chapter7/冬の都
卯月楓は学校へ到着するまでに幾人かの友人と合流した。みんな、駅前の騒動で登校を遅らせるよう家族に言われたようだ。まさかクラスメイトが現世から消失した同じ日に自分まで異世界へ召喚されるとは。
まったく前触れもなく気づく暇もないほどに瞬間的に次元転移が行われたようだ。
秋年明のことを考えていて、注意力が不足していたのかもしれない。
(いえ、気づいていても同じことだったのかもしれない)
自身の感覚では学校の正門に入ってすぐアスファルトが石畳に変わる靴底の感触が消えたかと思うと、ほんの数センチ体が落下するような感覚があった。目眩と言うほどのものでもなく、本人は錯覚と思い隣にいた友人に振り返った。
そこに友人の姿はなく、見知らぬ城壁の内部だった。
「え?」
通っていた高校のキャンパスは古い建物で壁はレンガが積まれているあたり、その雰囲気に少し似てもいた。
「学校の中に入ったわけじゃないよね……」
わたしは壁を見ていたが、視線を変えると、人ではない人の気配がある。それも多数だった。
「え、誰……?」
ごく平凡な女子高生だった楓には、エリスタリアの騎士団の威容は圧倒されるものがあった。揃いの鎧の上にこれまた揃いの灰色のマントをかぶった兵士の一団。
背筋に寒いものが走ったのは恐れのためだっただろうか。気持ちの問題だけではない。ここは楓が住んでいる秋の吉祥寺と比べて気候が寒いのだ。
「Überwintre Land, ruinierten Stadt beautifulness drin,」
一団の先頭に立つ人物が言葉を発した。ただしそれをを日本人のかえでは理解できなかった。
「英語……じゃないよね」
「ヴェルファフタング」
筆頭騎士の名はヨルンと言う。彼は楓に言葉が通じないことを知っていた。だから彼女に話しかけるような素振りも見せない。
「ちょっと、触らないでよ!」
顔を隠した修道士のような男たちが、楓の身柄を拘束しようとする。
突如として拉致監禁されようとしているのだから、彼女も必死だ。手足をばたつかせ抵抗する。
多勢に無勢、無駄なあがきではある。往来で痴漢に遭ったら大声を出して助けを呼ぶのがいいだろう。しかし、叫んでも誰かが助けてくれるとは限らない。
楓は周囲に自分の友人知人がいないことに気付いた。それも不思議だ。
アメリカでは「help!」と叫んでも助けが来ないことが多いので、「fire!(火事だ!)」と叫ぶのが良いとされる。
そうは言っても、いざ痴漢・暴漢に遭遇したとなると怖くて声が出ない人も多いのではないか。そう言う意味でも、楓は勝ち気な女の子だとよく言われる。
「くるなーくるなー!」
(英語だったら「ドントタッチミー!」と叫ぶべき? いえ、彼らはアメリカ人じゃないわ)
逃れようとするが、服を掴まれてしまっては逃げ出すことも出来ない。それでもあきらめなかった。ふりまわす腕と指の先が男の一人のフードにかかった。
布地がめくれて男の顔が露になった。その顔を見て驚愕する。
「なっ? あんたたち、それコスプレ……?」
褐色の肌、尖った耳、ブロンドの髪。細面の男。
ここはエリスタリア~緑深き妖精たちの国~。その住人はエルフ、フェアリー、樹人が主な種族となっている。
「な、なんなのあんたたち?」
コスプレなどではない。彼らが人間でないのは一目瞭然。でなければ、相当な特殊メイキャップを施したのだろう。いずれにせよ、
楓の体に悪寒が走った。寒風が髪を巻き上げる。
エリスタリア国内は季節の移り変わりが無く、一年を通して同じ季節が続いているが、各四つの地域によって春夏秋冬の季節が分かれている。
そして今彼女が立っているのは、春夏秋冬を分ける四つの国の一つ、冬の国~廃都シャンドリン。
ダークエルフ種であるワイルドエルフたちが住む高地。いま露にした騎士の容貌も、寒々しい荒野を放浪する影の戦士たちのものだった。
シャンドリンのワイルドエルフたちは、戦士としてエリスタリアの防衛を担っている。
楓が激しく抵抗するものだから、ワイルドエルフたちも一時手を止めた。
彼らにも楓に対して敵意があるわけではなかった。何も取って食おうと言うわけでは無い。
ワイルドエルフたちにもある目的があり、彼女を自分たちの勢力の中に取り込もうとしている。できることならば、友好的に事を運べればそれに越した事は無いのだ。
