第13.5話…秀人
シスコン兄、秀人視点です。
こいつが、唯の通ってる学校の教師だったとは。
静かにスコッチを飲む、自分の隣に座っている男を見る。
男のわりに綺麗な顔をしていると思う。現に今も、バーにいる女の熱い視線が注がれている。
まぁ、この男だけではなく自分もその視線は感じているが。
「だけど、驚きましたよ。まさかこんな形で桐生さんと会うとは。」
「僕だって驚いた。お前が教師になったとは噂で聞いてたけど、唯がいる高校だったとはな。」
そう。この男はそもそもいわゆる『御曹司』というやつなのに、何故だかあのデカい会社に入らずに、教員免許を取って、あっさり教師になった。
総帥の孫なのであれば、少なからずグループの内部に組み込まれるだろうと皆が思っていた事だったから、教師になったと聞いてひどく驚いた。
「亨、お前何で会社勤めしてないんだ?てっきり僕は、そのまま入社するとばかり思ってたぞ。」
「会社は兄貴が継ぐのが決まってますからね。兄貴がいるなら、俺がいなくても大丈夫だと思ったんです。それに、今は公務員の方が安定してるんで。」
「翼か。あいつはトップっていう柄でもないだろう。どちらかというと、お前が会社のトップで、翼の方が教師っていうのに向いてる。」
亨には翼という一卵性双生児の兄がいる。見た目はそっくりでも、性格が全く違う。兄の翼はおっとりとして、人と争う事を厭う性格なのに対して、弟の亨は積極的で攻撃的。それでいながらフォローを忘れないと言う、今風に言うなら、草食系の兄と肉食系の弟と言ったところか。
「お前が先生ねぇ~…。全然想像出来ない。」
「一応しっかりやってますよ。まぁ、妹さんは俺の授業中よく寝てますけど。」
「唯が?お前担当何だ?」
「日本史です。」
あぁなる程。唯は歴史関係が弱点だからな。
苦笑しつつ、自分のウイスキーを飲む。
「唯は歴史嫌いなんだよ。僕と美奈が教えてもダメなんだ。相当嫌いなんだな。」
「しっかし…桐生さんって相当なシスコンだったんですね。」
隣の男は、思い出したかのように肩を震わせている。
別にシスコンだと言われるのは構わないが、それは唯に限った事であって、美奈にはあれほどではない。
「唯は特別だから。父さんも美奈も、僕に負けてないぞ。」
「は?それ本当ですか?」
唖然と言った表情を浮かべているこいつを見るのは、なんか腹が立つ。
なんだ、悪いのか。
「妹って言っても、義理でしょう?まさか恋愛感情絡んでるとか言いませんよね?」
「…お前それ本気で言ってる?本気だったら殴るぞ。唯をそんな目で見たことなんて、あるわけないだろ!」
このバカはふざけた事をぬかしやがる。なんだって、可愛い唯をわざわざ『女』で見なきゃいけないんだ。自分の抱いている感情は『妹』の唯だからで、『女』の唯ではない。
初めて唯に会ったのは、自分が大学1年、唯がまだ小学校に上がる前で、正直に言うと、父が本気で祥子さんと結婚するとは思っていなかった。
それまでの父は、ほぼ毎日タブロイド誌に載っていたほど、女性関係が派手だった。別れた妻が他の男の所に走った反動なのか、仕事で溜まったストレスなのか。詳しく知らないし、知りたくも無い。
当時、海外ブランドのチーフデザイナーを務めていた父と共に海外に住んでいた僕と美奈は、幼少時、母が自分達を捨てて出て行った事に傷ついていた。だからと言って、忙しい父に頻繁に構ってもらえるわけでもなく、だだっ広い家で、ナニーや家政婦達が面倒を見てくれているだけと言う生活をしていた。
高校に上がる時に、自分だけ日本に帰国し、こちらの高校に入学した。その時に知り合ったのが零だ。
零は、人にズケズケとはっきり物を言う性質で裏表がない性格をしていた。そんなやつとなぜか馬があった僕は、なかなか充実した高校生活をしていたと思う。
自分の容姿は、美人だと言われていた母の血を受け継いだらしく、女には事欠かなかった。こんな部分は父の血を引き継いだのか、気が付けば『遊び人』という通り名が付いた。別にそれで困らなかったし、寄ってくる女共もそれがわかって来るんだから、似たようなものだろう。
そんな自分を零はいつも注意していた。「いつか大事な女が出来ても、苦労するのは彼女だぞ」と言って。
