第三十六話
「唯…とりあえずそこに正座しなさい。」
恐る恐る日本史の結果を見せたわけですよ。誰ってパパにね…。
そしたら、みるみる内に顔色が変わっちゃったわけですよ。この変わり方は非常にまずい。それも、正座付き…。怖い。怖すぎる…。
生憎、今日はまだお兄ちゃんもお姉ちゃんも帰って来てなくて、現在この家にいるのは、にこやかに微笑んでソファーに長い脚を組んで座っている魔王と、正座して雷を待っている私、いつもは私の味方をしてくれるのに、今は裏切ってダイニングに逃げ込んだナイトのみだ。
せめて道代さんがいれば…。だけど、道代さんはお孫さんが熱を出したので今日はお休みだ。つまりは…雷をこの身一身に受けるしかないわけで…。
「ほぉう、これまた珍しい点数を取ったようだ。唯、確認するが、このテストは何点満点なんだ?」
…こっ!!怖い!!怖いよーー!!
お母さーん、パパが魔王化してるー!!こうなったパパを宥められるのは、お母さんだけなのに…。
「ひゃ…100点満点です。」
「そうだな、100点満点だな。だが今、俺が見ている点数…何点だ?唯?」
「に…にじゅうよんてんです……。」
そこまで言うと、パパはこれまでにないってくらいの素敵な笑みをこぼした。その威力たるや、泣く子も黙るほどだ。だけど、このあとの揺り返しが凄まじいのも私は知っている。
そして、私は次の瞬間の落雷に備えて身構えた。
「あれだけ言ったのに、なんで24点なんだ!!中間の時が32点で、期末が24点!?上がるならまだしも、下がるってどういう事だ!!」
ひぃぃ!!直撃ですよー!! 避雷針はー!?
とは言え、反撃できる立場じゃないから、黙ってパパの説教を受けるしかない。
項垂れて、大人しく説教を受けている私を見て、パパは深い深いため溜め息を付いた。
「全く、誰に似たんだか…。知ってるか、唯。千歳は元々歴史が得意でな。中学までは教師になりたがってたんだ。」
「そ…そうなの?初耳…。」
「医者になった事は後悔してないだろうが、それでも読んでる本は歴史関係のばっかりだったからな。あいつは、特に戦国時代が好きだったみたいで、修学旅行先じゃ城から離れようとしなくて、バスに乗り遅れそうになったんだからな。それをあいつは俺のせいにしたんだぞ!?俺が、現地の女をナンパしてたからとかって言って!」
「ぱ…パパ…?」
「それを当時付き合ってた彼女が聞きつけて、俺は平手打ちされて別れたんだぞ!?修学旅行で!その時、千歳はなんて言ったと思う?『災難だったな、総一郎。ま、お前だったらすぐ次の彼女出来るって。気にすんなよ。』だぞ!?」
「………」
唖然としてパパを見ていると、当時の事を次々思い出しているのか、パパの勢いは止まらなくなってきた。
普段パパはそんなに激昂したりしないのだけれど、お父さんとの思い出にはかなり思う所があるのか、段々感情が高ぶってくるのが常だった。
「千歳はいつもそんな逃げ方してた!あいつは要領よくて、俺が何故かとばっちり食ってたんだ。あーもう腹立ってきた!唯、ハグさせろ!!」
「なんで!?」
「ハグの刑だっ!ほら、来い!」
パパが腕を広げて待っているので、仕方なく正座を崩して膝立ちでソファの前まで行く。
脇の下からひょいっと持ち上げられて、思いっ切りぎゅうぎゅうされる。
苦しいけど、文句言ったらまた説教されちゃうから大人しくハグされておいた。
パパは55歳だけど、全然そうは見えない。見る人によっては30代に見えるらしい。身体付きだってメタボってない。パパはよくふざけて「若い奴らに負けてられないからな」って言ってるけど、ちゃんとジムに行って鍛えているのを知っている。じゃなきゃ、こんなに引き締まった身体してないと思う。
しばらくパパにハグと言う名の拘束をされている時、玄関の方から物音がして、リビングにお兄ちゃんが入って来て、私がパパにハグされているのを見るなり、叫んだ。
「父さん何やってるんだよ!!父さんだけ独り占めなんてセコい!!」
「羨ましいか、秀人。でもダメだぞ、今はまだ説教の最中だからな。」
「説教?」
「唯の日本史の点数聞きたいか?」
「…あー…。なるほど…。唯、ごめんね?亨から聞いちゃった。」
うっそおぉ!?思わずお兄ちゃんを凝視したけど、あの顔は間違いない。知ってる。なんで、先生もばらしちゃうかな!?
もう知ってるんだっだらいいか。半ばヤケクソで、お兄ちゃんにも手を伸ばした。
嬉しそうな顔をしたお兄ちゃんにすぐさまハグされる。勿論、パパをひっぺがして。
その内、お姉ちゃんも帰ってきてまたハグされる。
「ゆーいー!!大好きー!!」
「もういいだろ、美奈!!元々俺がハグの刑で説教の代わりにと思ってハグしてたんだぞ!!」
「父さんは一番最初にハグしてただろ!次、僕の番だよ!!」
「ぎゃー!!ナイト助けてぇー!!」
「きゅぅぅん…」
何時ものように笑って。
何時ものようにハグされて。
何時ものように愛されて。
それがいつまでも続かないの知ってる。
でも、今だけ。
今だけでいいの。
このままでいさせて。