chapter4/転生エルフ・秋年宵子(あきとしよいこ)エルフ嫁語り:ハイエルフ・クレプスキュール
傭兵たちにとっては絶好のチャンス。まるで自殺行為に見えた。丸腰になった少年を、今度こそ倒そうとする男たちの考えは甘かった。
斬りつけた切っ先を悠々と避けて、敵の顔を両手でつかんだ。右手を手前に引き、左手を前方へ。
傭兵の首が真後ろを向いた。その手にあったロングソードを奪い、得物は異なるが少年は再度剣をかまえた。息切れすることもなく、一人二人と斬殺していく戦士だった。
「あっ! あぶない」
「むっ」
三人掛かりの敵も圧倒する少年だったが、視界の外から膝の裏を蹴られて転倒した。
「死ねや、おらあああ!」
ヒステリックな斬撃が上方から叩き下ろすように少年が襲う。
ガキン! ガキン!!
「こなくそ!」
仰向けの姿勢ながら、防御する少年だが得意のフットワークを活かせなくては多勢が圧倒的有利な状況となった。このままでは、いずれ剣を受け損なって致命傷を受けるだろう。
傭兵も仲間の身体が陰になって、攻撃できる人数が限られていたが、やがて幅を詰めて一度に撃ち下ろすことのできる剣の数を増やしていった。
絶体絶命かと思われたそのとき、
「グワッ!」
「ウッ!」
「どおこから!?」
「仲間か!」
盗賊たちが一人また一人と、崩れ落ちる。
「えっ、えっ?」
顔を覆う両手の指の隙間から覗いたクレプスキュールが見たもの。
少年と同じ出で立ちの、年頃も近く見える戦士がニ名、地に伏す同胞を囲む傭兵たちの身体に槍を突き入れていた。
最初の二人を槍で刺し殺すと、腰の刀を抜く。少年と同じく山刀。
「よっと」
瞬く間に四名の兵士が倒されると、少年が足を屈め、バネのように身体を起こし、立ち上がる。
どうやら少年に仲間がいたらしく、連携の良さは同じ集団にあって戦闘訓練を積んだらしい。
少年に負けず劣らずの技前で、残りの十人前後の傭兵は数分と経たずに駆逐された。
戦士が始めの一人の縄をナイフで切ると、後はエルフ同士で拘束を解かれた女性たちが、彼らに感謝の言葉を伝えようとした。彼らはそれを遮り、残存する敵がいないかエルフたちに尋ねた。数人のエルフは辺りを見回りに走ろうとして止められた。
「我らが先頭を」
「怪我人の容態はどうか?」
刀傷を背に受けたエレンは重傷だったが、幸い致命傷にまでは至らなかった。普通の人間ならば助からないところだが、エルフが数多く集うこの村では、治癒魔法は得意とするところだった。
「治癒魔法か、便利なものだな」
「ケントゥリアの騎士様には必要ありますまい」
エレンを手当する婦人は、彼らの正体を知っているようだ。
「ま、頑丈なのが取り柄ですから」
「それよりスパーク、一人で突っ走るんじゃねーよ」
クレプスキュールの前で、最初の少年は仲間から非難めいた言葉を受けていた。
「すまん。明も物音がしたからなにかと思って、村をのぞいたらジェノサイドをやってたから……つい、身体が動いてしまった」
スパークと呼ばれた少年は仲間に頭を下げていた。本来、集団で行動すべきところ、ノアたちが殺されそうになるのを見て、単騎で飛び出して来てくれたのだった。
「そか、そりゃ、しゃーなしだな」
友人同士なのだろう。非難は仲間の安否を気遣うもので、すぐに言葉は談笑に変わった。
クレプスキュールは大きな感動と畏敬の念で彼らを見つめていた。一歩、また一歩と無意識に彼らの元へ足が向かう。
「おい、あれを見ろ」
一人がある方向を指差した。地面に倒れた傭兵が、よく見るとまだ息があり、この場から逃れようとしている。
それは緩慢で、先ほど深手を負ったエレンが地を這う姿よりゆっくりとした動きだった。
「まだ生きていたか」
「スパーク」は少し考える仕草を見せて、すぐに首を縦に振った。そして、はじめてクレプスキュールに声をかけた。