そのまま大学に入学した時に、父から紹介されたのが祥子さんと唯だ。
童顔の祥子さんはどう見ても、30を過ぎた子持ちには見えず、まだ自分と変わらない年に思えた。いや、下手したら、自分の方が年上に見えるかもしれない。
あの派手だった女性関係が嘘だったかのように、祥子さん一筋になった父は、同じく娘の唯にもベタベタに構っていた。
それが何だが無性に腹が立った。今思い出すと、つまらない嫉妬というやつだったのだろう。幼い頃に自分に注いで貰えなかった父の愛情を、その一身に受けている唯がムカついた。
祥子さんはともかく、とにかく唯を徹底的に避けた自分は、ある日家の居間でポツンと一人でクマのぬいぐるみで遊んでいる唯を見かけた。
そのまま無視して部屋に行こうとした時に、唯がこちらに気付いて走り寄ってきた。
「おにいちゃん、ゆいとあそんで。」
「は?なんで僕がお前と遊ばなきゃなんないわけ?」
「え…だっておにいちゃんはゆいのおにいちゃんだって、ぱぱがゆってた。」
「パパ?」
「うん!ぱぱになってくれるって、おかあさんもぱぱもいってたもん!」
嬉しそうな顔をしている唯を見て、今まで耐えてきた汚い感情が溢れ出してくるのがわかった。
どうにかして、この小さい生き物を傷つけてやりたい。ただそれだけしか頭には無かった。
「父さんはお前のパパにはならない。どうせ祥子さんと結婚したとしても、お前はいらないんだってさ。だから僕の事もお兄ちゃんなんて呼ばないでくれる?お兄ちゃんって呼ぶのは美奈だけなんだよ。お前じゃあない。お前邪魔なんだよ。」
それだけを言って、そのまま部屋へ真っ直ぐ行った。
身体の震えが止まらなかった。
最後まで言い切った瞬間に見た唯の顔がチラついて仕方がない。
傷付き、今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔。
なんとか気持ちを切り換えたくて、適当な女に連絡を付けた。
財布と携帯、車のキーだけ持って、玄関に出てみるとやけに静かだった。
だけど、家にいたくなくて車に乗り込んで、女と待ち合わせしている場所へと走らせた。
女と落ち合い、そのままホテルでコトをしようとしても、唯の顔がチラついて、眼前の快楽に入り込めない。どんなに女が奉仕しようが、気分が乗らない。
「悪い。今日はもういい。」
不平を言う女の腕を引っ張って、ホテルを出た後、何となく帰りたくなくて、零に連絡を取って会うことにした。
「何、どうした?そんな顔して。さては、お前が女に振られたか?」
開口一番、そう話し出した零を見て、思わず苦笑する。
「振られてはいないさ。」
「だったら何なわけ、秀人君?この俺様が聞いてあげるよ。」
「何から話せばいいんだろうな。僕にもよくわからない…。」
はーとため息を付いた僕を見た零が眉を寄せた。
何があったのか聞きたいんだろうな。だけど、自分も、この胸のもやもやが何なのかわからない。ただ、脳裏には唯の泣き出しそうな顔だけが浮かぶ。
「まぁ、言いたくないんだったら無理には聞かないけどな。ちゃんと気持ちを整理して、言いたくなったら言え。聞いてやるから。」
「はは…ありがとう、零。」
それからしばらくは当たり障りのない会話を続けていた。そろそろ時間も深夜に近くなっている。携帯を見て驚いた。
父と祥子さん、それに美奈の名前で着信履歴が埋まっていた。メールも何通も届いている。
何かあったのかと思い、急いで父に電話をした。
「父さん、どうしたの?なんかあった?」
『秀人、お前今どこだ!?』
「今?零と一緒にいるけど…。」
『今すぐ戻ってこい!!』
「は?どうしたの、父さん、説明してくれないとわからないんだけど!」
こんなにも切羽詰まった父は初めてで、隣にいる零も一体何事かという目でこちらを伺っている。
『唯がいない。どこにも見つからないんだ。捜そうにも、どこにいるのか検討も付かない。』
「いないって…。もう夜中になるじゃないか…。なんで…」
父が放った言葉を聞いた僕は、顔面から血の気が引くのがわかった。
隣の零は、僕の顔色が変わったのと、話の内容でわかったのだろう。同様に、顔を強ばらせていた。
『とにかく一度戻ってこい。辺りをもう一度捜さなきゃならない。』
