第10話 究極の選択
「わ~っ!あれが江の島?すご~い!人がいっぱいだ~!!」
2週間前と同じカフェ、しかも奇遇にも同じテラス席で、今度は麗華と海を眺めていた。
今日の麗華はいつものフェミニン系ファッションに、飾りのついた鍔付き帽子を合わせており、いかにも海辺がよく似合うお嬢様といった感じ。
「いいよね~。なんか琵琶湖を思い出す。」
「そうかな~。今朝も家を出る時に琵琶湖見て来たけど、海は海で、琵琶湖は琵琶湖だよ。」
麗華にはこの感覚は伝わらなかったようで、きょとんとしている。
「地元から離れた僕と地元に残った麗華では感じ方が違うのかな?」
思わずそう言ってしまった瞬間、莉子のことを思い出しまた罪悪感で胸に痛みが走った。
「そっかな~。そういえば、最近、東京の色んな所を調べて連れてってくれるよね。インドア派の亮くんにしては珍しいよね。」
「うん。麗華が行ったことないところで、一緒に新しい経験をできると喜んでもらえるかなって思って・・・。」
「え~っ!!うれし~っ!やっぱり今回の亮くんはすごく優しいな~。大好き!!」
麗華は相好を崩し、へにゃっとした感じで笑うと、そのまま両手で頬杖をついて熱い視線を送って来た。
「・・・でもさ、どうやって新しい場所調べてるの?今日も迷わずこのカフェに入ってたし・・・。ネットで調べただけじゃないよね?」
声色が少し変わった気がして、ハッとして麗華の方を見ると、気のせいだったのか麗華は相変わらず柔らかい表情で微笑んでいた。
「実は、恥ずかしいんだけど、前もって下見に来てて。僕も初めてだと段取りが悪くて麗華に迷惑かけちゃうかもしれないから・・・。」
「そうだったの!?うそ~っ!もしかして上野のパンダも、スカイツリーも、横浜の中華街も、それから舞浜のテーマパークも全部?」
「・・・うん。」
彼女は目を見開いて「そこまでしてくれたんだ~!」とか「私、愛されてるな~」とかつぶやきながらニコニコ笑っている。
とりあえず引かれなくてほっとしていると、急に彼女が身を乗り出してきた。
「・・・・っで、誰と来たの?一人で来ないよね、こんなとこまで。」
口元はずっと笑ったままだけど、目は笑っておらず、僕の瞳を強くとらえている。
「・・・あの、大学の友達・・・。」
「女の子?」
「・・・はい。」
言い逃れることが難しいのはわかっていたので、早々に観念した。
彼女はもう70年以上も僕と一緒に過ごしてきたから、僕のちょっとした仕草や表情の動きで嘘を見抜けると豪語している。実際に何度もつまらない嘘を見抜かれたこともある。
「ふ~ん・・・。」
彼女は腕を組み、急に不機嫌そうな声になった。
「いや・・・そんな疑われるような関係じゃなくて、本当にただの友達で・・・。彼女にもちゃんと麗華のことを話して、麗華とのデートの下見だって説明してあるし・・・。」
「ふ~ん・・・。」
どぎまぎと言い訳をしたけど、麗華はやっぱり腕を組み、不機嫌そうにあらぬ方向を見つめている。
「やましいことは一切なくて・・・。」
「それより前に言うべきことがあるんじゃないの?」
「・・・・・ごめんなさい。もう二度としません。」
テーブルに手を付いて深く頭を下げた。そのまま5秒、10秒、15秒・・・。
おそるおそる顔を上げると、麗華は腕を組んだまま、口を尖らせ、頬を膨らませている。
・・・あっ、よかった・・・。本気で怒ってる感じじゃない。
僕は麗華と付き合い始めて2年あまり。僕も麗華の表情からそれなりに感情を読み取ることができるようになった。
これは、怒っているというよりも怒っているフリをしている顔。もっと私の機嫌を取って欲しいと拗ねてる時の顔だ。
「ごめんなさい。麗華に喜んでもらいたい一心でした。僕が場所を探すと前の亮くんと同じ感じになっちゃうかと思って他の人の視点を入れたくて・・・。」
「・・・・遠距離で不安な私の気持ちもわかってよね。」
「うん。好きなのは麗華だけ。大切なのは麗華だけだから・・・。下見の時も、ここ、麗華が好きそうだなとか、ずっと麗華のことだけを考えてて・・・。」
「ふ~ん・・・。」
今度の「ふ~ん」からは、不機嫌というよりも、少し嬉しいという感情が滲み出ていた。
成り行きだったけど、罪悪感を感じていたことを麗華に告白できてよかった。
それで、もう莉子と出かけるのはやめよう。そう決意した瞬間だった。
「そういえば、その、一緒に下見に行ってた女の子の名前は何ていうの?」
「ああ、麗華も知ってる子だよ。高校3年生の時に同じクラスだった本山莉子さんって覚えてる?眼鏡で地味な感じだった。奇遇なんだけど同じ大学に進学してて・・・。」
そこまで話したところで、麗華が眉を吊り上げ、目を大きく見開いた。
「なんで・・・なんで彼女が東京で、亮と同じ大学に?大阪の国立大学に進学したんじゃないの?」
「ああ、たしかに第一志望の大阪の国立大学にも合格してたらしいけど、色々考えて東京の、僕と同じ大学にしたんだって、それで偶然下宿も近所になったから色々助け合ってて、そういう昔のよしみの互助会的な関係だから特に心配しなくても・・・。」
バンッ!!