「君のお姉さん、ノアって名前?」
クレプスキュールは神の使いの問いに、神妙な顔で答えた。
「そうです、神さま」
「?」
刹那、スパークは怪訝な顔をした。だがすぐに、ノアの元へ向かい、彼女の手をつかんだ。
ノアは訳が分からぬまま、しかし恩人の誘いに逆らうこともなく、彼と並んで歩いた。
スパークの仲間は、彼の意思を理解しているようで、無言のまま手にした槍を高く掲げた。
「ノア、おれはあなたが辱めを受けようとしているのを見て、頭に血が上りました」
先ほどの行為を思い出して、ノアの顔が恥じらいに染まった。スパークと顔を合わせることも出来ない。
スパークはクレプスキュールより年長に見えたが、ノアよりも年下の少年で身長もノアより頭ひとつ低かった。クレプスキュールから見ると、ノアの方にスパークの顔が隠れていた。
そんな年上の女性をぐいぐいと先導していく少年戦士だった。彼はノアになにを伝えようとしているのか。
少年は何を想い、何を成そうとしているのか。
「あ、あの……何を?」
ノアはか細い声でスパークに尋ねる。
「ノア殿」
「は、はい」
「酷い目に遭いましたね」
「……」
恥ずかしめを受けたことに同情されて、ノアはまともにスパークの顔を見れない。
「今夜は眠れそうですか?」
「え?」
「ぐっすり眠れるようにしましょう」
「今夜は眠れそうですか?」
「え?」
なにか思いがけない方向に話が進みだした。
「いえ、とてもこんなことがあった夜には」
ノアの手が震えたのを、その手首を握るスパークは察した。
「今夜だけならまだいい。でも、明日は?」
敵を討ち果たしたとはいえ、うら若き乙女の心に残った傷は計り知れない。悲しみと恥辱は、日々の暮らしのいたる時に、思いもせぬ時に、彼女が心の重しを下ろすことを許さないかのように、彼女の人生につきまとう。
この時、母であれば「思いっきり泣くといい」と彼女を諭すであろう。心の痛みを洗い癒す水は、涙しかない。だが、この時のスパークがそれを知るはずもなく、それ故にノアには思いもかけぬ方法で彼女の心を立て直そうとしたのだった。
「この男たちにけじめをつけさせるのです。あなたの手で」
スパークは地面に突き立った槍を抜いて、ノアの手に渡した。
ようやくノアにも、彼のさせようとしていることがわかってきた。とはいえ、それはあまりにも恐ろしい行いだった。
他者を傷つけるくらいであれば、自らが傷つく事を選ぶエルフたちだった。
「さあ、あなた自身の手でやってしまうのです。悪夢を消す一番の方法は、それを殺すことです」
「あ……ああ」
ノアは槍を両手に戴いたものの、いつまでも剣先を男に向ける素振りを見せなかった。勇者は業を煮やしたようで、
「すぐ、済みますから」
ノアの掌に自分の指を添えて、力づくで槍を握らせる。
それは、まるで嫌がる女性に無理に言い寄る男のようでもあった。
「そんな、わたしにはとても」
スパークはノアの背後から、槍での処刑に最も適した構えを取らせる。
ノアの右手は、肩より上に持ち上げ左手で標的に狙いを定める。槍は四十五度の角度で敵に向かう。
「右手の力で刺し、左手は狙いはずさぬよう握力だけで刃先がぶれないよう固定するつもりで、あくまで右腕全体の力で槍を突くのです」
ぶるぶると、ノアの手が震える。カチカチと、上下の歯が小刻みにぶつかっていた。
「あなたのような貴人の手を汚すのは悲しいことですが、恐怖を克服するためにはその原因を打ち負かさなければならない」
もうひとつの方法があるが、それは「忘れること」。このときのノアたちには無理なことだと少年戦士もわかっていたのだろう。
「や、やめろ……」
逃げるのに精一杯だった兵士が、ようやく背後の二人の挙動に気づいた。
