第四十九話
「千歳先生って、先生、私の父を知ってるんですか?」
まさか先生の口から、お父さんの名前が出てくるとは思わなかった。しかも、翼さんも先生と同じ反応だ。
雅ちゃんと珠緒さんは、さっぱりわからないと言う感じだし、どうした事か、先生と翼さんは私をじっと凝視しているし…。
「千歳先生が父親…じゃあ…」
「…あぁ。そうだろうな…。間違いないな。唯だよ。」
「「…大きくなったな…」」
…あのー…誰か説明してもらえないですか?
なんか、二人とも懐かしいモノを見る目で私を見てるんですけど。しかも、何気に名前呼び捨てにされたし。
それから二人は、二人にしかわからないような話をし始めた。困った私は、珠緒さんにヘルプを求めた。珠緒さんも二人の反応がどうなっているのかわかっていない風で、ヘルプヘルプと助けを求める私を見て、二人に声をかけてくれた。
「ほらほら、あなたたち、唯さんが困ってるじゃない。とりあえず座りなさい。どういう事か説明してちょうだいな。」
「そうよ?二人とも、唯ちゃんのお父様を知ってるようだけど…」
そう言われて、私と向き合う形で腰掛けた先生と翼さんは、相変わらず写真をじっと見ていた。先に口を開いたのは翼さんだ。
「唯ちゃんのお父さんって、この千歳先生なんだよね?」
「はい、そうですけど。」
「…隣にいるのは祥子さんだね。元気にしてる?」
「あの…母は昨年亡くなったんです。」
「え…亡くなった…?」
「はい。癌だったんですけど、発見された時にはもう手遅れで…。それでも余命六ヶ月の告知より、半年長く生きました。」
翼さんはショックを受けているようで、手で顔を覆った。先生は知っていたのか、お母さんが死んだと言う事実にピクリと反応したけれど、癌だったと言う事を話すと少し苦しそうに顔を歪めた。
「そうか…。ごめんね、辛い事を思い出させて。」
「あ…はい。」
「ところで、唯ちゃんって名字『神崎』だよね。千歳先生はどうしたの?…ちょっと聞き難いけど、桐生さんと祥子さんが再婚って事は、離婚したの?」
どうしよう。
多分、先生と翼さんはお父さんが生きてると思ってる。
なんて言えばいいんだろう。
多分、私の考えは気のせいじゃない。
二人はお父さんを知ってる。
それもお母さんと私の事も知ってる。と言うことは、私がまだアメリカに居た頃か、それ以前。
その頃のお父さんを知っているのなら、亡くなっているのを知らされるのは苦痛かもしれない。だけど、今現在、私の戸籍は『桐生』だし、お母さんの事を聞かれた時点である程度、わかっているのかもしれない。
「…あの、二人とも私の父を知ってるんですか?」
そう聞くと、答えたのは意外にも先生だった。
「俺達がアメリカに居た頃、千歳先生と出会ったんだ。ちょうど近所に公園があって、そこの近くの病院で外傷外科医として働いた。」
「…セントラル病院の?亨、なんであなたが病院のドクターと知り合いなの?怪我でもした?」
「いや、母さんと父さんがいない間に、よく病院へ遊びに行ってたんだ。その時、千歳先生にいろいろ教えてもらったりして…。そう、だから祥子さんも知ってるし、お腹に居た頃の君も知ってる。唯、君をね。」
「え?私?」
きょとんとする私を尻目に、翼さんは思い出すようにいろいろ教えてくれた。
お母さんのお腹の中ですごく元気だったとか、生まれた時は本当にちっちゃくて触るのが怖かったとか、初めて歩いた時、お父さんは感激のあまり泣き出したとか。いろいろ。
「唯はね、いつまで経っても僕の名前呼べなくてね。最後まで『たしゅく』のままだったんだよ。亨の事はすぐ呼んだんだけどね。『とーるとーる』って。」
「千歳先生と祥子さんは『おとーたん、おかーたん』だったな。」
やはり懐かしむように語られる先生と翼さんの会話に、何故か私は疎外感に悩まされた。
その感情が自分では処理しきれないまま、なおも二人の話は続く。
「本当に腕のいいドクターだったんだ。僕も医者になろうかなとか一時期真面目に考えたよ。」
「お前が医者とか無理だろ。先生の所に運び込まれた血まみれの急患を見る度に顔背けてたくせに。」
「それで笑うんだよ、病院のスタッフや先生。酷いと思いません?おばあ様。」
「まあ、翼に医者は向かなかったってわかったからいいじゃないの。仕方ないわね。」
くすくすと笑い合う、仲の良い家族をどこか遠くで見ていた。
私が望んでも手に入らないモノ。
私が気が付く前に失ったモノ。
私がいる、家族は本当の家族じゃない。
違う。
私だけが違うんだ。
羨ましいと思うのも、悲しいと思うのも筋違いだってわかってる。
だけど、こうして目の前にいる幸福せそうな家族を見ると、叶わぬ事を願ってしまう。
どうか、お父さんとお母さんを私に返して
『お前なんて、あの家の厄介者でしかないんだぞ。お情けで置いてもらってるのに、血が繋がった家族だとでも思って勘違いするなよ。』
遠い記憶が蘇って、私を蝕んでいく。
「父は亡くなりました。」
「「え?」」
「信号無視のトラックに突っ込まれたんです。その時、同乗してた祖父母は即死、父もその一週間後に一時的に意識を取り戻したものの、大量出血を起こしてそのまま亡くなったって聞いてます。」
「「死んだ?千歳先生が?」」
「私が二歳の時です。だからもう『千歳先生』はいないんです。すみません、ちょっと失礼します。」
そう言って席を立ち、渡瀬さんに化粧室の場所を聞いて、急いでそこに逃げた。
後ろから「そんな…嘘だろ」という声が聞こえたけど、耳を塞いだ。
化粧室の扉が閉まった瞬間、膝を抱えてかがみ込む。
お父さんとお母さんの事を、先生達の口から聞いた事が私の心に思いがけない孤独感を生んだ。そして同時に、忌まわしい記憶を必死に頭の中から追い出す。
それはポケットに入れてあった携帯が着信をしたのに気付くまで、私はその体制のまま、ただ小刻みに震えしゃがみ込んでいるだけだった。
唯の心情編。
どうやって唯の孤独感を表現したらいいのか、心底悩みます。未だに悩みどころ。
ちゃんと読者の方々に伝わっていればいいのですが…。