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異界嫁日記  作者: Mac G
16/20

chapter9/シーブル入城

「リリーナ!」


 年は四十歳代半ば頃だろうか、楓の父と同世代に見える身なりの良い紳士が現れた。


「お父様!」


 リリーナが駆け出し、両親の抱擁を交わす。宮城の前では王自らが妃と王女、リリーナの妹たちを従えて、楓を出迎えてくれたのだ。


 リリーナの父だけあって、シーブル父王は温和な人相の善君に見えた。


「父上、彼女が救世主にございます」


「いえ、そんなたいそうなものではありません。ただの小娘です」


 謙遜したつもりだったが、一同の顔に失望の色が浮かんだ。


(そうだった。わたしはこの人たちにとって……)


「騎士の数が減ったな、やはり敵襲があったか、明どの」


「駆けつけるのが遅れたため、犠牲を出しました」


 明は厳かな声で詫び、王に頭を下げた。


「父上が明どのを向かわせてくれなければ我々は全滅していました。危うくのところに駆けつけてくれたのです」


「敵はおそらく、マセ・バズークにて鍛えられた暗殺集団『虫人』三〇名余。幸運なことは、召還戦士が刺客に加わっていなかったことかと」


(あの殺し屋たち、むしびとっていうのか)


 楓の印象では、暗殺者の動きは虫類的な動きだったような気がする。


「『虫人』は、手練の戦人です。その三〇名となれば襲われて助かったのが奇跡的かと」


 必ずしも軍事に詳しくはない王に、付き従う将校が耳打ちする。


「なんと!」


 それは、父としては娘を失う可能性が多分にあったことも意味する。


「マセ・バズークから刺客が来たということは、既に大延国の軍門に下ったと考えられます」


 この報告はシーブル王にとってはショックだった。


「ぐぬぬぬぬ」


 歯ぎしりの音が場に響く。


「父上、みな疲れています。詳しい報告は後ほど」


「さようか、いずれにせよ貴君は、姫と国家の恩人であるな。詳しくは後ほど聞こう。まずは休むがいい」


 父の性格からすれば、ねぎらいの宴を催すことが予想されたが、兵士たちの疲弊を考えれば、気をつかう祝宴より休養こそ優先であろうと考えて、あらかじめ晩餐を控えるよう侍従に伝えていた。


 楓も王の前で食事などプレッシャーがかかるばかりである。


「楓どの、部屋にご案内いたします。貴賓室をお使いください」


 リリーナ姫付の女官が移動を促す。


「明どのはお部屋の希望がありますか? 級友のおそばにいたしますか」


同胞ともがらとまとめてどの部屋でもかまいません。城内はご婦人がたも安全でありましょうから」


 宮殿の周辺には騎士たちの住まいや兵士の営舎が囲むように配置されていた。要所には寝ずの番もいる。


「ぼくの名前はアキトセアキラ、シーブル国は狙われている!」


 そう言って彼が、王の前に現れたのは、リリーナ一行がシャンドリンに向けて出発した三日後だった。


「衛兵を力ずくで押しのけて宮殿のただ中まで乗り込んできたのだから驚きだ」


 明が、召喚された異世界人にしては、世情に詳しすぎることに他の者たちも気づいていた。


「いかにも、わたしはこの世界で生まれた人間です。生まれはケントゥリアです。育ちの途中でここなる卯月楓うづきかえでと同じ国に移り住みましたが、イストモスタイシャクテーンで産湯をつかい、姓はあきとせ名はあきら、人呼んであきとせあきらと発します」


(人呼んでって、そのまんまじゃないの)


 休息の後、近衛筆頭の老騎士から、これまでの経緯が説明された。王と王妃は王女が間一髪で危難を避けることができたことを落涙しながら聞き入っていた。


 犠牲者への黙祷の後、リリーナは興奮気味に明の奮闘ぶりを語り続けた。その終盤において、思い出したように召喚儀式の成功と楓こそがその救国の戦士であることを紹介された。


(ま、いいんですけどね)


 思いがけず召喚戦士が二人揃った。鬼に金棒である。


 今回の騒乱の源となっているのは、 シーブル国より遠く離れた大延国とのことだった。多くの人間が召喚され異能の力を授かり、士官として召し抱えられている。その際に召喚戦士たちは、サモンマスターに逆らえないような処置が施されていた。


「大延国では異世界人と言葉を交わすのに、ワードワームを用いております」


「ワードワーム? なるほど、それで忠誠心を植え付けられるのか」


(ワードワームってなんだろう?)