ただし、それは楓が彼らの意に沿う行動をとる場合に限る。さもなくば、何らかの条件づけを行い、最終的には強制的に自分たちへ協力させる腹づもりなのだ。
「ラブ エイネン コーパー フレイ(いったん放してやれ)」
筆頭騎士ヨルンの声で、ワイルドエルフたちは楓の衣服をつかむ手を離した。
友好的な姿勢を見せれば大人しくなるかもしれない。そう考えたのだ。
騎士たちに一歩引かせ、ヨルンは楓を迎え入れようと手を広げた。
「今だ! ランナッウェイ!!」
ヨルンの紳士的な態度には一切見向きもしない。壁沿いに騎士たちが遮る者のいない方向へ、楓はダッシュした。
「エスリストデシス、ウェイン イッシュ ボンボンオースシェシュ(甘い顔をすればこれだ)」
ワイルドエルフたちは特に慌てる様子もない。彼らは身軽なので、本気で追いかければ人間が直線距離を逃げ切るのは無理だ。
楓も決して運動が苦手な方ではない。むしろ、同級生の女子たちの間では足は速い方だ。暴漢に追いかけられた経験は無い。だから前だけを見て一心不乱に走った。
(振り返ればスピードが落ちる)
恐ろしくもあったが、それだけは冷静に考えていた。
楓は頬に風を感じたが、次の瞬間には目の前に人影が立ち塞がった。
しかも、直前に割り込んできたのではなく数メートルの間隔をあけて前に立っていた。高校陸上のエース級選手でもこんなに速く走れない。
「あわああわわわ」
驚きのあまり足がもつれかける。バランスを崩しながら、目前の男と距離が縮まるのを止める事はできない。
つまずきそうになって堪えるが、体が前のめりに。一瞬遅れて、正面のエルフの後に次々と追いついてきた兵士たちが並ぶ。
重心を失った楓は、男に容易に捕らえられた。
今度は両脇を二人のワイルドエルフにつかまれ、有無を言わさず連行される形になった。
「うっ……」
もはや抵抗しても無駄とあきらめ、彼らが引く方向へ自らも進む。
楓が走り回ったのは、彼らの住まう城の広場であった。外観から厳めしい古城と思われた建物の内部はきれいに手入れされていて生活感もある。その一室に楓は軟禁された。監禁というほど悲壮なものでなく、 ぎりぎり客人扱いされているようにも思えた。
ドアの外に見張りの兵士がいるようだが、広い部屋にはベッドや家具もあり、こんな状況でなければ居心地の悪い空間ではなかったように彼女は思った。
それ以来楓は放って置かれた。誰も彼女に話しかけることもない。
「いったい何なのよ? 」
何か危害を加えられる事はなかった。部屋に通されてすぐ、お茶と一冊の本がテーブルに置かれた。毒が入っているとも思わないが、迂闊に口にする勇気もなかった。
ため息をついているうちに、やがて日が暮れた。
「お母さん、心配しているだろうな? 」
太陽が、ゆっくりと他の向こうに消えていく。友人たちは自分の失踪に気づいて、警察に捜索願を出してくれているだろうか。そんなことを考えていると、部屋の明かりもだんだんと暗くなり心細くなっていく。
「寒い……」
楓は両肩を抱いた。心細さだけではない。ベッドの上にあったブランケットを羽織る。
ここは冬の国~廃都シャンドリン。常に気候は冬の中だった。
ちょうど、ドアをノックする音がしてエルフの男女が部屋に入って来た。
女性は食事を、男性は見張りなのか何も手伝わず、かといってわたしを威圧するようなこともなく部屋を見回していた。
エルフの女性を初めて見る楓だったが、昼間より冷静になっていい加減、目の前の事態を現実と認められるような心理状態になっていた。
「人間じゃないのね、あなたたち」
返事は無い。先ほどの彼らの言葉も聞き取ることはできなかったが、英語やフランス語でないのは確かだった。日本のコミックスや小説ほどではないが、ビジュアル的にファンタジー小説の挿絵でよく見たエルフの姿に似ているように思えた。しかし、少し独特の雰囲気を持ってもいるのが、ワイルドエルフたる所以だ。
自分を拉致したときの手際といい動作といい、身体能力も人間ばなれしていた。
「ウィ ゲフト エス デム ギヒューフィ?(ごきげんはいかが?)」
女エルフは、自分に気遣いをしているように聞こえた。ワイルドエルフの特徴はエルフのそれでありながら、どこか普通の人間でもこんな人種はいそうな生活感を感じさせるところが独特だ。決して妖精のような手足がひょろ長く華奢な民族に見えない。
テーブルの上に温かな食事が置かれる。
楓が震えているのに気づき、男は薪をくべ、火を焚いてくれた。
