56、天使の堕ち場
――3日後
「ああ、来てよかった・・・」
「ライズ?」
俺はドレスミーに誘われそのまま夜を共にした。俺は彼女のベッドまで誘導される事となり彼女のレクチャー通りに彼女を抱いた。朝には長年の疲れなど飛んでいて、ドレスミーから『このことはどうぞ記憶へ』と告げられた。
その彼女から“どうせ別れる女”とも言われてしまうが、あの美しく気品に満ちた体を見れば誰もが魅せられる事だろう。それを“もどかしい”と思えば“もうあの体へ触れられないのか”と後悔の念とともに脳内が弾けそうだった。
それ以来デイジーとは少し距離を離し次の職場へ挨拶周りに向かう。そして・・・、あと2日間さえ待てばドレスミーから洋服を受取るための連絡も来る!
――ねぇ・・・
「ねえ!ライズったら何、頬を染めているの?私の話を聞いていないでしょ?」
「ああ、すまない。君はビードと暮らすんだったね」
“フェンリー道路95番地”へと向かうそのデイジーの足取りはいつもよりも弾んでいた。俺はゆっくりと歩いているつもりだが、彼女は俺よりも歩けていないので歩幅を合わせるしかなかった。だから俺はその間にいろいろと考えたり思い出したりする余裕があった。
「まあ、それは先の事で今はミイネン博士からの言伝どおりあなたを連れてゆくために、最後の挨拶回りをしているの。本当に誓っていた?“魂”になると言っていたけど」
「うん。それから俺は洋服を受け取りラウン・リジシー研究所へ向かいミイネン博士等研究班のデーター採取とライト・オブ・ホールの依り代となる」
「そう、だからあなたはそこで終わり誰からも支配されない。私はビードと暮らせるようになり研究ラボで働きながら生活をしていける。総主があなたを置きたくないなんて指令するからお互いの為にこうしているの!ようやく自由の身になる為にね――!!ふぅッ」
デイジーは息が乱れていて声が益々大きくなる。このままでは声が枯れそうだ。フェンリー道路の現場に着くまでまだ半分以上歩く必要がある。あと13キロメートルもの距離だ。
人は弱い生き物だと本書で読んだが、1キロメートルを100メートルに短縮できた。それは長い記憶の表れ。なにか乗り物でもあれば苦労はしないのだろうが――。
「あった!」
何かを見つけた彼女のその目先にはティファ―・タクシー会社という建物があった。俺はタクシー会社の存在すら全く気付かずそのままこの道でフェンリー道路95番地まで歩いていた。念のため片道いくらだろうか知っておきたい。
「ライズ、付いてきて」
デイジーはそう言って俺を連れて小走りでタクシー会社へ向う。白い屋根に赤い標識、グレイロー(灰色岩)で出来た宅地だ。そこには給水所も見られ休めそうだ。
ーーーー
あのォ、このタクシー空いていますかァ―――ッ!?
ああ、空いていますよ――ッそこを歩いていたんでしょォォ?
