第48話
珍しく昼は洋食だった。
しかも料理長が腕によりをかけたと見える。いくら家が金持ちだとは言え、俺ですら滅多にお目にかかれない料理がずらりと並んでいる。
基本的にうちの食事は雇っている料理長が作るのだが、たまに一品だけ珍品が出る場合がある。そう言う時は大概祖母か母が料理長にリクエストをするか、自分で作った物なのだが、それが卵かけご飯だとかお好み焼き、たこ焼き等が出される事が幼い時からよくあった。
昼飯とかだったらまだいい。問題はそれらが出るのは夕食だという事だ。。
高校生の食べ盛りに卵かけご飯…。いや、別に文句は言わない。好きか嫌いかと言われれば、好きな方だ。だが、夕食にそれだけぽんと出された時には、翼と二人で泣いた。いや、父も祖父も泣いていた。
当の本人達はお腹いっぱいだわーと言って満足げだったが、腹を空かせた男共は気を利かせた渡瀬が夜食を持ってくるまで堪え忍んだという、大して思い出したくもない思い出がある。
そんなほろ苦い経験を思い出しながら、やけに豪勢なフレンチを食べながらきゃいきゃいとはしゃぐ身内と、丁寧にフォークとナイフを使う教え子をどこか他人事のように思いつつ、黙々と食べた。
テーブルマナーが完璧ねと誉める母に、海外によく行っていたと神崎が答えているのを、食後のコーヒーを飲みながら黙って見ていた。
そう言えば、クリスマスもパリに行くとか言っていたような気がする。だったらなおのこと、補習は受けたくないだろう。
だけど、高校生のくせにクリスマスにパリかよと呆れてもいた。
まぁ、当然ながら桐生さんは行かせたくないみたいだが、連れて行くのは桐生総一郎だと言っていたし、それはそれでいいのだろうけど。
気が付くと母達の会話の内容は、その桐生総一郎の話になっていて、そして『カサブランカ』のサプライズだなんだの事で盛り上がっていた。
『カサブランカ』と言えば、桐生さんのモデルの件を翼に話しておかねばならないだろう。とは言っても、あいつも十中八九断るだろうが。
確か『カサブランカ』のファッションショーは、毎年同じ日に開催されるはず。だとしたら、その日は確か平日だ。だったら尚更出れるわけがない。しかも、俺だって学校がある。そうなるとやはり桐生さんの頼みは、聞けない。誰か他の人に当たってもらうしかないだろう。
…て言うか、神崎が一言『お兄ちゃんがやればいいじゃない』って言えば、全ては解決しそうなものなのだが…。
そんな事をつらつら考えていると、急に祖母から話を振られたのだが、内容をあまり聞いてなかったのと、答えようがない質問だったので、断りを入れて席を立った。
神崎がじーっと見ているようだったが、彼女とは視線を合わせずに、庭に出てそこにあるイスへと腰掛けた。
帰ってこないわけではない実家だが、今ではずいぶんと足が遠退いているのも事実で。今いる庭で、よく翼や従兄弟達と走り回っていた事を思い出す。
俺は大学生の時にこの家を出て、祖父が所有しているマンションへと居を移している。
元はビル一棟丸々分譲だったのだが、最上階のペントハウスは売りに出さずに祖父名義の物となっていた部屋を譲り受ける時に、祖父と一つ約束をしている。
『女は連れ込むなよ』
と、祖父は意地悪く笑った。
元々自分の部屋に女を連れ込まないので、その祖父の約束はしなくてもよさそうなものだったが、これから見合いとかになってもその約束を盾に取れば、自分のテリトリーは守られる。そう考えて、今もその約束は有効だ。
遠藤グループ総帥の祖父は、既に八十を迎えようかと言うのだが立派に健在で、「ひ孫の顔を見るまで死なん!」が口癖である。
ついでに、俺に有り余るほどの見合い話を持ってくるのもこの人なのだが、絶対的運命論信者の祖母によって、その辺はうまくあしらわれている。翼はその際たる被害者だが、自分には彼女がいますと言って祖母を味方に付けた翼は、なんとか釣書の山から逃げている。
そう言えば今日はまだ祖父の姿が見えないが、多分趣味の市場巡りにでも行っているのだろう。
