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第百話

ひゃ…ひゃく…!

『』内での会話は英語です。

『ユイ、そろそろ夕飯だから準備を手伝ってくれないかい?』


『はーい、今行くー!』



そう言われて時計を見ると、確かにそろそろ夕飯の仕度をする時間になっていた。よいしょとっと、若者らしからぬ掛け声で庭に設置してある年期の入ったブランコから降り、そのまま真っ直ぐにキッチンへと向かった。

今日の夕飯は何かなと思ってひょいっと食材を覗きこむと、ナスとひき肉、既製品のホワイトソースにじゃがいもなどが見えた。これで一体何を作るんだろうと思って聞いてみると、どうやらギリシャ料理では定番の『ムサカ』と言うものを作るらしい。日本的に言えば…ラザニアみたいなものらしいけど、詳しい事はわからないので見て覚えるしかないよね。

アルバートはギリシャ系アメリカ人なので、そういう郷土料理が好きみたいだから色々と聞いて覚えよう。



そう、私は今シカゴに戻って来ている。



パパが遠藤邸に迎えに来てくれた時に抱きついた私は、色々な感情が爆発してしまったように号泣してしまい、情けない事にそのまま気を失うようにして寝てしまった。

私がようやく気が付いたのは夜が明けきってしまってからで、その間の事はもちろん全く覚えていないし、パパがどうしたのかもわからない。寝起きのぼーっとした頭でわかっているのは、今さっきまで寝ていたベッドが昨日も寝た遠藤邸のベッドである事だけだった。

ベッド脇のサイドテーブルに備え付けられていた時計を見ると既に朝の七時を回っていて、それでむくりと身体を起こすと、ベッドの横に寝ていたらしいナイトがすくっとその身体を起こしたのが見えた。まんまるで真っ黒な目を心配そうに細めているその様は、まるで『大丈夫?』と言っているみたいだ。



「おはよう、ナイト。おいで。」



ポンと布団を叩くと、ひょいっと上がって来たナイトの暖かい身体にすがり付くようにして抱きしめた。

本当はベッドに上げちゃいけないんだけど、今日は特別ってことにしてもらおう…後で渡瀬さんに謝っておかなくちゃ…そう思いながらナイトを抱き締めながら毛並みを撫でていると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえてきたので、はいと短い返事をした。

入って来たのはパパで、私とナイトの光景を見て少し苦笑していた。



「おはよう。よく眠れたか?」


「おはよう、パパ。眠れたって言うか…気失ったまま、そのまま寝ちゃったって言うか…」


「そうか…でもまあ、夜にちょくちょく見に来たけど、魘されてる様子もなかったし。かえってそのまま寝ちまってよかったのかもな。嫌な夢、見なかったか?」


「うん。何も見てないと思う…」



ベッドサイドに腰かけたパパの重みで、少し沈んだベッド。だけど客室と言えどさすがは高級品、スプリングの悲鳴は全く聞こえなかった。

そんな関係のないことに関心している私と違って、パパはベッドに登っているナイトを見て目線だけで「降りろ」と命令、不服そうなナイトの頭をグリグリと乱暴に撫でた後、半強制的に降ろしていた。



「そう言えば、パパ、昨日あれからどうしたの?私、パパが来てから泣いちゃって、そのまま何も覚えて無いから…」


「寝たからな。…って、ちょっと待ってろ。お前、泣きすぎたせいで目元が凄い事になってるぞ。」


「え。」


「とりあえず冷やすか…ああ、昨日寝てるうちに冷やしておけばよかったな…」



パパがぶつぶつと何事かを言いながら、日本の客室なのに備え付けのバスルームに入って行って濡れたタオルを持って来てくれ、そのまま私の目元に当ててくれた。起きぬけでまだぼんやりしている頭に、その冷たいタオルの刺激は確かに気持ちいい。特に指摘された目元の辺りが…

まあ、あれだけ号泣すれば目も腫れるよね…と乾いた笑いが出そうだったのだけど、結局笑えないまま、冷やしながらパパの話を聞いていた。


何でも、私が泣き疲れて眠ってしまった後、このまま実家に連れて帰ると言ったパパを引き止めた雅ちゃんと珠緒さんがもう一晩泊まっていけばいいと言ったらしい。さすがにそんな事は出来ないと断ったパパだったのだが、タイミング良く帰って来た蒼偉パパにも説得されて結局パパも遠藤邸に一泊することになったのだそうだ。

あ、だからパパが夜に様子見に来れたりしたんだなと納得。


そして皆で食事を取りながら今後の事を話し合った結果、私をアメリカに連れて行く事に決まったらしい。と言っても、最終判断は私にさせると余地を残してくれた。

何故遠藤家の皆様まで私の今後を?と疑問に思ったのだけど、客観的に見てくれる人が必要だったんではないかと結論付けた。



「それで…お前はどうしたい?」



パパは静かにそこまで言うと、私の頭を撫でながら答えを求めるように聞いてきた。そっとタオルを外してパパを見ると、真面目な顔をして私を見ていた。


私は…どうしたいんだろう。と考えた時、真っ先に浮かんだのが綾乃や愛理ちゃんの顔だった。確かにこのままアメリカに行くとなっても、私の事を心配してくれていた彼女達に何も言わないで行ってしまうなんて事は出来ない。だからと言って、来週また学校に行くのは怖い。

綾乃が言ってた噂話程度がどのくらいなのかはわからないけど、悪意が広がるスピードは尋常じゃないって事はよく知っているし、あれに晒されるだけの忍耐力が今の私にあるとは思えない。

それに、佐江子さんの事も心配だ。父方の親類と絶縁状態に陥っている今、唯一の肉親と言ってもいい佐江子さんの入院は、私にアメリカ行きを決断させるには十分な理由だと思う。


私の思いを組み取ったのか、パパは軽く息を吐いた。



「別にそのままアメリカに居てもいいが、とりあえず来月の中ごろをメドに一旦日本に戻ってもいいんだぞ。」


「?どういうこと?」


「来月の二十日にもなれば冬休みに入るんだろ。その時までにこっちに戻ってくるか、そのままアメリカのハイスクールに行くか決めればいい。どうせアメリカも休みに入るし、転校するんだったら正月明けからでも大丈夫だろ。」



どうせクリスマスはパリなんだし。と言ったパパの顔を見て、思わず笑った。





『どれ、美味しく出来たかな?』


『いただきます!あっつ!』


『まったくユイは慌てん坊だな。ほら、火傷しないように気をつけるんだよ。』



『ムサカ』は一言で言えばグラタンっぽいラザニア。ん?むしろ、逆かな。何せパスタが無くてナスがある。むー、上手く表現できないけど美味しい。

美味しいよと言うと、アルバートはすごく嬉しそうに笑ってくれて、もっと食べなさいと沢山私の皿に盛ってくれた。


あれからアメリカに帰って来てから、少しずつ食欲は戻った。たった二日食べなかっただけで3kgも落ちた私にパパはびっくりして、あれやこれや食べさせようとしてくれたけど、結局食べれたのは普通のコンビニでも売っているなんてことない果物ゼリー。聞けばこれは先生が買って来てくれたらしい。

後でお礼を言おうと思ったのだけれど、何も言わずにこっちに来てしまった。


日本に帰ったら、まず先生にお礼を言わないと…そう思ってコップの水を一口飲んだ。

記念すべき百話目ですー。ようやく唯がアメリカに行きました。途中抜けている箇所は亨視点で補い、それでも足りなければ0.5で補足します。


ムサカ。書いている最中、『人がゴミのようだ!!』の彼を始終思い出しました。

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