第26話 全部、生きていた
午前四時十二分、入坑。
第四十層まで、十六時間。八人は、八日目に入っている。
坑口の階段の下に、六人が並んでいた。全員、救援隊の腕章をつけている。A級が二人、B級が四人。
「網代さん」
昨日の指揮官が、そこにいた。
「荷揚げ班です。六台、我々が運びます」
俺は言葉が出なかった。
昨日、テントで計画を説明した。三回に分けて六日かかると言った。誰も何も言わなかったので、それで終わったと思っていた。
「三回に分けて六日、と伺いました。それでは間に合いません」
「でも、深いところは」
「回線が伸びれば、我々は降りられます」
彼は図面を指した。
「あなたが第三十層に据えれば、そこまでは連絡が通る。通ったところまでは、我々が荷物を持って降りられます。あなたは一台だけ背負って先へ行く。据えたら、後ろから次の一台が上がってくる」
そういうやり方は、考えたことがなかった。
十五年、全部一人で運んできた。二十五キロが上限で、上限が仕事の量を決める。それが前提だった。
前提を変えるには、人が要る。人を出してくれるところが、一度もなかった。
「あの」
「はい」
「危ないです。第三十層より下は」
「承知しています」
「回線が通ってないところは、無線が五十メートルしか届きません」
「あなたが通していくんでしょう」
指揮官はそう言って、腕時計を見た。
「積み替えは、階層ごとにお願いします。うちの人間は、据えられないので」
「それでいいです」
「では、行きます」
◇
第三十層。四日前に、自分で外した場所だ。
壁の窪みだけが残っている。埃が積もらなかった部分の岩の地が、まだ周りより色が濃い。
撤去命令は生きている。ここに据え直すのは、命令に反する行為だ。
俺は据えた。
迷いはなかった。命令の効力の話は、あとで誰かが判断する。俺が判断できるのは、ここに箱があるかないかだけだ。
二十二分で緑になった。後ろで、荷揚げ班の誰かが端末を確認して、「入りました」と言った。
声が上ずっていた。
八日ぶりに、第三十層に電波が入った。
第三十一層。四十分。
据え終わって振り返ると、六人が第三十層の下り口に立っていた。回線が伸びたぶんだけ、降りてきている。
こういうふうに仕事をしたことが、一度もない。
据えると、後ろの人間が一階層ぶん降りてこられる。降りてきた人間が、次の一台を持ってくる。持ってきたぶん、また先へ行ける。
十五年、俺は自分の背中の容量ぶんしか進めなかった。いまは、六人ぶん進める。
第三十二層の行き止まりで、灯が待っていた。
彼女はここから先へ行ったことがない。四年、この壁の前で引き返してきた。
「三十三層、位置決めからでしょ」
「はい。三時間見てます」
「じゃあ、五時間」
「三時間です」
「あんたの三時間は五時間なの。四年見てれば分かる」
反論できなかった。第三十九層のときも、三時間と言って三時間かかったが、あれは腕を休めた三十分を数えていない。
俺は背嚢を背負い直した。中継機が一台。あとは工具と予備電池だけだ。
「戻ってきて」
彼女は壁の箱を見たまま言った。AJ-0243。二〇一八年の日付が入っているやつだ。
「作業が終わったら、戻ります」
「そういうことじゃない」
「はい」
俺は下り口へ歩いた。
振り返らなかった。振り返ると、たぶん、彼女がどんな顔をしているかを知ることになる。
◇
第三十三層。
埋まった機体は、南斜坑の下り口から四十メートル、落石の下にある。掘り出せない。岩の重さが数トンあって、俺が動かせるのは二十五キロまでだ。
迂回の候補は、東の窪み。三年前に書いた。書いたときは測っていない。
濃度計を出した。0.44。想定より低い。窪みが高い位置にあって、魔素が下へ落ちているからだ。
位置を決めて、据えて、出力を上げる。上位ノードを呼ぶ。
応答なし。