ワイルドエルフ両人の友好的な態度と暖炉の熱で、凍てつく警戒心が少し緩んだ。落ち着いて状況を判断しようと努める気にもなることができた。
「ヴァイト オフネ ヴォラート(遠慮しないで食べなさい)」
会釈して、女エルフが退室しようとする。男も同じように頭を下げて、扉を閉じた。
(おいしそう……だけど)
テーブルに置かれたのは、シチューにサラダ、果物とパン、ティーポット。
(毒なんて入っていないだろうけど)
彼らが自分を拉致監禁すると動機を考える。楓の家族は日本での平均的な収入を得る中流家庭で、会社員の父と、母が近所のスーパーでパートタイムで働いている。
(自分は身代金目的誘拐されるようなご令嬢様ではない)
(お金が取れないとなれば、人身売買とか?)
これならむしろ、両家の子女より自分のようなありふれた若者がターゲットにされる可能性がある。日本でもアジア人だけでなく東欧やロシア系女性の人身売買の例が多いのだ。
グローバル経済では先行した国の中流層の富は、後進グループに流される。
女性たちは母国から、「良い仕事がある」とだまされて連れ出される。それも、美しい女性ばかりだ。彼女らを待っているのは、監禁同然に自由を奪われて性的なサービスを強要される。
日本でも同様なことは起こりうるが、外国人が目立ちやすい日本では、同じ日本人を借金などで逃げられなくして半分は自由意志での就労を強要する手口が多い。客が存在する以上、秘密を守ることができないため、その拘束もホストや男を使ってマンツーマンに近い状態での監視が必要になる。
大っぴらに外国人を監禁などすれば、すぐに入国管理局が飛んでくるだろう。
(わたしも同じような目に遭うのだろうか?)
彼女はまだ純潔だった。もし、無事に家に帰ることができれば、今まであまり関心を持たなかった人権活動にも協力しようと思う。
(いやいや)
楓は頭を振った。
(そんな、現実的な状況じゃないから!)
ここがこの世ならざる場所らしきことも理解せざるを得ない。少なくとも、彼らワイルドエルフの正体が明かされていずとも、超常識的な存在であることは、事実として認知している。
給仕をしてくれた異人が親切だったからと言って、彼ら全体が自分に友好的な存在とは限らない。
(自分なんか攫ってなんになるのだ?)そう考えると、振り払いかけた懸念が頭をよぎる。
彼らが自分に向ける欲求など限られるではないか。うら若き異郷の民、それも女性を求めるなど「そんな」理由以外になにがあるのか。
しかし空腹には勝てず、食事には手をつけることにした。
(いざという時にお腹が空いていては逃げられないし。腹が減っては戦はできぬとも言うしね)
食事は誠に美味であった。ポトフのような野菜スープ。焼きたてのような暖かい。チーズを薄く切ったものを載せるととろとろに溶けて、まるでジブリアニメに出てくる食事のようであった。
先程の給仕の態度といい、もてなしの気持ちは伝わってくる。
(だからといって油断しないよー。すきを見つけて逃げ出してやるんだから)
紅茶はわたしが普段飲んでいるものよりも、少し酸味が強い気がした。
「ふうー」
空腹を満たし部屋も暖まって少々気が緩んだ。
食卓とは別に部屋には小机もあった。客室としては頻繁に使用されているようだ。
何気なしに、その上に置いてあった本を手に取った。英語ではない文字で、十一文字のタイトルらしき言葉が記されている。
「左開き、ハードカバー。製本は手作りなのかしら」
分厚い本ではないが、ページの紙は糸で縫うように表紙に綴じられている。ある意味、最近書店では見ないような手のかかった高価な本の装丁だ。自宅で作られた私家本なのだろうか。
当然、読んでも理解できないだろうと思いながらも、興味を引かれて表紙を開いた。
「!」
楓は、一瞬その手を止めた。ページの隙間からうっすらと光が漏れる。急いで本を閉じる。
「これは?」
わたしの心臓が鼓動を早めた。恐る恐る、再度本を開くと、エメラルドグリーンの光が楓の顔を、部屋を照らしていく。
「きゃあきゃあ!」
その時、さらなる異変が起きた。楓は開きかけた本を、体重をかけて閉じようとする。
「だめ、閉じられない! 押し返される」
本の中から何かが飛び出そうとしている。彼女の両腕だけではその力にあらがうことができない。
バサバサッ。鳥が翼をはためかすように、本のページが激しく上下した。そして、そこから現れた者は?