 異世界人に楓が施された、魔法の書のような精霊の力とは別の術式により、会話と意思の疎通ができるようにする方法があるらしい。


 明が王に説明申し上げている間、楓は言葉をはさむことはしなかった。詳しく聞いていたら、とても食事が喉を通らなかっただろう。一言で言えば、「グロ注意」な方法だった。


「ワードワームは大延国にのみ生息する虫で奴隷や捕虜の意思を束縛する手段として有名だが、そんな使い道もあったのか」


「わたしは元より彼らの言葉を理解していたため、いち早く彼らの企みに気づき、隙をついて脱出することができたのです」


 そして明は逃避行を続ける中、いくつかの国に立ち寄り、大延国が召喚戦士を特使としてそれらの国に派遣し、実質的な支配をしているいることを知った。


 明の報告は、諜報活動の成果としてこの上ない重要なものである。各国が召喚戦士を呼び寄せて戦争を始めたのでなく、大延国からの特使が異能で各国の首脳を圧倒し紛争をあおり立てているのだ。どの国にも歴史的に不仲な国がある。大延国は、そういった国同士に召喚戦士を派遣して紛争をそそのかしているようだ。


 小心者のシーブル王は、その性格が幸いして、城門を固く閉じ一時的に他国との交流を一切絶った。そのために、大延国の間者もおおっぴらな活動ができないでいた。


「頼むぞ、二人の救国の英雄よ」


 天の配剤か、シーブル国は大延国の魔の手に対抗し得る戦力を手に入れた。しかも、そのうちの一人は敵国の内情にも通じていた。


 楓と明はシーブル国において高級将校として遇されることになった。


「わたし、軍人になるつもりなんてないのに」


 そのまま正直な気持ちを言ったら、国から追放されるのだろうか。そこまでひどい人たちにも見えない。いずれにせよ、明は前向きに事態と向き合うつもりでいる。この国を守るために戦うつもりでいた。これでは楓の意思を表明する機会などない。勝手に話が進んでいく。


 警戒を怠らず、万全の備えを行うこととし、軍議は明日以降に行うこととなった。


 夜も遅くなってきたが、楓は広い宮殿の中を探索する。楓はリリーナ姫の寝室に近い部屋をあてがわれた。


 明の部屋は彼女らと対角線上の反対向きにあるらしい。ずんずんと宮殿の廊下を闊歩する楓であった。


(明と昼間の話の続きをしないと)


 勝手のわからない広大な建物の中では、必ずしも最短距離で目的地にはできない。


(おおよその目印は見えているのに)


 中庭には植物園もあり、目印にしていたものが少し歩くと見えなくなったり迷路のようでもある。楓は少々イライラしながら歩き続ける。やがて廊下の角を曲がったところでリリーナと鉢合わせした。


「あ、姫様?」


「楓、ど、どちらへ?」


「わたしは、明のところへ。ちょっと聞きたいことがあるので。姫様は?」


「ほほほ、わたしもちょっとアキラ殿に軍学の指南を受けたいと思いまして」


 こんな夜更けに公用でもあるまい。とってつけたような理由だ。


(……大丈夫なんだろうか、この人?)


 一国の姫様にしては、ちょっとガードが緩いような気がしないでもない。


「では、いっしょに参りましょう」


 リリーナの後を歩くと、明たち傭兵の宿泊部屋にすぐたどり着いた。


 そこはゲストルームだけでなく、会議が宴席も行えるであろう広いラウンジがあった。


挿絵(By みてみん)


「あら、にぎやかな声が聞こえますわ」


「そうですね。宴会でもしているんでしょうか」


 秋年明の一行は、頭数で十人ほど。お固い任務から一時はなれて、慰労会を行っていても不思議ではない。


「せっかくくつろいでいるのに、わたしたちが顔を出したらお邪魔でしょうか?」


 残念そうなリリーナの声。


「明は喜びそうな気がしますが、お伴の方たちが気を遣うかもしれません……うーん、でもあいさつぐらいならいいんじゃないでしょうか」


 とにかく一言、声をかけよう。そしてすぐに引き上げればいい。


「あー、盛り上がってるところ、すいません……!?」


 そっと壁から顔をのぞかせる楓。トーテムポールのようにその下からリリーナもひょっこりと顔を出す。


「ウー、アチャー、アッ、アタッ!!」


 とどろく怪鳥音。ラウンジのテーブルは隅に移動され、広々とした空間は宴席などではなく、戦士たちの訓練道場となっていた。


「変わったかけ声ですね」


 姫の知る騎士たちの訓練風景とも異なるようだ。


 男たちは、全員上半身裸でいる。女性はさすがに肌を露にしていないが、上着を脱いだ動きやすい格好でいる。


(なんなの、これ? ファイトクラブか)


 明が仲間の一人と組み手らしきことをしているのを、周囲で仲間たちが見守り、囃し立てている。


「アター! ホワタッタタッタァー!!」


(北斗の拳?)


