第一一〇話
「これって…」
お父さんの字で綴られた『遠藤亨』という文字。
もしかして…と思って、もう一束の方を見てみると予想に外れず【遠藤翼へ】という手紙だった。
確かに先生達とお父さんが知りあいだって言っていたけど、まさか手紙のやりとりまでしていた仲だなんて知らなかった。今の今まで繋がりを示すような痕跡を見つけたことが無かったし、お母さんからもそういう話を聞いた事が無かった。
考えてみればそれも不思議な話だと思う。遠藤邸で翼さんに見せて貰った私が生まれたばかりの写真は確かに見覚えがあると言うか、私がアルバムに挟んであるものとさして変わりがないものだった。それこそ先生や翼さんがいなければ、ほとんど同じものなんじゃないかと言われても遜色ないほどの。
お母さんが生きていればいっぱい先生たちのことが聞けたんだけど、それも今では叶わない。もしも聞けたとしたら多分、笑いながら楽しそうに話してくれただろう。
なんだか、いろんな意味で残念だ。
お母さんに聞けない分、明日にでも佐江子さんやアルバートに聞いてみよう。2ブロック家が離れている分知らない可能性の方が高いけど、それでも聞いてみる価値はあるかもしれない。
ついでにキースにも聞いてみようかな。なんだかんだ言って、キースもあの病院の古株だからね。お父さんとお母さんが絡んでいる以上、佐江子さんたちより知っている可能性は高いよね。
手紙の中身が気になったけど、流石に人の手紙を読むのは憚られたので元通りに封筒に入れておく。これは日本に帰った時に読むべき人に渡そうと思って、そのままデスクの上に置いてその日は眠りについた。
明けた今日、佐江子さんは無事退院の日を迎えた。最後の健診の時、扱いにくい患者だったと担当医や看護士から苦笑交じりで言われた言葉に米つきバッタのように腰を折って謝ったけど、気にしないでーと鷹揚に言われたので内心ホッとする。
こまごましたものを片付けている最中、キースがひょっこり顔を出してくれた。
『やあ、おはよう。ミセス・クーロス。退院おめでとう。アルバートもユイもおはよう。』
『おはよー。キース、どうしたの?』
『今日が退院だって聞いてな。滅多に会えないミセスに挨拶しておこうかと思ってさ。』
『見え透いた点数稼ぎは止めとくんだね。この子は総一郎が面倒みてるんだから、余計な手出しはするんじゃないよ!』
『さ、佐江子さん!』
また失礼な。
慌てた私とは反対に、キースは苦笑を浮かべているし、佐江子さんはそっぽを向いてむっつりと黙り込んでしまった。アルもまた始まった…と少々うんざりした顔をして、荷物の整理を再開してしまう。
まあ今に始まったやりとりじゃないから、気を取り直してキースに向き直った。
『ユイに今度日本に行く機会が出来そうだから、日本の案内をして欲しいと頼みに来たんだ。いいかい?』
『え?あ、うん!大丈夫だよ。どこ行きたいとか希望ある?なんだったらパパにも協力してもらうけど。』
『ソウには是非とも遠慮願いたいもんだが……』
『またー。きっとパパもキースに会いたいと思ってるはずだよ。今はコレクションの準備で忙しいと思うけどね。』
『ああ、もうそんな時期なのか。時が経つのは早いもんだな…俺は今でも目に浮かぶようだよ。天使のようなショウコがチトセの隣で幸せそうに笑っていたのが。』
『あんたはまた、懐かしい事を言ってくれるね。年寄りくさいったらありゃしない。』
『まあまあサエコ。確かに、あのショウコは美しかったね。ソウがデザインしたウエディングドレスとの相乗効果で、本当に天使のようだったよ。』
佐江子さんが茶々を入れたけれどキースは機嫌を損ねることなく、しかもアルも手を止めてその昔話に何だったらノリノリ?みたいな勢いで話に乗ってきてしまった。
え、三人とも話が弾んじゃって止まらないんですけど…。キース、仕事はいいの?と思ったけど、本人は全く気にしてなさそうだ。
当時の事を当然知らない私は、なんだか盛り上がってしまっている昔話を黙って聞く事にした。
『ショウコが純白のドレスをそれはもう美しく着こなしてるって言うのに、チトセはまあ…!』
『千歳の朴念仁っぷりは昔からだったよ。』
『そこまで言うのもどうかと思うけど、まあ緊張してガチガチだったことは確かだ。』
…お父さん、ぼろっかすに言われてますけど。
草葉の陰で泣かないでね。多分、三人とも悪気はないと思うの。きっとね。
憐憫の思いを抱く私とは裏腹に、佐江子さん、アル、キースの三人はますます絶好調に。
『自分達の結婚を神に誓わないで、医学に誓ったのはあの二人だけじゃないか?』
『祥子も千歳も、根っからの医療従事者だったからね。神に誓うよりも医学に誓った方があの子達に合ってたんだよ。』
『医療も彼等の愛も、日々の進歩があったってことだね。なかなか深いなぁ。』
…深いか?