「フェアリー?」
三人? 三羽? の翼を持った小人が本の中から飛び出して来た。
立ち上がり、思わず後ずさったわたしを追うように頭上を、足下を、肩口を、楓を囲むように三人の妖精が旋回する。
「禍々しいものには思えないけど、あなたたち何をするつもりなの?」
その外見は小動物のような儚さで、つかめば小鳥をひねるように弱々しい。彼ら? 彼女らの顔はエルフをさらに無機的にしたような表情の無い容貌で、彼らの考えを窺い知ることはできない。
「ひっ」
耳元を風がくすぐった。
(風じゃない、吐息? 空気の振動?)
「don't be afraid.(恐れないで)」
(え?)
英語を聞いたように思えた。
「Nous ne sommes pas tes ennemis.(わたしたちは敵じゃない)」
フェアリーは、いくつかの言語でささやくように語りかけてくる・
「Entspanne dich……(力を抜いて)」
「Can you talk English?(あなたたち、英語が話せるの?)」
なぜか、今度は楓の言葉が英語になっている。彼女の問いにフェアリーが答える。
「We do not speak English.(わたしたちは英語を話しているのではない)」
「我们甚至能说什么样的语言(わたしたちはどんな言葉でも話すことができる)」
楓には彼らの言葉を明確に日本語として認識できた。
「irohanaihoheto tirinuru owaka,suihei Ri-be bokuno hune」
フェアリーたちは呪文を唱えながらわたしの周囲を飛び回る。彼らの体はほのかに光を帯びていて、先ほどの本の隙間から漏れた緑光も彼らの体が発するものだったのだと分かった。
「ああ、つながっていく」
何が? 直感的なものが確信に変わっていく。
楓は目を閉じる。まぶたを通して光が柔らかく網膜を照らした。
徐々に薄れゆき、光が消えたと感じた時、楓はまぶたを開けた。その時自分の周囲を飛び回っているフェアリーたちはその姿を消していた。
「なんだったの、いまの?」
コンコン。ドアをノックする音。
「失礼します」
先ほどの男女、ワイルドエルフが再び部屋に入って来た。
「食事はお済みになりましたか?」
女性が楓に声をかけた。食膳を下げに来たらしい。
「あ、はい。大変おいしゅうございました」
楓は頭を下げて礼を述べる。
「はっ!」
楓は異変に気づいた。
「あれ、いま、わたし?」
異人の言葉を理解できたように思えた。
「開いたようですね、『言の葉の書』を」
『言の葉の書』とは、先ほどのフェアリーたちが飛び出してきた本のことだろうか。
「これでようやく我々とあなたの間で意思の疎通を図ることができる」
ワイルドエルフの青年は訳知り顔である。
「いったい、なにが起きたの? さっきの本は一体?」
「言葉が通じなくては、貴殿をお招きした理由も伝えることができませぬ。その『言の葉の書』はひとつの魔道書にて」
青年の説明によると、フェアリーが宿る書物の魔力が書を開いた者の頭を走査して、言語中枢に異種族の言語を翻訳する能力を与えてくれるのだということだった。
その結果、楓にも異世界人であるワイルドエルフの言語が通じる状態になったわけだ。
「あなたたちは誰なの?」
楓は問う。
「我々はこの冬の都、シャンドリンの住人」
青年は答える。
「どうしてわたしは、ここにいるの? ここ、日本のどこかじゃないよね」
「あなたの故郷からは遠く遠く離れた場所です。そして、あなたがここにいるのは、我々がお招きしたからです」
「じゃあ、どうしてわたしを連れてきたの?」
「そこから先は我らの筆頭がお話しをする準備をしております。今しばらくのお時間をいただいて、筆頭騎士ヨルンの元へあなたをご案内します」
見知らぬ国で、異形の者たちに案内され、その屋敷の中を歩いていく。部屋の前で、食事を下げたもう給仕の女性とは別れた。楓は、彼女たちが進む方向とは逆の向きにワゴンを押して去っていく。
(やはりこの男が筆頭騎士か)
ヨルンは 、先ほどの拉致騒動の際にいちばん俊敏に動き楓の動きを封じた男だった。周囲の者たちも、彼に従うように行動していたように思っていた。
「まずは非礼をわびよう」
ヨルンの第一声。
