表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/24

08: The Cage of Solitude and Severance

 

 ――音が、消えていた。


 それまで確かに聞こえていた戦いの気配も、仲間の声も、虚無ヴォイドのうなりも――すべてが霧の中に溶けていた。


 視界を覆うのは黒い靄。上下も距離も曖昧で、自分の呼吸音だけがやけに鮮明に響いている。


「クライヴ! マイル!」


 名前を呼んでも口から漏れた音は霧に吸い込まれ、何の反応も返ってこない。


 焦燥と不安が胸を締めつけ、足が自然とすくむ。


 (……ここは、どこなんだ?)


 ロスは腰に吊られている――サイドに意識を向けた。


【探索記録:停止中】

【位置情報:測定不能】

【通信:断絶中】


 いつものように機械的な声と簡潔なログが、冷たい赤色で表示されている。


「サイド! 何が起きたんだ!?」

 

【精神波長に不安定反応。環境変異を確認。警戒を続行】

 

「なんなんだここは!? どうなってる、クライヴとマイルは!? スナッチはここにいるのか!?」


【落ち着け】


「いや言い方!」


 思わず声を張るロスに、サイドのディスプレイが一瞬だけ明滅した。


【訂正:状況不明下では冷静な判断を推奨】


「……悪い」

 

 サイドとのやり取りに少しだけ落ち着きを取り戻したロスは改めて深く息を吐く。焦っている場合ではない、一刻も早く現状を把握し2人と合流せねば。ロスは焦燥をすみに追いやり、辺りを見回す。

 

 だが、安堵の暇もなく――


【注意:局所空間に異常反応。上昇中】


「……何が起きるんだ」


 黒い靄の中から、わずかに“何か”の気配が滲み出してくる。


【敵性反応、接近中。推定数:一。個体識別不能】


 ロスは剣を握り直し、反射的に身構えた。

 視界の奥、揺らめく影が、するりと滑るように形を成していく。


「……っ、ヘイズか?」


【敵性個体、解析中】

【敵性個体、分裂傾向あり――複数の揺らぎ、情報断続中】


「う、うん? ……揺らぎって何だ? 分裂ってどういうことだよ……!」


 ロスの声に、サイドが一瞬沈黙し――


【要約:複数いる中の一体が本物】

 

「…… わかりやすい!」


 サイドの目がほんの一瞬だけ明滅する。


 霧の中から、音もなく、影が這い寄ってくる。

 視界の先、霧の輪郭が動く。その中心に、ぼんやりと揺れる影――いや、“複数の”影が、じわじわと浮かび上がってくる。


 ロスは剣を握り直し、足を擦る様に後退しながら体勢を整える。

 敵の影は左右にぶれながら、視界を覆うように広がっていく。まるで視覚そのものを侵すように、複数の虚像が揺らめき、翻弄してくる。


「……見つけるしか、ねえな」


 影の波が、一斉に動いた。


 複数の分裂体が霧を裂き、異なる角度からロスを囲い込むように襲いかかってくる。


「……来い!」


 ロスは地を蹴り、一体目を迎え撃つ。

 剣を振るい、横へ避けてきた影を牽制する。攻撃は深く通らず、手応えも薄い。だが、それでいい。


 “本体”は別にいる――


【解析:本体は行動していない。分裂体の動きに注意】


「……オーケー。けど、こいつらをどうにかしないと近づけない……!」


 一体、また一体。

 ロスは迫る影を斬り払い、かわし、反撃を繰り返す。

 分裂体は動きこそ鋭いが、力は分散している。防御に徹すれば致命傷にはならない。


 だが油断すれば、視界も間合いも奪われる。

 その巧妙さこそが、本体の狙いだ。


「くそっ……見えない……!」


【右前方に違和感。本体の可能性がある】


「……あそこか!」


 視線を逸らさず、斬り払いながらロスは前へ進む。

 一体の分裂体が突っ込んでくる。ロスはそれを半身で受け流し、切り返すと同時に、その向こうへ踏み込む。


 その一歩。

 霧の奥に、他と違う影があった。


(――いた)