 手首をカマキリのように、五指を離さず指先を地面に向ける。背筋はやや後方へ反り、首筋は伸ばす。そして、眉毛を寄せ、口元は渋く。


(知ってる、これ「ドラゴンへの道」だー!)


 明のかけ声は微妙に変化していく。


「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」


(あれ、そういえば明って、某女性声優のファンだって言ってたな)


 組み手の相手は、チームの中でも一番大きな男。丸太のような腕を大きく振るう。隙ができてもリーチの長さが圧倒的だ。


「アチャー、オチャー」


 武闘家の男の両の拳を、手首から肘までの腕の外側である前腕ぜんわんで流すようにかわしていく。あの豪腕では、まともにガードしても明の腕が折れそうな勢いだ。


「ウーロンチャー!」


 三度目の正拳突きをよけると、左前腕と右手首でそれぞれ対手の右腕を固定するとともに、その脇の下をくぐり男の背後に回る。そして、その腕をめたまま、腰を落とす。


(背面からの背負い投げ? 相手が死ぬでしょ!!)


「うわっ、バカッ、明、やめ」


 敵ならともかく相手は味方のはずだ。リリーナは正視できず顔を手で覆っている。


 楓から見ると、男の腹筋が天井を向き、その下に明がしゃがんでいるようで姿は見えない。


 一度沈んだ二人の身体が、ぐっと持ち上がる。


「アルゼンチン・バックブリーカー!」


 立ち上がった明の背中が楓とリリーナに向いている。そのため、彼は二人の訪問にまだ気づいていない。肩の上に対手を仰向けに乗せ、あごとひざを明のてのひらがつかんで固定している。まさしく「人間マフラー」の別称もあるプロレス技よろしく、かけ手の首を支点として、かけられた相手の背中を弓なりに反らせることによって背骨を痛めつける技である。


「うぐわー! いて、ててて、ギブ! ギブアップ!!」


 男が手を打つと、明は姿勢を傾けて、男を足先から地面に降ろした。


「リーダー! 後ろ」


 女性メンバーの一人が、楓たちに気づいて声を出した。


「え?」


 そこで明も振り返る。


「リリーナ姫殿下、エイプリル……一同敬礼」


 女性は楓の世界の軍人と同じく右手を額の前で敬礼した。男たちは……


(それ、ボディビルのサイドチェスト?)


 サイドは横、チェストは胸、サイドチェストは胸の筋肉を張り出したところを横から見るという意味のポーズだが、これは本当に敬礼のポーズなのかと楓はいぶかしんだ。


「東方式の敬礼ですね? どうぞお気楽に」


(やっぱりこの世界での敬礼なのか、地方の習慣で全国的ではなないみたいだけど)


「リーダー、御前だから服来たら?」


 別の女性にも言われて、はっと男たちは両手で胸元を隠した。


「いえ、そのままでもけっこうですよ」


 楓はリリーナの視線が明の肌に釘付けになっているのを察した。気のせいか、青白い首筋も赤くなっているように見える。


(姫が見とれるのもわからなくはない……明は相変わらず肌がすべすべね)


 明はやせ過ぎということはないが、あれだけ長身の巨体を軽々と担ぎ上げたのか不思議なくらい細身であった。格闘家と言うよりはサッカー選手の体格に近い。瞬発力はありそうだが、見た目以上の怪力でもある。

楓は彼の肌を見ることはたびたびあった。学校でも体育の時間に水着になるし、男子生徒同士がばか騒ぎをして服を脱いでいるようなこともあった。


 明の肌は日本として目立つことのない色だが、その顔にはいままでニキビの一つすら見つけたことがない。中学生時代からの長い付き合いだというのに。この男の思春期はどこへ行った?