命乞いをする者を殺す冷酷さをエルフは持ち合わせていない。
「彼はああ言ってますが、本心ではありません」
抑揚のない声で、スパークはノアの耳もとにささやく。
「本心? 命乞いが本心ではないと」
だれでも死にたくないというのは本心ではないのだろうか。ノアはスパークの言葉が理解できない。
「彼らはエルフである貴方たちに剣を向けた。理性と恐怖は表裏一体のものです。われわれ、ケントゥリアの騎士は死ぬことを恐れません。だから、敵を殺すこともまったく抵抗がないのです」
エルフは人間よりも、より一層他者の痛みを慮る種族だ。狩りさえ、必要最低限に留め、山野の植物を採取して食す。
人間であっても、他者に寛容である者は多いが、その動機は宗教的信条や良心だけとは限らない。暴力を避ける理由の一つに、想像力が挙げられる。自分が行う暴力が自身に振りかざされた時のことを誰しも想像する。これも一つの理性であるから、人間は無闇と冷酷には成りきれぬのである。
その想像力が人間以外の生きとし生けるものすべてに対して働くのが、エルフという種族だった。
「戦士殿、ならばあなたは自身の行いを自身に置き換えて恐れることはないのですか?」
「われわれは戦士ですから、いつでも死ぬことは覚悟しています。戦場で死ぬことは特別なことではありません」
「でも、彼らは自分たちが負けるということを想定しないまま、わたしたちを襲ったのではないでしょうか」
「そうかもしれません。ですが、それも長い戦のうちの一つの局面。戦場での油断に等しいものです。油断をすれば死が近付くのは当たり前のこと。兵士の戦での一つの死の形に過ぎません」
つまり、スパークが言いたいのは、人を殺すことのできる人間は、自分が殺される覚悟をしているはずだということだ。たとえその時が来て、命乞いをしたとしてもそれは心からの言葉ではない。なぜなら、死を恐れる人間は、人を傷つけることも本能的に恐れるものであるからだ。
「彼らも覚悟はできていますよ。だから気にする必要はありません」
彼自身のこととして語っているが、兵士であれば皆自分と同じように考えていると思っていることがうかがえる。彼以外の兵士がそう思っているのかどうか、エルフであるノアには想像がつかない。戦士の常識はエルフの非常識である。
「なあ、そうだよな、あんた?」
スパークの言葉通りに、男は憎悪と殺意に満ちた目を向けた。
「ヒッッ」
その視線に思わず、ノアが気圧される。
「温情を与えるなら、せめて苦しませないように的確に突くことです。その手伝いはしますから」
一度、大きく槍を引いてから、なんの合図もなく刃先は兵士の心臓を突いた。ノア自身も実感が乏しいほどに、あっさりと絶命させた。
「これで悪夢は終わる」
ノア自身にけじめをつけさせると言った少年だったが、やはり槍のコントロール、力の加減といい彼がほとんどすべてを成し遂げたようだ。ノアが男を殺したのも建前だけと言っていい。
そして、やがて森から男性エルフたちも村に帰ってきて、亡くなった老エルフの弔いと、少年戦士たちをねぎらう宴が催された。
エルフの村を救った勇者と愉快な仲間たち計三名が狼藉の集団を処断し、村から危機が去ると、クレプスキュールは、彼の者の元へ駆け寄った。
「……」
幼エルフを一瞥し、勇者はまた遠くへ視線を移した。
「……あの」
「うん」
何から話していいのか頭の中で順番を組み立てることができず、子どもの用件は支離滅裂になりがちだ。
しかし、勇者はとくに話を急かすこともなくただそこに立ってどこかを見つめていた。
「あの、ありがとうございます。みんなを助けてくれて」
「うんうん」
「ありがとうございます、『神様』」
「うん?」
はじめてスパークの顔に当惑の色が浮かぶ。
(お前は何を言っているんだ?)
