ミシディア共和国 ヴィルヘルム大統領08
ふう──やっぱり、この老いぼれ商人じみた王、クセ者だな。
キャルロッテ王の言うことに、理屈抜きで「なるほど」と頷いている自分がいる。
政治家の勘ってヤツか、それとも単に追い詰められた人間の最後のあがきか。
どっちにしても、今はこれしか選べない。
任期が終われば自分は裁かれる身かもしれない。
だが、任期中にできるだけ国を立て直し、少しでも被害を和らげれば、生き延びる可能性は残る。
がんばるなら今しかない。背中に冷たい汗がにじむが、腹は決まっていた。
これもキャルロッテ王の計算か。
本当に大した人物だ。
「あと、捕虜は全員解放させていただきます」
キャルロッテが指を鳴らすと、横の扉がするりと開いた。
そこに立っていたのは、例のフェルマン総司令官とヒルヴァ副司令官。
二人とも意外にしれっとしている。
血相変えて連れてこられたわけでも、傷だらけで呻いているわけでもない。
国家間の問題を泥沼の手口で解決しても意味はないということか──彼らの顔つきは、どこか諦観を帯びているのだった。
「ありがとうございます」
私の声は自然に出た。感謝の言葉を口にする自分が、少しばかり恥ずかしい。
だが、事実だ。捕虜の身柄は引き渡され、国際法に沿った取り扱いがなされる。
そこは評価できる。戦争という「商売」で齎される最低限の礼節、だ。
キャルロッテの声が低くなった。空気が変わる。
「それと…今回はこれで済ませますが、次にこのようなことをしたら……全力でミシディアを叩き潰します。次は容赦しません」
普段の猫かわいがり王からは想像できない迫力だ。
正直、背筋が凍る。
前に会ったときの、あのどこか頼りなさそうな紳士が、今は確実に「国家の舵取りをする人」になっている。
威圧感というか、覚悟というか。言葉の一本一本に「後戻りはさせない」という重さがある。
あの情けない中年王は演技だったのか。
たいした役者だよ。
「承知しております。二度とニャール王国と戦争はしません」
返答はわたしの口から即座に出た。なぜなら、腹の底ではもうわかっていたからだ。
無駄に血を流すことを、私はもう望んでいない。
国民も、兵士も、誰も得をしない。だが、この一言で済む問題でもない。ここから先が肝心だ。
「そのためには経済協力が必要です。両国は今まで以上に強く手を結ぶべきです」
キャルロッテは手を差し伸べる。あの細い手。
だが、その手を握った瞬間、妙に安堵感が胸に広がった。
政治家としての私の本能が、これが正しい選択だと囁く。
「わかりました。わたしの力の及ぶ限り努力します」
握手を交わす。儀式のようでいて、本当に必要な約束だ。
会場の空気が少しだけ柔らかくなるのを感じる。
これで外務大臣と宰相あたりに細則を丸投げできるのも、正直ほっとするポイントだ。
細かい文言は専門家に任せる。大局を決めるのが首脳の仕事だ。
「それでは細かいことは外務大臣レベルで決めていきましょう」
「承知致しました」
外務の人間に丸投げできるのは、本当に有難い。だがキャルロッテはさらに先を読んでいた。
「あと、経済的な協力体制ですが、ビリジアンテ帝国も加えてやりましょう。ガルバン帝国も参加してくれたらいいんですけど。少し難しいでしょうね」
目先の勝ち負けだけでなく、周辺諸国を巻き込んだ枠組みを提案してくる。
彼の視野のスケールは、我々のいつもの発想とは桁が違う。
目の前の損得しか見えない政治家にとって、この発想は羨ましくもあり、怖くもある。
だが、こういう人間が隣にいるのは、案外悪くない。
私は、その瞬間、決めた。追い詰められた男が最後に選ぶ道は――誠実に、そして賢く国を守ることだと。
「わたしは、この王についていこう」
心の中でそっと呟く。外向けには微笑を浮かべているつもりだが、内心は緊張と期待が入り混じる。
猫を抱いた王、その背後にいるダオウルフや宰相たち。奇妙な連中だが、今は彼らと手を結ぶべき時だ。
会議室の窓の外では、戦後処理に奔走する事務官や、帰還する兵士たちの姿が見える。
世界はやっと、静かな方向へ動き始めた──そう、まだ始まったばかりだが、私はこの流れに賭けてみようと思った。
少しでも国民の生活が良くなるなら、それが政治家としての最後の仕事になるだろうから。