 いま、目の前にいる彼の背中にもほくろ一つ存在しない。


 その柔軟な筋肉は、担いでいた巨軀の負荷から解放されると、六つに割れた腹筋も筋張った背筋もすべて柔らかな肌の下に隠れた。


「姫、どうぞお座りください」


 周囲の仲間たちが、テーブルと椅子を元の場所に戻して席を勧めてきた。


「お邪魔ではないかしら」


「いえいえ、こんなむさ苦しいところへようこそいらっしゃいました」


「リーダー、服を着たら?」


「これは失礼」


 女性メンバーに言われて、男たちが部屋の隅で汗を拭く。服を着た姿に戻ってきて姫を囲うように全員が着席する。


「このチームはみなさんとても、仲が良さそうですね」


 楓には、明がここでは元いた世界より、いきいきしているように見えた。仲間たちとも和気あいあいとした雰囲気に包まれている。


「便宜上リーダーとは呼ばれているけど、みんな対等な関係なので」


 明の言葉に異論があった。


「うふふふ。謙遜してるけれど、みんなリーダーを信じてついてきているから」


 髪の長い少女、ムチのようなヒモ状の武器を腰に巻いていた。女性が二人。帽子をかぶった女性がもう一人。楓が気になったのは、どちらも楓やリリーナのような人間に比べて耳が長い。


「明、この人たちとどうやって知り合ったの? それにあなたがいなくなってから一ヶ月、今までどうやって暮らしていたのよ」


 辺境伯爵の屋敷で救われて以来、一通り騎士団や明の仲間にも挨拶はしていた。だが、まだ楓には明以外の面々には他人行儀にならざるを得ない。


 リリーナ姫は、彼らの雇用主的な立場であり、初対面の者にかしずかれることにも慣れているようだ。


「話すと長くなる」


「あなたのこと、お聞きしたいわ」


 リリーナがテーブルの上に組んだ手に、小さな顔をのせて微笑む。


「昨晩の宿では聞く時間が無かったけど、わたしも一応あなたの友人として心配していたのよ」


「すまない。君までこっちへ来てしまうなんてな」


「明どの、それはわたしの行った召喚術の結果で」


 気をつかったつもりが、またもあらぬ方向に話が向いてしまった。


「あ、いえ、そのようなつもりでは」


「エイプリルさんってさ」


 場を和ませるつもりか、女戦士が話を振ってきた。


「はい」


「明リーダーと親しかったの?」


「ええ、まあ。彼の妹を介して知らぬ仲ではないです」


「もしかして、リーダーの恋人さんだとか」


 彼女はいかにも面白そうに、探るような意地の悪いまなざしで問うた。


「「「なっ!?」」」


 楓と明、リリーナが同時に感嘆の声を上げた。


「そうなのですか! エイプリル?」


 リリーナの言葉には動揺の響きがあった。


「申し訳ありません。そのような可能性はまったく考えておりませんでした」


 召喚戦士二名がたまたま知り合いだったことを、リリーナは奇縁だと考えていた。


 だから、楓と明が特別親しい男女の関係だなどということはリリーナの想像の範疇外だった。


「そういう事実はありません。わたしの親友が彼の妹なのです。歳が離れていなかったので同じ学び舎に通っています」


「本当かなー、怪しいなー」


 明の仲間たちは、にやにやと楓の弁明を見守っている。


「みなさんこそ、どうして明と行動を共にするようになったのですか」


「シーブル国に危機を伝えたのと同じようにわたしたちの住む集落に警告をしにきてくれたのです」


 ムチを操る女戦士は、ローズウィップと名乗った。


「おれたちはそれぞれ異なる村の出身だが、傭兵や冒険者の仕事をギルドから請け負っているんだが、リーダーがまったく無償で大延国の斥候や前線部隊から街を救うのを見て、どうせなら商売にした方がいいって勧めたんだよ」


 今回の争乱の発端は大延国であることは既にシーブル王以下の執政たちに報告されたいた。


「みんなにはおれが大延国のサモンマスター(召喚術師)に現世からこちらの世界へ呼ばれたことを伝えてあります。召喚された人間は特異能力を持ち、忠誠心の厚い戦士として大延国に仕え命令に従っているのです」


 大延国に召喚された戦士は高級将校として、他国への干渉の指揮を執っている。


「事情も分からぬ異世界人をどうやって服従させているの」


 楓は言いながらも、いろいろ想像もできた。自分は人のいいサモンマスターに召喚されたものの、力ずくで他者を支配するような国であれば、右も左もわからぬ人間に逆らう方法はないだろう。逃げようとしてもどこへ逃げればいいのか。