一大グループの総帥のくせに護衛も付けずにふらふらと出歩く祖父は、普通に見かける年寄りのような格好で、築地や太田市場をフラリと立ち寄り、帰ってくると活のいい魚や、新鮮な野菜を買ってくる。それが当たり前のように食卓へ上がるのだが、撒かれた護衛達からは悲鳴混じりの苦情が上がり、息子である父からも再三言われているのにも関わらず、祖父はフラリと出歩く。
そんな祖父を敬愛して止まない翼も、実は市場巡りが好きだ。一時期、市場関係者の中で『あの遠藤グループの総帥が孫と二人でマグロの競りを見学してる』と囁かれたのだが、実際その姿を目にした者は少ない為、収束した…らしい。
そう思っていると、後ろから人の気配がして振り返ると、スーツ姿の翼が立っていた。言ってた通り、今日も仕事だったようだ。
「よっ、亨、お帰り。」
「お前もな。今日も仕事か?サラリーマンは大変だな。」
「ははっ、それに月曜からロンドンに出張だしな。それよりさ!唯ちゃん来てるんだろ?どうだった、母さん。」
「…俺が来たとき、既にコレ。」
そう言って、ピンクのメイド姿がやけに似合う神崎の写メを翼に見せた。母の秘蔵中の秘蔵であるあのピンクのメイド服、あの母が力を入れないわけはない。それがわかっているからこそ、翼にその写真を見せた。
「どれど……こっ…れは………すごいな……」
「…だろ?引き剥がすの大変だったんだ。」
「そうだろうな。…このメイド服、母さんが大事に大事にしてたやつだろ?確かオーダーメイドだって聞いたけど。」
オーダーメイド…。
一体誰に着せるためにオーダーしたのか考えたくはないが、それを難無く着こなす神崎。
可哀想に、母のおもちゃ決定だ。
絶句していた翼もようやくショックから立ち直ったのか、マジマジと写メを見始めた。
「んー…でもさぁ、確かに可愛いな、唯ちゃん。」
「…は?」
「これさー、ロリ系好きな奴にはたまんないかも。そう思わない?アキバとか行ってもそうそうここまで可愛い子いないんじゃない?」
……
「秀人さんが可愛がるわけだよな。こんなに可愛かったら、義妹とは言え愛でる気にもなるわ。唯ちゃんが妹だったら、僕もシスコンになってるかも。」
どうしよう、翼が壊れた。
「…た…たすく…?」
「あ、僕ロリ系好きじゃないから安心しろ。犯罪者にもなりたくないし。ちなみに僕の好みは、僕のハニーみたいな癒し系だから。でも、唯ちゃんは別かなー。こりゃーファンだね、ファン。」
そう言って、スキップでもしそうな感じで皆がいるリビングへ向かった翼を見て、何か恐ろしい物でも見てしまったかのような恐怖感に襲われた。
ハニー…。
双子の兄が、自分と同じ顔をしている翼が彼女の事をハニーと呼ぶ。
それは、ジンマシンでも出るんじゃないかと思う程の衝撃だった。
いや、マジで。
あんな姿を見たら、有紗の翼に対する執着心もあっさりと崩壊するんじゃなかろうか。
その事に軽く身震いをして、リビングへと戻ろうと立ち上がった。
秋晴れとは言え、既に季節は終わりを迎えようとしているので、日当たりはいいここも風が冷たい。ずっといると寒い。少しばかり冷えた身体を温めようと、手をさすった。
これから本格的に冬が来るなと思いながらリビングに入ると、翼が信じられない物を見たと言う風に俺を見た。
双子の勘と言うやつだ。すぐに翼の隣に立った俺は手渡された一枚の写真を見て、時間が止まった。
薄々、どこかで感じていたんだろうと思う。
その事に気が付かなかったわけじゃない。
そんな可能性があることはどこかで感じながらも、そんな都合のいい偶然なんか滅多にあるもんじゃないと否定していた。
だけど、手元にある、今この瞬間に俺が見ているこの写真は、全ての偶然を必然に変える。
俺は、この人を誰よりも尊敬している。
俺が、教師になったのを見てもらいたい人。
会うのを躊躇っているのは、まだまだ俺が教師としては未熟だからで。
どうせだったら、しっかりと教師面した俺を見てほしいと思って、会いたいのを我慢している。
それなのに
あっさりと貴方は俺の前に顔を出す。
憎たらしいくらいに。
俺が祖父母や両親より尊敬して、敬愛してやまないその人の名は
「…千歳先生…」
次から唯に戻ります。