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第50話

ぱたぱたと音をさせながらリビングを立ち去った神崎を、ただ呆然と見ていた。

母や祖母は彼女の事を心配しているようだったが、俺にはその余裕が無かった。



千歳先生が死んだ



その言葉を信じたくない。

だけど、あの子が嘘を付いているとは考えられない。

俺は、彼女が生まれたその日を知っている。そして、それを涙ながらに喜んだ千歳先生も。



『唯一無二の大切な子供。だから、唯。』



そう言って照れた様に、でも確かに幸せそうに話していたあの人は


もういない。



「―――おる、おい亨、大丈夫か?」



はっと気が付くと、翼が俺を呼んでいた。心配そうに様子を窺う、俺と同じ顔の、兄。

あぁと声を返したものの、思いがけず掠れた返事に翼は眉を下げた。



「…ちゃんと詳しい事を聞かなきゃわからないけど…唯が二歳の時に亡くなったって言うことは、僕達が日本に帰ってから一年経ってないうちに…」


「………」


「事故か…。祥子さんも大変だっただろうな。それなのに、その祥子さんも亡くなって…」



そう言ってうなだれた翼を、母が容赦なく責めた。



「そうよ!一人になって寂しい思いしてるのに、ぺらぺら思い出話するんだもの!唯ちゃんが泣いてたら、あなた達のせいですからねっ!全くもう、女心がわからないで、図体だけ大きくなっちゃうなんて!情けないったらないわっ!」



いや、それは流石に理不尽だ。

そう思ったのは翼もだったらしく、俯いていた顔を急いで上げ反論し始めた。



「いや、母さん達だってえらい乗り気で聞いてきたじゃないか!何で、僕達だけが責められるわけ!?」


「だぁってー!まさか唯ちゃんの子供時代の事聞けると思わなかったんだもーん!」



もーん、じゃないだろ。

内心、母にそう突っ込みながら、リビングを出て行ったきり戻って来ない神崎…唯の事をぼんやり考えた。



俺の記憶にある唯は、まだよたよたと二、三歩歩ける覚束ない足取りと、覚えたての言葉を舌っ足らずの口調で話す赤ん坊の頃のもので、あんなに悲しそうな…傷付いたような表情をするようなものではなかった。


千歳先生が死んだと言った、あの時。


翼と思い出話に夢中になっていてわからなかったが、確かに出て行く寸前、あの子の顔は強張っていた。

自分達が話していた昔話が、そんな顔をさせてしまった罪悪感を感じていたのもあった。一向に戻ってくる気配のない彼女を心配して立ち上がろうとしたら、祖母にやんわりと止められた。



「しばらくそっとしておきなさい。」


「…でも…」


「二歳の時に亡くなったのなら、唯さんにお父様の記憶は無いでしょう。そこをあなた達が知っているから、少しばかり嫉妬してるのよ。だから、少し…ね?」


「…そうですね。」



そう言って微笑んだ祖母を見ながら、祖母に言われて初めてその事に気付いた自分に、少しヘコんだ。


そんなに早く父親が亡くなったのなら、確かに千歳先生との記憶が無いはずだ。それに、最近母親まで亡くしたのなら寂しくないはずがないのに、そこを俺と翼が懐かしそうに話していたから。


嫉妬と言う感情が果たして合っているかどうかは、あの子にしかわからない。だけど、その言葉が間違いではないだろうなとも思った。



未だにぎゃーきゃー騒ぐ翼と母を、よく騒ぐなと眺めていると、携帯を片手に困ったような表情を浮かべる神崎がリビングに戻ってきた。

どうしたんだと思い、立ち上がって側に寄ると、手に持っていた神崎の携帯が鳴った。その着信を見るなり、文字通り彼女は飛び上がった。



「あぁっ!!来たっ!!」


「…は?」




着信にビビった神崎は、すーっと息を吸って、次の瞬間、勢い良く俺に頭を下げた。



「ごめんなさい、先生!!」


「え?」


「先生をパパに売りました、ごめんなさい!!!」



俺がその言葉の意味を理解するより早く、彼女は携帯に対応し出す。



「もしもし、パパ?あのね、詳しい事は先生に聞いて?怒っちゃ駄目だからね!?はい、先生。パパが話したいって言ってます。」



はいっ!と渡された携帯を条件反射の様に受け取ったのはいいが、どのような状況になっているのか頭をフル回転させ、なんとなく把握出来ると、とんでもなく嫌な予感しかしなかった。

神崎が落ち込んでいる時に、タイミング良くかかってきた電話。溺愛しているという噂のパパ…桐生総一郎がその微妙な声音を聞き逃す訳がない。


出たくねーなーと心底思いながらも、渡された携帯は未だに通話中の表示がされている。仕方なく覚悟を決めて、神崎の携帯を耳に当てた。



「変わりました、遠藤です。」


『唯に何をした。』



第一声がこれだ。

しかも電話なのに、腹に響く低い声。

怖えなぁと思いながらも、平然を装って対応する。



「娘さんのご両親と知り合いだったんです。それで、昔話に花が咲いてしまって。こちらの気が回らなくて、娘さんに悲しい思いをさせてしまったようです。大変申し訳ありませんでした。」


『…千歳と?』


「お知り合いなんですか?」


『千歳と俺は幼なじみでな。ふぅん…なるほどな、唯が動揺するわけだ。…先生って言うのも呼びにくいな。君、名前は何て言うんだ?』


「亨です。」


『トオルね。今晩予定はあるか?』


「は…?」


『イエスかノーで答えろ。空いてるか?』


「イエスですけど…。何ですか?」


『唯を連れて店まで来い。飯食いながらでも千歳の事教えてやるよ。あぁ、そう言えば、秀人がお前たちは双子だって言ってたな。遠藤部長もいるのか?もし、彼も暇だったら一緒に連れてこい。店は唯が知ってるから、って事で唯に代われ。』



あまりの展開の早さについて行けず、言われるがままに神崎に携帯を返すと、彼女ははぁ!?っと声を出して慌てだしていた。



「ちょ…ちょっとパパ!勝手な事しないで…って、レイフのお店の場所?わかるけど…。えぇ!?やだっ!!ま…っ!!ちょっと、もしもし、パパ!?」



切れてるし!と携帯を睨め付けた神崎は、また俺に頭を下げた。



「もー、本当にごめんなさい!うちのパパが迷惑かけて…!!食事とかいいですよ、本当!私から言っておきますから!!」



そう言って頭を下げていた神崎を目聡く見つけた母は、事のあらましを聞くなり俺の腕をガシッと掴んだ。

痛い。文句を言おうと母を見ると、これは駄目だと悟った。目が異様に輝いている。



「行きなさい、亨!翼ー、翼も行くのよ~!」


「え!?駄目ですよ、雅ちゃん!パパが無茶言ってるだけなんですから!」


「あらー、いいのよ?桐生総一郎がお誘いしてくれたんですもの。無碍に断るわけにはいかないわ。それに、翼は前に仕事を一緒にしたのよね?報告も兼ねて行ってらっしゃい」


「え…でも…。」


「いいよ、行っても。亨、お前も断らないだろ?」



なぁ?と同意を求めてきた翼は明らかに楽しんでいるようだが、まぁ桐生総一郎に会ってみたいと思っていたのも本音としてはある。何より、千歳先生の事を知りたかった。

だから、あたふたと困っている神崎の頭に手を置いて、一通り撫でくりまわした後、行く。と短く答えた。

節目50話のはずなのに、まだまだ先は長そうです。

次は唯です。

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