第八十一話
テレビ画面に映し出されたパパの唖然とした顔を、こんな顔するのは珍しいなと思って見ている私は結構図太い。
はず。
「……ぱ、パパ……お…おはよ…?」
『…………』
「………」
「あー…俺あっちに行ってますから、どうぞ気兼ねなく話し『先生もそこにいろ』………わかりました…」
お…重い。
通夜か葬式かって位、リビングの空気が重い。それに何か息苦しい。あれ、この部屋広いはずなのにな…と思ってちらっと見回して見ても、朝学校に行く時となんら変わらない見慣れた部屋であることに変わりは無い。
テレビの前に置かれたソファーに正座してパパの方を見ようとするんだけど、やっぱり怖くて見れなくて。だから先生の方をそろりと盗み見てみると、先生は先生で私が出したコーヒーを飲みながら事の成り行きを見ていた。
三人ともが黙ったままだった。
その静寂の均衡を破ったのは、意外にも先生だった。
「今日娘さんをうちの実家で預かる事にしたんですが、宜しいですか?」
『…それはどういう事だ?』
「熱を出して、さっきまで病院で点滴を打ってたんですよ、この子。一応医者に安静にしてろって言われたみたいですが、流石に一人にしておけないでしょう。きりゅ…秀人さんと美奈…さんも日本にいないらしいですし、誰か彼女を看てくれる人が近くにいますか?もしもいたらそちらに連絡を取ってもらって、そちらの方に連れて行きますが。」
『…いないな………しかし、いいのか?君の実家って、遠藤のご両親や総帥夫妻もいらっしゃるんだろう?』
「先程連絡を入れたら二つ返事で快諾しました。なんだったら、誰かが帰国するまでうちで預かりましょうか?」
え?
さ、流石にそれは…!!
そう言おうと思ったのに、パパが先に返事をしてしまった。
『ああ、それがいいな。申し訳無い、俺が帰国するまで世話になっていいか。』
「わかりました。うちの母に言っておきます。」
「ちょ…っ!」
『だ、そうだ。唯、彼のご好意に甘えて、遠藤家で暫く世話になってろ。俺が帰国するまでだから、そう日数はないだろうが、あまり迷惑をかけないようにな。それと、先生。俺からも宜しく頼むと伝言して貰えるか?』
「はい、わかりました。」
あれ…もう決定?
私の意志は!?一言も言ってないよ!?
あまりに素早く決まってしまった決定に、流石に抗議の声を上げようと思ったのだけれど、やっぱりパパに制された。
『そうと決まれば唯、仕度してこい。ああ、そうだ、ナイトも連れて行ってもいいのか、先生。』
「構いません。祖父母、両親ともに動物好きですから。」
『それは結構。重ね重ね申し訳無いな。』
「いいえ。」
『ナイト!』
「わんっ!!」
『唯を部屋に連れて行け。唯、数日分の荷物でいいからな。よし、ナイト、行け!』
「わっふ!」
ナイトはパパに絶対服従。ナイトの中のピラミッドの一番とんがった部分に君臨しているのが、誰あろうパパだ。
そんなパパの命令にナイトは逆らうわけもなく…。
素早くジャージの裾をぱくっと咥えたナイトに引きずられる様な形で、パパと一言も喋ってないのにも関わらずリビングを追い出された。
…一体なんの為の『すかいぷ』…?
自分の部屋の前にまでナイトに連れて来られたものだから、今更リビングに戻るわけにも行かず…。それに先生のお家に行くんだから早く仕度しないといけない。ずっと先生を待たせるのも悪い。諦めの境地になった私は仕方なく、クローゼットからカバンを取り出して必要な物を選び始めた。
何日もお世話になるわけでもないので、とりあえずお兄ちゃん達が帰ってくる予定の二日後までの着替えがあればいいかな。
その間学校はお休みしないといけないけど、佐田先生が書類を書いてくれたし、それを申し訳ないけど先生から私の担任の先生へ提出してもらえば大丈夫だろう。
正直佐田先生の申し出は嬉しかった。
流石にさっき起きた事があったというのに、昨日今日で登校するのは怖い。今日で週の半分を過ぎたのだから、あと二日学校へ行けば土日を挟む。その日数で私が殴られた痕は目立たなくなるだろうが、恐怖はそう簡単には消えない。
だけど、なんとか乗り越えなきゃ。
ふと、包帯が巻かれた手首を見る。
自分の身体がどうなっているのかはまだ確認していないけど、早くお風呂に入って全部流してしまいたい。
今日一日の事、全部泡と一緒に排水溝へ流せてしまえたらいいのに。
ぶるりと震え始めた身体を抱き締めるようにしゃがみ込むと、途端にナイトが近寄ってきてくれる。本当に名前の通り、騎士のような所作に思わず笑みが零れたものの、それが本当に笑えているのかどうかは彼にしかわからない。
くぅんと湿布が巻かれていない方の頬に鼻を寄せてきたので、安心させるべく頭にちゅっと軽くキスをして「大丈夫」と呟いた。
荷物も大分纏まって、学校に持って行っているカバンから携帯を取り出した。
ピカピカと着信を知らせる光が点滅しているので、ぱかっと開いてみると、そこには何十件もの着信やメールが届いていて、それらのほとんどがパパだった。
そう言えばさっき、携帯に電話したとか何とかって言ってたような気がする。って言う事は、相当前(一番最初の不在着信は私が保健室にいた頃の時刻だと思われる)から連絡を取ろうとして居てくれたって事だよね…。
…やっぱり龍前寺理事長から直に連絡が行ったんだろうな。
携帯の着信履歴を見ながら、少し項垂れた。
あれ、そう言えば先生、『すかいぷ』切ったのかな…。
私がリビングを追い出される時は、テレビの画面にパパが映ってたような気が。って言う事は、まだ繋がってるかな?