「とりあえず危害を加えることはない。リラックスするといい」
楓にとって誘拐団の頭目でもある。先程の二人には少々良い印象抱いたが、まだまだ組織としての彼らには心を許すことができない。
「我が城のもてなしは満足いただけたかな」
「おいしい食事とお茶をどうもありがとう」
ここは城の一室。 執務室のようだ。
「こちらから一方的に話してもいいが、質問は多くあるだろう。話せることは話すつもりなので遠慮は要らぬ」
ヨルンの外見。もともとエルフたちは同じ男性だと特徴が似通っていて、容姿も人間ほど固体差がない。
それでもワイルドエルフはお人形のような顔立ちというより、どこか野性味があって、わかりやすく言うと、
(みんな狐というか、犬系の顔よね)
わたしにも個々の見分けがつくぐらいには、個体差があった。
一刻も早く尋ねたい質問があるのだが、深呼吸する。大事な質問故に厳粛な声音で、噛んだりせずに尋ねたい。
「なぜわたしをさらったの?」
言の葉の書により、コミュニケーションが可能となったので、この世界に来て以来の疑問をぶつけてみた。
「この地を支配する神の声による」
ヨルンは答えた。ほかの者たちは彼を筆頭騎士と呼んだ。だが、本人はどこか官僚的な話し方でもある。武闘派と言うイメージでもない。
「なぜ神様が、あなたたちにわたしをさらえと命じたのよ?」
神とは何か。ここには観念としての神ではなく実態を持った神が彼らを支配しているのだろうか。
「具体的にそなたを招けと命じられたわけではない」
「あなたの言っていることがわからないわ」
神に命じられたと言いながら、自分をさらえとは神は言ってないという。楓は歯がみした。
(ふざけた話だわ)
「めったに召還魔法など使わぬよ」
ヨルンの言葉に、楓の中で一つの不安がわく。
「その滅多に使わない召喚術を使ってわたしを異世界に招いたのよね」
「そのとおり」
「……帰れるんでしょうね?」
「帰る手だては神の声に従い次の言葉を待つべし。それにより帰還魔法が明らかになるだろう」
「ふざけんなー!」
思った通り、これが稀な試みゆえに招くことに成功しても、逆に楓を元いた世界に戻す方法を彼らは知らない。
めまがいして、昏倒しそうになる。
(絶望的状況じゃないか)
故郷の両親、クラスメイトたちの顔が走馬灯のように頭をよぎる。
「大丈夫ですか」
崩れ落ちそうになる楓の体を先程から彼女をエスコートしている青年、後に名前をハバネロと知らされたが、彼が支える。
「なんてこと、なんてこと、なんて……」
ぶつぶつと呪詛のように同じ言葉を繰り返すわたし楓だった。
「はっ! そうだ」
「異世界からの召還魔術を試してみたと言うのなら、なぜわたしをターゲットにしたの」
本当に試行のためだけに自分を召還したわけではないだろうと、楓は考えた。
「確実に召喚を成功させられる見込みはあったが、どのような人間を招くかはタイミング次第ということだ。川に竿を垂らして魚を釣るがごとし」
「じゃぁ、わたしが選ばれたのはまったくの偶然ってわけ?」
「いかにも」
ヨルンは悪びれた様子もなくうなずいた。
(一瞬、自分が選ばれた救世主とかそういう運命的な必然によりこの世界に招かれたのかとも考えたが、そんなことはなかったぜ。わたしのような異世界人を召喚するのであれば、わたしに頼らなくてはならないような重大な使命があるのかと思った)
「あなたが選ばれたのは偶然かもしれない。だが運命的な使命がある。それはあなたにしかできないことだ」
(あ、やっぱりあるんだ)
だとすれば、これか映画のようなドラマチックな展開が自分を待ち受けているのかもしれない。訳も分からず拉致されて、売り飛ばされるよりよほどいい。本来、異国の人間を連れ去るメリットなんて、スパイに育てるか、奴隷にするぐらいしかメリットは無いはずだ。
「まだ、名前を聞いていなかったな」
心開いていない相手に名乗る名などないが、先方は頼み事がある為か友好的なムードを演出しているのは理解できた。
「わたしの名は卯月……ウヅキカエデよ」
無作為に抽出されたらしいが、何か頼まれ事はあるらしい。
(どうしてわたしを、いやわたしでなくて良いとの事だったけれど異世界の人間を呼び出して何をさせたいのか? わたし一人を呼び出して一体何ができると思っているの?)
