第百十七話
帰国すると決めてから私は早かった。
あの後帰った私達は真っ直ぐ佐江子さんの家へ行き日本へ帰ると言いに行った。絶対何か言うだろうなーと思っていたはずの佐江子さんからは特に何も言われなくて、拍子抜け。アルが「じゃあ明日は一緒にディナーをとろう」と言ってくれたものの、少し寂しそうな顔をしていたのが胸に痛かった。
帰国する旨はパパに言っておかなくちゃいけないので、とりあえず家に帰ってメールを打つ。お兄ちゃんにも帰る事を言っておいた方がいいんだろうけど、それはお姉ちゃんに任せておいた。なにせ、お姉ちゃんがいなくなってあれだけ心配してたお兄ちゃん。あれから電話はかかってこなくなったけど、当事者のお姉ちゃん自身が電話して安心させてしてあげるのが筋ってもんだろう。
パパ宛てにメールを送った時にはもう夜で。時差があるから返信までにタイムラグがあるだろうなと思っていたパパからはすぐに返信があったことに驚きつつも、メールには明後日、シカゴ発成田着の航空券を取ったという事が書いてあった。
だけど…あれだけエコノミーで良いって言ったのに、なんでファーストクラスになってるのだろう。シカゴに来る前もビジネスだったんだよね…。本当はファーストクラスを取ろうとしたらしいんだけど、席が無かったんだって。
しかもしかも。私の為と言われれば何とも言えないのだけれど、まさかJFK空港からチャーター飛ばすなんて無駄使い以外の何者でもないと思うのよね…。
とまあ、流石にファーストは嫌なのですかさず文句のメールを送ると、ランクを一つ落とされてビジネスになった。け、結局ビジネス…。文句を言ってもメールが返って来ないし、お姉ちゃんに言わせれば「有難くファーストクラスに乗っていけばよかったのに。どうせパパが払ってくれるんだから」と不思議そうな顔をされてしまった。
「ああ、でも唯はクリスマスにパリ行く予定なのよね。その時は絶対にファーストクラスだわ。」
「え。」
「パパもわざわざチャーター飛ばすくらいだったらプライベート機一機買えばいいのにね。年も年だから狭い機内じゃ窮屈じゃない。たまにビジネスでも窮屈そうにしてる時があるのよ。」
いやいや、パパと同じような体型・年齢の人がエコノミーに乗って旅行するなんてことザラだと思うよ。しかもプライベートジェットって買うだけでも何十億なのに、維持費に年間いくらかかると思ってるの!
と言ってみたところで、根っからセレブなお姉ちゃんに言っても通じるわけない。
まさか本当に一機買わないよねえ…と引きつった笑いしか出来なかった。
メールには『二枚、航空券を取った』と書いてあったのだから、パパはお姉ちゃんがこちらに来ていることを知っているのだろう。帰ってからまた一悶着あるかもしれないけど、こうして言われないのにちゃんと娘のことを考えてくれてるんだから、きっと大丈夫。
お姉ちゃんも「自分で取ろうと思ったのに…」とぶちぶちぼやいていたのだけれど、それは単に照れ隠しだろう。
なんだかんだ言っても、パパもお姉ちゃんも似た者同士だ。
次の日、帰国するための荷物を詰めたり家の中を片付けていると、お姉ちゃんが二階の部屋から降りてきた。手には写真立てがあって、お姉ちゃんは目を細めながらそれを見ている。
そのフォトフレームに納められている写真は、ここシカゴの家にしかない私が産まれたばかりに写されたという家族写真。
「祥子ママと千歳おじさんって職場恋愛だったっけ。」
「そうらしいよ。お父さんがレジデントだった頃に、お母さんが看護士としてお父さんがいた病院に勤めだしたって。それでお父さんが一目惚れしたとかしないとか。」
「へーぇ…。で、祥子ママは断ったと。」
私は苦笑して頷く。
どうやらお父さんとお母さんの恋愛関係は少々複雑らしく、お母さんは自分が元気だった頃はもちろん、入院している時にだっていろいろなことを教えてくれた。
曰く。お父さんは若干粘着質体質だったらしく、何回も告白を断ったのにも関わらず、めげずに何度もお母さんにアタックしていったんだそうだ。しまいに根を上げたお母さんは付き合うようになったのだけれど、その時には既に初めて会ったときから二年が経過していたんだそうだ。
…お父さん、そのさっぱりした顔に似合わずしつこいんだね。
で、結婚に関しても色々と揉めたのだけれど、結局すっぽんのように喰らいついて離さないお父さんに説得されて、お母さんは落ちたらしい。
勿論、付き合っている時や結婚生活は幸せだったと言っていたし、お父さんのことも大好きだったと教えてくれた。
「それが何がどうしてパパなんかと…」
「さあー…。絶対に教えてくれないんだよねえ、パパ。お母さんも『なーいしょ!』って言って教えてくれなかったし。」
「再婚したのが、千歳おじさんが亡くなってから三年後…。その時、唯はこっちにいたのよね。パパがこっち来てたのとか覚えてるの?」
「こっちにいた時って言っても、五歳までだからあんまり覚えてないの。ああ、でも。幼心に『たまにくるたかいたかいしてくれるおじちゃん!』って思ってたのは覚えてるよ。私の誕生日とか、お父さんの命日とかに来てたのよね。それでうちに寄って行ってたのはうっすらと。」
「へー…て言うか、唯…おじちゃんって…」
「怖いもの知らずだったね、昔は。」
二人でへらっと笑ってその話題は終わり、二人で片付けに勤しむ事三時間。既に辺りは暗くなりかけていたので、すぐに準備して佐江子さんの家へ急いだ。