ーーーー
ようやく運転手の方へ近付けた。相変わらず彼女の声は高く猛々しい。
「ええ、もうね歩くの大変で今フェンリー道路95番地まで向かう処なんです」
「大変ですな!隣の旦那さんもよくここまで来られましたねッ?」
“旦那さん”と言われても今の俺は全く反応しなくなっていた。もう彼女とは別の道を行くのだから一切その様な関係が感じられなかった。彼女も同様だが何故俺達は“そうじゃない”と言い直そうとするのだろうか。“まあそんな処です”と言えばよかったのに。
「いえ、俺達は“友達”です!今から13キロメートル先にある――・・・」
「私達は“職場の同僚”です!道路工事の現場へ彼女と挨拶回りをする処なんですぅ」
「失礼しました。お互い大変ですね!まあ乗ってください、そこまで送りますよッ」
「デイジーまず飲み物を買おう。たくさん歩いただろう?」
「え、ええ。まずは飲みましょう。運転手さん少し待って貰っていいですか?」
「いいですよ、お手洗いもあるので充分休憩しておいてください」
運転手は流し目で俺達を見守る様にタクシーで待機している。まだ俺たち二人は関係を持ったつもりで居るのだろうか。片道480ルド。釈然としないまま給水所の自動販売機で一つ10ルドの飲み物を購入する事にした。
「ゴクゴク・・・それでデイジーなんて言うつもりなんだ?」
「コクコク・・・そうね、まず責任者へ自己紹介と経緯を説明して退職願いを渡そうと思うの。誰だって馴染んだ仕事場を辞めるのは嫌だろうけどね、総主の指令じゃ・・・」
俺達はまだ迷いが切れていなかった。数年間もお互い付き合っていて返事も待ったが記憶が無くなったり会えなくなったりようやく実ったと思えば必ず邪魔が入りそして別れる事となる。
いつまでも俺達はライト・オブ・ホールを背景に向き合ってきた。それがたった一つの書面で糸が切れるように音を立てて崩れ去ってゆくのが惜しいのだ。
「もしも――、私達が“別の出逢い方”をしていたら・・・あなたは私を愛していたの?わざわざリハビリがてらに仕事なんてせずに私とビードを愛してくれていたのかしらね」
「もう終わったんだよ。無理に思い出さなくても君は一人で生きている訳じゃないよ」
「え?何かいつものあなたらしく無いわね?“でも―”とか“だから―”とか言い訳するのかと思っていたわ。でも・・・ふふふ・・・変ねぇ恋人でもできたの?」
これを“直観”と呼ぶのだろう。俺は胸がズキッと跳ねた。デイジーは別段慌てる事もなく居たつもりだがどこか緊張が隠せていない様子。俺とデイジーとは“どこかの世界線”で魂が繋がっていたような感じはするが、もしも俺達が“別の出逢い方”をしていたのなら?
――君は追っては来なかったとでも・・・?
「いや、デイジーそれは妄想だよ。茶化すなよ・・・挨拶回りに行くんだぞ・・・」
「ふふ・・・積極的ね。ライズらしくないわ。バレないとでも思っているわね?」
デイジーが座ったまま俺の顔に近寄り迫ってくる。“何がありどうして距離を置いていて何を思っていたのか”とにじり寄ってくる。ジーっと俺の目を覗いていて俺はその目を反らすように抵抗する。それはまるでグロリア動物百科事典に載っていたヴェンディ蛇のよう。
「大胆さ――、これが今の俺を支えている――ッ!」
「私ィ~これでも夫に抱かれているのよォ~?だからぁ~分かるんだわァ~」
嫌な雰囲気だ。早く飲み終えて行く予定が彼女との距離を詰めている。運転手はまだ居るか、時間はまだ10分しか経っていないし現場に行くまでの時間が待ち遠しかった。それに抱いたからって大人だし別に何も隠す必要さえない。しかし俺が抵抗しようとするほどデイジーの視界から離れられなかった。愛してさえいれば―――ッ
「ねえ、ライズったらタクシーの中で何ブツブツ言っているのよ?もうすぐ着くわよ!」
・・・・・・――あれッ?
さっきまで俺はデイジーの視界に魅入り抵抗していた筈だ。一体何があったのか分からなかった。ドレスミーの家に入ってからどうも時間に狂いが生じている。
「ねえ、なに立ってイライラしているのよ、ほらピサイスさんが監督へ誘導してくれるって言っているわよォ?」
いつの間にタクシーから降りたんだ。俺はさっきまでデイジーと共にタクシーへ乗車していた筈で歩いてすらいないのに何が起きようとしている?
「――るほど、アビイル監督としてはライズにここへ勤め続けてほしいと?ですがモノゴトリー協会の総主からこのように書面が届いていますのでどうかお目通し頂ければ――」
声が途切れる。一体何が起きている?いつの間にかアビイル監督との交渉が始まっていた。しかもデイジーが独りでに話している様にしか感じられなかった。俺はいま何をして誰と歩いて何を伝えどの様にするのかその光景が闇へと下がるのを感じる。
「デ・・・デイ・・・ジー・・・?」
落ちゆく思考と行動。泡立つ恐怖と断絶。
それも全て“彼女”に身を任せていたのか?