危機の真っ只中にあるとき、クレプスキュールは家族を、村のみんなを助けてほしいと神に祈った。心からの祈りを捧げた。願いが叶うのなら相応の対価を払うことも惜しまない。それは聖霊との契約にも似た気持ちだった。
そして祈りの果てに現れた救い主。随分と直接的な武力の行使で救ってくれたのが、少し神様らしくないとは思うのだけれど、祈りの通りに現れた救い主であるのだからクレプスキュールにとっては彼こそが神なのである。
百歩譲って神の御使いか天使であるのだろうとクレプスキュールは思っていた。
「あなたは神さまですよね?」
「神さま?」
スパークは自分を指差す。
「はい」
信仰心に目覚めたクレプスキュールは、敬虔な信徒が本尊に向かうような神妙な顔つきで、しかし憧れの混じった視線を勇者に向けた。
「神さまだってさ」
「これはこれは、へへー」
勇者の仲間二人も、囃すようにクレプスキュールの真似をする。
「神さまなんてとんでもねー、あたしゃケントゥリアの戦士です(意訳)」
「わたしは神様にみんなを助けてほしいと祈りました。そうしたらあなたが現れました。だからあなたは神さまにちがいありません」
「なるほど。その発想はなかったわ」
スパークは納得したように手を打った。
「ケントゥリアの騎士殿。誠にかたじけないことでございます」
エルフの婦人の一人が感謝の言葉を述べた。
『テメェ、ケントゥリアンか』
『そうだよ。喧嘩大好きでお馴染みのケントゥリアさ』
暴漢とスパークが交わした言葉。クレプスキュールにはその意図がわからなかったが、勇者たちは襲撃者の一人だけを生かして捕らえていた。
「関係ねぇのにしゃしゃり出てきやがって。何の得にもならねぇだろ」
「俺たちがケントゥリア人だとわかっているなら、俺たちが戦うことに損得勘定なんか無いってことを知っているだろ」
売られた喧嘩は買ってでもするのケントゥリア人だった。全てが鍛錬とみなされる。
「おまえたち、人買いだろ。隊商の本隊がいるな」
それを聞き出すのが一人、生かしておいた理由だった。
「それを聞いてどうする?」
「おれたちのいない時に、またこの村を襲うかもしれないと考えている」
大事な切り札を思い出したかのように男の顔に光が差した。
「応とも。今おれを無事に逃さなければ、後々この村の連中の安全は保証されないぞ」
「本隊ごと殲滅しておかないと、後々うっとうしいな」
男はぎょっとした顔をした。
「し、しゃべらねーぞ」
男は迷っていた。隊商をこの身の程知らずの戦士たちが襲えば仲間たちに人狩り部隊の危機を知らせることができるのではないか、と。
里の奥から悲鳴に似た声が聞こえた。
『なんだ、これは。何が起きたんだ!』
『長老、みんな!! こんな、ひどい』
森からエルフの青年たちが帰ってきたようだ。
「尋問は彼らに任せるとするか」
結果的に、スパークのこの判断は誤りであった。
一つには、エルフは平和を愛する種族であり暴力による尋問には向いていないということ。
もう一つは、
「うわあぁぁ! よくもみんなを、ジジ様を殺したな!! 妹たちまで」
心が怒りで荒ぶっているエルフに刃物を渡したケントゥリア戦士も間抜けだ。青年エルフは、一突きに剣を襲撃者の胸元に突き立てた。
「あちゃー殺しちゃったよ」
尋問をしてキャラバンの居場所を聞き出す計画は失敗に終わった。
「しゃーなしだな」
怒りで錯乱する青年エルフを村人たちに任せて、少年戦士たちは、次の仕事に向かう。
「どこへ行くのですか?」
「ちょっと人攫いの本隊を潰すだけの簡単なお仕事です」
放って置けば人狩り部隊が戻らぬことを不審に思うだろう。ここで起こったことを闇に葬らなければならない。
「この近くに馬車や行商人が立ち止まって休憩するようなところはありますか」
地元民であるエルフに一人案内を頼む。それらしい場所を数カ所まわるうちに、目指す人間たちに出くわすだろう。そう思っていた。
意外にも早く二ヶ所目で目的を達成することができた。
キャラバンは緊張感もなくくつろいでいる。
「戦には向かないだろう。エルフはここで待っていてください」
「われわれは狩人です」
「では後方から援護をお願いします」
