第106話
俺の真向かい、桐生さんの隣に腰を下ろした美奈とごく短い間だったのだろうか。それでも二人してギリギリと睨み合っていると、遅れて現われた人物の懐かしい声が聞こえ一時休戦と相成った。
「誰かと思ったら、遠藤じゃねーか!久しぶりだな!」
「……零先輩!お久しぶりです。元気でしたか?」
「おお、ご覧の通り。つーか、なんだよ、秀人。遠藤と飲んでるんだったら言ってくれりゃあよかったのに。」
「僕言って無かったっけ?」
「言ってねえっつの。」
久しぶりに会う…と言ってもほぼ大学を卒業して以来の再会になるのだが、相変わらず零先輩は変わって居ない。学生の頃の雰囲気から社会人としての自覚と自信を持った大人へといい変化は遂げているが、根本的な面は変わって居ないように思える。
神崎から聞いた話では零先輩は省庁を退官した後、桐生総一郎の会社に再就職し、現在は桐生さんの秘書のような仕事をしているらしい。俺の記憶の中には、零先輩とアパレル関係を結びつけるものといえば桐生さんしかないのだが、官僚を辞めてから何があったかと言う純然たる疑問はあるものの、それを今聞くのは憚られた。
ふと大学時代のちょっとしたコトなどの懐かしい想い出なんかを思い出していた俺とは別に、初対面となる悠生と零先輩は自己紹介がてら握手を交わしていた。悠生の人見知りしない性格を羨ましいと思う反面、初対面なのに距離感がないコイツに呆れもする。
そのゼロ距離感は当然、桐生さんに楽しそうに絡み酒している美奈にも同様で。
「初めまして!俺、早乙女悠生って言います!うわ、俺、美奈さんがデビューした時からすっげー好きで!!」
「みなで~っす!おーえんしてくれて、グラッチェ!」
酔っ払いとミーハー。ひとまず楽しげに飲んでいるようなので、そっとしておこう。隣には桐生さんもいるし、悠生も一応酔っているとは言え、美奈よりはしっかりしているように見える。
とりあえずこいつらを視界に入れないように、俺と桐生さん、零先輩の大学の先輩後輩と三人で飲もうとしたのだが、零先輩は腕時計を見て悪い!と短く謝った。
「悪い、俺もう帰らないと!」
「え?まだ時間早く無いですか?」
「芹が…芹って俺の嫁な。子供と一緒に待ってんだ。」
「そうですか。あ、遅ればせながら、結婚おめでとうございます。それと、お子さんもおめでとうございます。男の子ですか?」
「お、ありがとうな。ああ、うん。男の子。譲って言うんだ。」
ほら、これ見ろよ!と食い気味で携帯の写メを見せられたのだが、まだ生まれたばかりの赤ん坊の写真を何枚も見せられるはめになってしまい、最後には桐生さんによって止められたのだが、それでも零先輩は子供自慢を続けたいようだった。
桐生さんがぼそっと「零に似てるよね」と言った言葉に、俺は静かに頷いておいた。
その零先輩が帰った後、残された俺達四人はと言うと…
「ゆいにあいたーーーーーーいぃぃぃ!!!!!!!!」
「僕だって会いたいよ!!」
と言う、桐生兄妹の『義妹(かわいい唯)帰ってきて大合唱』を止める為に躍起になっていた。
いくら賑わっている居酒屋と言えど、二人とも酔っている上に、美奈に至っては声がデカイ。このままでは店員に注意されるのは目に見えている。仕方が無いので、俺は裏の手を使うことにした。
「……この写メ、見たかったら静かにしてくれませんか…」
悪いな、神崎。
お前のピンクのメイド服姿の写メを人身御供にする。
そう心の中でアメリカにいる神崎に謝ると共に、俺は二人の目の前にi Phoneを掲げると、それまでうるさかった兄妹は途端に口を噤んだ。
「「な、ななななな……っ!!」」
「?亨さん、何の写メなんですか?」
「あ?神崎のメイドコスの写メ。言っとくけど、これうちの母親の趣味だからな。」
「え!!うわ、俺も見た…」
い。まで悠生が言う前に、ものすごい早さで俺の携帯がひったくられるように桐生さんに取られた。自分の手元に持ってきた桐生さんは、美奈と二人で写メを凝視。しばらくその画像を睨むようにして見ていたのだが、はっと我を取り戻したのか「僕にこの画像送れ!」と、テーブルに身を乗り出すようにして俺に言ってきた。
「…いいですけど………なんだったら、神崎が生まれた時の写真持ってきましょうか?」
「「なにそれ!?」」
「俺、祥子さん……って、神崎の母親な。祥子さんが産気づいた時に、一緒に病院に行ってた…って、苦しいんだよ、このバカ!」
「んだとぉぉ!!バカ遠藤にバカって言われたくないわぁぁ!!て言うか、何それーーー!!!!!!!!あたしだって、唯が生まれた時立ち会いたかったっつーのよぉぉ!!!!」
バカ力の美奈に首を締められるようにして揺さぶられた俺はその手を乱暴に振り払うと、はー…っと溜め息を一つ吐き、そして改めて悠生に説明する。
神崎の両親とアメリカにいた時に知りあっていた事、神崎が生まれた時を知っている事、神崎が一歳になるころまでは翼と一緒によく神崎家に遊びに行っていた事などなど。
まあ、あまり詳しいところまで(千歳先生の事など)は言わなかったが、それでも悠生は驚いているようだった。
「そんなに会いたかったら、アメリカに行けばいいだろ。」
「……行きたいわよ。だけど、唯の大伯母のばあさんが怖いのよ!」
「…佐江子か。まだ生きてたんだな、あのババア。」
「亨、お前佐江子さんの事、知ってるのか?」
「そりゃあ、あのババアに昔翼と一緒になってしこたま叱られた事とか、何回もありましたからね。」
佐江子・クーロス・姫川。
あのババアの拳骨は、この年になってからでも思い出せる。そのくらい強烈なババアだった。当時すでに六十を迎えようかと言う年齢だったので、今ではもう七十ぐらいだろうか。祖父母とそう年齢的には変わらないのだが、あのババアは血筋なのか、昔は童顔だったであろう面構えを見事なまでに塗りたくり、いたく若作りだったのは覚えている。
佐江子は気性が激しく、姪である祥子さんですら勝てないのに、無謀にも千歳先生がよく挑み返り討ちにされていたのだ。それが十年経とうが、あの性格が丸くなったとは到底思えない。
それがあの穏やかなで少しばかりお茶目な祥子さんの伯母であるのと同時に、神崎…唯の大伯母であるという事実は遺伝子のちょっとした不思議だろうなと、俺はそう思っている。
次は唯になります。