第十七話
「え?お兄ちゃん、今なんて言ったの?」
思わず箸を落とした。
足元には、大人しくナイトが鎮座していて、落とした箸の持ち主を見上げている。
「だからー。唯は日本史の成績悪いんでしょ?だから、亨に特別に教えてやってって頼んだんだ。」
…そんな、どや顔されても全っ然嬉しくないし!!バカ!お兄ちゃんのバカ!!
「なんでそんな余計なことするの!?…確かに日本史の成績は悪いけど…だからってわざわざ先生に頼むことないじゃない!!」
「何なに?唯はその先生嫌いなの?ていうか、お兄ちゃん、その先生と知り合いなわけ?」
「お前多分知ってるだろ。亨だよ。遠藤亨。」
その名前を聞いた瞬間、お姉ちゃんの顔が般若に変わった。ひっ!滅多にお目にかかれないこの顔をしたお姉ちゃんは、非っ常ーに怖い。
「遠藤亨?遠藤亨ってあたしが知ってる『あの』遠藤亨かしら?なに?あの男が唯の先生なんてしてるわけ?」
「日本史担当らしいけどね。」
「最っ悪!!」
あれ、お兄ちゃんだけじゃなく、お姉ちゃんも知り合いなの?
思いっきり顔をしかめたお姉ちゃんをぽかんと見つめていると、思っている疑問が顔に出たのか、お兄ちゃんが私を見て苦笑した。
「あぁ、そうか。唯は知らないんだな。美奈は亨の事嫌いなんだよ。昔からね。」
「当たり前じゃない!あたしの友達が何人あの男に泣かされたと思っているのよ!」
「泣かされた?」
きょとんとお姉ちゃんに問いかけると、盛大にため息を付きながら、大きく頷いた。
「そう!遠藤亨、別名モデル喰いの遠藤!あの男は、昔、片っ端からモデルの女の子を喰いまくってた。しかも、全員彼女扱いじゃなかったって聞いてる。二股、三股当たり前だったらしいわよ。それにね?モデルだけじゃなく、いろんな子に手を出してたみたい。」
「うわぁ…」
「それにね?あの男ってすごいモテてたくせに、絶対女の子に好きだって言ったこと無かったんだって。要は皆遊びだったって事ね。」
「こら、美奈。一応、亨は今唯の先生なんだから、そんな事教えて唯が悪感情持ったらダメだろう。」
「いいんじゃない?唯、あの男の特別授業なんて受けなくていいわよ。あたしが許す!」
ドンとテーブルを叩いて私を見ているお姉ちゃん。
そうかぁ。先生はそんなに遊んでたのかぁ。でも、今は有紗先生がいるから、今はもう遊んでないと思うんだけどなぁ。
私がそんなことを考えていると、それまで黙って聞いていたパパが口を開いた。
「唯、お前二学期中間の英語の点数何点だった?」
「え?英語?確か98点。」
「あら、2点間違えちゃったの?」
「うん、スペル間違えちゃったの。」
「まぁ、唯は英語はネイティヴだしな。一応イタリア語とフランス語も大丈夫なんだから問題はないんじゃない。」
私は一応マルチリンガルと言うやつだ。小中学生の長期休暇になると、パパの仕事も兼ねてミラノやパリ、NYやロンドンにも連れて行かれ、そのお陰で、イタリア語とフランス語は会話で不自由しない程度に喋れるし、英語に至っては、ネイティヴスピーカーだ。
「じゃあ数学は?」
「数学?えーっと…90点だったかな…。」
「現国は?」
「うーんと…確か92点…。」
「生物。」
「95点。」
「家庭科。」
「100点。」
「あら、唯って成績優秀~。」
「そうだね。」
にこにこと笑っていたお兄ちゃんとお姉ちゃんだったが、次の瞬間絶句した。
「じゃあ日本史。」
「…………んじゅう…2点…。」
「あ?聞こえないぞ。唯。」
「…………32点…。」
「「「32点!?」」」
何よ、そんなに大きい声で復唱しないでよ!だから日本史苦手って皆知ってるくせにー!!
ちょっとお兄ちゃん、何なの、その痛ましい物を見る目は!!お姉ちゃん、目見開き過ぎ!!パパに至っては、頭を抱えちゃってるし!!