それとも、天使との干渉へと誘われ全てに身を委ねていたのか?
それらは、意識の奥底にある俺の記憶をも操ると―――ッ!?
「俺は一体どこまで落ちてゆくのだッ!」
そこは暗闇の中。漆黒と虹の粒子が混じっては抜け、下へ落ちてゆく感覚が生じていた。
―――ライズ、終わったのね。
「いえ、あと2日残っていますし、それより何です?この空間・・・?」
俺達は裸。ドレスミーは、俺との天使の干渉は時間を操るどころか記憶にも変容をもたらすという。それを理解するには“大いなる意志よりも尊い揺り籠に眠る赤子”のように見守られている事を覚えるしかないと言い出した。ここは闇を映し出す空間だと話す。
「痛い、痛い!」
彼女の翼が無い。それにここは黒い筒の中のようだ。俺を再び抱こうとする彼女の手は冷たくて固い。次第に力が加わり痛みが走るのを感じたほどだ。
―――ごめんなさい。洋服は出来なくなったの。貴方の親友とは恐ろしい人なのね。いいわねダーク・オブ・ホールは。ライト・オブ・ホールだと光の収束率で意志が定まるのだから、その逆の私の意志を伝えられるようになるなど、実に有意義なことなのでしょう。
「有意義・・・それは俺が誰かへ伝えた言葉・・・」
この闇、ダーク・オブ・ホールはライト・オブ・ホールよりも収束されたおびただしい線の集合体にも変化する。体がそれを突き抜けるだけで痛みが走り血液まで流れてゆく。
「この痛み、そして消えゆく・・・親友・・・」
―――彼は“光の王”と名乗りました。彼の父は私を愛すばかりか他の女性を愛してしまい身籠らせた。それが自身の母だと言います。私は貴方を一時でも愛していましたが。
「愛・・・、俺はその王の親・・・」
ドレスミーから忠告された。その魂は輪廻転生を繰返しているという。父は裏切りモノでそれが闇の起原となってモノゴトリー協会を創立させ、生体実験を繰り返したと話す。
―――いいですか、ライズ。ここは闇なのです。全ての記憶を痛みへと変えてしまうの。
「俺は浮気者ではありませんよ。翼の無いあなたは堕天使ですか・・・?」
“覇王の魂”が宿された彼の母は、育ての親である者と契約により別れた。その親が天使となって再び苦しみ復讐を誓って赦してきた。それは契約であり“罪”だとも。
―――ライズ、それを後悔と呼ぶのですよ。
「後悔・・・俺を抱いた?」
―――それは意地でした。育てた子と渡り合うのも実に明確、鮮明なる記憶、眩き太陽のよう。娘との愛を育む要素・約束で満たそうとは。人とは儚くも愚かで美しいのですね。
「お互い様ですよ。あなたも俺と魂の変容を遂げたらいいでしょう?」
―――いいですか、ライズ。魂の変容はそう容易くはないのですよ。幾つもの世界線を旅してきましたが文明はいずれも競われ破壊を生み見直されようやく満たされてゆくの。人工生命体、これを宇宙へ解き放つとまた変容と再生を始めるの。永くも儚い遠い道をね。
「儚く、そして変容しない世界線もあったんですよね・・・?」
―――可哀そうなライズ、本気で魂を捧げるのなら私達との記憶をも失うのでしょう。人の文明、科学によって宇宙の摂理とは瞬きすら与えない。ですが私は何度でも赦します。何度でも深く闇という文明を受入れ人工生命体の媒体になるという貴方の罪をも必ずや認められるように最善を尽くしましょう。そう、ダーク・オブ・ホールは告げます――。
「俺の記憶が宇宙の摂理・・・媒体・・・罪だと・・・」
―――貴方は分解され、再び私は天使として蘇る。そしてあの貧しい日々を、あの子を再び育ててあげるの。そこには貴方は居ない。何故なら私が赦してあげるのだから――。
「赦す?古いですよ・・・ドレスミー、あなたは記憶のし過ぎなんです!」
推定年齢まで大幅な波のある彼女の場合、世界線は次代を築いているものの何かが創り誰かが引き継ぐと彼女は自らの使命を終えたと認め変容を遂げてゆく。しかし記憶を引き継いで変容などすれば傷付き痛みを抑えようとするのだろう。
それを幾度も赦すことで痛みを癒すことが罪を認めたものを傷つけるとい嘘の行為、彼女は今、闇に侵されつつも懸命に何かを訴えようとしていたのでは?