麗華が急にテーブルを強くたたいた。
あまりの大きな音に周囲のお客さんがびっくりしてこっちを見て来る。
「すぐにあの子から離れて!!すぐに引っ越して・・・大学もやめて地元に帰って来て!!」
身を乗り出した麗華の顔がすぐ近くまで迫っていた。しかも眼は血走り、その声も、いつもの鈴を鳴らすようなかわいらしい感じではなく、かなり迫力がある。
「それは・・・さすがに・・・というか心配ないって。あの本山さんと僕がどうにかなるなんてことはないって・・・。」
「そんなことない!!あの子、本山莉子が・・・私が何度も同じ時を繰り返すことになった元凶なのよ・・・。」
「どういうこと?」
麗華は少し何かに躊躇する様子を見せてから、しばらく海の方に視線を移し、うなずいてから僕の方を向き直った。
「前に、私が、50回以上繰り返している人生では、いつも亮くんと恋人同士になったって話したこと覚えてる?」
「うん・・・。最初に話した喫茶店で言ってたよね。」
「ごめん。あれ、嘘なの。実は繰り返した人生で亮くんと両想いになれたのは半分もなかった。」
彼女は自嘲するようにフッと笑った。僕は何も言うことができず、だまって麗華を見つめるしかない。
「もちろん最初は亮くんから声を掛けられて、映画に誘われて、そこで告白されてって流れで進んでたの。だけど、何回目だったか、その時の亮くんは奥手で、いつまでたっても映画に誘ってもくれなければ、告白もしてくれなくて・・・。でも、いつか亮くんから誘ってくれるでしょって悠長に待ってたら、いつの間にか本山さんと付き合ってて私には見向きもしない。しかもそれが何回も続いて・・・。」
僕も心の中でなるほど、とうなずく。確かに莉子は高校2年生の時から僕のことを好きだと言ってたし、正直言えば、あの頃の僕は莉子を憎からず思っていた。もし麗華から熱心にアプローチを受けなければ、莉子と付き合うという世界線も十分にあったと思う。
「それで、それからは、私から亮くんに声を掛けて、映画に誘って、早い段階で告白してって感じで積極的にアプローチしたら、何度か亮くんと恋人同士になることができたんだけど・・・それでも高校3年生の時に通ってた予備校とか、大学生になってからのバイト先とかで、なぜかあの女が亮くんに近づいて来て、それで私がフラれることになって・・・。」
麗華はずっとテーブルを見てうなだれているけど、その低い声には明らかに憎悪の感情がこもっている。
「だから、今回は学校でも予備校でも、あいつが近づけないようにずっと亮くんの側にいるようにしたし、亮くんが東京の大学へ行くって言い出した時も・・・寂しかったけど、これであの女と距離が離れるから心配しなくてよくなるって安心してたのに・・・油断した。まさかあいつも亮くんを追いかけて東京の大学に進学してたなんて・・・。」
ギリッ・・・と歯ぎしりをする音が麗華の方から聞こえてきた。歯を食いしばりながら身を震わせ始めているようだ。もはや怒りのあまり正気を失っていないだろうか・・・。
「亮くん!!」
切り裂くような鋭い声に姿勢をただすと、麗華の、真っ赤になって涙を溜めた瞳が飛び込んできた。
「選んで!すぐに地元に帰って来て私と添い遂げるか、それとも・・・あの言葉を言って、私にもう一度やり直しをさせるのか!今すぐ選んで!」
そのまま彼女の鋭い視線は、僕を突き刺し離さない。
「あの・・・その二つしか?しかも今すぐ選ばないとだめ・・・?」
「だめ!!選んで!!」
彼女の口調は有無を言わせない。あいまいにしてごまかすことは許されないだろう。
どうすれば・・・。
彼女が僕のことを好きだと言ってくれてからの2年間。もやもやすることもあったけど、僕は幸せだったと思う。だけど、ここで大学を中退して、地元に帰るなんて選択ができるだろうか・・・。
その後、どうやって生活するんだろう。
大学に合格した時に喜んでくれた両親に何て言えばいいだろう。
彼女のことはもちろん大切だ。だけど、僕があの言葉を言えば、彼女はまた一からやり直すことができる。もしかしたら、こんなうじうじとした僕よりも、もっといい「亮くん」に出会えるかもしれない。
彼女の方をちらりと見ると、息を止めて僕の回答を待っている。
待てよ・・・。
彼女も自分が無理を言っていることに気づいてないか?
僕が大学を中退して地元に帰るなんて選択ができないことを承知しているから、一見、選択肢を与えてるように見せて、ループの方に誘導しようとしてないだろうか。
「選んで・・・。」
もう一度彼女の目を見ると、その瞳はまったく揺れていなかった。
ああ、これは覚悟を決めている目だ。
彼女がそれを望んでいるなら、優柔不断な態度を取らず、はっきり決めてあげるべきだ。
よしっ・・・!
「・・・じゃあ、わかれ・・・グフッ!!」
急に目の前が暗くなり、気づいたら僕は椅子から転げ落ちていた。目の端に店から走り去る彼女の後姿が見える。
えっ?何が起こった?
店員さんが小走りにおしぼりを持ってきてくれた。なんで?
あっ、鼻血が出ているのか。
周囲のお客さんから「修羅場?」「すごいパンチだったね」という声が聞こえてくる。
そうか・・・あの言葉の途中で殴られたのか・・・。
・・・って、えっ?どういうこと?何で殴られたの?
その後、慌てて店を出て彼女を探したけど、人ごみの中で彼女を見つけることはできなかった。スマホでメッセを送り、電話も掛けたけど、一切反応がなかった・・・。




