第104話
悠生曰く、『魔王子』化してしまった桐生さんの形相たるや舌筆に尽くしがたく、そのどす黒いオーラに怖気づいたのか、いい酒を飲んでほろよい気分で楽しんでいた悠生は一気に酔いが冷めたらしい。一見チャラ男なくせに根底はヘタレな悠生は、事細かく桐生さんに喋った。
言わなくてもいい箇所まで。
「…美奈が降ろされた?…だけど最後のモデルって結局最終決定までいってなかったはず………ああ、それで…………なるほどねぇ。だから最近美奈の機嫌が悪いのか…」
神崎が襲われた云々の事情を話すと額にビキッと青筋を立てた桐生さんだったが、それでも激昂する事無く黙って聞いてくれた事にほっとする。が、まさに一色即発な険悪な雰囲気は相変わらずで、それは美奈が『カサブランカ』のコレクションモデルを降ろされたくだりを話している時まで続いた。
意外な事に、日本のみならず、アジアでもトップモデルに君臨している『桐生美奈』というトップモデルが『カサブランカ』の花型モデルとして大々的に起用されるのかと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
桐生さんによると、既にコレクションに出演するほとんどのモデルは決まっているのだが、最後のトリを務めるモデルはこの間最終選考が終わった段階で、ようやくこれから決まる予定だったらしい。
「じゃあ、美奈が出るって言う決定事項では無かったんですか?」
「うん。多分、美奈が出るって知ってたのはうちの社長と、コレクションの責任者とかだけだったはず。今季のモデル選考は珍しくトップシークレット扱いだったからね。それもこれも美奈にほぼ決まってたからか…なるほどねー。」
「でも、美奈さんって今まで出たことありませんよね。お父さんのブランドなのに…出させてくれないんですか?」
「…お前、バカ?」
悠生が言った問いを寸分違わぬ正確さで瞬殺した桐生さんは、軽蔑も露わに質問者を睨んだ。
「お前、『桐生総一郎』の仕事に対する姿勢知らないからそんな事言えるんだよ。まあ業界の人間じゃないから知らないんだろうけど、『桐生総一郎』って仕事に関しては超完璧主義者で有名でね。服の事に関しては一切妥協しないし、常に革新的なアイディアを考えているようなデザイナーだ。
それに『桐生総一郎』というデザイナーは、元々コネとか通用しないって暗黙の了解でね。いくら有名事務所のアイドルだろうが、モデルだろうが、女優だろうが、社長のイメージに合ってなきゃオファーも出さなけりゃ、斡旋も圧力も無視。にも関わらず、美奈が自分の娘だからって言う例外はない。『カサブランカ』や他のブランドでも今まで使うような事もなかったし、その実力もないって判断すれば親子の情とか一切関係ないから。」
きっぱりと自分の父親、と言うか、『桐生総一郎』というデザイナーについて言いきった桐生さんは、目の前にあった焼酎をぐびりと一口飲み、それから一気に息を吐いたあと右手で顔を覆った。
「にしても、美奈か………このタイミングだからこそ美奈使ったんだろうな。」
「…どういう意味です?」
「美奈ももう二十五、そろそろモデルを引退しようと考えてるはずだ。口には出さないまでも、なんか雰囲気でわかるんだよ。それに、最近ようやく自分のモデルとしての価値がわかったみたいだったし、いい仕事もしてるしね。だからこそ使おうと思ったんだろうしさ。」
「…?」
「…まあ、これは一デザイナーとしてというよりも美奈の兄としての僕が、兄目線で見た印象だけどね。にしても、美奈の代わりに連れて来たモデル…もう何あれ!」
撃沈している悠生を尻目に、桐生さんは盛大に顔を顰めた。それでもその美貌が崩れない。さすがと言うより他ない。
美奈の代わりに連れて来たと言っているモデルが、吉川のことだと気付いた俺は、とりあえず『何あれ!』と称される所以に耳をかたむけた。
桐生さん曰く、やはり吉川はズブの素人だったことが災いして、初日はモデルの仕事をしていると言うよりも、モデルの真似事をしてほとんど遊んでいるだけのようだったらしい。一応素人なのでモデル事務所に所属させたものの、契約云々であのモンペア母が出ばったようで、自分達にとって都合のいいようなものに変えてしまったのだそうだ。まあ、そこら辺は事務所の方が一枚も二枚も上手だと思っているので、そんなあの親子の都合よくいいようにはならないだろうと思っている。
しかし初日こそ遊んでばかりだったさしもの吉川だったが、ウォーキングや姿勢等の練習中、ずっと大人たちに囲まれて萎縮したのかどうかは知らないが、打って変わって殊勝にしていたらしい。内心何を考えているのかわかったもんではないが。
吉川が契約したモデル事務所では、あれだけコネが通用しない桐生総一郎のモデルを務める事になった吉川をシンデレラガールとして売り出そうとしているらしいが、そのシンデレラガールはと言えば学校での嫌がらせから来るストレスや、厳しいレッスンに対してのストレスからジャンクフードをバカ食いし、二日で3kg痩せた神崎とは違い、一週間で2kg太ったらしい。
その増加分を目敏くキャッチした桐生さんはすぐさまダイエットを指示したようで、コレクションの前日までには増加分も合わせて5kgは落とせと厳命、それはそしてそれは体重だけではなく、ウエストや腰回りなどもマイナス何センチと言い渡されたらしい。
その事について顔を真っ赤にさせた吉川は、クラークケントならぬママに泣きついたそうだ。そして、案の定モンペアババアが会社に乗り込んできたらしいが、会社の目先で追い払ったんだとくすくすと楽しそうに笑う桐生さんを見て、ある程度この件に関しての桐生さんの心内と言うものが想像をつけた。
「美奈を蹴落として、美奈の代わりにステージに立とうなんて甘いよね。それも、僕の可愛い唯をダシにしてさ。あぁもう、明日からもっとしごいてやろうかな。丁度採寸来るんだよねー。これで痩せて無かったら、どうしてやろう!」
うきうきとはしゃぐ桐生さんを尻目に、やはり飲んでおけばよかったと心の奥底で考えたのは内緒だ。