44、希望と想いと裏切りと
―――6ヶ月後
もう、木枯らしが吹いている。冬も近いし給料も余分に貰ったから温かい料理もよい。
「ふぅ――、お客さん面会だって言ってたなぁ―――、成功するのだろうか」
「大丈夫だろう――?僕も君を採用する際に嫌われないか不安だったのでね」
「そうですよ。私が着実に的確に覚えられたのも先輩あっての成功ですし!」
「はァ――、アタシなんて面会・・・叔母が社長で苦労しましたっけ・・・」
こんな風に自信の無いときは着実に覚えられるよう“あの人”は助けてくれていた。それも毎日、毎日当然のように話しかけてくれていた。もし、その人が居なければ俺自身から何も出来て居なかったのかも知れないよね。
―――自分から動けって?私はバカかね??いいや、そうじゃない、それはただのマグレだッ!自分から動くんじゃない、誰かと協力するんだ!
モノゴトリー協会で実験を受けながら仕事を与えられていた俺は、何度も挫けかけていた。あなたを頼りにしていたのだ。なのに、何故居なくなったんだろう。
―――そうかね、私が居なければ操作もままならないかね。例えば釣りというものがある。魚というのはな、力が強いんだ。だから引っ張るよりも身を任せて力を貸す。すると逃げ場を失った魚はこっちへやって来る・・・。見ろ!餌はこのように蒔くとよい!
それに――、あんたなら私が助けてくれと言ったら手を差し伸べるだろう。だが力が及ばん事だろう。では逆に私が居ないなら、今度はあんたから私の言う通りに動かしてみると、その餌は、どうなるのだ?それは餌だと魚は――思い出せるのかな?―――
――5カ月後
俺はドレスミー店長の教えを受けメイズ・アン・ファッショナーに勤めている。この日はフェンリー商会の設立20周年で多くのグロリアランドの住民が休暇日となっており、ここでは洋服などの商品が30%割引としている。
「ライズさん、今日は少し手数口数足音を控えめにお願い致しますね・・・」
俺のバックヤードのカウンターで洋服の手入れをしているドレスミー店長は変わらず綺麗だった。デイジーとの悶着によるものか彼女の顔の張りが艶やかにも見えてしまう。栗色の髪に暗蒼色のスーツ、白いシャツに赤い首紐に金の髪飾り――、そして紺色と金を放つその眼がより一層に彼女を引き立てている。そんな彼女は推定54歳だと聞いている。
「ライズさん、洋服は相手の心を読む力を持つのですよ」
(ああ・・・美しい・・・)
「この服が美しい――そう、貴方も私の教えが理解でき何よりです」
(ええ・・・魅せられて・・・はァ~)
「ふふ、私の教えに魅せられているのですね。いい事です、お客様にもそのように接していけるとより一層つよく輝きを放つでしょう。この鏡のように―――」
俺はこの羽のように柔らかな服に魅せられている。ドレスミーは何故か俺の意識にある声が感じ取れるようだ。それに店の鏡は磨かれた痕が全く見当たらなかった。それは純度の高い水のように店の中を映しだされている。
人も風も通れば商品から飛んできて微細な埃がつき布で拭けばその誇りが擦れ傷となることだろうに。一体なぜこの鏡はどのように磨かれているのだろう。俺は夕方に勤めに来るから彼女一人のはず・・・。
「ねえ、店長。この鏡は毎日どの様にして誇りなんかを取り除くのです?」
「声を聴かせるのです。いつまでも遠い過去にとらわれず居られるように」
「それってどこかの伝統なんでしょう?俺、いろんな本を読むけど鏡は怪音波で割れるとか、音が反響して耳が傷むなどと書いてありまして・・・まあ店長の声は品位もあるし美しいので本当かどうかは知りません」
「ふふ・・・貴方はとても賢いのですね。自身の記憶に囚われ意識のままに動きお客様さえ虜にする――、それはそれはとても美しい事なのですよ。そう、この鏡だって」
ドレスミーは鏡にそっと手をやり指先で撫でる。その仕草に魅せられていた俺はゴクリと喉を鳴らし唾を飲んでいた。それが30分続いているようにも感じられ体の力が抜けていくようだった。時計を見ると僅か1分の出来事なのに――。
「貴方は知っていますか?木の焚かれた場所で民を祝福するように踊る娘の“足音”を」
しまった!
彼女に見惚れている内に頭を掴むようないつもの長話が俺を襲う――ッ!