「洗脳に近い方法があるんだ。異なる世界の言語を習得させるついでにね」


 明の説明が終わらぬ間に、「ああ……」とため息をがもれる。何人かは思い当たるものがあるようだ。


「おれはそれに気づいてこのままだと同じように傀儡にされると察して、見張りの隙をついて逃げ出したんだ」


「洗脳ってどうするの?」


「楓、どうやってこちらの言葉を覚えた?」


「わたしは、不思議な本から妖精さんが飛び出してきて、こうふわーっと」


 手を広げる素振りで、「言の葉の書」の効能を説明する楓だった。


「運が良かったな。人道的なサモンマスターで」


「他の人たちはどうしてるの?」


「エイリアンって映画覚えてる?」


 明と楓にしか通じない比喩だ。


「こう、フェイスハガーみたいにがばっと……」


 両手の指で顔を覆う仕草を見せた。


「oh……」


 その光景を知っているのか傭兵たちは肩をすくめる。


「おれ以外の召喚戦士たちは、ワードワームという昆虫を口から入れられている。サイズはこれくらい……」


 明が指で囲った昆虫の本体はカブトムシ程の大きさで、 八本の長い足を持っているという。


「うえっ」


 楓の顔も歪む。


「人間の顔の内部ってどんな構造になってるか知っているか?」


 明は自分の鼻を指差した。


「のどの上の方、鼻腔の奥は空洞になっていて、軟骨と肉がひだのように重なっている。よく顔の中心の怪我は気をつけろと言うだろう」


「おばあちゃんがそんなこと言ってた気がするわ」


「武術の鍛錬でも正中線と言って急所とされている。だから鼻や眉間に腫れ物ができたときは、放ってくと危険なんだ。この部位の神経は頭にまでつながっているから、化膿が脳に回れば命を落とすことや障害を残すこともあるくらいだ。もちろん、こっちの世界にはレントゲン写真なんて無いから、おれも日本に行ってからこのことが納得のいくように理解できた」


「で、そのワードワームって虫は身体にどう働きかけるの? 知りたくない気もするけど」


 明は指を口に入れた。


「ワームワードは寄生虫だ。喉から鼻腔に入り込んで住処すみかにする。寄生虫だから宿主から栄養を摂取するとともに追い出されないよう宿主と一体化する。細い針のような管は人間の脳の下部、脳幹まで届いて宿主の自我の抵抗を支配する……らしい」


 明は医師ではないから断定を避けた。


「この抵抗を奪うという作用が洗脳につながるのではないかと思う。そして副作用として、言語能力を司る大脳皮質が刺激を受けて、異なる種族の言語を解するに至るのではないだろうか」


「回り巡って」とは直接、大脳まで針が届いていたら、脳を串刺しにすることになり、宿主は生命活動を維持できないだろうから。


「召喚戦士らは自我を保ちながらも、大延国に忠誠を誓っているんだ」


「そんなことを無理強いされてよく従えるわ」


 楓は、リリーナに召喚された自分が心底幸運だったと思えた。


「状況を理解していなければ、なんとなく身体検査でもしようとしているように見える官吏のいいようにされていただろう」


 ところが、明は元からこの世界の言葉を理解していた。高をくくっていた大延国人に反撃したというわけだ。


「『ファッキン・ジャップ』ぐらいわかるよ、この野郎!」と洗脳官と衛兵を倒し、敵の武器を奪って脱走した。


(いや、それは言ってないんじゃないかな?)


 楓は心の中でツッコミを入れるのだった。


「おれが元々こちらの世界の人間で、まさか出戻ってきたとは連中も思いもしなかっただろう」


 明は口の中に侵入するワードワームを噛み砕いて呑み込んだ。


「え! 食べちゃったの!?」


「支配された振りをしてチャンスをうかがったんだ。しばらく状況を観察して、異世界から召喚された人間はみんな特別な異能を得ることを悟った。おれだけではなかったんだな」