とか言う私の疑問は置いておいて。せっかく昔話をしているのだから、ここは聞きたかったことを聞いて見るチャンス!
『ねえ、お三方。私聞きたいことあるんだけど、いい?』
『なんだい?』
『「たすく」と「とおる」って言う双子の子を覚えてる?多分、十一歳とかそこらだったと思うんだけど……』
私がそう言うと、三人とも記憶を探っているのだろう。少し黙りこくった後、ます最初にキースが口を開いた。
『もしかして…チトセによく会いに来ていた日本人の子か?一卵性の双子で、確かそっくりな顔していたような……』
『そう、それ!!』
『そう言えばいたねえ、その双子。よくショウコとチトセの家に遊びに来ていたよね。なあ、サエコ、覚えているだろう?顔の整った子達だったよね。』
『あのジャリガキどもがどうしたんだい。何でお前がそんな昔のことを?』
じゃ…ジャリガキ……。一応、世界に名高い遠藤グループの直系二人なんだけど…ジャリガキって…。
心無しかひくりと引きつりながらも、本当に偶然に私の学校の先生をしている事や、翼さんにも再会したなど最近の出来事を掻い摘んで話すと三人とも一様に驚いていた。
まあ、当然と言えば当然だよね。生まれたばっかりの頃に出逢った人間が、まさか十数年経ってから何も知らずに再会する確立なんてそうそう無いだろうし。ましてやそれが学校の教師で、しかも世界的企業の御曹司とかって、どんなドラマだよ!って話だよね。
『なんとまあ…俺今、鳥肌立ったぞ。そんな運命的な事ってあるんだな。』
『また大げさな…たまたまだよ。たまたま。』
『いや、そうとも限らないよ。神の采配って言うのは人間の許容範囲外だからね。』
『アルもまたそんな…』
『何はどうあれ、あのジャリガキどもがでかくなったからってそう大して変わってないと思うがね。特にあの弟の方。率先してイタズラばっかりだ。そんでまた兄の方も面白がるから、終いには二人で派手になんだかんだと壊しまわって。あたしのこぶしはあいつらのせいで休む日が無かったよ!』
………。
ふ、ふーん……。そうなんだー…。
この事は私の胸にしまっておこうかな…。何か、聞いちゃいけないことを聞いちゃったような…。
昔のことを思い出したのか話す勢いが止まらなくなった佐江子さんを何とか宥め、ようやく退院の手続きをして無事病院を後にした。
タクシーの中で今後の事を細々と話している内に、アルの家に到着。荷物を運びこむと、久しぶりに会う事になった三匹のネコの出迎えを受けた佐江子さんは、ようやく人心地ついたようだ。
私は台所を拝借してお茶を淹れたのだけど、お茶受けがないのに気が付いた。昨日のお昼に作ったパウンドケーキがあったのを思い出したものの、馴染ませる為に一旦私の家の冷蔵庫に置いてあったのを思い出した私は、一先ず家に取りに戻ると二人に断って、2ブロック先の自宅へ走った。
それほど遠くないとは言えど、多少は息が切れる。ようやく自宅が見えてきたと思ったら、一台のタクシーが家の前に止まるのが見え、訝しげに思っていると後部座席から人が降りてくるのがわかった。
「えー…誰だろう………………って、お姉ちゃん!?」
私の声が届いたのだろう。タクシーから降りた人物が振り返って私を捉えると、それはもう華やかな笑顔を振りまいて、隣でトランクから荷物を降ろしてくれた運転手さんが見惚れているようだった。
「唯ーーーー!!!!!!!迎えに来たよーー!!」
「え、ええーーー!?」
少々くどめに感じられる…手直しするかもしれないです。