―――そう古いのです。だから諦めて。ここは虚無の空間で、あのライト・オブ・ホールとは違い直線的な強いエネルギーを感じられたでしょう?ねぇ、肌へ直接切り裂くような痛みとビリビリと痺れが通るのはどこ?この痛くも苦しい変容の始まりはなぜ?これが分解よ。貴方にも分かるでしょう、ライズ?
「古い?文明なのに、虚無?あの輝かしくも闇など感じさせぬ“天使”が簡単にここへ落ちた。その王によって翼をもがれ望まぬ変容を遂げる。俺はあなたを“信じた”んだ」
―――私が誰かに堕とされた?望まぬ変容?乗り越えたい?それを信じるの?
ウフフフフ・・・ククククク・・・貴方は誰に臨まれ乗り越えたいの・・・?
それも約束で?・・・ライズ、貴方はまだ分かっていないのですね。これから起きる事を。貴方がラウン・リジシーへ向かってしまえば全てがあの人工生命体の礎となるのよ。そうだと私の教えはすべて無駄になってしまうわ。それに最古の願いさえ無くなってしまうと困るの。“大いなる意志(大いなる罪)”が導き出した“眩き王を殺せ”という私達の使命さえどこにも示されなければあの少女のように私が力を得た意味はどこへゆくのです!
「どこへ向かおうとあなたはあなたでしょうッ!あなたは人を満足させてきたんだ・・・それがどんなに汚くても!それで強くも気高く俺を教えてくれた優しく誰をも包んでいたその翼!俺に服を用意すると約束したあなたはッ!一体どこへと向かってしまったんだァァ――ッ!!」
“バッチン!”
俺は意志を示すだろう力で彼女の両手を弾いた。だが、それよりも黒いエネルギーが俺の臓腑をも襲いだす。それは痛みではなく虚空、苦悩、激動、そして真っ赤な声の嵐――。
俺の体はそのおびただしい“何か”に掴まれる。息が苦しくて全身へ幾つものアザのような手形が食いてゆき幾つもの切り口が現れ幾多の血が流れゆく。それは傷ついた心、赦しを請う懺悔の証。そこには一人の少女がナイフのようなモノを持ち人らしきモノをも突き刺し続ける様子が窺えた。
少女は鼻をすすり怒りを鎮めさせようとそのモノを突き刺すのみ。少女は血が乾くまでソレを食べていた。俺はその赤黒い情景を胸に抱ききれずに心臓の血が強く脈から飛ぶのを感じた。
それは威圧、それは少女の記憶、意識、感情、行為、生きたいという欲望。少女がソレに躓くと少女が立ち上がり悲鳴を上げていた。だが時間はその悲鳴を赦さなかった。新しいソレが少女を手に取り弄ぶ。弄ばれた挙句にソレは眠りにつき少女は尖った木で突き刺していく。
少女はソレを赦すように食べた。鼻をすすり自らの顔を拭くも少女の代わりに泣くモノは現れることさえない。それはモノでもソレでも“何か”でなく貧しさだった。俺は泣いてしまう。
「う“うゥ・・ひッう、な・・・何で何で何でこんなことを繰返さなければァァ――ッ」
―――世界線に起きるはずの無かった“輪廻転生”、それが繰返されてしまうのです。そこには草も水も肉もなく貧しさ故の赦しを乞う姿、頼るモノも無ければすがる勇気さえ壊れてゆくもの、それこそ輪廻転生の真意。『私と共に来ませんか?』と告げるのです。
「うぐ―・・俺は・・・ぐすッ―・・記憶を失いたくは、ない・・・!」
―――さて――ライズ―――、貴方は覚えていますか?私から『希望と感謝の足音が聴こえる』と放ったことを。そして貴方が死ねばその足音が『ああ、来てよかった』と言うのよ。全ての世界線が一度で繋がるの。貴方はきっと感謝するでしょう。何も生れなくてよかったと安堵し、誰にも奪われなくてよかったと微笑むわァ~。そしてぇぇねぇ~、見えるでしょォ~~ぉうぅ?