「それはお客様に例えれば冬の風による痛みを乗り越えながらも足音を立てるのと同じこと――娘だとします。そのお客様はようやく自らの足で訪れた店の玄関へ到着し“いらっしゃいませ”と店員の者から手を差し伸べられそこで息をつき痛みを和らげるように自らを示すのです――まるで焚火の炎を受入れるかのよう・・・。やがてお客様は踊る様に彩られている服に身を纏い店員へ“これが欲しい、あれも着たい、お金はどれほど必要なのか”と求めてくるのです――それは踊りを求めるかのよう・・・。店員は彼女を見つめる様に試着を促し鏡の前で躍らせて見せます――貴女へ踊りを教えますよ、と・・・。すると彼女は輝いたのですよ!自らの弱さと引き換えに強さを手に取る・・・その様は手を差し伸べられた店員へ踊りを教えてくれてありがとうとお礼の言葉を与え――次の日には元気になられ“ああ、来てよかった”と感謝の言葉を綴る――それは彷徨う娘が民に祝福されて踊りに駆られ・・・日々男に抱かれ美しくなるように・・・力を得てまた誰かを救う・・・」
(ドレスミー店長の透き通るような声、静かな口調・・・でももう、見惚れるのは止そう。ここで勤めて1年経つし・・・俺もリハビリ中だし・・・お客様来ないかなァ)
――1時間後
メイズ・アン・ファッショナーの店内に老若男女13名ものお客様が来店された。ドレスミー店長は俺の目に留まらぬ速さで1名の混乱した女性客に目配りし声を掛けてゆく。
店長は決して走っている訳ではなく背筋を伸ばして歩いているに過ぎない。その声は透き通るガラスのように透明で、その手は暖かな焚火の炎へと導いているかのように柔らかくも在った。
――いらっしゃいませ・・・
“ああ、あなた・・・私に見合う服を見せて頂けない・・・?”
“ええ、勿論ですとも――外で冷えたのでしょう”
“そうなのよ、夫が冷たくて自信を持ちたいの!お願いよぉ私を綺麗にしてぇ・・・”
“さあ、その意志の籠らない内にこちらの服など合わせては如何でしょう――”
“いいわァ~何だか若いころを思い出す・・・以前の私ならどうしているの?”
“貴女さまの意識の奥底へ眠るこの服の色は貴女さまの心の鏡なのです。是非この鏡を見ていただきたい。今の貴方さまとこの服と貴女さまの未知なる容姿――実に美しい”
“こっ、これよぉ・・・ライト・オブ・ホールの光のよう!”
“では、ご試着いただきましょう。新たな貴女さまの世界へようこそ――”
―――――
お客様である女性の肩に腰へと手を差し伸べ、その重心を支えるようにドレスミー店長は面をゆるりと下げお辞儀をする。気高く気品溢れるその美貌にお客様の誰もが憧れるのを俺はいつも見せて貰っている。俺などスーツを着ている一つの背景に過ぎなかった。
――夜10時過ぎ
「いいですね。貴方は決して背景などではありません。天使のように柔らかなその容姿――、きっと誰もが貴方の虜となることでしょう。もう無理だとしても諦めずに居続けるのなら“ああ、来てよかった”と言われるように成長しなさい。このドレスミーが貴方はもう一人ではありませんよ、と教えを灯す―――」
「灯す?ははは・・・店長、俺もあなたの様に象徴を示すには程遠いようです・・・」
「いいのです。貴方も特別に私が磨き上げて差し上げましょう。これからも―――」
彼女は俺を肌で包み込むように俺を諭し、そして錫杖を天に掲げる様に声を与えてくれる。俺は昂る。“ええ、あなたには叶いませんよ。それに高貴なる面持ち、品位をも突き通す視線はどれをも俺の知らないその鏡面。いつだってあなたは魅惑を与える天使なのです”と。
――さあ、あんたも見つけられたようだぞォ~?そう、そうやって手と足を同時に操り重機をも躍らせろ!自分にも秘めているであろうその操縦、その記憶力は誰をも目を奪われるだろうよォ!さあ、今すぐ声に出してゆけぇッ!我はその眼、その顔、そして腕を使い踊る姿をお前達へ魅せているのだとッ!段々だんだん近づいてゆくその地平線の光を目指せぇぇ――ッ!!グンッと高く強く頂きへと昇るのだァァァ―――ッ!!
「実はとても煩かった思い出しかなくて」
「そうですね、心理的にあなたは重症ですよ」