 ロスは呼吸を止め、集中する。

 残る分裂体を横なぎに薙ぎ払う。

 攻撃は受け流しに徹し、直線的な軌道を崩さない。


 そして――


「……抜ける!」


 貫くようにロスが駆ける。

 本体へ迷いなく剣を突き出す。

 まるで粘り気のある何かを割るような手応え。

 剣先が“核”を捕らえ、影が揺れた。


【命中確認。本体構造の崩壊反応を検知】


 影の中心が砕け、ゆっくりと分裂体ごと崩れていく。

 全体の気配が、一段階、沈んだ。

 ロスは息を吐き、剣を肩に戻した。


「……ふう。危なかった……」


【警告:残存個体なし。本体消失を確認。小規模ながら空間安定化を検知】


 霧が、わずかに晴れたように見えた。


 呼吸はまだ乱れていたが、明らかに先ほどまでとは違う。

 視界が、ほんの少しだけだが通るようになっている。


「……サイド。今のって……」


【敵性個体の本体を撃破したことで、空間内の密度に変化が確認された】


「ってことは――倒し続ければ、出られるかもしれないってことか?」


【完全な断定はできませんが、可能性は高い。特定の敵性個体がこの空間を維持していると推測】


「……つまり、そいつを見つけて倒せば、ここから抜けられる」


【肯定】


 ロスは剣の柄を握り直し、ふたたび深く息を吸う。


「なら、やることは決まってる」


 そう言って、再び歩き出す。 


【反応検知:前方、距離およそ二十メートル。複数】


「よし、次だ」


 ――


 影との戦いは、数の問題ではなかった。


 一体一体は、決して強くはない。

 だが、どれもが本体を隠すように、霧の中で揺れながら、確実にロスの体力と集中を削ってくる。


 呼吸が乱れ、視界が滲み、足が鈍る。

 サイドのナビゲートを頼りに、ロスはひたすら剣を振るい続けた。


【反応低下を確認。残存個体:ゼロ】


「……っ、はあっ……はあ……」


 剣を地面に突き立て、肩で息をしながらロスは周囲を見渡す。

 また、少し――霧が薄くなっている。


 そのとき。


【注意:特殊反応を検知】


「……なに?」


【前方に強い波長反応。構造が“既知個体”と部分的に一致】


「既知……って、まさか――」


 視線の先。

 濃霧の中心に、一体の影が立っていた。


 黒く、ねじれた輪郭。

 その姿には“人型”の印象が強く刻まれていた。


「……スナッチ……?」


【否定:完全体ではない。しかし構成情報の一部が酷似、分裂体の可能性】


「じゃあ……あれがこの空間の核ってことか」


【推測一致。空間の維持に関わる中核個体とみられる】


「なるほど……やるしかないってことか」


 ロスは剣をゆっくりと構えた。

 息を整える。


 影の奥で、スナッチの分裂体が動いた。


 ねじれた腕を揺らしながら、黒い気配がこちらへと歩み出す。

 

 分裂体はまるで風の中に溶けるような動きでロスへと迫ってくる。


(速い――!)


 ロスは剣を構え直し、斬撃の動作に入る。

 だが、分裂体は接触の直前で弾ける様に軌道を変える。


 「っな!?」 


 振るった剣が空を切る。

 次の瞬間には、背後に気配。


「――!」


 ロスは身を沈め、振り向きざまに斬り返す。

 再び剣が空を切り、敵との距離が開く。


(当たらない……動きが読めない)


 霧の濃度が再び高まるのを感じ、冷や汗を流し息が詰まるロス。

 

 (さっきまでの分裂体とは訳が違う。 どうすりゃいい!?)


 瞬間、相手の腕が猛烈な勢いで伸びる、その腕は杭の様に変化しロスに向かってくる。


「ぐっ……!」


 咄嗟に横に飛び退き回避するロスだが二の腕部分に鈍い痛みが走る。

 避けきれず皮膚の表面が削れる様に裂けていた。

 服に血が滲み、震える足が地を掻く。


【回避精度低下。ロス、体勢を崩している】


「分かってる……!」


 再び敵が滑る様に走り込んでくる。今度は腕を剣のように変化させ正面から斬撃を繰り出してくる。

 鋭く、速い。それでもロスは咄嗟に剣を交差させ、防御に徹する。


 刃が火花を散らす。

 瞬間、全身に衝撃が走った。


「っ、く……!」


 踏ん張る。体勢を崩すわけにはいかない。

 そう思ったその一瞬――受けていた重みが消え、敵の姿が再び視界から消える。


【緊急:右から再度攻撃】

「え? ――うお!?」

 サイドの警告が届いた瞬間、分裂体の剣が横薙ぎで襲いかかる。

 慌てて防御姿勢をとるも、体重の乗った横薙ぎに耐えきれず吹き飛ばされるロス。


「っがぁ!!」


 転げながらもなんとか立ち上がり相手を見据えようとするが、見当たらない。


「どこだ!?」

 

【バイタル、精神波長、共に低下。体制を立て直しを推奨】

 

「わかってる! ――あいつ、強い! 警告がなきゃ今頃……でも、頼り過ぎても反応が遅れちまう」


 僅かにサイドの目が明滅する。


 (集中しろ、あいつはどこだ!?)


