第77話
泣きそうになった彼女を思わず撫でていた。
なんでだろう、別に俺がこんなことをする義務はないのに。
だいたい子供のくせに、いろいろと遠慮しすぎなんだ。
俺達教師に対しても、他の友達やなんかに対しても。義理とは言え父親にすら遠慮して「言わないで」と頼みこむ。そんな子供らしからぬ神崎に対して、若干の苛立ちを感じていたのは否定出来ない。
そう言う苛立ちを何故感じているのか、俺にも理解出来て居ない。
正直俺がここまで首をつっこむ必要は無い。まああの場に居合わせただけの教師であるのは仕様が無いとしても、わざわざ警視庁にいる友人や恭輔に対して彼女の事を頼んだも、なまじ実家に連れて行くだけの必要は全く無い。
にも関わらず、俺はそれを全部している。
テストの事を言い出す神崎に少し焦った。と言うのも、確かに悠生から解答用紙を受け取ったのだが、その解答用紙自体が事件を思い出させるような事になっていたからだ。
大半がぐちゃぐちゃになった解答用紙。所々破れている箇所もあった。にもかかわらず、神崎が答えたであろう解答そのものは無事だったのは、不幸中の幸いだったと思うしかない。
神崎が答えた解答を見て、谷野が苦し紛れに言っていたデマカセが頭にリフレインする。
つまり、『神崎が答えを教えて欲しいがために、自分に誘いをかけてきた』と言う愚の骨頂としか思えない言い訳。
確かに神崎は日本史が苦手だ。
俺が半日かけて教えたにも関わらず、相変わらずわからない箇所はそのままで。そう言えば再テストの前に教室にわらわらと集っていた生徒達だって、SHRを潰して神崎の再テストの勉強に当てたと聞いている。
つまりはそれだけ一生懸命勉強したのは、こいつ自身。彼女自身は皆のお陰だとでも言いそうだが、実際は皆が教えて、それに付いて行った彼女の頑張りのお陰だ。
その甲斐あってか俺がざっと見た限りでは、合格点は軽く超えていたようにも思える。
神崎を病院に連れて行くという厄介事を押し付けられたせいで俺もバタバタとしていたのだが、そう言えばその解答用紙は持って帰ってきたような気がする。落ち着いた夜にでも採点してみようと思いつつ、彼女の頭を撫でる手は相変わらず、そのままのポジションをキープしたままで。
エレベーター内が乾燥しているのもあってか、ぐしゃぐしゃにした髪がふわふわ浮いている。静電気が来る事はないが、あまりやっていると痛い思いをするのは自分だ。そろそろ止めておかないと…と思うのだが、何故かそこから手を離すことをしないままでいると、エレベーターが目的の階へと到着したらしい。
静かにドアが開くと、そこには明らかにぶっ飛んだ人物が俺達をきょとんと見ていたかと思った次の瞬間。
「やーーーだーーーーーっ!!!!!!唯っちったら男連れ込んでるぅぅぅーーーーー!!!!!!なーーに!?しかも現在進行中でラブラブ中!?」
「ま、マリアさ…声大き…」
「やーーーん!!唯っちの彼氏ってちょーーイケメンじゃなーーーーい!!!!!!しかも大人!!ヤダ何?禁断の恋っていうやつ?いやーーん!!マリア超好き、そう言うの!!」
「ちっ…ちがっ、マリアさん、違うから!!」
「いいのよ、言わなくて!アタシ応援するわ!ねね、彼氏の人って名前何て言うの?いいじゃなーい、唯っち教えてよぉぉ!」
「え、遠藤先生…」
「先生!?ヤダなに、このイケメンったら先生なの!?学校の!?なるほどー。だったら禁断の恋テンプレね!!高校教師と女子高生…いいわー…萌えるわねぇ…」
うっとりと顔を輝かせているマリア。もとい…見るからに二丁目の香りがする人物。
つーか、化粧をしようがスカートを穿こうが、如何せんガタイが良すぎる。剥き出しの足は筋肉質なのが見て取れるし、手術済みなのかわからないが、明らかに豊乳すぎるそれは女では滅多にあり得ないデカさだ。
思わず目眩をしそうになって神崎の頭から手を離して目頭を揉んでいると、マリア(仮)が目敏く俺に興味を持ったらしい。
「ヤダー、本当にイケメンだわね。総様には劣るとしても、秀人ちゃんに匹敵するイケメンだわ!!」
「…総様…?」
「あらヤダ、知らないの!?総様は唯っちのパパ!!アタシのモロ好みなのよねぇ。」
その『総様』を想っているのか、うっとりと頬を染めるオカマをかなり引きながら見ていると、袖を引かれた。
見ると神崎がすまなそうな表情をしていたので、多分彼女もこのテンションに引いているのだろうと思える。
「す、すいません…」
「いや…なにあれ。お前の知り合い?」
「あの…お隣さんなんです。五月雨マリアさんって言って、新宿でお店持ってるんですって…お兄ちゃんとお姉ちゃんが行った事あるらしいんですけど、お兄ちゃんがげっそりして帰って来た事があって…。お姉ちゃんに聞いても詳しい事教えて貰えなかったんです。」
「………二丁目か…」
「はい。後になってパパに聞いたら、大方キスでもされたんだろうって。」
…ご愁傷様としか言い様がない。
なまじ桐生さんは完璧ストレート。カマ連中に掘られなかっただけ良かったと言うべきか…。
「あの、行きましょうか…」
「…いや、俺はここで待っ「ヤダなーーに!?二人で早速ラブラブ?んもー、本当にラブラブしすぎてマリア暑いぃぃ!誰か冷ましてぇ!」…玄関に入れてくれ。」
「…わかりました…」
マリアに気力を搾り取られる。そう思ったのだが、神崎がきっと彼女(彼?)の方を見ると断固とした口調で言った。
「晋平!今からお店なんでしょ!?早く行きなよ!!」
「晋平って呼ぶんじゃねーーー!!!!!」
野太い声でそう言うと、尚も何か言いたそうな神崎を睨むとやっと湿布に気付いたのか急に真面目な顔になった。
「唯っち、その湿布どうしたの?」
「ぶ、ぶつけたの。」
「…ふーん…。まあ、そう言う事にしといてあげるわ。さて、アタシそろそろ店行くわね。」
「うん。行ってらっしゃい。気をつけてね。」
「はぁ~~い。あ、イケメン彼氏!!ちょっとちょっと!!」
満面の笑みで手招きされているのだが、これは警戒するべきか。本能が五分だと告げている以上、結論を出すのは俺自身。
神崎が見守る中、しょうがなしにマリアの側に近寄った。
マリアは神崎の方に笑顔で手を振ると、俺の肩を後ろに向けて喋りだした。
「あれ、男に殴られたんでしょ?」
「…ああ。」
「相手がどうなったか聞いていいかしら?」
「とりあえずは謹慎中。理事長が帰って来次第、懲戒処分だろうな。」
「…って事は相手は教師ってわけ。なるほどね…ふーん…」
至極真面目な顔になったマリアを尻目に、どうも神崎に関わっている人間は彼女に対して過保護になる傾向があるなと改めて思っていると、目の前のオカマがにやりと不敵に笑った。
ぞわりと反射的に寒気が背筋から立ち昇ってくるのと同時に、直感で思った。
神崎と付き合う奴は苦労する。
絶対にそうだ。
のちに俺は、この直感が正しかったことを思い知る。