第73話
「全く、何でこいつなんかに…」
「おいおい、折角外来まで降りて来て俺が診てやってんのに、何て言い草だよ。」
「人様の子供なんだからな、丁重に扱ってやれよ。」
「へーへー。って言っても、脱がせたりするのは女性看護士だから気にすんなよ、亨。」
神崎を連れて来た病院は、俺の幼馴染の一族がやっている病院だった。まあ、この辺では一番でかいので学校側としても当然なのだろうし、春の健康診断なんかで派遣されるのもここの医師だったりする。
さすがに俺の幼馴染の家だとは知られてはいないだろうが、なんとなく学校で顔を合わせたりすると気まずいと言うか、変に気を使うので疲れる。
特に、こいつ。
伏せった神崎に点滴を打とうとしている男、佐田恭輔。
大病院である佐田病院を支えて行く一族では、四人兄姉の末っ子でありながら一番のエリート。専門は脳神経外科。
俺と同じ年でありながら早くもポスト天才医師として巷では有名であるのだが、本人は至ってちゃらんぽらんな性格をしていて、逆にそれが、周囲のプレッシャーをものともしない鈍さを兼ね備えた強靭な性格を作り出している。
俺が神崎を病院に連れて行くことになって、その場所を聞いた時、少しだけ嫌な予感がしたのだがやはり俺の予感は当たるらしい。
担当は脳神経外科のくせに、俺が連れて来ると聞いた途端わざわざ夜間外来に出向いて来た。まあ有難いと思うべきなのだろうが、俺に抱きかかえられた神崎を見るなり一言。
「亨、お前ついにそんな幼子にまで手を出したのか…しかも暴行って…洒落にならんぞ。お前んとこのおばあ様が悲しむに違いない…!」
その言葉をすぐさま一蹴し、さっさと神崎を診察させ今に至る。
一応神崎が桐生総一郎の義娘である事は説明し、そして持病やら何やらが無いか。その辺は学校の保健医から聞いていたらしく、学校の健康診断の結果をふんふんと見ながら彼女の身体を診ていた。
腫れた頬には湿布をし、赤く痣になってしまった手首には包帯を巻いてくれた。訝しげな顔をしながらも、恭輔は神崎の傷を的確に治療してくれた。
俺がこう至った経緯を話すと、いつもはおちゃらけたこいつも、流石に眉を顰めて聞いていた。
「なるほどなぁ…。大変な事だったな、この子。女の子なのに可哀想なもんだ…」
「…ああ、本当にな。」
「警察には…」
「ああ。手は打ってある。」
そこまでやってやる義理は無いと思いながらも、俺は警視庁にいる友人に少しだけ話をしていた。
神崎から被害届が出ていない以上警察は何も出来ないと言いながらも、「わかった、少し調べて見るよ」と請け負ってくれた友人に対し、後でなにかしら奢ってやらなければいけないなと思った。
恭輔を見ると、ポタポタと落ちる点滴を調節しながら神崎の様子を見て、「大丈夫そうだな」と言い、また俺の向かいの椅子にどかりと座って言葉を続けた。
「なあ亨、親御さんって、あの桐生総一郎なんだよな。連絡しなくてもいいのか?」
「あの人、今N.Yにいて週末じゃないと戻って来ないんだと。桐生さんも仕事で香港、美奈もグアムで撮影らしい。」
「てことは、帰って来るまでこの子、一人っきりってわけか。…それはちょっと、なぁ…。今点滴打ってるが、今日一日は熱下がらんだろうし。」
「まあ、可哀想だとは思うが仕方ないかもな。一応コンシェルジュがいるマンションに住んでるんだし、いざとなったらここに入院させりゃあいいし。」
「はあ!?発熱如きで入院させるわけないだろ。」
少し大きな声で恭輔と話していたのが不味かったのか、看護士長らしき人に厳しい顔で注意されてしまったのでお互い口を噤む。
はー…とため息を付いたのはやはりお互い様で、先に口火を切ったのは俺だった。
「こうなったら…おばあ様に頼むか…」
「は?お前んとこのおばあ様に?何で?」
「こいつ、おばあ様の『編み物の先生』なんだよ。知り合った時期自体はつい最近だが、すぐさま仲良くなったみたいでな。今やうちの母親までお気に入りだ。」
「…お…おば………雅さんまで…」
「恭輔、別におばさんで構わないぞ。実際そう言われてもおかしくない年だし。」
「いや!雅さんはそんな、おばさんとか呼べない!!怖くて呼べるわけないじゃん!!お前、自分の親だからって怖くないとでも思ってるだろ!!」
「………」
「うわ、何その嫌そうな顔!そう言う顔されると傷付くし!!」
「さて、おばあ様に連絡すっかな…」
「話聞けよ!!亨の馬鹿!!」
「うるせぇ。」
恭輔を診察室に残し、自分は電話をかけるために外へと出た。いくらコートを着ているとは言え、さすがに冷える。
祖母に神崎を看病してもらおうと言うのは突発的な考えだったが、流石に熱を出し、襲われた直後の今、側に誰かいてやる方がいいだろう。そう思って、一番最初に浮かんだのが祖母だった。
面倒見のいい祖母の事だ。多分断らないだろうとは思うが…。呼び出し音を聞きながらそんな事を考えていると、実家に電話が繋がった。
『はい、遠藤でございます。』
「もしもし、亨だけど。」
『これはこれは、亨坊ちゃん。いかがなさいましたか?』
「すまないが、おばあ様はいるか?」
『大奥様でらしたら、今日は大旦那様とご一緒に歌舞伎をご覧になられておられますよ。』
「ちっ。そうか…。じゃあ、母さんは…」
『奥様なら、いらっしゃいます。お換わりになられますか?』
「ああ、頼む。」
祖母がいないのは想定外だが、この際母の方がいいのかもしれない。もしかしたら徹夜になったりするかもしれないし、そうでなくとも母の方が神崎を気に入っている。
まあ、流石の母と言えど、病人相手にはしゃぐこともないだろう。
ただ、神崎の腫れた頬と、起きてしまった惨状の事を知れば煩いだろうが。
少しだけ身震いしたのは単なる寒さ故の事だと思い、電話口から聞こえる母の声に耳を傾けた。
□佐田恭輔 28歳
亨の幼馴染。大病院である佐田病院の医者一族のうちの一人。四人兄姉の末っ子。専門は脳神経外科。
性格はざっくばらんで、医師の仕事に関してはかなりの慎重派だが、その他の事に関しては雑。
亨の母、雅が怖い。