第24話 助けるのは、俺じゃないです
捜索隊は、三日で第三十五層まで降りた。
そこで止まった。理由は簡単で、その先が真っ暗だからだ。
七月三十一日、午前九時。坑口の脇に張られた仮設テントに、二十人ほどが詰めていた。協会、天穹、協力クラン、消防。長机の上に坑の縦断面図が広げてある。
俺と灯は、その端に立っていた。呼ばれたわけではない。追い返されもしなかった。
テントの中は蒸している。業務用の扇風機が二台回っていて、図面の端が持ち上がるたびに誰かが手で押さえる。汗と、コンビニのコーヒーと、日焼け止めの匂いがする。
四日目だ。地上のほうが先に消耗している。
「現状を整理します」
救援指揮官は五十代の男で、声が枯れていた。三日寝ていない顔をしている。
「遭難した八名の最後の既知位置は、第四十層です。二十七日午前十一時の定時交信予定時刻に応答なし。以後、位置情報はありません」
「移動している可能性は」
「あります。むしろ、移動していると考えるべきです。定時交信ができない状態が続けば、通常は自力で上がってきます。上がってきていないということは、上がれない事情がある。負傷か、通路の閉塞か」
指揮官は図面の第三十五層のあたりを指した。
「捜索隊は現在ここまで。三隊、合計十八名。ここから先へ進むかどうかを、三時間前から判断できずにいます」
「なぜですか」
「隊同士の連絡が取れないからです」
テントの中で、誰かが咳をした。
豊洲第三坑の第三十層より下は、階段と斜坑と枝坑が絡み合っている。同じ階層でも三本の経路があって、どれを通ったかで到達時刻が四時間変わる。地図は完全ではない。誰も全部を歩いていないからだ。
網目の中を、連絡手段のない三隊が別々に降りている。
「第三十層より下は圏外です。三隊はそれぞれ別の経路を降りていますが、互いの位置を知りません。合流予定地点を決めて出ていますが、着いたかどうかを確認する手段がない」
「無線は」
「坑内の無線は中継機を経由します。中継機がないところでは、直線距離で百メートル届けばいいほうです。曲がった通路では五十メートルです」
指揮官は図面から目を上げた。
「もっと人を入れればいい、と言われます。今朝から四回言われました。ですが、連絡が取れない人間を増やしても、行方不明者が増えるだけです」
誰も反論しなかった。
長机の向こう側、天穹の腕章をつけた列の端に、須賀原がいた。
彼はこちらを見ていた。目が合った。何か言おうとして、口を閉じた。ここ数日で痩せている。
彼は先月、外注先へ出向になった。出向先の会社は第二十層より下に行かない。それでも彼はここにいて、腕章をつけて、書類を運んでいる。誰かが命じたのかどうかは分からない。
テントの隅で、協力クランの若い隊員が言った。
「回線さえ生きてれば、位置は分かるんですけどね」
誰も返事をしなかった。
当たり前のことだからだ。
回線が生きていれば、遭難した八名は端末で位置を送れる。定時交信の仕組みは、そのためにある。届かないところに人を送るという発想は、この十八年、誰も持たないできた。持つ必要がなかったからだ。
持つ必要がなかったのは、誰かが節点を埋めてきたからだ。
◇
正午、俺は図面の前に呼ばれた。
「網代さん、でしたね」
指揮官が、初めて名前を呼んだ。誰かが教えたらしい。
「第三十層から第四十層まで、通すには何が要りますか」
俺は図面に指を置いた。指先が汗で紙に貼りついた。
「六か所です」
「六か所」
「第三十層、第三十一層、第三十三層、第三十四層、第三十七層、第三十九層。三十三層は埋まっているので迂回に一台。三十九層は今月末に電池が切れるので、行くついでに替えます」
「工期は」
「据え付けが一か所につき二十分から三時間です。三十三層の迂回は位置を測るところからなので、三時間見ています。移動が往路で十六時間」
「合計で」
「往路で二十四時間。復路が十六時間。四十時間です」
指揮官が電卓を叩いた。
「三日以内には繋がる、ということですか」
「六台あればです」
「機材の在庫は」
「二台です」
テントが静かになった。扇風機の首が振れて、図面の端がまた持ち上がった。
「二台で、どこまで」
「第三十一層までです。そこから下は変わりません」
「四台足りない」
「はい」
「協会に緊急調達を要請します。今日中に」
俺は首を振った。
「間に合わないと思います」
「なぜ」
「坑内仕様の据置型は、国内で年間に八十台しか作られていません。常時在庫を持っている業者が三社あって、どこも二台か三台です。緊急で集めても、集めた四台の型が違うと、周波数の割り当てを組み直すことになります。組み直すには一台につき二時間かかります」
言ってから、長くなっていることに気づいた。
テントの中の全員が、こちらを見ていた。
「……すみません」
「いえ」
「続けてください」
「型を揃えるなら、揃った四台を一箇所から出してもらうのが確実です。そういう在庫の持ち方をしている場所を、俺は一つだけ知っています」
指揮官は電卓を置いた。
「では、どうすれば」
「四台、探します」
◇
テントを出た。日射しが白い。アスファルトから熱が上がってくる。
灯が横に並んだ。彼女は昨日から俺の作業場にいて、今朝もそのまま付いてきた。理由は聞いていない。
「あんた」
「はい」
「何ができるの」
俺は少し考えた。
答えははっきりしている。ただ、口に出すと、たぶん小さく聞こえる。
「回線を通すことだけです」
「それで八人助かるの」
助からない。
俺は戦えない。武器を持っていない。仮に第四十層で八人を見つけても、負傷者を担いで十六時間は上がれない。掘り手が来たら逃げるしかない。逃げても追いつかれる。
できることは、箱を六個据えることだけだ。
十五年、それしかやってこなかった。会社にいたころも、辞めてからも。誰かが困っているから行ったことは、たぶん一度もない。埋まっていない穴が気持ち悪いから行った。
今回は、少し違う。違うが、やることは同じだ。
「助けるのは、俺じゃないです」
「は?」
「位置が分かれば、助けられる人が助けに行けます」
灯が足を止めた。
俺も止まった。
「捜索隊は十八人います。あの人たちはA級とB級で、装備も訓練も俺の百倍あります。負傷者を運ぶ道具も持ってます。足りていないのは、どこにいるかという情報だけです」
「それを、あんたが」
「情報は運べません。運べるのは箱です」
言いながら、自分でも当たり前のことを言っていると思った。
だが、この当たり前が、四日間誰にも実行できていない。
俺は坑口のほうを見た。地下二階へ降りる階段の入口に、装備を担いだ人が並んでいる。第四交代の捜索隊が入るところだ。
あの人たちは、真っ暗な網目の中へ、連絡手段を持たずに降りていく。四日間、そうしている。
「箱を置くと、線が通ります。線が通ると、向こうの声がこっちに届きます。届いたら、あの人たちが行きます」
灯は何も言わなかった。
彼女がどういう顔をしていたかは、見なかった。見ると、たぶん、余計なことを考える。
余計なことというのは、間に合うかどうかを考えることだ。考えても、往復四十時間は縮まらない。縮まらないものを考えると、手が止まる。
「浅利さんのところへ行きます」
「秋葉原の」
「はい」
電車で三十分。着くころには七時を過ぎる。あの店は六時に閉まる。
携帯を出して、店の番号にかけた。二回鳴って、出た。
「浅利です」
「網代です」
「明日の朝、開ける前に来い」
用件を言う前だった。
「何時ですか」
「七時」
切れた。
四台、貸してください、と言うつもりだった。
三十二万円ある店ではないことも、知っていた。