馬を降りてゆっくりと攻撃対象に近づく。商人たちが振り返るタイミングで駆け出すと、少年戦士たちは機械的に切り掛かった。短い悲鳴が上がり、全員を不意打ちで倒すまでには至らなかった。キャラバンを守る傭兵も数人存在した。ここから先はエルフの村での戦いの再現である。先刻のそれが傭兵との戦いだったのに比べれば、手応えの無いあっさりとしたものだったが。
馬車の荷台は鍵がかけられていて、耳を澄ますと人の声が聞こえた。
「ひとり、ふたり、さんにん、たくさん……」
「どこの国の数学だ!」
「冗談だってば」
錠前を手近にあった斧で破砕し、扉を開ける。
「これはまた」
馬車の中には幾人もの若い男女が載せられていた。
エルフの村が襲われたのと同じように方々から拐われてきたのだろう。徒労感とあきらめの目で、戦士たちを見ていたが、彼らが手を差し伸べると、徐々にその顔に生気がもどっていた。
「一石二鳥だな」
ケントゥリア戦士は基本的に脳筋民族である。単純に自分たちの戦闘が、奴隷の解放という二次成果を生んだことを喜んでいる。
「そう喜んでばかりもいられないぞ」
エルフの青年が、戦士の気分高揚に水を差した。
「?」
「??」
「???」
戦士三人が顔を見合わせる。
「なにか問題でも?」
虜囚たちはそれぞれ故郷へ帰るだろう。人買いキャラバンも全滅したし、いいことづくめのはず。そう戦士たちは考えていた。
「ここへ来たのはなんのためですか?」
自分より年若いケントゥリアの少年たちは、われわれ現代の人間からすれば児童と言ってもいい年の頃合いだった。それでも、一人前の大人に相対するようにエルフ青年は接した。実際、彼らは戦士としては既に一人前の技量を認められた者たちだった。
「ここへ来たのは皆さんの村を脅かす者を完全に排除して憂いを無くすためです。キャラバンを襲うのは我々の村を襲った一団を、これまでの足取りごと消すためでしょう」
「そうです。このまま消息不明になってもらい、どこにも帰らせず、何も知らせないためです」
三人は、エルフの問う意味をまだ理解していなかった。
(だめだ、こいつら。頭が悪過ぎる)
青年エルフは、天を仰いだ。
「人知れず襲撃者を始末するためにここに来たのに周りをよく見てみろ」
三人は改めて周囲を見回す。
「どなたか存じませんが、ありがとうございます!」
馬車から助け出された老若男女、もはや自分たちを捕らえた者たちが滅びたのだと知り、その顔に生気が戻っていった。拉致や誘拐だけでなく、金銭で買われた者たちもいただろう。逃亡を考えて、しかし家族の迷惑を考え諦めた者もいた。しかし連行者がいなくなってしまったのだとすれば話は別だ。
彼らは一様に三人の戦士に感謝しており、どんな宗教宗派宗門かは知らないが手を合わせて祈りを捧げている者もいる。
その様子をケントゥリア少年戦士団は誇らしげに見回していた。
「うーむ、噂どおりの単純思考。いや、子どもの身で戦に赴いているのだから浅はかなのも仕方ない」
エルフの感慨。
「何か言いました?」
「いや、何も言ってない」
スパークたちの気嫌を損ねぬように、エルフは伝えるべき言葉を選んだ。
「人知れずの急襲・暗殺のはずが、これだけの虜囚を解放したのです。その事実を隠し通すことは不可能。この人たちもやがて故郷に帰るでしょう。そこで今日この日の出来事を話さずにはいられますまい」
ケントゥリア人は顔を見合わせした。疑問符の貼り付いていた顔が徐々に思案げに変わっていく。ここまで説明すればさすがにエルフの言わんとすることも理解できたようである。
スパークはそばにいた、黒髪の幼女に話かけた。
「お嬢ちゃん、もうお家に帰れるよ」
救出者一行を見上げていた顔にぱっと光が差す。
「ひとつお願いがあるんだけど、今日ここで見たことをお家に帰っても黙っててくれるかな?」
少女は大きく頷くと、元気な声でこう言った。
「うん! 強いお兄さんたちが悪者をやっつけるでみんなを助けてくれたって、お父さんお母さんに、ううん、村のみんなに伝えるからね」
幼女はキラキラと光る眼で英雄を見つめている。
(だめだこいつなんとかしないと)
