第66話
「じゃあ失礼します。わざわざありがとうございました。」
電話の受話器を置き、これをとってくれた教師に礼を言う。
電話の相手は教材の業者で、内容に少し不備があったので使っている全学校に連絡を入れているとの事だった。俺としてはそう大した問題ではないのだが、そこはその会社の方針なのだろう。結構前から使用している教材なので、そういうアフターケアをしていると覚えておくだけでも大分違う。
ふと職員室を見渡すと、随分ガラリとしていた。俺は職員室に居ずに資料室で仕事をしているので滅多にこの時間にここにはいない。まあ放課後なので部活に行っている教師もいるだろうし、各自の部屋にでも言っているのかも知れない。そう言えば谷野もいないが、単純に席を外しているのだろうと思って職員室を後にした。
「遠藤先生!」
「さお…悠生。」
「ねね、亨さん!明後日暇ですか?合コンしません?」
「断る。」
「えーーー!?即答!?」
資料室に向かう途中、悠生に呼びとめられたので何かと思えば下らない。ふと時計を見ると電話がかかってきてから既に十五分は経っている。これくらいならば神崎も終わったかもしれない。と言う事は、待っているあいつがいるので、合コン合コン煩いこいつを何とかしないといけないわけだ。面倒くさい。
「俺を誘うな、勝手に一人で行け。」
「…相手CAなんですよー…?」
「はっ。」
「うわ、鼻で笑った!!亨さん、CA興味無し?」
「ノーコメント。って、お前神崎がいいんじゃないのか?」
「意味深すぎますよ、そっちの答えの方が。あ、神崎ちゃんですか?んー、とりあえず様子見で!」
どうも悠生はチャラい。見た目はいいとおもう。目元が涼しげなメガネ男子なので好きなタイプには受けるだろうし、人好きのする性格も拍車をかけている。
ただ、直球でチャラい。
神崎が好きなのも、美奈が好きなのも単なるミーハー心から来ているものなのではないかと時々疑問に思うときがある。まあ、後者はモデルの仕事を生業としているのでミーハーなのも頷けるが、前者に関しては、女子高生と教師と言うある種禁断のような雰囲気が好きなだけなのかもしれない。一概には言えないが、多分当たらずとも遠からずだと思う。
思わずふーっとため息を付きそうになって、手元に先程まで読んでいた本がないのに気付いた。
「あ。」
「どうかしました?」
「本忘れた。悪い、ちょっと教室に寄らないと。」
「あ、じゃあ俺も行きますよ。何の本読んでたんですか?」
「昔読んだ本。最近懐かしくなってまた読み出したんだ。」
「あー、そう言うのわかりますね。あらすじとか内容わかってるのに、ついつい読んじゃうんですよねー。」
まさに。
アメリカに居た頃、千歳先生から貰った本がある。それは英語で書かれた本だったけれど、俺はそれを食いいるように読みふけった。
なんて事は無い日本から英語に翻訳された本だったのだけれど、英語で読むのとではまた赴きが違って見えてくる。そんなギャップが楽しくて、ついつい読みふけった本だった。
先日実家に泊まった際にふと本棚を見ると、数ある本の中で一冊だけ古びた本が並んでいたのが目に付いた。翼と取り合うようにして読んだその本は大部くたびれてしまったけれど、それでも中身は綺麗なもので、懐かしさを思い出して読むと止まらなくなった。結局、全部わかっているのにも関わらず今も直愛読書として君臨している。
「あ、そういえば!神崎ちゃんで思い出したんですけど…聞きました?」
「あー、聞いた聞いた。下らない事してるなと思ったけどな。」
「まぁ持ち上がり組も悪い子達じゃないんでしょうけど、どうしても中途組に対して何かあるんでしょうねー。」
確かに根は悪くないんだろうが、今回は明らかに持ち上がり組に非があるのは誰の目にも明白で、流石に彼女達の担任もクラスに行くなり随分と説教をしたらしい。それで改善すればいいのだが、すでに一年だけの問題では無くなっている様相を呈し始め、元々仲が良く無かった持ち上がりと中途組との全面対決のようになってきている。
それを収集するのは生徒会の役目だと思うが、今回はその生徒会もなかなか難しい立場に立っているようだ。と言うのも、会長が龍前寺であるが為に起きた今回の騒動、簡単には治まりがつかないのかもしれない。
「俺は龍前寺が絡んでるって聞いたぞ。」
「あぁ、そうそう。何でも、ちょっかい出した子達が龍前寺のファンだとからしくて、だから神崎ちゃんが邪魔だーみたいな感じらしいですね。」
「モテる男も辛いな、龍前寺。」
くつくつと笑っていると、急に悠生が真剣な顔になった。
メガネの奥が光ったように見えたのは気のせいか?
「でも真面目に、神崎ちゃんに何かあったらとか考えたら、俺抑えきかないかも。」
「イジメとか?クラスで護ってるっていう話だし、あいつもあいつで敵を作るような性格もしてないだと。どう考えても。そういや、お前テコンドーやってたんだろ?だったら素人相手に抑えきかないとか言うんじゃねえよ。」
「…そりゃあテコンドーやってましたけど…」
「部活にテコンドーなくて残念だったな。」
「…俺もそうですけど、亨さんって何か武術やってました?遠藤家だったら何か習わせたりとか…。」
「あー……一応護身術は習ったかな。」
「ご…護身術…」
うちの警護メンバーからな。とは言わないでおいた。
遠藤家お抱えの警護メンバーは、元警察官だったり、自衛官だったり。はたまたSPだったりと多種多様な出身者ばかりで、その為に彼等から万が一に備えて護身術を習っていた。凄いもので、一度身体に染み付いた身を護る術は忘れる事がなく、危険な目に遭った事はないけれど、それでもケンカや何かでボコボコにされると言う事は無かった。
でもまぁ、素人に本気を出せるわけもなく…。
そう言えば美奈もグレイシーの使い手らしい。しかも父と兄を落としたらしいし。
案外悠生と美奈っていう組み合わせも、アリなのかもしれない。
テストをしている教室の近くまで来ると、さすがに人はまばらで、随分と廊下は静寂に包まれている。話しているのは俺と悠生だけだし、窓が締め切られていても、グラウンドからは野球部やサッカー部員の盛んな掛け声だけが少しだけ聞こえてくる。
そんな中、ガタンと言う机か椅子の転ぶ音を聞いた。
もしかすれば、まだ神崎が問題を解いているのかもしれない。一人になった途端、いつもの授業中のように眠ってしまったのかもしれないが。
全く、仕方ねーなーと思いながらもどこかそれを許している自分がいるのに驚く。
週末にかけて知ってしまった神崎のバックヤードを懐かしく感じながら、教室の後ろのドアを引くと、谷野に押し倒されて恐怖しか映していない神崎と目が合った。