敵の名は、繊細
アラームの音。ベッドから身を起こして、テーブルに置かれた鏡を見る。
そこには自分が映っている。私の顔が、寝る前に洗った時と同じ様子で。
他にはいない、一人暮らしだから。
――でも、本当はもう一人、いる。
幽霊だとか宇宙人だとか、そういうオカルトみたいな話ではない。ただ、そいつは常に私と共に行動していて、どこへ行くにも何をやるにも首を突っ込んでくるのだ。
そう。繊細という名の欠陥が、私の背後には居る。思考の中に常に住み着き、どうでもいい情報を無駄に盛りまくって大騒ぎする。
なるほど、確かに役立つこともあるだろう。たとえば、何かしら創作活動をやるのなら、こういった繊細さはメリットにもなる。天才や巨匠と称された偉大な芸術家や科学者達の中には、常人ではおよそ気にも留めない事柄にわざわざ着目し、結果として業績を残した者も少なくない。
でも、その代償としてか、彼らは大体ヘンな人生を送っている。奇行が目立ち敬遠されたり、執着が強すぎて見放されたり、頭がおかしいと馬鹿にされたり、生涯誰にも才能を認められなかったり。そこまで極端ではなくでも、家族や人間関係、性格に難を抱えているケースは驚くほど多い。
だから私はこう思う。繊細さとは基本的に欠陥であり、デバフに他ならない――と。
欠陥。そう、欠陥なのだ。恐らくは、フィルタリング機能の。
身体に備わる無数の感覚器から入力される刺激を、脳は機械的に選別している。そして、重要と思われる情報のみを思考の段階に流し込む。そうしなければ人間は生きていけない。考え続けて一生が終わってしまう。
ところが、私みたいに無駄に繊細な人間の脳は情報処理が下手だ。通常なら切り捨てても問題ない刺激にも過度に反応し、重要のラベルを貼り付ける。そんなことをされるから気になってしまう、考えざるを得なくなってしまう。
簡単にたとえれば、こうだ。
歩こうとする時、普通なら筋肉や関節の動かし方なんて考えない。考えるまでもなく自動制御され、それで問題なく回る。でも、重要ラベルを大量に貼り付けられた脳では、そうはいかない。一挙手一投足に繊細な注意を払い、慎重に動かすことを要求される。さもなくば重大な問題が発生する気がするのだ。するだけで、ほぼ何も起こらないけれど。
当然、そんな繊細になったところで大して良いことはない。日常レベルで精密な動作をしたところで評価される訳もなし、むしろ、動きがいちいちノロくなって面倒が増えるだけだ。そして、意味もなく複雑な処理をさせられた脳は馬鹿みたいに疲れる、ふざけんな繊細野郎。
世に曰く、こういうのは病気や障害ではなく特性、性格の範疇らしい。だからといって別に楽になるわけでも、慰められるわけでもない。どっちにしても日頃の苦労は何も変わらないのだから。
いっそのこと、この頭を機械化したいと思う。情報の入出力や処理の優先度を変更出来れば、過度な繊細さにハラスメントを受けることもなくなるだろう。人間の脳なんて生体コンピュータみたいなものなのに、そこらへんの融通が全く利かないのはユーザビリティがなってない。設計者には反省を求めたい。即時アプデしろ。
――なんて、頭の中でぐちゃぐちゃ考えていると、またスマホが鳴った。勤勉なスヌーズ機能くんが「お前まだ寝てるんじゃないか?」と疑っている。
私はため息を吐いてスマホを黙らせ、完全に立ち上がった。
今日もまた一日が始まる。きっと、疲れるだろう。
せめてその中に、少しでも楽しいと感じられる瞬間があると願いたい。