 言わば、特殊能力を持った傭兵たち。


「じゃあ、明は自分が特別な力を持っていることに最初から気づいていたわけ?」


「そうでなければ、脱走しても先に召喚されていた魔将軍たちに成す術も無く殺されていただろう」


 大延国の召喚戦士の恐ろしさを知っている一同は沈黙した。


「よく、そんな連中と渡り合えたわね」


「おれはケントゥリアの出身だ」


 楓の知らぬ国の名だった。ただ、それだけでこの世界の人間には理解ができたようだった。


「ケントゥリアの男は勇猛果敢で知られます。生まれた子どもは全て戦士として育てられる。只者ではないと思っていましたが」


 リリーナはケントゥリア人がどういった民族がよく知っているようだった。


「ケントゥリア……」


 楓は後に知ることになる、ケントゥリアンが悪名高い戦闘民族だということを。例えるなら、ドラゴンボールのサイヤ人みたいなものだ。


「おれは十二歳まではケントゥリアの騎士として訓練を受けていた。その後は楓も知っての通りだ。日本人として暮らすうちに、だんだんと考え方も変わった」


 そう言ったとき、ふと明が楓の知る「いつもの」彼にもどった気がした。


「十二歳のとき、何があったの?」


「十二歳のとき……おれは結婚をした」


 ガシャン。杯が三つ割れた。リリーナと楓とローズウィップがカップを床に取り落とした。


「リーダー……マジ?」


「ど、どのような方と結婚されたのですか、あ、結婚と言っても国同士の政略結婚とか、親同士の決めた許嫁なんてこともありますね」


 リリーナのような王族であれば、本人の意思と無関係に結婚を強いられることもあるだろう。


「うーん」


 明は言いづらそうなことを言おうとして、なんにもない方向に目をそらした。


「……おれの奥さんはエルフだった。夏の国、古都アルシェロンの集落で出会った」


「エルフ嫁か、やるなリーダー」


 無表情で口をへの字に曲げた仲間の一人が初めて言葉を発した。


「アルシェロンって言ったらハイエルフじゃないか。人間と結婚するなんて珍しいな」


「そんなに珍しいことなの?」


 楓の言葉に答えて曰く。


「『エルフの嫁は金のわらじ」を履いて探せということわざもあるぐらいよ」


 明がまだスパークと呼ばれていた頃、エルフの村を暴漢たちから救った事。話し合いの末に、彼はエルフの若すぎる妻をもらうことになるのだが、新婚生活は短く、超常の力によって見ず知らずの異郷へと放り出されてしまったことなど結婚の経緯を一堂に伝えた。


「夏の国~古都アルシェロン」


 リリーナがつぶやいた。


 明の過去は楓にとって驚くべきものだ。変わり者だと思っていたが、あなたのクラスメイトが殺戮と闘争が日常である世界の住人だったらどう思うだろうか。


「その上結婚していただなんて」


 変わり者だと思っていたが、さらにその上あなたのクラスメイトが既婚者だと知ったらどう思うだろうか。


「過去形なの? リーダー」


 ローズウィップが疑問を呈した。


(そうだ。その婚姻は今はどんな状態になってるのだろう。いまでも有効なのだろうか、無効なのだろうか?)


「そうだ、その人は今どうしているの……クレプスキュールさんはわたしたちと同い年なのよね」


「おれはいずれアルシェロンに行かなければならない」


「奥方が明どのを待っているのね」


 リリーナは彼を気遣ったが、しかし残念そうな表情だ。


(そりゃ、気になる男子が妻帯者と知ってはね)


 明の部下の女性たちも唖然としている。


「心配よね、いてもたってもいられないでしょう」


 恋人のいたことのない楓にはその心情を想像できないが、伴侶ともなれば恋愛経験があったとしてまた別の話だろう。


「リーダー、きっと大丈夫じゃないかな。アルシェロンって方角が反対だし」


「夏の都は冬の都より、さらに彼方だ。これまでも大延国は各国のキャピタルシティにしか特使を派遣していない。武力衝突も城塞都市の攻略でのみ発生している。郊外の集落や交易都市には被害がなかった。シーブル国にもその手が及んでいないのであれば夏の都は無事だろう」


 楓は思う。明は本当ならすぐにでもアルシェロンへ駆けつけたいのではないだろうか。


「おれもすぐにアルシェロンへ向かうことを考えたが、途上のどの都市にも大延国の対応に悩まされていた。恭順する国、反抗する国。いずれは世界戦争になるやもしれない。その進軍を止めなければ、この世界に安全な場所など無くなる。このシーブル国を守ることがクレプスキュールたちを守ることにつながる」


「そのために我らを救いに冬の国へ賭けつけてくれたのですか」


(リリーナ姫、せつないわね)


 すべては愛する妻のため。


「楓、すまないがおまえを地球に返すのはしばらく後になる」


「う、うん」


「できれば、一度アルシェロンへ赴きたいがシーブル国の守りを手薄にするわけにはいかない……だから」


「だから?」


「だから、おまえを特訓して一人前の戦士にするお!」


「ぎゃー!」


 その瞬間、明の顔が下膨れた某掲示板のAAキャラに見えた楓だった。


 明を師匠として楓の特訓は翌日から始まった。することも無いので、夜は早く寝て早朝、日の出とともに起床した。朝食と準備体操の際には一緒だった傭兵団も散り散りになった。シーブル王から彼ら一名一名が小隊を率いる許可をもらったので、それぞれの隊員と面会しに行ったようだ。


