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第112.5話…美奈

今回長めで、美奈視点です。

月明かりが淡く部屋を照らしている。

あたしはこの部屋に初めて足を踏み入れたのだけど、どこか懐かしい雰囲気がしたのは気のせいではない。何と無くだけどわかった事は、ちょうど横になっているベッドに亡くなった義母が作ったというキルトがデジャヴさせた記憶なのだろうか。

キルト独特の温もりと、義母が持つあの優しい雰囲気が思い出されてふいに笑みが零れた。


あたしの目の前にはまだまだ幼い面影が残っていながらも、成長期ならではの少女から大人の女への脱皮を遂げようとしている大事な大事な義妹が眠っている。今は眠りに落ちているので彼女の長いまつげは下ろされ、黒目がちの大きい目は閉ざされている。その身体はまだまだ細く華奢で、酷く頼りない。


だけど、あたしは知っている。

この愛おしい義妹は華奢な見かけより遥かに気丈で、あたしよりも強いと言う事を。





「美奈、本当にごめん……俺と別れてくれないか…」



あたしの彼氏が、自分に頭を下げて謝っている姿が異様に見えた。しかも口から出たのは期待していた言葉とは真逆の言葉。混乱しないほうがどうかしている。

そして、その隣で項垂れて座っている女の姿もどうかしている。



「彼女が妊娠、したんだ…」


「にんしん…?」



『妊娠』と言う日本語が最初ピンとこず、そのままの意味で呟いていたが、男は確認の意味合いで取ったらしい。短く掠れた声で「ああ」と肯定すると、自分と隣に座っている彼女との関係を洗いざらい話してくれた。

あたしが知りたい、知りたくないということを全く聞きもしないで。



「元々彼女、俺の会社の後輩だったんだ。最初は当然だけど何とも思ってなくて…だけど、気が付いたら彩夏(さやか)…って、彼女のことなんだけど…彩夏の事が好きになってたんだ。勿論、美奈のことも嫌いになったわけじゃない。ただ、俺が会社に勤め始めた辺りから、君とのスケジュールがほとんど合わなくなってただろう。だから……」



彼がくだくだといい訳を言っている間、あたしの脳は聞く事を完全シャットアウトしていたようで、気が付いたら何故か彼女が泣き崩れていた。



「違うんです!あたしがっ、彰義さんに彼女がいたことを知ってたのに、それでもいいって言ったんです!だから彰義さんは悪く無いんです!」


「違う、彩夏!俺がちゃんと美奈に話しておけば…っ!」


「だって…こんな、桐生美奈にあたしみたいな平凡なのが、勝てるわけ…っ!」


「彩夏、俺が悪いんだ。美奈も、俺から謝る。だから彩夏にだけは当たらないでくれ!」



何、この茶番。誰が当たるって?

目の前でドラマが繰り広げられてるみたい。と、どこか他人のように彼等の三文劇を眺めていたような気がする。とは言え、彼等だけの世界に浸からせるわけにはいかない。

何せ、妊娠している、らしいのだから。



「妊娠って…今、どれくらい?」


「………五週目…です…」


「いつから二人は付き合ってたの?」


「…………一年半…」


「ふーん。長いのね。」



その言葉に怒るよりも呆れが勝った。だけど、それよりも、自分がどれだけ情けないのかも知ってしまった。

一年半もの間、彼氏が浮気していたのに気が付かなかったのだ。確かに仕事が忙しくて、ここ最近はほとんど会えなかった日が多く、電話やメールも学生時代から比べたら格段に減った事もわかっていた。にも関わらず、お互いの仕事をいい訳にして会う時間も作らなかった自分の怠惰があったことは否めない。

だからと言ってその会えない期間、ずっと浮気をしていいという免罪符にはならないだろう。しかも、二人の間には子供までいるのだ。


もうあたしの愛は、彰義くんには必要ないんだろう。

だからこそ今あたしの隣ではなく、その浮気相手の子を慰めているだから。泣きたいのはこっちなのに、それも許してくれないのか。


そんな光景を見てしまったら、もう自分が入り込む余地はないと言っているも同然だと思うしか、ないじゃない。




「そう……わかった。おめでとう。」


「「…え?」」


「元気な子供が産まれるといいわね。じゃあね、さようなら。」



もう顔も見たく無い。

自分の愛と、信頼を裏切った男の顔なんて。



あたしはただ、愛されたかっただけなのに。

いつもこう。

ママも、パパ以外に他の男の人とあの広すぎる家でいちゃついてたっけ。お兄ちゃんが二人の痴態を小さかったあたしが見ないようにしてくれたけど、それでも何かが起きてたのはわかってた。