「あ…あぁ、僕も辺りを捜してみながら、一度戻る。父さん、警察には…?」
『夜が明けるまでに見つからなかったら、警察に通報する。ただ、どこかで迷子になってるだけかもしれないから、夜が明けてからだ。それ以上は待てない。』
「わかった、すぐ帰る!」
「秀人、俺も行く!人手は多い方がいいだろ?」
「ありがとう、零。」
礼を言うのは早いぞと言う零と共に、薄ぼんやりとした街灯に照らされた辺りを気にしながら、急いで家に帰った。
深夜にも関わらず、家には煌々と灯りが灯され、一歩入ると蒼白な顔をした祥子さんと美奈がいて、父はしきりに電話をしていた。
帰った僕に気付いた父は、電話を切り、「いたか?」と聞いてきが、その問いに、首を縦に振ることが出来なかった。
「なんでこんな事に…。」
「わからない。俺達より先に帰ってた美奈が気付いたんだ。だけど、美奈は俺か祥子と一緒にいると思ったらしい。お前、美奈が帰った時、居なかったらしいが、一度帰って来てるだろう。車がなかったからな。何か知らないか?」
その言葉を聞いて、自分が唯に言った言葉を思い出して、再び血の気が引いた。
唯が泣きそうな顔をしたあの言葉。
「…僕のせいだ…。僕が唯にお前なんていらないって言ったから…だから唯…」
「こ…っのバカやろう!!お前は言っていいことと悪いことの区別も付かないのか!ましてや、あんな小さな子供になんて事言うんだ、このバカ!!」
「だって腹が立ったんだよ!僕らの事ほったらかした父さんが、あんなに唯を可愛がるなんて…!嫌みの一つも言いたくなるだろ!!」
「秀人、お前が唯ちゃんに言ったのは、嫌みじゃない。それは言葉の暴力だ。お前は、自分が受けられなかった愛情を受けている小さな子供に、嫉妬して暴力を振るったんだ。『お前はいらない』っていう言葉の暴力を。」
静かに、それでも怒りが込められた零の言葉にはっとする。
そうだ。あれは言葉の暴力。紛れもなく、傷つけてやろうと思って放った言葉の刃。
唯の顔が離れない。どうしたらいい…?どうすればいい…?
「言い争いをしていても仕方ないし、時間は過ぎていく一方です。とりあえず、辺りをもう一度くまなく捜してみましょう。唯ちゃんのお母さん、唯ちゃんがよく行ってるとことか、好きな場所とかありますか?」
テキパキと場を仕切っている零を、ただ虚ろな目で眺めていると、頭を叩かれた。
あまりの痛さに、叩いた本人を睨みつける。
「呆けるんだったら、唯が見つかってからにしろ。これからどんどん気温も下がるし、時間もだいぶ経ってる。先ずは、やることやって、それから次の事を考えろ。ただ、唯に嫌われてもしょうがないだけの事をお前は言ってる。あとでちゃんと謝っておけ。それから俺が説教するんだから、逃げるなよ。」
「わかった…。」
小さな人影を求めて、暗い街を必死に捜す。
捜索を開始してから、1時間、2時間と自分達の焦燥を嘲笑うかのように、無情に時間は過ぎていく。
捜している最中にも、自分が零に言われた言葉を噛み締める。認めたくないけれど、自分は唯に嫉妬していた。だからあんなにも腹が立っていた。
唯をあんな顔にさせたのは僕だ…。罪悪感が次々湧き出して、遂には近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
もしもこのまま、唯が見つからなかったら?謝ることも出来ないまま、傷付けたまま会えないかもしれない。もしそうなったらどうする。一生唯を傷付けた事実を背負うには辛すぎる。
膝に腕を付き、両手で顔を覆って重すぎるため息を付く。
両手を顔から外すと、視界の隅に何かが見えた。何かはわからない。ただ予感だけがした。
立ち上がり、視界の隅に見えた『何か』の所に行くと、そこにあったのは唯が持っていたぬいぐるみで、すぐさま辺りを見回せば、公園の遊具の中で倒れている小さな人影を見つけた。
急いで駆け寄り、身体を起こす。
「唯!!おい、唯!!」
くったりとしていたその身体は、尋常じゃないほど熱く、このままだとマズい事はすぐわかった。
急いで父に電話をして、唯が居たことを報告すると共に、救急車を呼ぶようにとも言っておいた。
唯を抱きかかえたまま家に戻り、すぐさま祥子さんに付き添われ、救急車で病院に運ばれた唯を見送った。