 街を見下ろす城壁の上に明と楓が二人いるのみ。これから厳しい修練の日々が始まると楓は覚悟していた。


「今から訓練して、わたし強くなれるかな」


「おまえのことはよく知っている。基礎体力は申し分ない」


「でも、こんなわたしたちの常識の通じない世界で自分に何ができるのかわからないわ」


「幸いなことに、おれはこの世界においておまえにできること、できないことがだいたいわかる。状況は絶望的ではない」


 この異世界で生まれ、楓の世界で長い時間生活した明ならではの自信を感じさせる。今はこの男に従うしかない。知らない街で迷子になって心細くしている子どもが、思いがけず友人に出くわしたようなものだ。


 思えばこの瞬間から、楓の心に新たな感情が芽生えていたのかもしれない。


「明、あなたは戦士として育てられたのよね?」


 おそらく現代日本でただ一人、戦場を駆ける武人。ラストサムライと言っても過言ではない。警察官や自衛官ですら、未だ戦場で戦うことを前提に職務に就いていない。


「どう思いながら、日本でわたしたちと暮らしていたの? 生ぬるい平和な時代を生きる甘ったれた子どもだと思っていた?」


 明は首を横に振った。


「勇敢に戦うことは誇るべき行いだが、誇るために戦うわけではない。手段と目的が逆転するのは間違いだ。決して手段を目的にしてはいけない」


 城塞都市シーブル・ポリスの城壁は十メートルは越す石積みの堅固な壁に囲まれていた。その頂いただきが中国の万里の長城のごとく、内外を見渡す見張りのできる通路となっていた。定期的に兵士が巡回している。


「平和であるなら、戦う必要が無いのなら、それにこしたことは無い。そう思うようになったのは、おれも知らず知らずのうち日本に馴染んできたのかな」


(彼の人格形成に自分も少しは影響を与えているのだろうか。いや、何よりも大きな存在はきっと)


「それはきっと宵子のせいね」


「日本に行ってから右も左もわからないおれは、日常生活の常識から何から必要なことをすべてあいつから教わった」


 まるで兄妹に見えないほど、べったりと彼のそばを離れない親友の姿を思い出す。


「それに、おれを向こうの世界に呼んだのは宵子だしな」


『それに、おれを向こうの世界に呼んだのは宵子だしな』


 さらっと重大な設定が開示された。


「驚いただろ?」


「驚いたわよ」


「じゃあ、訓練の続きを」


「ちょっと待て。そんな気になること言われて集中できないでしょ」


「これも平常心を保つ訓練だ。楓、おまえに今から一からの肉体訓練をほどこすつもりはない。もともと召喚戦士は一つの特技を見込まれてここにいるのだ。先日の暗殺者を撃退したときのように、お前の能力、発火能力をパイロキネシスという。それを自由に使いこなせるようになれば、 一〇〇人一〇〇〇人の兵士にも勝る力だ」


 楓の脳裏に、炎に包まれた敵の忍者たちの姿が思い浮かんだ。あのときは自分たちが襲われていたから、無我夢中で術を繰り出した。しかし、


「わたし、人を殺した……」


 正当防衛だと頭ではわかっている。しかし、感情ではかんたんに割り切れるものではない。足腰から力が抜ける。体を曲げ城壁に手をかける。


「吐きそうか」


 明が楓の背中をさする。


「大丈夫か」


 楓は無言で頷く。


「楓、人が生き延びるために戦うことが罪ではないと思うぞ」


 日本の刑法にも正当防衛という言葉がある。


「言うなれば、緊急避難というやつだ。こちらが紳士的に振る舞おうとも、戦いを挑んでくる者はいる」


「戦争を起こす人はみんなそう言う。どんな侵略戦争だって、正当な自衛の戦争だって言うでしょ。わたし、そういうの嫌いなの。正しい戦争なんてありはしないわ」


「できればその感性を殺さずに、きれいな心のまま、おまえを元の世界に帰したい」


「あなたは戦士だっていうけど、らしくないこと言うのね」


「おれだって五年間を日本人として暮らしたからな。平和主義も非暴力という価値観も否定はしない。ただ、いまこの世界では、おれたちの価値観が通用しないというだけだ。これからなにが起きようとおまえは自分を責めるな」


「わたし、他人を傷つけてまで生きたいとは思わない……なんて言えない」


 平和な日本で生きてきた自分にはなんの覚悟もない。


(あんたってそんなに頼もしかったっけ?)


