ビリジアンテ連邦国 アバドン議長10
キャルロッテは終戦の条件を述べる。
それは完全にビリジアンテの敗北を認めるものだった。
「待ってくれ!」
わたしは我ながら情けない声を上げてしまった。
声帯を震わせて押し返そうとするが、内心は焦燥に満ちている。
目の前の男――キャルロッテは静かにこちらを見つめ、膝の上の猫は知らん顔で毛づくろいを続けている。
あの無邪気さが、いっそう腹立たしい。
この会談にはビリジアンテの将来がかかっているのだ。
いや、舐めていたのはわたしの方か。
本当であれば、この程度の条件は想定しておくべきだったのだ。
それなのに、まだ相手が自分たちより下の存在として扱っていたのだ。
「何かありますか。この程度の条件普通だと思いますが」
ゆっくりとわたしを見て言葉を紡ぐキャルロッテ。
「お前が要求する領土の割譲と民族の独立――我が国の北部と南部を切り分けるなど、議会も国民も承服しない。
財政も軍備も耐えられないだろう。
少なくとも段階的措置でなければ、私の首が飛ぶだけでは済まない」
言葉が詰まり、唇が震える。だが、その震えは虚勢の産物だ。心の底では既に崩れ始めている。
キャルロッテは淡々と返す。
「そちらの内情は分かります。議会も群衆もあなたの首を求めるでしょう。
しかし、そこはなんとか手助けしましょう」
その一言が胸に刺さる。個人の安全保障――つまり、私の地位や命を保証する何らかの約束だ。
ここまで読み切られているのか。あの穏やかな物腰の奥に、政治家として特別な手腕がある。私は咄嗟に頭を振る。
「しかし、それはやはり受け入れられない。
国家の主権を傷つけられるような保障など、簡単に承認できない。
だが、こちらも死活問題だ。妥協案を出す。
まずは戦闘停止の即時実施、続いて国際監視下での段階的撤兵。
そして、あなたが要求するような民族的処遇は、国際会議で協議のうえ、段階的に実施する。
――これなら議会にも説明がつく」
私の言葉は、震えながらも論理的だ。目の前の男は一拍だけ考え、口元に薄い笑みを浮かべる。
「段階的にもなるでしょう。しかしこれは急いだほうがいい。
今申し上げたことは、領土の割譲ではない返還です。
あなた方が理不尽に支配してきた民の解放です。
早ければ早いほど効果があるのです。
そうすれば、サタールもウラールも内政を整えるために戦争は行わないでしょう。
もちろんギオルグは我々の国の一部となりますが」
私は息をつく。ここで引けば、私の支配力は瓦解するだろう。
議会や党内の敵対勢力は即座に動くだろう。目の前の時間が、私を追い詰める。
テント内の空気が張り詰める。遠くで馬の嘶きが一度、はっきり聞こえたように思える。
キャルロッテは猫の頭をそっと撫で、静かに言う。
「あなたが誠実に、速やかに行動するならば、我々も誠実に応じます。
さもなければ、ここでの『和平』は紙切れに過ぎません。
国民の命と尊厳は、あなたが抱える政治的コストより重いのではありませんか?」
その言葉に、私は言い逃れの余地がなくなっていることを悟る。
胸の中で何かが折れ、同時に冷たい覚悟が生まれる。
外の喧騒は、もう遥か遠くのもののようだ。
そういえば、わたしも政治的理想にまい進した時代があった。
しかし、それは権力にしがみつく上層部の人間につぶされた。
正義を実現するには偉くなるしかない。
そう思ったわたしは権力闘争に明け暮れた。
そうだ、国は国民のためにあるのだ。
私の世界は、この小さなテントの中の会話だけで変化していく。
深く息を吸い、私は答えた。声は低く、しかし確定的だった。
「分かった。条件を受け入れるように動こう。
あとは賠償金のことだが、それはこちらに決めさせていただきたい」
あの猫が一度だけ私を見上げ、ニャーと短く鳴いたように感じた。
それにキャルロッテ王が耳を傾ける。
戦場の運命は、ここでまた一つ動いたのだった。