あたしがいい子になろうが、なるまいがママには関係なかった。




「美奈…君は強いな…いつも思ってた。俺なんか必要ないだろうって…間違いじゃなかったみたいだな…」



愛した男の言葉に振り向きもせず、あたしはその場を後にした。

ううん、するしかなかったんだ。




男に振られた。

まだ付き合ってた頃に、ただ漠然と彰義くんと別れたら抜け殻になるんだろうなと思ってたけど、意外に平気で。ずっと付き合っていたから、いつかはこの人と結婚するんだろうなとは思っていた事も否めない。

だけど、こんな終わりになるとは思ってもみなかった。


ただ、あたしには唯がいる。

大事な大事な、可愛い可愛い、あたしの義妹が。


唯はあたしを裏切らない。

お兄ちゃんもあたしを裏切らないけど、女性関係に関しては全く共感出来ない部分があるのだ。そこは譲れない。


今日帰ったら唯のマンションへ行こう。

そしたら一緒にお風呂に入ろう。思いっきりのバブルバスにして、泡でいっぱいはしゃごう。しょうがないなーと言いながらも、結局は一緒になって遊ぶはずの唯はいつだってあたしの味方。


だから、大好きな妹に思いっきり甘えて、失恋のイタミを忘れるんだ。



それなのに。



「アメリカ?」


「そう、今シカゴにいるんだって。なんでも佐江子さんが骨折したらしくて、それで心配して行ったみたいだよ。父さんがわざわざニューヨークから戻って連れて行ったみたいだから、そんなに大怪我なのかな。まあ、佐江子さんも年とは言えそうそう死にそうにないけどねぇ。」


「……佐江子…オバアサマが…」


「ほら、美奈。ぼーっとしてないで、さっさと仕事行きなよ。マチさんだって待ってるんだろ?」



兄に追いたてられるように家を出た。どこか物悲しい気分でモデル事務所に向かうと、マチさんと社長が厳しい顔をしてあたしを別室に呼ぶ。

何か言いたくない、もしくは悪い事があった時にこうして三人で話すのだが、失恋し、それを慰めてくれる妹も不在な今、もうこれ以上悪い事もないだろう。


そう思っていたのに、それはどうやら間違いだったらしい。

厄日はまだまだ続いたのだ。



「『カサブランカ』のモデル審査、落ちたわ…」


「え?」


「まさか桐生総一郎直々に新人引っ張ってくるなんて…全く誰が想像出来たって言うのよ。他の最終候補だった子達だって驚いてるわ。」



金髪に近いほど脱色したショートカットが良く似合う、男勝りだけど美しくサバサバしたうちのモデル事務所の女社長が、タバコをイライラした様子で灰皿に押し付けているのを見るとも無しに見ていた。

『カサブランカ』のモデルの最終候補に残った事は勿論知っていたし、今年こそは選ばれるという自信があっただけだけに、今の言葉は衝撃以外の何者でも無かった。


父、総一郎がデザイナーをしているブランドのモデル審査は厳しく、それこそ世界のスーパーモデルも簡単には出られないと言わしめるほどのもの。それは今に始まったものではなく、昔『Dupont』のチーフデザイナーをしていた時からのものらしい。

さすがにその時代のことは知らないけれど、今でもその考えは健在で。日本オリジナルブランドである『カサブランカ』のコレクションのランウェイを歩くことは、昔からあたしの夢だった。




日本に来たくなかったわけではない。

だけど、住みなれたイタリアを離れて、わざわざ誰も知らない場所で暮らすのは嫌だった。日本語もとりあえずは話せる。だけど、兄の様に流暢に話せるわけでもないし、更に言えば日本語はほとんど読めないに等しい。こんな十五歳の今更になって日本で暮らせと言われても、嬉しく無いに決まってる。


ただ、自分に家族が出来るというのは嬉しかった。

あのイタリアの広い家は確かに立派だったけれど、パパは仕事柄忙しいから元々不在がちだったし、兄は高校入学の際に日本に行ってしまった。ママは浮気相手と出ていき、あの広大なだけの屋敷には家政婦とナニーしかいない日の方が多かった。

