運命の出会い
希死念慮を抱く主人公と彼女を救った推しとの鬱々としたラブコメディ(β版)
生きるのが辛い。
寒すぎる駅のホームで悴む手を擦りながら、リュックサックを後ろ手にまさぐりジップを開けて財布を取り出す。
かつて120円で買えていたホットドリンクもこのご時世では値上がり。ぶるりと身震いをしながら財布の小銭入れを開けて、160円を取り出す。
自動販売機に小銭を滑り込ませると、チャラリと音を立てて今しがた入れたばかりの10円玉がお釣りの受け口へと排出された。
ああ、もう……と頭の中で悪態をつきながら中腰になって10円玉を取り出し、今度は指先で勢いをつけて小銭を自動販売機に押し込む。こうやって入れると小銭が排出されにくくなると何かで見た。
ぴ、と軽い音を立ててお目当てのあたたかいほうじ茶を選択すると、ごとりと音をたててやっと手に温もりを得ることができた。
ホットココアの方が更に10円高い。
ドンと居座る冬将軍に重たい気分を一層どんよりさせられながら、オレンジ色のキャップを捻り、ほうじ茶に口をつける。
口内を満たした液体は想像よりも数段ぬるく、とてもじゃないが寒さを払拭はしてくれなかった。せいぜい気休め程度の温もり。
それでも吐き出した息は先程よりも張り詰めていなくて、乾いた唇を舐めて潤した。
……いや、死にたいな?
電車が到着するという旨のアナウンスを耳にしながら、まだ電車がいない線路をじっと見つめる。
飛び込んでも駅に着く頃には徐行されているから死ねはしない。それでも限界を迎えている心では、もしかしたら…と考えてしまう。非常によくない。
駄目だ、気を紛らわせよう。
そう思い至って音楽を聞こうとワイヤレスイヤホンを起動させ、耳にイヤホンを装着する。
音楽のサブスクアプリを親指でタップして、何かを聴きたいという気持ちもなかったのでとりあえずJPOPの人気トップ10を選択すると、想像以上にアップテンポの曲のイントロが流れ出す。
ホームに到着した電車に乗りこみ、空いている座席に腰かけるとすぐに電車が発車のベルを鳴らしたのがイヤホン越しに聴こえる。
気分が重たい時に聴く明るい曲は体が受け付けなくて、深く息を吐いてラジオアプリをインストールした。
WiFi環境にないスマホでインストール完了を待つこと2駅分の時間。その間に癖で青い鳥をチェックする。
普段ラジオなんて聴かないし、番組表の1番上にある番組を再生すると、低い声でどこか鬱々とした雰囲気で語り手が喋る番組に当たった。
これならもしかしたら聴けるかもしれない。
スマホの画面をロックしポケットに入れ、冷えつつあるほうじ茶を両手で包むようにして暖を取る。
『人生は1度きりなんですよ』
と語るラジオパーソナリティに、何だよこの人もそんな言葉を簡単に吐くのかと思いながら電車に揺られて目を瞑る。…寒い。
こちとら精神科の主治医に入院を勧められる程に参っているのに命の尊さを語られてもぴくりとも心は動かない。はずだった。
それではお聞きください、という枕詞と共にラジオパーソナリティ自身が書き下ろしたという曲の歌詞に耳を傾けると、ぼろりと涙が零れた自分にびっくりした。
え、嘘。
しばらくの間泣くことすら出来なかったのに。
孤独と人生の終わりを見つめた歌詞がぐっと心を掴む感覚が酷く心地いい。
待って、このラジオパーソナリティ、誰?
スマホをポケットから取り出し、ラジオの番組詳細欄を開いてみる。番組名の頭についていたその芸名はテレビに疎い私でも知っている名前だった。
「この人って確か……」
国民的アイドル。
友人が同じ事務所に所属しているうちの誰かを"推し"だと言っていた。
頬を流れる涙が手にまだ辛うじて残っている温もりよりもよっぽど熱い。
衝動的に検索ウィンドウにその名前を入力して、ウィキペディアを開くと、そこには輝かしい活動履歴と人物像の記載があった。
しばらく読み進めて、そして私は納得する。
なるほど、この人も過去に死にたがっていた人だったのか。
涙を親指でぐい、と拭ってその名前を心の中で呼んでみる。
榊原 凜。
――人生初の推し、爆誕。
希死念慮はすっかりなりを潜めて、彼が過去に書いてきたリリックの一覧を読む。
気づくと電車は最寄り駅に到着し、泣きすぎた顔は乾燥も相まってばりばりになっていた。
電車のホームに飛び込むなんて思考は吹っ飛び、深呼吸をして肺いっぱいに取り込んだ空気はぴりりとした緊張感がある。
高揚した気持ちは抑うつ状態から躁状態に転がっており、今ならなんでも出来る気がした。
世界が推しに浮ついているのも今ならわかる。
これは、そんな彼に命を救われてからの、重たくも運命的な私と推しのお話。




