はじめて味わう心の声
いつも自分が何者かと悩む主人公の背景には仲間同士のふれ合いがあった。誰か名前を知らないか。そんなときに一人、声をかけてくれ共に食事に舌鼓を打ったのだった。記憶の無い主人公にとってこの出来事こそはじめて心から感謝した瞬間だった。
俺にはどうやら身内も親戚も友人もいないようだ。誰からも連絡が無いのだから当然だ。
ここの人たちだって顔合わせしかしてない。合図をし、現場に注意しつつも思う。
(名前・・・、誰かくれないかなあ)
思い更けていた。覚えていないのは辛い。
「おっと・・・!いけない!!間違えた・・・っ!」
相変わらずクレーン車の操作レバーが重い。まだ不慣れなクレーン車自分の手じゃないようだ。前は腕をひねることも出来ていたような、そんな気がするがどうだったろうか。まだ不慣れだが新鮮な気持ちでいつも働かせてもらっているのだ。
“何か気になる症状があれば早く来てくださいね”
医師はそう言ってくれているし何とかなるだろう。きのうだって俺の名前も“名無しのそこの人”って呼んでくれたし、よし、文句は言わないことにしよう。
“ぴんぽんぱん、ぴんぽんぱんぽん”
施設から流れるこの音は朝昼夕に流れるものだ。分かりやすい。
さて、昼が来た。そして現場の同僚の誰かが声を挙げる。
「きょうもお疲れ!」
「やあお疲れさま!やっと昼がきた」
「おお、お疲れさんよ!飯だめしー!!」
こういった挨拶があると俺も気がはやる。はやく日陰へ向かいたい。あと少しだ。あともう少しで俺も昼休みにしよう。
「やあ!キミー!!がんばっているねえーー!!!少しいいかなーーー!!!!」
その大声に驚き「あ、っとっと・・・っとお!?」
何だ何だ、誰だよ、緊張が解けたじゃないか。クレーン操作の手が緩む。あとちょっとのところなのに、と俺はクレーン車を止めた。
「はい!?俺ですか??」
「うん!そうそう、キミだよ!!これ、これ食べないかい!!?」
今度は“キミ”と呼んでくれた。
(名無し・・・プラス、君・・・イコール・・・“名無しの君”って名前・・・?)
悪くはないようなやや恥ずかしい気もした。
俺は涼しいところに行き食事をとりたいのでクレーン車から降りた。
彼に歩み寄り先にあいさつを。
「えーっと、初めまして」
「ああ、初めましてだね!これ、これ早くそこの日陰で、二人分だからさ」
と寿司とお茶を差し入れてくれ、はいはい、と早速昼休みに向った。
「この寿司もお茶もうまい!」
「そうかい?」
喉も潤ったところでまず話題を。
「あの、頂いておいてですけど、何で食事二つ分持ってきたので?」
「まあ、まあ、そうなんだけど、私がカウンターで頼んだものが間違って二つ分用意されていて、それで余ったものだし勿体ないから"誰か食べてくれないかーっ"て探していたらキミが居て。だからさ」
「でも俺が食事を持っていたら?」
「まあ、いいじゃないか。この施設は食品ロスやっているし」
偶然とはいえ3ヶ月間も孤独でどうしようもなかった。この人と話せることはリハビリにもなるかもしれない。なにか、こう、似てるんだよな。ここに来る前もこんな空気を。
「あの、俺以外に」
「私もこの施設で食わせてもらっている身だ。キミもいずれそうするかもね」
えーっと、この人、誰だろう。上司かどうかモノゴトリー協会の複合施設の中に居ただろうか、分かりづらい。
「えっと、キミって言うのも失礼だよね。折角だし名前、教えてくれないかな?あと、ここって同僚が沢山居て挨拶と合図だけだから、分かりにくいから。新人だし」
彼は新人だったのか。道理で覚えがないはずだ。でもどこか、何か似てるんだよ。こう、“お前だってこうしてるだろ?食べたりさ”とか言いそうで・・・あれ?
「俺の名前は、“名無しの君”でいいのかな。えっと、№850って呼ばれてますが」
「“名無しの君”?私もここの施設にきて№721と呼ばれてこの現場に紹介された。けど、“名無しの君”?なにそれ??」
彼は笑いつつも俺と向き合って話してくれる。いつだったろうか、何か以前にも。
「ハハハ・・・、きのう“名無しのそこの人”と呼ばれて、今日初めてあなたに“キミ”と呼ばれて。名前なんて全く覚えていなくてそれで合わせ“名無しの君”って勝手に付けてます。俺もおかしいと思いますよ。でも医師からは“サンシャイン現象”と診断されてリハビリにここを紹介されました。ちょっと腕の感覚も分からずですけど」
彼は静かに「・・・サンシャイン現象らしいよ」と呟いた。俺は一瞬ドキッとした。
「え?何か言いました?これってショック症状と疑われていて、仮説らしいとも」
「うん、言った。私もサンシャイン現象って。原因はショックというより私が嫁に何か言っていたらしいんだ。でも覚えてなくて・・・えっと、何だったのかな?」
そうか。原因は人それぞれなのか知らなかった。
「一応ショックですよね。何もかも覚えていないって」
「うん、ある意味ショックだね。私も足の感覚の方がなかなか掴めなくて悩んでるんだよ。現場では歩くのが遅いって。でもさ、ここの食事はおいしいよね」
俺はよく頑張っているかもしれない。そして初心者の彼もここで頑張ろうとしている。
人の事も認める。だから味はいつもよりおいしく感じられたみたいだ。
「あの俺、少し何か思い出せたような」
「私も昔、妻と亡くなった友人ともこう話していたよ。懐かしいな」
“ぴんぽんぱん、ぴんぽんぱんぽん”
「あ、時間だ・・・そろそろ」
「ああ、すまないね。あと、キミっていうのもいけないね。先輩だし」
「いいですよ。同僚だし何かあったら声掛けられるじゃないですか」
「そうだね!じゃ、また」
サンシャインか・・・。こんな偶然あるんだなあ。
きょうもありがとう“みちひこ”。またな。
何らかの要素、つまり負担のかかっていたところにストレスが溜まり爆発するように、一時的に記憶喪失になると同じくして、体の不調もリセットされることがありますね。だから蘇ったような新鮮な感覚が現れるのでしょうか。