エルフの青年が危惧している通り。奴隷たちがそれぞれの家に帰ればその救出の一切合切を全て話してしまうだろう。エルフの村でキャラバンが消息を断ったことを彼らの雇い主に知られてはまずい。あくまで消息不明でいてもらわなければ困る。ここで誰に殺されたか、それは隠しておきたかった。
クライアントはきっと大きな権力を持つ者に違いない。
「我らの村に後日、災が起こることが予見されます」
おそらくエルフの青年が恐れる通りのことが起こるだろう。
「下手をすれば助けた者たちにも追手がかかることも考えなければなりません」
「ぐぬぬぬ」
「まずは助けた人たちを一カ所に集めましょう」
エルフの青年の提案に従い、ケントゥリア人は解放奴隷たちをエルフの村へ連れて行った。
エルフの村がこんなに人でにぎわうのも久しぶりだ。
解放奴隷たちにはエルフとケントゥリア人が何を危惧しているかを伝えた。
先ほどの幼女と同様に、安堵の中で皆のんきに構えている。これでは秘密厳守させることは難しそうだ。
「あのですねぇ、皆さん。そんな調子だとここから帰すわけにはいかないんですよ」
いらだった声でケントゥリア少年戦士の一人が口を開いた。さりとて彼らをずっとここに留めて、エルフたちが養っていくわけにもいかない。
解放奴隷たちもだんだんと自分たちが厄介事の種になって、救い主たちを困らせているということに気がついていく。
村の中庭でエルフと、ケントゥリア戦士、解放奴隷の中で分別のある長老格の人物たちが輪になって話し合う内に夜になった。
彼らも家に帰りたがっている。だがこれだけの人数がいれば、たとえ他言しないと約束したとしても、秘密を守れない者がいるだろうということにも納得していた。残してきた家族が真実を聞きたがるだろう。
いいアイデアも浮かばないまま時が過ぎっていったが、やがて一人の男が発言を求めた。
「明は〇〇村の〇〇というものだが、助けてもらったことに心から感謝している。本当だ。とくにまだ子どもだってのに、ケントゥリア人は大したもんだ。大の男が何人いてもかなわなかった傭兵たちをあっさりと始末しちまうんだから」
何を言いたいのだろうか。
「命あっての物種だ。助けてもらった上に迷惑をかけるわけにはいかないよ。もし今日あったことの秘密を守るため必要なら故郷に帰れなくても仕方がない。この近くで暮らすさ」
スパークたち三人は胡座をかいて男の話を聞いていた。
『噂には聞いていたが本当に大したものだよ。相手がケントゥリア人として喧嘩を売ってくる人間はいないよな』
彼の言う通り、相手がケントゥリア人と知って、あえて敵対しようとする勢力はいないだろう。戦場で敵としてまみえるならば避けようのない事態ではあるが。
エルフの青年が続ける。
「ざっと二十人ばかりの人間。この周囲には手付かずの土地がまだまだありますから。人間は農耕と牧畜が得意であるそうですから、移住してもらい収穫があるまで我々の蓄えを分けてあげることはできるでしょう。ただし人間は人間の村を作っていただき、我々が信頼のおけるリーダーの指導のもとに暮らしていただきたい」
「なるほど」
ケントゥリア人の一人が首をひねる。
「信頼のおけるリーダーねえ。年長者にでも頼みますか」
奴隷としてさらわれてきた人たちだけあって、年寄りは少なかった。
「我らと縁を結んだ人間が統率していただけるとありがたい。具体的には君たちケントゥリアンの誰かがこの村の娘と結婚でもすればいいし」
「なっ、結婚?」
スパークは絶句した。
「君たちはエルフと囚われの人間たち両方にとっての英雄だからね」
「結婚!」
その言葉に強く反応するエルフの少女が一人。
「結婚……ですって」
この村に妙齢の女性エルフは多くいた。だが通常、エルフはエルフ同士で結婚する。彼らに命を救われた恩義も感じているので女性たちは顔見合わせていた。彼らに好感を持っているが、エルフは長命であるために、人間の男性と結婚した場合、やがて来る別れが悲しいものとなる。エルフどうして結婚した時のように、長い時を共に分かち合う事はできない。
「結婚と言ってもなぁ、そんな簡単には決められないよな」
少年戦士たちにとっても結婚という決断はまだまだ他人事だった。
「結婚か。それもいいかもしれないな、お前たちだれかいないか?」