荷物を持った私は、ナイトを引き連れてリビングへと戻った。そこにはやっぱりパパがテレビに映っていて、先生と何やら話をしているようだった。
私がリビングに入ったのと同時に私に気付いた二人は、それまでしていた会話を止めしまった。先生の方を見ると、飲んでしまったのだろう。空のコーヒーカップを持ってキッチンへと行ってしまった。
お客様、しかも先生に洗わせるわけには…と言ったのだが、それはやんわり断られた。
先生がカップを洗っている間、私はパパと向かいあった。
「パパ、先生と何話してたの?」
『うん?まあ、いろいろと。それより、唯。準備出来たのか?』
「なに、その色々って…。準備は、うん。出来たよ。」
『そうか。じゃあ、俺が帰国したら迎えに行くから、いい子で待ってろよ。ナイトも。迷惑かけるんじゃないぞ。』
「わんわん!」
『よし。なるべく早く戻るからな。』
…早くって、パパ仕事は?
『一時帰国って言う形を取る。』
「え、だって……」
『唯。パスポートの準備もしてろ。なんだったら、お前こっち…シカゴに行く事も視野に入れて置けよ。』
「…え…?」
『佐江子さんが入院したらしい。』
「う、嘘…佐江子さんが?何で!?」
佐江子さんと言うのは、お母さんの伯母さん。つまり私の大伯母に当たる人で、彼女はアメリカ人の男性、アルバートと結婚して長年アメリカに住んでいる。
シカゴに住んでいた時の家の近くに住居を構えていて、私も昔はよく一緒に遊んでもらっていたらしい。今もアメリカに行った時などは必ず佐江子さんの顔を見るために寄る事もあるし、この前電話した時は普通におしゃべり出来たのに。
それなのに、何で突然…。
『アル曰く、飼ってる猫が木に登って降りられなくなったのを助けようとして木に登って落ちたらしい。』
「…っ!!そんな…どこか打ったの!?それとも、骨!?ねえ、パパ、どうなの!?佐江子さん、大丈夫なの!?」
『…落ち着け。腕にヒビが入ったとの事らしいが、入院するんだと。アルは佐江子らしいよなんて言ってたが、お前は自分で確認するまでは安心出来ないだろ?だから、そっちの問題が事の他重大になるようだったら、シカゴにしばらく戻れ。いいな?』
「…………」
『唯、返事。』
「……わ…かった…」
納得いかない私の返事を神妙な顔で待っていたパパに促されるがまま、私は返事を返した。
心配しているパパの気持ちを考えれば、魔手の届かないアメリカに戻る事が一番いいのだろうけど、それでは根本的な解決になっていない。
とは言え、佐江子さんの事も気になるし…。だから、私は渋々ながら頷いたのだ。
そんな私の気持ちなんてわかりきっているであろうパパは苦笑しながらも、それでも少しばかりほっとした顔になっていた。
『いい子だ。よし、じゃあ行け。先生、この子を宜しく頼むな。』
「わかりました。では、実家の住所は…」
『ああ、いい。わかってるから。あの嫌でも目に付く豪邸だろ?』
「…まあ…はい。そうですけど…」
『じゃあよろしく。今日の便で帰るから、多分明日には帰国出来ると思うから。じゃあな、唯。』
そう言ってパパは回線を切ったのか、テレビ画面は真っ暗になった。
…今日の便…?
あれ?今日の便って言ってなかった?
「今日の便か…素早いな…」
呆れたような先生の言葉が聞こえた、数秒後、私がはあ!?っと素っ頓狂な声を上げたのは言うまでも無い。




