り替わっていく妙な感覚。頭が嬉しさと面白さを利かせ、蕩けたように身体が軽くなっていく。

視点が定まらないが、どうでも良かった。


「ヒ、ヒハァ、ハハハァ……ッ!!」


己の声を聞きつけた兄弟達が駆け寄ってきたが、どうでも良かった。


―――今は、とても、解らないのだから。


そして、面白おかしい、歪に染まった狂声があちこちで木霊した。




最後の視点は一人称なので、激しく狂っとります。狂気を再現しようとした結果、意味不明な言葉が多くなりました。「これが狂気!」ってのがやりたかったんですが……駄目ですかね?

副題の「烏鳴き」とは、烏の鳴き声で吉凶を占うというもの。俗信ではあるが……。

さて、どのように鳴かせましょうかねぇ……。



―――悲劇スイッチ入りまーす。


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