やけに軽いノリで老エルフの一人が、提案に賛成した。村娘たちを見回す。
「いや、でもですね。結婚ともなれば国の許可もいるわけです?」
スパークは自分の国の結婚制度がどうであったかを思い出そうとしていた。許可が必要だったがどうか定かでない。
「結婚といっても、なあに、形だけだよ。ケントゥリアの旗をこの村に掲げてこちらの集落と行き来してくれればいいだけだ」
後に別の世界に行って、「形だけ」と称する約束事がろくな結果にならないことをスパークは知る。
「それにうちの村は美人ぞろいだぞ」
「それはそう思いますけど」
三人の少年戦士は少し頬を赤らめた。戦闘訓練は積んでいるが、こうゆうことには不慣れだった。色恋沙汰の経験もまだない。
これが結婚適齢期の男性だったならば、願ってもない話だった。こちらから頭を下げて頼むべき良縁だ。
「さあ、どれでも好きなタイプの娘を指差すがいい」
「いや、そう言われましても、ね」
スパークの顔に赤みが差す。さすがに照れくさいのだ。好きなタイプと言われても色恋沙汰を考えたこともない。
「お前たちはどうか、命の恩人だぞ。誰か彼の妻になるものはいないか?」
顔を見合わせる女性エルフたち。
(どうするー?)
「人間と暮らしてもねぇ。寿命が短いからすぐ未亡人になってしまうし。相手は、どう見ても子どもだしね」
人間との結婚には消極的な意見が多かった。
一人の女性が前に進み出た。
「わたしでよければ、考えたいと思います」
「おお、クリスタか」
彼女は長老に告げて、次にスパークの前に立った。
「あなたがわたしを妻にしたいと望むなら、わたしはお承けいたします」
「マジですか……」
「本気よ。さっきはわたしの姉妹たちを助けてくれてありがとう。そのことを思えば、たとえ命を差し出すと言われても断りはしない。村を代表してあなたに尽くします」
見つめ合うスパークとクリスタ。
まだまだ男として成熟していない、日本の法律では児童と呼ばれる年齢であるスパークから見ても、彼女を美しいと表現するのに迷いはなかった。それどころか、エルフの村は美男美女ぞろいなのである。特別にクリスタの美しさ事細かに話すまでもない。
「結婚するといっても、その後どう暮らしていいか俺にはわからないのですが」
「心配ないわ。わたしが必要な事は教えてあげる」
色々と意味深な言葉である。
そのやり取りを横でうろうろと眺める少女が一人。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり右往左往している。
「ちょっと待ってくださーい」
手を挙げて発言を求める。
「どうした、クレプスキュール」
「お嫁さんを探すのなら、わたしが神様のお嫁さんになります」
「神? とは、何のことだ」
「この方たちは神様です」
「おれたちは通りすがりのケントゥリア人だよ」
「しかし、おまえ」
長老はなんと言ったものか迷った。
「結婚というのはだな、成熟した男女が生活を共にすることなのだぞ。おまえは何歳だったかな」
「十二歳になります」
クレプスキュールは胸を張る。
「戦士どのはおいくつだったかな?」
「十二歳です」
「子ども同士では、生活が成り立つまい。せめて夫になるものが成人しているのであれば形ばかりの結婚も認められようものだが」
「うわっ……わたしの年齢ちょっと低すぎ!?」
愕然として、クレプスキュールは思わず口元と鼻を両手で覆った。
「こんなべっぴんぞろいの中からよりどりみどりとは、羨ましいね、戦士のあんちゃん」
他の村から攫われた男たちは、無責任にはやし立てる。
「え、なんだって?」
少年戦士は惚けた顔でよだれを垂らしていた。何しろ美貌のうら若きエルフの乙女が勢ぞろいなのである。
純朴なようでいて、少しませたところもある戦士であった。
(そうかぁ、こんな美人さんたちとムフフなことができるのか)
それなりに保健体育の知識はあったようである。
「できれば、おれはクリスタさんの方が……」
クレプスキュールがキッとスパークをにらみつける。
「そう、クレプスキュールが望むのなら、わたしは身を引くわ」
クリスタは穏やかな笑みで言った。