 明は、物事に動じない性格ではあったように思う。周囲とずれているようで、逆に抜け目が無かった。


「帰る方法があるの?」


「当ては無いでもない」


「え?」


 楓の可能に光が差す。明は警戒するように、キョロキョロとあたりをうかがい、ちょいちょいと指を曲げた。内緒話がしたいようだ。彼女が顔を近づけると、耳元に口を寄せて言った。


「答えは夏の都にあると思っている」


 アルシェロン。明がシーブルポリスを守ろうとしているのも、夏の都にいる妻を守るための行動だ。


 彼の妻だという、クレプスキュール。どんな女性なのだろう。


「愛しているのね、奥さんを」


 楓は、自分で口にした台詞を奇妙なものだと思った。


(だって、クラスメイト相手に結婚だの、妻だの、愛しているかだの、どう考えても変だよね)


「クレプスキュールとは、一日だけの夫婦だった」


「え?」


「彼女との結婚の祝宴を挙げたその日に、おれは地球に呼び寄せられた。彼女とは仮初めの夫婦なのだ」


 あの日、エルフの村の危難を救った日に居合わせた面々を証人に、すぐに式を挙げた。


「おれは甲冑のまま、クレプスキュールはエルフ伝統の花嫁衣装に身を包んでいて、子どもっぽいエルフだと思っていたが、その瞬間だけはとても可憐に見えた」


 地球の結婚式のような荘厳な花嫁衣装ではなかったが、すべて手編みの衣装に、色とりどりの花を飾った髪留めは鮮やかだった。その装いが風に吹かれる。


 ぽっかりと宙に空いた穴。時空のひずみは局地的な嵐のように村を包んだ。ただし、つむじ風に体を巻き上げられたのは明一人のみ。


 嵐は花嫁の元から花婿を奪い去った。


「彼女にはかわいそうなことをした。いきなり未亡人だもんな」


 二人は一日だけの夫婦でおそらく清い関係のまま別れることになったのだと楓にもわかった。しかし、明の目にはクレプスキュールへの愛情の色が浮かんでいる。思い出の中の少女に心を残しているようだ。


(一日だけの夫婦って、夫婦らしいことはしたのかしら?)


 急いでその下衆な考えを打ち消した。そのときの明がまとっている空気は、そんな雰囲気ではない。


「いずれ、楓もクレプスキュールのもとに連れて行こう。彼女なら、おまえを元の世界に戻せるかもしれない」


「そんな力があるの?」


「彼女に会ったら、きっと驚くよ」


(へえー)


「宵子がおれを日本に呼んだと言っただろ。クレプスキュールの姿は、宵子と瓜二つなんだ。二人は魂を同じくする者だ」


「魂を同じくする? 瓜二つ?」


 自分の親友は異世界のエルフの生まれ変わりなのだという。


(なにその厨二病設定)


「おれが宵子と出会ってすぐ、彼女は前世の記憶を取り戻した。自分はクレプスキュールだと」


「それを信じたの?」


「疑う理由などないさ。説明などしてないのにおれが誰か知っていた。それで十分だろう」


 宵子と明。仲の良い兄弟。仲がよすぎるように感じたのは、それもそのはず。宵子は彼を兄としてみていなかったからなのか。


「あんたは、宵子のことをクレプスキュールさんだと思って接していたの? 夫婦として」


「そこがむずかしいところでね。彼女は日本においておれの庇護者でもあった。こっちにいた、以前のようには考えられなかった。もちろん、宵子にも変なことはしていない。なるべくふつうの兄弟として接した。おれの素性は親父には内緒にしたけどね。信じるわけもないし。おれはクレプスキュールと過ごした時間も二日に満たない時間だった。宵子と出会った時から感情はリセットして、彼女の兄としてふるまっていた」


「なぜ、秋年家の人たちと家族になれたの。どうして日本に来ることができたのよ」


 宵子はともかく、家人は素性の知れぬ当時少年をなぜ家庭に迎え入れたのか。


「宵子にはサモンマスターの素質があった。エルフの転生者という者は不思議な力を持つのかもしれないな。おれはちょうど宵子の危機に馳せ参じた。考えてみると、夏の都を訪れたことも同じだったのかもしれない。あのときも、村の危機に彼女がおれを呼んだのではないか、そんな風に思うことがあるんだ」


 夏の都アルシェロン、エルフの村のめでたい日に、ぽっかりと空いた時空の穴。


 明の身体は螺旋を描きながら、ゲートを落下していく。その先は日本の街頭だった。


 そこで彼は宵子と出会う。

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