「『ミス』でよろしかったかな?」
「わたしまだ高校生なんですが」
「高校生とは何かな?」
「まだ結婚をする年齢でないっていうことです」
「そうか。ミス・カエデよ、私たちが呼び出したのは貴殿一人だけだが他の国々も続々と、そなたと同じようにご同輩を呼び出していることだろう」
自分と同じように異世界の様々な国で地球人を次々と呼び出しているらしい。いくつかの可能性を考えてみた。比較的平和的な理由から、そうではない物騒な理由まで。
「異世界召喚する各国の理由は動機は主に傭兵としてだ」
(あちゃー)
楽観的な選択肢が消えた。
「よーへー……ですか?」
「いかにも」
事態は悪い方向に動き始めた。
「傭兵って兵隊にするために、女子高生を攫ったって言うんですか?」
(戦争するなら本職の軍人とか呼べばいいのに。わたしなんて何の役にも立つはずがない)
「神のみぞ知ることよ。『一期一会』」と言うではないか」
(どうなってんの、この翻訳機能!?)
「あなたたちの神様が戦争しろって言ってるの?」
「そう解釈した国が多い。次にそう解釈した国との戦いに備えて同じように客人を招く国が多い。いずれにしても、次元の壁を越えてきた者にはゲート神からギフトが与えられるとオラクルの言葉だ」
「あなたたちが召喚したのに、元の世界に返すことができないだなんて」
「いかにも」
あきらめきれずに楓は質問した。
「魔法が存在するのなら、そっち方面の研究も盛んなのではないの?」
「魔道の学士は多数存在する」
ヨルンは答えた。
「一方通行より、よその世界に行く研究する人だっていたでしょうに」
「長い歴史の中でおおよその、人にあやつれる自然のことわりというのは限られていることが知られているのだ。種族により得意な魔法というのも偏りがあるし、事実われらワイルドエルフの中で次元魔法を使えるものは存在しない」
楓に疑問符がついた。
「あんたたちでないのであれば、では誰がわたしをここへ呼んだの?」
「それはこれからご紹介しよう」
ヨルンがあごをしゃくる。楓を案内した先ほどの青年が隣室に続くドアを開ける。
現れたのは人間の女性。とても美しく聡明そうな女性。話の流れからするとわたしを召喚した魔道の学士殿であろうか。
「こちらは我らワイルドエルフの都シャンドリンと友好関係にある、シーブル国のプリンセス。リリーナ・フォーミュラ・エル・シーブル姫殿下であらせられる」
「よしなに」
リリーナ姫はドレスの両サイドをつまんで膝を落とす西欧式婦女子の挨拶をした。こういう仕草は共通であるらしい。
「突然の無礼をお許しください、異郷の方よ」
「わたしは……」
楓も貴人への礼を失しないよう名乗ろうとした。
「私の名前は卯月楓です」
「突然のことで驚くなというのはとても無理な話であることは重々承知しております」
公女の物腰は上品であるがやわらかく、楓にも直感的に「この人とは友だちになれるのではないか」という好意を抱かせた。
それに姫は友好的であっても、周りは武人ばかりだ。今は紳士的な態度でも、駄々をこねたら何をされるかわからない。
「わたし……言っておきますけど、戦争なんてできませんから。役になんて立てません」
姫の顔が曇る。
「他国の召還戦士が皆、あなたのような考え方であるのなら何も問題はなかったのですが。なぜでしょう、皆嬉々として戦争に加担し、被害を増やしているようです。でも、こちらへ来た者は皆すべからく戦争に有益な特別な力を持って現れるのです」
楓には心当たりがない。
「何か思い当たる事はありませんか?」
楓は首を横に振る。
