第五十一話
まさかパパから電話がかかってくるとは思わなかったから、うずくまったまま、表示も見ずに電話に出た。
やっぱりパパなだけはある。異変を感じたのか、何があったと執拗に問いただした挙げ句、言わないんだったら連れて帰るぞとまで脅された私は、結局少しだけ話した。そのまま電話を切ったのだけれど、それで満足するパパじゃない。案の定、またかけてきたパパに、先生を売った。
そのツケがまさか、ディナーを一緒にとるだなんて…
一応嫌だって断った。断ったんだよ、うん。
それなのに、聞く耳を持たないパパは強引で、ご丁寧に店まで指定してきた。それなのに、誘いを先生が受けるとは思わなかった。しかも翼さんも混みで…。
レイフのお店か。お母さんが死んでから行ってないなぁ…。元気かな…。
そんな事を考えていると、先生にぐりぐりと撫でられていた頭を解放されて、軽く目眩を起こしてしまった。
思わずふらついてしまったので、手近にあったものに手を伸ばしたら、それは先生で軽くハグするみたいな体勢で、もたれかかっていた。
「あ、すみません、ふらついちゃって。」
「いや、別に。…て言うか本当に唯なんだな…。デカくなった、本当に。とは言え、細すぎる。もっと飯食え。」
「…おっさんくさいですよ、先生。なんか久しぶりに会った親戚のおじさんみたいな。」
ははははとお互いに乾いた笑いを上がったところで、さてそろそろ離れようかなと思った矢先、頭を鷲掴みにされた。
ちょーっとぉ!痛いんですけどー!!
「さっきからおっさんおっさんと…。おい、翼、俺達はこいつの中じゃおっさん扱いらしいぞ。」
「うわー、泣けるね。一応僕達、秀人さんよりは年下なんだけどねー。」
「おっさんじゃないのー、一回りも違えば。女子高生よ、女子高生。ピチピチの。そんな子から見たら、あなた達は三十前のおじさんなのよ。」
ねーと雅ちゃんに同意を求められ、思わず頷こうとしたら、ギリギリと捕まれている手の力が心なしか強まった。
痛いってば!!
「痛いっ!」
「おっと悪い悪い。力加減が出来なくてなぁ。なにせおっさんだから。」
「本当にそう言う所は年長者なんですよね。やだやだ、パパやお兄ちゃんと違って暴力的な人って。」
「桐生さんと比べるのが間違ってる。」
先生はそう言って、ペシッとおでこを軽く叩いてから、ようやく頭を離してくれたけど、髪がぐっちゃぐちゃで鳥の巣みたいな事になっていた。
それに更にムカついて文句を言おうと思ったけど、珠緒さんがニコニコとこちらを見ているのが見て取れて、ここがどこだったかを思い出して、少し恥ずかしくなった。
うわ、みっともない。
急いでボサボサの髪を手櫛で直して、騒いでしまった事を謝ろうと珠緒さんに頭を下げた。
「ごめんなさい、人様のお家で騒いでしまって。」
「あら、いいのよ。賑やかなのは良いことだもの。それよりも、元気になったみたいね。よかったわ。」
ふわっと微笑んだ珠緒さんの笑顔は優しくて、何故だか少しだけくすぐったい。
お祖母ちゃんがいたら、こんな感じなんだろうな…と思ってしまった。
お父さんと一緒に事故にあって亡くなった祖父母を知らない私は、お祖父ちゃんとかお祖母ちゃんという存在がよくわからない。
アメリカにいる、お母さんの叔母さんもいるけれど、一年に数回しか会えないし、パパの祖父母って言う人達にも会ったことがない。
前にお兄ちゃんとお姉ちゃんが教えてくれたけれど、パパの両親、弟とは疎遠と言うか、縁を切っているらしい。だからお兄ちゃんも、祖父母や叔父の顔は知っているけど、親しい関係ではないと教えてくれた。パパもあまりその辺の事は話さないし。
よくわからない事ばかりだけれど、珠緒さんの持つ雰囲気が、ぼんやりとした『お祖母ちゃん像』と重なってしまったのも事実だった。
「ねえ、亨、午前中は貴方が独占したんだから、午後からは私が唯さんを借りるわよ。いいわね。」
「…神崎、再試頑張れそうか…。」
「う…。頑張ります。て言うか、やらなきゃヤバいんですよ!今度駄目だったらパパが…。」
雷どころの騒ぎじゃないんですー…。
尻すぼみに沈んだ声を聞いて、翼さんが首を傾げた。
「唯って…あ、もう呼び捨てにするけどいい?」
「あ、全然大丈夫です。」
「そう、じゃあ唯ね。唯、再試って…赤点取ったの?亨が教えてるってことは日本史で?」
「…そーでーす…」
力なくうなだれた私は、翼さんの表情がわからなかったけれど、多分哀れんだ目で見られてるんだろうなと思う。だって、先生が翼さんに「24点」って小声で言ったの聞こえたし!