「う、う、うぅウあ、アアァ、あああああああ―――――――ッ!!?」
―――貴方にも聞こえますか?このような奪われ犯されゆく少女の救いを求める声が!
少女は問う!止めて、見ないで、来ないで、壊さないで、赦して、逃がしてほしいと!
貴方にも届くのです!その一人の少女の声が!姿が!やがて少女の時を迎える恐怖が!
聞いてぇ!地平線へ太陽が昇るときその光へ目を向け表情を歪めて叫んでゆくのを!!
「や、やめ・・・やめてくれぇ・・・・も、もう嫌なんだ!ひ、や、あ、あああ~!?」
―――さあ、これこそが輪廻転生、これこそが無垢、これこそが自慰、これこそが至高、そして恐怖を言うのです!傷ましい辛い時を超えてもっと、もっとォ叫びをオオォ―!!
“ぎゃああァァ―――ぁああぁぁああああああァァ――――――――――ッ!!!”
耳も脳も意識も記憶も言葉も神経も血液も何もかも突き刺すその叫びに俺は涙をながし瞳孔が開いてゆく。真っ赤な声の嵐がその少女を襲いナイフを取り犯すのを俺は唯々見ているしかなかった。
それは恐怖、憎悪、不安、痛み、悲しみ、怒り、汚れ・・・少女はその襲う何かの笑いに泣き崩れて尚も襲われていく。誰からも求められるでもなく誰にも止めてもらえず唯々、その恐怖や憎悪を抱き身も引き裂かれるように揺れる炎の中で“踊っていた”のだ。
そこには涙さえ落とす場所が無かったその少女の叫びだったのだ―――。
―――ねえ、このくだり長いでしょう?痛いでしょう?怖いでしょう?苦しみもがきなさい?誰かへすがるの。私の声を私の鼓動を私の血を貴方にも与えてあげるわ。どれがいいかしら・・・そう!コレですよライズぅぅ、貴方もこれを食べなさいよ~。
「う・・・ドレスミー・・・・この臭いは・・・・!」
――これは死に衣装よりも洋服よりも貴方にあげた朝食よりもとても下手でキレイに仕上げたものなのよ?私の特別なモノ、さぁぁ~~~どうぞォォッ!!
ガッ―・・・それぇ、お味はどぉ~う?
グチョ―・・・まだなのォ?まだぁ飲み込めなぁ~い?
ゴボゴボ・・・仕方ないわねぇ、口移しはどうかしらァ!
