第九十七話
学校で大変な事が起こっているとは露知らず、私はと言えば遠藤邸でぬくぬくと過ごしていた。
遠藤邸の広いお庭でナイトを遊ばせているのを、雅ちゃん達と一緒にアフタヌーンティーを楽しみながら見ていたと言うエレガンスさ。
せっかく出してもらったお昼ご飯も食べず、出されたお茶すら満足に飲まない私を心配している皆さんに大丈夫なようにしてみせる。かと言って私の気分が上昇するはずもなく、上っ面だけで笑っている感じだった。
広い庭ではしゃいでいたナイトもさすがに遊び疲れたらしく、ナイトを私の方へ呼んで水を飲ませていると、思い出したかのように渡瀬さんが私に聞いてきた。
「そう言えば、唯様がお持ちになったお荷物は随分大きなものでしたが、中身は何が入っておられるんですか?」
「…あ、そう言えば…すっかり忘れてました。えっと、差出人はパパだったんですよね。」
中を見てないから何が入っているかわからないけど、大きさの割には重くなかったのを考えると大体の予想はつくんだけど、確実ではないから見てこよう。
皆に断って一人で部屋に戻る。ナイトも付いてこようとしたけど、まだ水を飲んでいるから「すぐ戻るからね」と言って、置いてきた。
簡易包装されている荷物をビリビリと破いて箱を取り出した。誉められた話じゃないけど、私は包装紙をビリビリに破いちゃうタイプ。お兄ちゃん達もそう言うタイプなのでそれが当たり前なのかなと思っていたら、綾乃はちゃんと気を使ってシールを剥がすタイプなのでびっくりした経験がある。まあ、日本人は綺麗に剥がすタイプが多いらしいので、今は何とも思わないけど。
包装紙を剥いている最中、本当に大きいな…と考えながら、ようやく出てきた箱を開ける。
すると、中には薄紙に包まれた一着の真っ白なコートがそこにあった。
「あ…そっか…もうそんな時期なんだ…」
コートの上に乗せられて入っていた一枚のカードを取り出して読んでみると、思わず笑みが零れた。
『今年のコートは俺から贈る。
完全オートクチュールだから誰かと被る心配もないぞ。
S』
カードに書かれていた内容に苦笑するとともに、心の中でありがとうと呟いて大切にそれを箱の中に戻し、真新しいコートを一撫でする。
撫でた感触から察するに、これが上等なウールであることはわかった。まさかとは思うけど、メリノじゃないよね…とビクビクしながら触ってみたけど、さすがにそこまではわからない。
手に取って広げて見ると、Aラインのすっきりとしたデザインながら、ダブルボタンのお陰で全体的に寂しくは見えない。フレア状に広がる感じの裾は、コートだけを着ていてもダントツにオシャレ。
そっか。今季のコート権はパパが競り勝ったのかあ。
もうそんな季節になったのね…としみじみ感じていると、コンコンと控えめにノックの音が部屋に響いた。
私が返事をして入って来たのは、雅ちゃんで。私がコートを広げているのを見て、途端にキラキラした目になっていた。
「あら、そのコートどうしたの?可愛いわねぇ!」
「あ、これ、さっき言ってたパパから送られてきた荷物の中身です。今年のコート…と言うか、今シーズンのコート…ですかね。」
「今シーズン?」
「うーん…何て言いますか…パパもお兄ちゃんも、シーズン毎に新作出すんですけど、それとは別にデザインする服があって…例えば夏だったら浴衣とかとかなんですけど、今丁度冬に向かっているのでコートと言うわけでして…」
「…それじゃあ、毎年コートを作ってもらっているの?桐生総一郎に?」
「………はい。」
私の肯定に目を丸くして驚いた雅ちゃんだけど、まあ確かに私も贅沢だなーと思っている。
パパはクチュールだぞと笑って言ってるけど、そもそもパパのオートクチュールは本当に限定的と言うか、一部の、それも本当に懇意にしている人にしか作らないと言うのは有名で。
一度だけそのクチュールのドレスを着ることが出来た女優が、有名な映画祭で栄えある賞を獲得した時に、あのドレスは誰がデザインしたのかと話題になったことがあった。そしてそのドレスのデザイナーがパパだったとわかると、世界中から依頼が舞い込んだらしいけど、結局パパはそのほとんどを断って一部の人にしか作らないことにしている。
パパが何を思ってそうしているのかはわからないけど、それがパパの考えなんだからと私はその事を支持しているし、会社内でもあまり話題にされていないようだ。
だからと言って、私がそのオートクチュールを着る事には抵抗があったのだけど、私の意見などない無い内から作られているそれらを拒否することは当然出来なくて…。
と言うのも、パパはお母さんと再婚する以前から私に服を作っていた。それこそ、私のおくるみなんかはパパがデザインしたものだったらしい。
お母さんにそれでいいの?と聞いてみたところ、「千歳君すごく喜んでいたわよ」と言われればそれまでで。
だけどシーズン毎に新しく作られる服が多くなるにつれ、さしものお母さんも業を煮やしたらしく、私の服は良いから仕事しろと怒られたんだそうだ。
お母さんに怒られたことで勢いが沈んだのか、毎シーズンに一着だけとなったそれらは、今や若手デザイナーの中でも将来が有望視されているお兄ちゃんも加わった事で、一層華やかさを増している。
更には、お母さんが亡くなった事に落ち込んでいた私を励ましたいと言う理由で、お姉ちゃんまでもが参加している私のクロゼット事情は、見る人からすれば大層嬉しいものだろうけど、私的には少々困ったことになっているという状況で…。
なにせ誰がデザインするかを三人で揉める始末。しかも、サプライズ要素も加わっているので、私はそれを一切知らない。完成したら一式をプレゼントされるので拒否出来ずに、そのままそれを着た私の撮影会になるのだが…。
では何故知っているかと言うと、高橋さんが教えてくれたから。
『いやー…三人ながら一歩も譲らないんだよね。まあ、他の皆にデザイン画見せてみたら、各々いいって言うし、何だったら商品化したいって直訴したんだけどさ。唯ちゃんに合わせてデザインしたものだから、他の人に着せるつもりはない!って一蹴されちゃったよ。』
あははははっと笑った高橋さん。
笑い事ではないと思うんですけど…と思いながら、それを聞いたことを思い出す。
思わず溜め息が出そうになるのを堪えて雅ちゃんを見ると、少しびっくりしていたようだった。ま、当然だよね…。
「ま、まあ、それは置いておいて!唯ちゃん、そのコート着てみたの?」
「あ、まだなんです。着てみなくてもサイズは合ってるので、身体に合う、合わないとかない…」
「クチュールですもんねえ…」
ほう…と艶っぽい溜め息を吐いた雅ちゃんは、私のコートを一撫でしてしみじみといった表情で見ていた。
う、そんなに見られると私、なんか肩身が狭いなあ…。