キー!!バラさなくてもいいじゃん!!何が悲しくて、翼さんに恥を晒しているんだ、私…。こりゃあ、追試で絶対合格点取らなきゃ!
改めて意気込んだ私は珠緒さんを見た。
とりあえずは再試を忘れて、珠緒さんのマフラーだ。どうなってるんですかと聞くと、やはり大変な事になっているらしい。じゃあ見せて下さいねと言うと、いそいそと毛糸と編み棒が入った袋を持ってきて、徐に取り出した。そして、その手に握られている物を見て私は驚愕した。
「さあ、唯さん、これね?やっぱり毛糸遊び化しちゃったの。どうすればいいのかしら?」
…こ…これは…。
その場にいた、珠緒さん以外の全員が息を飲んだのがわかった。先生と翼さんは、同じ格好で止まっているし、雅ちゃんは目を見開いて止まってる。渡瀬さんまで、給仕していた手を止めて、珠緒さんが持っている物を凝視していた。
「あら?みんなどうしたの?」
一人だけ時間が止まっていない珠緒さんが、訝しげに声をかけるが、このマフラー…?をどうすればいいのかわからず、私は思わず天を仰ぎたくなった。
「「猫だ」」
双子が呟いた言葉に、心の中で同意した。
珠緒さんが持っていたのは、マフラーとは絶対に言えない代物…最早毛糸玉化してしまい、それに申し訳ない程度に引っかかっている編み棒の残骸らしいものだったから…。
これをどうすればマフラーに出来るんだろう。いや、マフラーよりこっちの方が難しかったと思うんだけど。
気を取り直して、そのマフラーもどきを手にとってじっくり観察してみると、編み目がどこかわからなくなっている。
これはもう一から編み直した方がいい、絶対。
「珠緒さん、申し訳ないんですけど、ここまで絡まっちゃうと解した方がいいです。編み目もわからなくなっちゃってるので、編み直しましょう。大丈夫、頑張りましょうね!」
「やっぱり?はぁー、やっぱり難しいわねぇ…。」
「じゃあここから解していきましょうか」
そう言って、珠緒さんが糸を解していき、私がその糸をまき直す。しばらくそれをしていると、いつの間にか先生達がいなくなって、雅ちゃんが私の様子を楽しそうに見ていた。
「あれ、先生達いつの間に出て行ったんですか?」
「さっき二人で出て行ったわよ。それにしても、やっぱり女の子はいいわねぇ。うちは男の子ばっかりだから、女の子らしい事が出来なかったの。お義母さんも楽しいでしょう?」
「そうねぇ。いいわよね、こういう女の子女の子している雰囲気。うふふ、唯さん、今日だけとは言わず、いつでも遊びにいらっしゃい。私や雅さんがいなかったら、渡瀬や他の皆にもてなすように言っておくから。」
「え!?いやいや、そんな…そんなに気を使ってもらわなくてもー…」
頻繁に来る気はないですから。と言えない気弱な私を許して下さい。
やけにほんわかとした空気の中で、珠緒さんがマフラーもどきを解す、しゅるしゅると言う音と、私達の声だけが優しく部屋の中を包んでいた。
…唯と亨のキャラが変わって行っているような気がする。
…いいかな…。