宣言通りに、延々と父に説教を受けた僕が唯が入院している病院に行ったのは、次の日の昼近くになってからだった。
診断の結果、肺炎の一歩手前まで行っており、もう少し発見が遅れたら命の危険まであったらしい。
「祥子さん…少し休んで下さい。唯には僕が付いてますから。」
「あら、そう?だけど、あなたの方が疲れてるように見えるんだけど、大丈夫?あの人話長いからね。説教も長かったでしょう。」
そう言って笑う彼女を見て、この人は本当に父の事を理解しているのだと、そう思った。
「はは…確かに長い説教でしたが、仕方ないです。僕がしたことは最低でしたから。それより、祥子さん。父の事宜しくお願いします。あんな父でもいいなら、一緒にいてやって下さい。僕も反対しません、祝福しますよ。」
そう言って彼女に笑いかけた時、泣きそうな顔をして、だけどもすごく嬉しそうな祥子さんは、ただ「ありがとう」とだけ言った。
しばらくして唯が目を覚ました時、祥子さんは休んでいたので、その場にいた僕を見て、唯はひどく驚いた顔をしていた。
「唯、大丈夫か?苦しくないか?」
ぷるぷると顔を振りながら、何か言いたそうな目には、今にもこぼれそうな涙が浮かんでいる。
「唯?やっぱり苦しいのか?先生呼ぶか?」
「…ごめんなさ…」
「何で唯が謝る?お前が謝ることなんてないだろう?」
「ゆいがいるとだめなの。ゆいはじゃまなの。いない方がいいの。だからゆい……」
そこまで言って、唯は泣き出した。ごめんなさいを繰り返しながら。
違う、唯が謝る必要なんてない。悪いのは僕だ、唯じゃない。
「唯…唯が謝ることなんてない。謝るのは僕の方だ。勝手に唯に嫉妬して、お前を傷付けた。唯…ごめんな。本当にごめん。」
泣きじゃくる唯を抱きしめる。華奢な身体は力を入れれば、すぐ折れそうなほど頼りない。
だけども、この頼りない身体が何よりも愛おしい。
「唯、僕の事お兄ちゃんって呼んでくれる?」
涙でぐちゃぐちゃの顔を拭いてやりながら、聞いてみる。案の定、唯は首を横に振った。
「唯、僕は唯のお兄ちゃんになりたい。父さんも唯のパパになりたいんだ。もちろん美奈も唯のお姉ちゃんになりたい。唯、唯は僕らと家族になるのが嫌?」
頭を撫でながら、優しく聞く。困ったように顔を傾げた唯が「ゆいいてもいいの?」と聞いてくるので、笑って「そうだよ、唯がいないとダメなんだ」と言い聞かせる。
「おにいちゃんってよんでいいの?ぱぱも?おねえちゃんも?」
「うん。唯が呼んでくれると、僕も父さんも美奈も皆嬉しい。呼んでくれる?」
「うん、おにいちゃん!」
ようやく満面の笑みが見れた事に心から安堵する。その後、泣きじゃくった為少し熱が上がった唯に熱いおでこにキスをして、手を握って寝かしつけた。
唯の安心しきった寝顔を見て、これから何があっても唯の味方でいてやろうと心に決めた。
それがいつしか、シスコンとか、唯至上主義者とか言われている。
あんなに「おにいちゃん、おにいちゃん」と可愛かった唯も、いつしか自分の事を上手くあしらうほど成長してしまった。嬉しいような悲しいような。
いや、悲しすぎる。
だから唯の携帯をわざと返さず、自分に電話をかけさせるように仕向けた。ついでに、明日実家に帰ってくるようなので、迎えに行く事も了承させた。
満足げな僕の顔を見た隣の男は、「重症シスコン」とくつくつと笑っていたが。
「さて、そろそろ俺帰ります。ここは俺が支払いますよ。」
「そうか、有り難くご馳走になるよ。じゃあまたな。あ、そうだ、亨!」
「はい?」
「お前、唯に手出すなよ。」
「出すわけないでしょう!!相手、子供じゃないですか、俺子供に興味ないじゃないですから!」
「その言葉、忘れるなよ、お前。」
「あなた、どんだけシスコンなんですか…」
もう呆れた視線を隠そうともしない亨を見送って、自分も帰るためにタクシーに乗り込んだ。
秀人の過去を盛り込んだので、他話より長くなりました。
読んでいただいた方、お疲れ様でした。
ちなみに『ナニー』とはベビーシッターの事です。アメリカなんかでは、子供一人残して外出すると虐待で通報されてしまうらしく、それを防ぐ意味でもナニーを雇っているって聞いた事あります。