「何か体に変調を感じておりませぬか? 熱っぽいとか胸が苦しいとか何かこれまで感じたことのないインスピレイションがあったとか」
楓はインナースペースに感覚を向けてみる。何も普段と変わったことがないようだ。
「変わったことは無いような気がします」
少しがっかりしたような顔で、その場の一堂が顔を見合わせていた。
「そうですか。おそらく才能に目覚めるのにも時間がかかるのかもしれません」
「そういうものなのですか」
「さあ、わたしも異世界からのお客様をお迎えするのは初めてのことなのでよくわかりません」
「え? 初めてなんですか」
リリーナがうなずく。
「常日頃であれば、別の世界で生きる方を、無理やりこの国にお招きするなどということはいたしません。あなたにも生活がありご家族やご友人がいらっしゃるということも承知しております」
それだけのやむをえない事情だということだ。
「緊急事態ということであれば、わたしが役に立てなくても他にも人材をこの世界に呼び寄せることができるということですか?」
リリーナが今度は首を横に振った。
「それができれば良いのですが。いえ、それができないからこそ今まで平和であったのです」
楓の淡い期待はついえた。
「では、わたし以外の能力者が戦ってくれるということは無いのですか」
「不思議なのです。彼の国がどうやってこの短期間に、あれだけの人材を揃えることができたのか」
「それでは、召還というのは日ごろ行われているものではないのですね」
リリーナがうなずく。
「わたしはこの国の住人ではありません。なぜわたしがこの冬の都、シャンドリンに招かれたかと言いますと、」
そういえばリリーナ姫は美しい女性だが、この館の主であるワイルドエルフたちは明らかに人種が異なる。わたしも先ほどまでは、彼ら彼女らがそのように共存しているのだろうと疑問をもたなかったが。
「なぜわたしがこの冬の都、シャンドリンに招かれたかと言いますと、異界からの人物召還術を行うには、時と場所、座標軸と言いましょうか、とても稀な条件の合致が必要なのでございます」
「リリーナ姫殿下は、シーブル国の公女であらせられるが、すぐれた魔法術の学士としても知られておる」
ヨルンは、リリーナの家臣ではないようだ。
「シーブル国……この国の名はシャンドリンと言いましたね」
「この地は大きく、エリスタリアという国名で呼ばれているがそのうちの四つの小国の一つがここシャンドリンである。他に新都エリューシン、古都アルシェロン、ホビット庄が並ぶ」
シーブル国の名前は出てこなかった。
「わたくしはこの国の者ではありません。今日この日この場所で、あなたをお招きするための儀式を執り行うため、友好国であるシャンドリンに参りました」
魔導士でもあるリリーナの言葉によると、異世界人の召還には二つの儀式が必要であるとのこと。 一つは術式を行うための時間と場所を導き出すこと。もう一つは、しかるべき素養を持った術者が現地に赴いて、三日三晩の祈祷を行い続けることが必要である。
世界一の召還はとても難易度の高い魔術とのことだった。一つには召喚儀式を行い得る時と場所が一年に一度あるかないかとのこと。そして魔道士は万人に一人の才能と言われている。
さらには近衛の騎士団に護られながら、旅をしてきた公女の不眠不休に近い祈り。
リリーナ姫の目には隈ができ、美貌に影を落とす疲労の色がありありと見てとれた。
「ギフト(天から与えられた才能)の発言には時間を要することでしょう。それまではゆっくりとおくつろぎください」
リリーナの身体がふらっと揺れたかと思うと、貧血でも起こしたかのように倒れ込む身体をヨルンが慌てて抱きとめた。
楓は何も言うことができなかった。