「何よー!赤点じゃないからいいじゃない。他の教科は90点代なんだから、問題ないでしょ?」
「問題あるだろ!何で日本史だけ32点なんだ!!勉強しなかったのか!?」
「したもん!頑張って32点だもん!」
「唯?威張れる事じゃないわよ?」
「亨が言ってた事より更に悪いな…。まさか32点とは…。」
「32点32点って連呼しないで!!」
「32点なんだから仕方ないだろうが。全く…。唯、その遠藤っていう先生にちゃんと特別授業してもらえ。」
はーっと言った感じで髪をかきあげ、お味噌汁を飲んだパパを見て、思いっきり顔をしかめる。
「えぇ~!遠藤先生に特別授業とかしてもらうのが学校の皆に知られたら、私あの学校いられないんだけど。」
「どういうこと?」
お姉ちゃんがご飯のお茶碗を持ったまま、首を傾げている。言っちゃっても大丈夫かな。
「学校じゃ先生、すごい人気だもん。それに、教師が生徒を贔屓ってマズくない?」
「他に歴史の先生いないの?」
「いることはいるんだけど…。」
そう、いることはいる。だけどその先生は女子生徒から評判が良くない先生で、私も正直苦手だ。
厳しいというより、単純に怖い。
「唯、来週からテスト始まるんでしょ?だったら少しでも点数上げないと。」
「そうだけどー…。」
「言い訳無用。ちゃんと勉強しろ。いい点取れたらクリスマスはパリに連れてってやる。」
「え?別にいいよ。」
いきなりパリって言われても…大体パパは仕事で行くんだし、お母さんがいない今、パリを一人でうろつくのはちょっとなぁ。しかも、クリスマスに…。
「マリベルに会いたくないか?しばらく会ってないんだろ?」
「マリー?会いたい!」
「だったら勉強しろ。マリベルにブッシュドノエル作っておくように言っておくから。」
「わかった。頑張る…。」
先生の特別授業は嫌だけど。
むむむと言う顔をしていると、お姉ちゃんが吹き出した。
「マリーのケーキ、あたしも食べたいなー。美味しいのよねぇ。昔はよく食べてたわ。」
「僕はしばらく前に会ってきたけど、全然変わらないんだよね、マリー。クリスマスか…。僕も一緒に行こうかな。」
「お兄ちゃん、クリスマスだよ?彼女いないの?あの桜って子誘えばー?まんざらでもないんでしょ?」
ニヤニヤ笑いながら、お姉ちゃんがお兄ちゃんを見ているが、お兄ちゃんは眉間に皺を寄せている。
「なんで桜とクリスマスを一緒に過ごすんだ。僕は唯と過ごす!クリスマスは家族で!鉄則だろう。」
「秀人、クリスマスはお前仕事だろ。あの高橋がサボらせるわけがない。諦めろ。」
「零め…。あいつ自分の家族と過ごすに決まってる。子供が産まれて初めてのクリスマスだからな、僕に仕事押し付けるだけ押し付ける気だ。絶対…」
「ま、仕方ないんじゃない?頑張ってね。じゃあ今年のクリスマスはパパが唯独り占めかぁ。あたしは彰義君と一緒に過ごすし。クリスマスの朝にメール送るわね。」
「彰義さんと上手くいってるんだね、お姉ちゃん?」
うふふと笑って、お姉ちゃんは肯定する。彰義さんとはお姉ちゃんの彼氏だ。
お姉ちゃんが高校の時から付き合っているので、10年近くの付き合い。10年経っても、お互いらぶらぶで目のやり場に困るぐらいだ。パパもお兄ちゃんも公認で、そろそろ結婚話も出るんじゃないかなと思っている。
クリスマスだから、彰義さんもプロポーズとかしちゃうんじゃないかなー。
「美奈、彰義によろしくな。唯はちゃんと勉強しろよ。」
「わかってるよー…。」
意気消沈しながら、ご飯を食べ終えた。
フランスならクリスマスは本来なら『ノエル』って言うんですよね?統一する為に『クリスマス』で。
ちなみに私は、ブッシュドノエル食べたことないです。