彼女達が優しく無かったわけではない。だけど、兄のような無条件の愛情はくれないし、パパが見せる不器用な優しさも与えてはくれなかった。

だからこそパパが再婚してもいいかと聞いた時、二つ返事だったのだ。


義母はどんな人だろうか。

ママと違って、機嫌が悪い時に自分達に当り散らしたりしないだろうか。

自分に優しくしてくれるだろうか。

期待とは裏腹に、ママと同じような人間だったらどうしようかという不安。


色々考え、それが杞憂だとわかったときは本当に泣きたくなった。



義母の祥子は本当に優しくて、暖かい人だった。彼女のような人とパパが再婚出来たのは奇跡だと言える。何故なら、あれだけ浮名を流したパパが、再婚以来全く女の影をちらつかせなくなったのだ。むしろ、義母以外の女は目に入らなかったと言っても過言ではない。

それくらい、義母とパパの関係は良好だった。

惜しむらくは、その義母も再婚だったことだということだけ。

しかも、彼女の亡くなった夫は、パパの親友だったと言うこともゴシップではいいネタになり、彼等は根も葉もない噂を立てられた。元々ゴシップネタには事欠かなかったパパだったが、流石にこの事態に腹をたて、正式にマスコミ全社に弁護士を通じて抗議。最終的にはオシドリ夫婦として世間的にも認められたわけだが、決して一筋縄ではいかなったのを良く知っている。



義妹、唯に関してははっきりと覚えている。

初めて会ったのは、イタリアのローマにあるホテルの一室だった。やけに小さい(と言っても五歳くらいだったから当然なのだが)女の子が、パパに抱かれて部屋に入って来た時は本当に驚いた。こんなに可愛い生き物がいるのだろうかと、思わず息を止めて凝視してしまったくらいだ。

黒く長い髪は今でも変わらないが、その当時は子供らしく赤いリボンを付け、これまた子供特有のまんまるな瞳に、あたしのハートは確実に打ちぬかれた。

小さな頃から孤独を癒してくれる人形遊びが好きだったあたしは、こんな人形が欲しいといつも頼んでいたことも相まって、まさかこんな自分の好みに沿った子があたしの妹になると言われて嬉しく無いはずが無い。


おねーちゃん、おねーちゃんと、舌足らずの声であたしを呼ぶ声に感動し、小さな手であたしをぎゅっと掴んでくる力に庇護欲と言うものが生まれた。

悲しいことに、兄はその庇護欲というものが生まれたのは大分後になるのだが、そもそも兄は女というイキモノが嫌いなだけなので、『女』の匂いを感じさせることのない義妹に関して、その強固なテリトリーが崩れるのも時間の問題なだけであったのだが。




「その急に決まったモデルって、どんな子なんですか?」



物思いに沈んでいたのが、マチさんの声で現実に引き戻された。

確かに落ち込んでいた。だけど、今は仕事の最中。気を引き締めていかなければ。



「高校生なんだけど、まあ……はっきり言えば即戦力にはならない。それどころか、コレクションの日までに間に合うのかすら…正直不透明ね。」


「大丈夫なんでしょうか、その子。」


「大丈夫、ではないでしょうね。今時のワガママ娘って感じだもの。世間って言うものを全く知らないで育ってきたんでしょう。自分本位で、独善的。にも関わらず、自分に全く非が無いと思ってるのよ。」


「うっわ……その子の親の顔が見てみたいですね。」


「今いるわよ。第二レッスン室で姿勢の矯正してるから、見に行ってくればいいわ。十中八九、母親の娘への過干渉で講師のジュンもうんざりしてるはずだから。」


「…うちの事務所に入ったんですか?」


「そうよー。わざわざ、指名してきたんですもの。まあ、コレクションに出れないってなった時の保険もかけてもらえたから、こちらとしても損はないかなと思ってね。」



渋い顔をしたマチさんと一緒に、桐生総一郎が選んだと言うモデルの子を一目見てみようと、第二レッスン室へと足を運んだ。

ちょうど隣の部屋からマジックミラー越しに見えるので、真際に立ってじっと見てみる。



『ほら、ちゃんと背筋を伸ばしなさい!猫背でランウェイ歩く気!?』


『やってるじゃないですか!』


『それが伸ばした!?馬鹿言ってんじゃないわよ、背筋伸ばして胸を張ってるって言えるの、それで!?』


『ちょっと、優子ちゃんはちゃんとやってるじゃない!あなた厳しすぎるんじゃなくて!?』


『これで?あのね、何生っちょろい事言ってるの?まだ本番前だからいいけど、あんたそのままでコレクションのランウェイに立つ気なら、恥かくのはあんただけじゃないのよ。あんたをその場に立たせた、スタッフ全員の責任になるんだからね!それわかってんの!?わかってるんだったら、さっさと立ちなさい!誰が座って良いって言ったの!!甘ったれんじゃないわよ!』