「んぐォォ―――――がぐッ―おお―――ッ!!?」
鼻で覚えた匂いよりも強く曲がる様な血生臭くてドロドロとして苦いモノ。口に入るそれは動物の肉ではない。その真っ赤な声の嵐を放つ何モノかが次々と少女の前へ落としていたモノだった。
――そうよ、それは人の業と闇そして“糞”なのです。それは天使となる前の姿で踊っていた時に与えられた唯一の“食事”だった。貴方にも分かる?その苦くて臭くて汚れたそれを喉へ通さなくては私は生きていられなかったの。貴方は理解できて?それが人という生命、人という力、人という手、人という心で出来ていた。貴方の知る私は私じゃないの。
「うううぅぅ――――オヴォォォ!!」
ーーーー
私はメイズ・アン・ファッショナーのオーナー、ドレスミーといいます。
お客様、どの色が貴方を彩られるのでしょうね。
なるほど、きっと貴女様への素敵な魔法をも躍らせゆくに違いないでしょうね。
例えばそれは声。服は古い知識の混じる音さえも感じさせない声を表すのです。
いいえ、どれほど喜びを遂げていなくとも大変すばらしい出来事なのですよ。
食という、それはそれは貴女という鏡こそが至高の食なのです。是非頂いてみては。
ーーーー
―――ああ、天使の力はとても静かで優しいのですね!
ああ、来てよかったァ!
「うぅ、うぉ・・・ぐぇぇ!!」
ーーーー
ねぇ、見て?この翼とても遠く飛ぶの。あなたのお陰で目覚められたわァ!
なんて尊いの!これは単なる糸ではなく、様々な素材になるのですね!?
ええ、彼等の罪をも赦す翼の一部なのよ。これで痛みも取り除けるわね。
軽くて柔らかな糸だわ。私はそれを商品に仕立て彼等の足音を待つだけでいい。
私はね、雨の弾む声が好き。だって雨声が届けば誰かが歩いてくるものね。
ーーーー
―――あ“あ”~~もうぉぉ!どれもこれもダメぇえ!
食え、食え、もっと食え食え、どれもこれも似合うように食うんだァ!
あ“ぁ”~~あれもこれも似合わない!もっともっとォ縫って紡ぎ合わせるのォオ!!
繋ぎ合わせてドレスにして食え、食うんだよォォオ――――ッ
「ヴォぅおお~~~おおおええ―――ッ!!」
―――美味しいでしょう?気持ちいいでしょう?心が洗われるでしょう?誰かを助けたくて意地悪したくて仕方がなくなるでしょォォ―――う?それがァ人の食し出してきたモノなのですよ――うふふふ。ライズは?変容、快感、快楽どれを選ぶのォォ?うふふふふぅぅうふぅぅ―――ッ!!さあさあねえぇぇ食べて吐いて掴んで飲んで吐いて出してェェそして食べなさぁぁぁ―――――いィィ――ッ!!!
ああ、もう、意識が途切れる・・・
覚えているよ、そう・・・
それは著書『天使の汽笛』で読んだ。
それは“再生食料”とも“再生肥料”とも呼ばれるモノだ。
それは文明、つまり“不味い”のだ!
彼女の持つそれは既に人の“臓腑”なのだから――。
ーーーー
俺は吐きながらもそれを戻すようにドレスミーの手で押し込まれてゆく。俺の知る“それ”はもう天使の面影すらないドレスミーだった。その存在が何度も何度も何度だって繰返しやがて倒れても同じことの繰り返すこれが・・・変容?それが快感、快楽だと?
「うォ・・お、俺は知っている・・・ぞ・・・この少女を・・・・!」
―――んんん?知っていると言う貴方は?この少女の親?それとも恋人?いいえ、違う違う違う違うちがァァう!貴方は私がまだ教えて苦しめ壊して刺して食べてアゲルのよォ。
――本当は辛く苦渋に満ちたその表情、覚えているぞ?
――貴方に彼女は渡さない!あの子は私の大切な・・・!
その少女から言葉にも話にもならない声がする。それは生まれ変わりたいという音。話にならない何者かが問う様子。それに答えようとするのに応えられない。情けと情け。『哀れなる少女よ』その瞬間、突如空間が眩い閃光によって上下に分断されたソレは現れる。
そしてドレスミーが手に持っていたソレと俺が食べていたというモノは消え去った――!
「“待ちなさい”」
――そう、天使の堕ち場所はこの声にあったのだ――
糞について
始めて宇宙に生命が表れた頃、共食いをしていたという設定。
最古の世界線「ザモースエンプティ」編の3話辺りに掲載しています。
初期設定では人の糞。