 ――その時。


【飛べ】


「――えっ!?」


 声が届いた。

 その強い声にロスは思わず宙に飛ぶ。

 瞬間、地面が抉れ、影の腕がロスのいた位置を吹き飛ばした。


 落下の途中、ロスは空中で体を捻る。

 足が地を掠め、膝から崩れ落ちるように着地。腕が痺れていた。息は乱れ、胸が上下する。だが、助かった。


 地面に残された痕跡を見て、背筋が冷える。あのまま動けていなければ、間違いなく致命傷だった。


「飛べってそういうことかよ! 死ぬとこだったぞ!?」


【結果的に有効だったと判断】


「っ! そうだな!ありがとよ!」

 

 咄嗟だったとは言えサイドが居なければギリギリにもならず息絶えていた結果に思い至り、抗議の気持ちをしまうロス。

 サイドも状況を打開しようと最善を尽くしているのが分かる。


 剣を杖のように支えながら立ち上がる。

 目の前――霧の中、敵が姿を再び現す。


(これまでと同じじゃ、当たらない。振り回すだけじゃ、意味がない)


 マイルの言葉が、ふと脳裏をよぎる。


 ――どう動くか、どう崩すか。無駄なく、丁寧に。


 無意識に、ロスの呼吸が深くなった。


 もう一度、来る。


 ロスは剣を下げる。構えを崩したように見せるフェイント――いや、今の彼にとっては、必要な“呼吸”だった。


 敵が地を滑る。

 突風のように、一気に詰めてくる。


「――今度は、こっちから行く!」


 踏み込む。


 低い姿勢のまま、ロスは霧を切り裂くように突進。

 ロスの正面の突きに合わせ、分裂体は右腕の刃を振り上げる。


 交差の瞬間――


 ロスは地面を蹴り上げ、向かって右斜めに跳ぶ。

 ギリギリで軌道を逸らし、斬撃の外へ躱すと同時に

 そのまま剣を斜めに振り下ろす。


(無駄なく…丁寧に…! さっきのお返しだ!)


 刃が敵の肩口を捕らえ、深く斬り裂いた。

「ッ……!」

 黒い靄が霧散し、悲鳴のような波動が空気を裂く。

 

「まだ……!」


 ロスはそのまま剣を引き抜き、二の太刀を叩き込もうとするが、分裂体のねじれた身体がぐにゃりと反転する。

 左腕が異様に伸び、捻れながら“刃”に変形した。


「っ――!」


 その一撃は、まるで体の軸ごと折れ曲がるような、異常な角度からの斬撃だった。


【しゃがめ】


「――っ!」


 反射的にサイドの声へ反応し、ロスは膝を折って地に伏せた。


 次の瞬間、刃が頭上すれすれを通過。

 霧が裂け、巻き上がった衝撃で髪が揺れる。


(……速い。動きに規則がない……!)


 剣を握り直すより早く、敵はもう次の攻撃動作に入っていた。


 今度は両腕――左右の“刃”が黒い閃光のように閃く。


「っぐ……!」


 ロスは斬撃を受け流すように剣を翳す。

 一撃、二撃、三撃――


 斬撃の雨が降るように押し寄せる。

 サイドの警告が間に合わない。


【右・高角度――左・低角度――後ろへ――】


「間に合わねぇよっ!」

【同意】

 

 ロスは剣を縦に構え、咄嗟にガードの姿勢を取った。

 直後、両腕の斬撃が連続で押し寄せる。

 まるで二本の刃が鞭の様に空間を裂きながら襲ってくる。


 剣が軋み、火花が散る。


「ぐっ、くそぉっ!」


 腕に衝撃が走り、剣が弾かれそうになる。

 一歩でも下がれば、その隙に叩き込まれるであろう攻撃に息を呑み、喰らいつく。

 敵は止まらない。

 ねじれた身体がさらに加速し、腕の角度を次々と変えながら、斬撃を繰り出してくる。


(止まらねぇ!!)


 剣の重みが増す。

 握力が削られていく。

 汗が頬を伝い、呼吸が荒れる。


【攻撃察知反応不能】


「はぁっ……はぁっ……! サイド、何か……策は……!?」


【敵の行動パターン、解析中】

【強力な攻撃の直後、僅かに硬直】


「そこで一閃を叩き込む……か」


 ロスは背筋を伸ばし、深く息を吸った。


 目の前――敵の動きが攻撃姿勢に入る。

 ロスは直感で悟った――もう一度来る。


 先程の攻撃をもう一度凌げば、そこに自分の剣を差し込めるかもしれない――


 だが、それは同時に、一か八かの賭けだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