マジックミラー越しですら、講師のジュンさんの怒声がその場にいるかのように聞こえてくる。ジュンさんはウォーキングの講師としては優秀なんだけど、その分怖いと評判。最近じゃ丸くなったと聞いていたんだけど、さすがにこの『ユウコ』って子に対してはそうも言ってられないようだ。



「美奈…あんたあの子の事、どう思う?」


「…背筋が伸びて無いから猫背だし、顎を引いて視線をまっすぐに保ててないから視点が定まってない。腰から下のバランスが悪い。それから体型的にも、腕・ウエスト・腰・太ももを落とさせたいわね。今季の『カサブランカ』がどんなの持ってきてるのかはわからないけど、今までのラインから考えると、多分あの子今のままだと服入らないわよ。」


「………これを一ヶ月でなんとかしろってー…?えー…厳しすぎるでしょー…」




こんな子を入れたかったが為に、あたしが落とされた?

今まで必死になって頑張った。

笑顔も、ウォーキングも、身体のメンテナンスも完璧にして。仕事だって頑張った。嫌な仕事も不機嫌な顔なんかせずに。それをパパは知っていたはずなのに。


なのに、こんなドが付くほどの素人があたしよりも上なの?



「美奈?」


「……マチさん、あたし、いつからオフだっけ…」


「え?あんたがクリスマス欲しいからって言うから、その前後三日だけは空けといてあるわ。知ってるでしょ?だけどその分、年末年始は忙しいわよ。」


「あたしクリスマス休暇はいらない。だから、来週の休みをそのクリスマス休暇と取り合えてくれないかな。」


「はあ!?あんた、仮にも今忙しい時期だって知ってるわよね。表紙撮影とか、インタビューとか入ってるのわかってるでしょう。」


「お願い。あたし、このままだと駄目になる気がする。今のままだとあたしはカメラの前で笑えない。」



ジュンさんに怒鳴られている唯と同じくらいの年の子がレッスンを受けているのを、黙って見据えていたあたしの顔が多分相当やばかったんだと、今では思う。だからこそ、マチさんはしばらく考え込んだ後に言ってくれた。



「スケジュール調整してあげるから、一週間、オフにしてあげるように言ってあげる。だけどそれからは休み無しだからね。勿論クリスマスも無し。わかった!?」


「ありがとう、マチさん。」



そのまままっすぐ事務所を後にし、家へ帰って荷造りをし、アメリカへ発ってきた。

あたしが外された事情を知っているであろうお兄ちゃんはおろか、あたしを外した当事者であるパパの顔なんか見たくも無いから、何も言わずに唯のところまで来てしまった。流石に携帯に何回も電話があったのは確認していたし、何かあったらマチさんのところへ連絡がいくだろう。


だから、あたしは逃げてきた。



何が強いよ。

何が一人で生きていけるよ。


あたしは単純に何もかもが弱い人間なのに。



彰義くんなんて嫌い。

浮気相手の子だって、弱気なふりしてやった事は最低最悪。しかも子供が出来たって何よ。寝取り以外の何ものでもないじゃない。


パパも嫌い。

あたしが努力しても、認めはしても起用はしてくれない。ビジネスに私情を挟むなんて禁物だって、頭では理解してる。事実、モデルの『桐生美奈』はちゃんと納得している。

なのに、一人の『桐生美奈』っていう娘は全然納得してない。




「唯ー…唯はあたしの事、嫌いにならないよねー……」



さらさらと流れるような黒髪を梳きながら、あたしは目を閉じている唯に話しかける。寝ているためか、当然返事はないが、それでも可愛いこの子はぎゅっとあたしに抱き付いてきてくれて、あたしはそれだけで安心。



その身体はやっぱり柔らかくて、暖かい。



「唯ー…大好きよ。だから、いなくならないでね…」



あたしが泣き疲れて眠りにつく前、「お姉ちゃん、大好きだよ」と言う声が聞こえた気がした。




美奈お姉ちゃんは、存外打たれ弱いです。強がっていると言ってもいい。

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