角度を振る。まだない。
窪みの奥へ二メートル入って、据え直す。外す工程に三分。据え直しに一分半。
通った。
二時間四十分。灯の見積のほうが近かった。
第三十四層。四十五分。
第三十五層で、捜索隊の残置物を見つけた。空の携行食の袋と、使い捨ての化学発光体が三本。まだ光っている。八時間以内にここを通った人間がいる。
誰にも会わなかった。連絡が取れないので、通り道が同じでも時間がずれれば会わない。
この八日間、十八人がそうやって降りていた。互いの位置を知らないまま、同じ暗闇を別々に歩いていた。
第三十七層。
予定していた節点が、水没していた。
通路の低いところに水が溜まっている。膝ではない。腰まである。この階層は上から水が落ちてくるので、七月の雨のあとは水位が上がる。上がることは知っていた。ここまで上がるのは初めてだ。
水中に据えても通らない。筐体は防水だが、水は電波を食う。
予定位置を捨てる。
濃度計を持って、通路を三本歩いた。北の枝坑は行き止まりで、上位ノードから角度が取れない。東は距離が遠い。
三本目、下り口の脇の岩棚。床から二メートル。水は来ていない。上位ノードまでの直線に、瓦礫の張り出しが一つある。
張り出しの上を通せるかどうかは、測らないと分からない。測る道具は持っている。
角度を計算して、据えた。
通った。
一時間十分かかった。腰まで水に浸かって三本歩いたので、下半身の感覚が鈍い。
この場所は、図面に書いていない。俺のノートにも書いていない。歩いて、測って、いま決めた場所だ。
十五年、こういうことを何度もやってきた。予定した位置が使えないことは、二割くらいの確率で起きる。そのとき何を見て代わりを決めるかは、手順書に書けない。書こうとして、三回やめた。
書けないものが人命に関わるのは、今日が初めてだ。
第三十九層。六台目。
据えて、日付を書いた。
2026.8.5
手持ちが尽きた。
◇
第四十層の手前まで来たのは、八月五日の午前二時過ぎだった。
二十二時間、寝ていない。
荷揚げ班は第三十七層で止めてもらった。ここから先は上位ノードが繋がるまで圏外で、俺が据えるまでは彼らも連絡が取れない。六人を圏外に立たせておく理由がない。
食べたのは行動食を三回。水は通路の湧水を濾した。据えている時間の合計は五時間ほどで、残りの十七時間、俺はただの三十六歳の男として歩いていた。
第四十層の節点には、機体が一台ある。
AJ-0388。二〇二二年に据えて、六月に電池を替えた。
替えたはずだった。
蓋を開けて、残量を見た。
ゼロ。
六月に替えたのは第四十層で合っている。だが、あの日は右肩が上がらなくて、体をねじって左手で作業した。差し込みが甘かったのか、それとも接点の拭き残しか。
どちらでもいい。いま、ここは死んでいる。
背嚢を下ろした。
予備電池は三本ある。中継機用が一本と、ヘッドランプ用が二本。
中継機用の一本を入れた。ランプが点かない。電圧が足りない。長く空だったせいで、内部の回路が起きない。
ヘッドランプ用を一本、直列に足した。
起きた。橙。まだ緑にならない。
もう一本入れた。
これで、俺の照明はなくなる。頭のランプに入っている分だけになる。残量は四割。第四十層から地上まで十六時間で、四割は保たない。
最後の三層か四層は、暗闇で這うことになる。
入れた。
ランプが緑になった。
端末を出して、疎通を確認する。第三十九層、第三十七層、第三十四層、第三十三層、第三十二層、第三十一層、第三十層。
全部、通っている。
地上まで、繋がった。
三秒ほど、何も起きなかった。
それから、端末の画面が切り替わった。第四十層の圏内に入った端末が、順番に応答を返してくる。
識別信号が一つ。二つ。四つ。
六つ。七つ。
八つ。
端末に、八つの識別信号が並んだ。
全部、生きていた。




